• BEL CANTO 
    by James Stark

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 Appoggio: The Breath Be Dammed!
アッポッジョ:息はせき止められる!

The Concept of Appoggio アッポッジョの概念 p.91

Chi sa ben respirare e sillibrà ben cantare ; うまく呼吸し発音することを知るものはうまく歌うことを知る。この引用の実際の出典は明らかではありませんが、最も有力なものとしては18世紀後半の有名なカストラートであり教師のGasparo Pancchierotti (1740-1821)(*1)の言葉と考えられています。同時代のもう一つの格言は『一つは息をとること、もう一つはその息を声にすること』です。これは高名な18世紀の英国の音楽史家Charles Burney(1935, 2: 501)によるとDr. Holderのものであると言われています。これらをまとめれば、2つの声明は現代と同じようなブレス・コントロールの見解の範囲内に収まります。Pacchierottiは、良き歌唱のカギとなる特別な息の取り方があることを暗示しています;Holderは、最も重要なことは、息を音に変える方法であると主張しています。今日でもその時代と同様に、発声に集中する教師たちとは対照的に息の吸い方に専念する教師たちがいます。歌手仲間のジョークで、ある教師たちは良い歌手達を育てる、別の教師たちは良い呼吸をする人達(breathers)を育てる。

(*1) Duey 1951, 174; F. Lamperti 1884, 1; Lamperti 1916, 5 を参照。

もちろんこれは単純化しすぎています。パッキエロッティがrespirare (呼吸する)というとき、ただ息を吸うことだけを言っていたのではなく、歌唱中のブレスコントロールの複雑な力学に言及していたのです。歌手たちは、日常生活に必要な息の量より多くの息をとらなければならないなどとわざわざ言いません。教授法の文献の中には、横隔膜(複式)呼吸、鎖骨(肩)呼吸、肋骨引き上げ(肋間)呼吸、そして、背中(背面)呼吸、などに関連する数多くの見解が数多くのページに充てられています。(*2) ドイツ、イタリア、イギリス(訳注:実際はフランスも含む)の歌手たちは、異なった呼吸テクニックを使う傾向があるように、国および歌唱の流派によって複数の呼吸訓練の記述が存在します(R. Miller 1977, 7-44)。歌の生徒は呼吸の問題が生じたとき、特に呼吸エクササイズが歌唱自体から分離されてしまったとき、生徒の目がかすんでしまうような経験をすることがあります。私はプロフェッショナルな歌手達のうちで、何人かは胸を持ち上げ、何人かは腹を突き出し、何人かは肩を高くし、そして何人かは上腹部を弾ませているのを見てきましたが、彼らの全てが呼吸法に関係なく美しく歌っていました。また、望ましい歌唱には不都合な影響を及ぼすことも無く、不格好な姿勢で歌っている歌手も見ました。(例えばメトロポリタン歌劇場で妊娠8ヶ月の有名なソプラノが、麻袋に詰められ、リゴレットのジルダの最終シーンを美しく歌っていました)。よい姿勢とよい呼吸法は確かに重要です、特に歌手の初期段階のトレーニングにおいて、とはいえ結局それは息を肝心な歌声に変えるための方法なのです。この点に関して私はBurneyの友人のDr Holderの言葉により引き寄せられます。

(* 2) 例えば、Vennard 1967, 18-35を参照

歌唱において、呼気は発声の同義語であり、そして発声は最適の音質と順応性を生み出すやり方で細心の注意深さでコントロールされなければなりません。ブレス管理の重要な要素は、声門下圧と空気流の割合で、その割合は呼吸筋と息に対する声門抵抗の両方に影響されます。歌唱のための満足のゆく説明には、呼吸の生理学の詳細な記述と同様に、声門抵抗のメカニズムを含んでいなければなりません。そのほかは、声だし、声区、固有受容、フィードバック・システム、二酸化炭素許容量、垂直の喉頭位置、音質、振動、そして表現などは、全てブレス・コントロールと関係しています。

教育学的観点から、呼吸法とブレス管理にまつわる複雑さは、歌の生徒を助けると言うよりはむしろ余計にまごつかせてしまいます。これの解決法として昔の声楽教師達は、複雑な機能をたやすく納得させ、シンプルなイメージを持てるように比喩的な言葉に換えました。我々はすでに、明=暗音質を得るための説明により困難な生理学的で音響学的な描写をする代わりに、chiaroscuroと言う言葉が正にそのようなイメージを与える言葉であると言うことを見てきました。歌の教授法の歴史はさらにブレスコントロールを考えるときに助けになる言葉も生み出しました。それらの中で最も重要なものがappoggioです。

