歌唱中に体から出ていくものは2つあります!

1つは、息です。『空気は歌唱中に呼吸器の中を1つの方向に動く。』歌唱中に息は肺から喉を通り過ぎ口または口と鼻から出ていきます。この息の流れはあまりにも当たり前のこととして理解でき、また感じることもできます。それ故にその息の流れにとらわれ過ぎる傾向が生まれます。

もう1つは、音です。『音は体の中を2つの方向に動く。』例えば、両手を打ち合わせて音を立てると、四方八方に伝わり一方向だけに伝わることはありません。歌唱中の場合であれば、音は口または口と鼻から出ていくと同時に、喉頭から下に向かって気管に伝わり胸部を振動させます。

目に見えないとはいえ実体のある塊の空気とは違い、音の伝わり方とは、ある空気分子が隣の空気分子にぶつかることによって伝わります。圧力を加えられた分子が元の場所から離れて流れていくわけではありません。その動きを感覚的に感じることは非常に困難です。それゆえ人は歌唱中に明らかに息の流れを強く感じることとなります。その結果、次のような教えがはびこることになります。

歌唱教師は発声をしばしば、「息は音を運ぶ(the breath carries the tone)」あるいは「音は息に乗る(the tone rides on the breath)」プロセスであると言う。 このような声明は直観的に興味を引くが事実ではない。息は音を運ばないし、音は息に乗らない。(Hixon、Respiratory Function in Singing)

このように、いわゆる呼吸といわゆる音は、歌唱中に2つの異なるエネルギーの流に関わっています。これら2つのエネルギーの形の違いは、息を吸っているときでも音を出せるという事実を考えれば容易に概念化することができます。そのとき、息のゆっくりとした塊のような流れは内側へ入り、吸った声とは言え音の部分は口や鼻を通して外へ出てゆきます。この状況で2つのエネルギー流は反対方向に動いています。

ここでヒクソンは、ユーモアに富んだ素晴らしい喩えを示します。

2つの異なるエネルギー流の存在は、おそらくもっとありふれた例によっても理解することができるでしょう。歌手が口臭がきついとき、その匂いは息のゆっくりとした塊のような流れとともに進み、歌手の狭い範囲内だけでしか感知されない。逆に、音はそのような不快感とは関係なく、くさい息を演奏会場の至る所にまき散らすことなく前進する。息のゆっくりとした塊のような流れが観衆に達したならば、会場は早々と空になるだろう。

息はそんなに遠くまで飛んでゆきません。息は加圧されて声帯を振動させるエネルギーの役目を果たしたならばもうお役御免となり、息を劇場空間に満たすような重労働には加わりません。

我々日本人の発声習慣は胸部共鳴が非常に弱いので、胸部が振動するという感覚がなかなか理解できません。それゆえ、音が息とは逆方向にも伝わるという事実、息の流れに頼らないことに注意しなければなりません。

息の流れと、音の伝わり方は、別のもである!