イタリア語のappoggiareは『to lean(もたれる、曲げる)』を意味します。私はこの言葉は歌唱において2つの適用の仕方があると信じています。最初のものは、歌唱中の呼気と吸気の呼吸筋の間の拮抗を示しています。これは歌手たちが横隔膜を『下に押さえつける』感じと言われます。第2は、声門抵抗で、息を上へ押し上げる圧力に対して、喉頭の意図的な降下によって息を『押しとどめる(hold back)』或いは『せき止める(damming)』という喉頭の働きを示しています。従ってappoggio はその十全な感覚において、呼吸作用と喉頭レベルのそれぞれの筋肉セットの間の複合体の均衡を示しています、そしてその中で声に寄りかかるイメージは、ブレスコントロールにおいて非常に効果的なメタファーとなります。このappoggio の概念は歌唱教授法の歴史の中でゆっくり成熟し遅くとも19世紀には完全に形成されました。その後、同じような目的にかなう別の言葉がつくり出されました。それらについては後で考察しましょう。まず始めにブレスィングとブレス・コントロールが早い時期にどのように記述されていたのかを見る必要があります。

The Earl Treaties 初期の論文

歌唱に関する初期の論文には、入念な吸入法あるいはブレスコントロールの方法論を残していません。残されている数少ない所見は非常に実際的なことで、静かな吸気の奨励と効果的な音楽的フレーズを演奏するための無駄息のない使用法です。Girolamo Maffei の歌唱の8番目の規則は、『息を声で少しずつ押していくこと、そして、息が鼻を通って、あるいは口蓋によって出てしまわないようによく注意しなければならない、何故ならば、どちらにしても大きな間違いになるであろう』(Maffei 1562, 35; MacClintock 1979, 45)。これは、息に対する声門抵抗の記述のように思えます。マッフェイはまた、ファルセット声区は胸声よりもより多くの息を使うと記しています。(26;42)1592年にZacconi は、音楽的なフレージングに関係するブレスコントロールについて述べ、『ワンブレスで楽に順応できる音型〔装飾音〕だけを引き受けなさい』と歌手達に教えました。彼はまた、歌手は肺の十分な収容力とノドの敏捷性を持つべきで、それによって長く華麗なパッセージを、息を取ることで弱くなりすぎたり中断したりすることなく歌えると言っています (Zacconi 1592, fol. 59) 。

彼の1594年に出版された歌の装飾音の手引きの中で、Giovanni Battista Bovicelli は歌手達に息の使用に関して、慎重であれと警告を与えています。彼は、歌手が『正しいテンポで、そして、判断力を持って呼吸するべきである; 特に、アクセントのために役立つそれらの音の間で呼吸するべきでない。』と言いました。アクセントという言葉は、ここでは新興のヴィルトゥオーゾの歌唱スタイルの重要な部分であり装飾楽句あるいは装飾音を示していました;Bovicelliは、Zacconiのように歌手が装飾音の途中で息を取らないように注意を促しました。彼は息を取りすぎる歌手に対して、『自分の影におびえる馬のようだ』と言っています(Bovicelli 1594, 16)。(呼吸をする人たち対歌手たちにまつわる我々のささやかなジョークは、確かに目新しいものではありません。)Bovicelliは、音を立てない吸気を擁護した最初の著者の一人で、その問題点は後の時代の様々な著書で繰返されています。

1602年にGiulio Caccini は、彼の前任者と同じように同様の関心事のいくつかを述べています、しかし、彼はいくつかの新たな出版物も著しています。彼は、『よい声は最も重要なことである、特にブレス・コントロール[la respirare del fiato]についてはそうである』、そして彼は息のエコノミーを擁護して、歌手達にファルセットと息の消耗を避けるようにアドバイスしています。しかし彼が最も関心を持つ呼吸法の側面は呼吸のコントロールを最も要求される声の増幅と縮小です。

確かに人は、歌唱のクレッシェンド-デクレッシェンド、感嘆詞に、我々が示してきた他の全ての効果により多くの魂を与えるために[息]を使わなければならない:人に切羽詰まって息が足りなくならぬように確認させなさい。ファルセットからは歌唱の崇高さを表現することは出来ない;それは、この最も崇高な歌唱法のために必要な最高の常道として示された専門技術に利用される呼吸による自然な声からやってくる、そして全ての音域を通じて楽に思うがままにコントロールすることが出来る。(Caccini 1970, 56)

カッチーニは、弱い音から強い音への全ての漸次的移行;グラデーションのブレスコントロールの重要性を強調し、これらのグラデーションの色々なヴァリエーションについて述べています。(今日の音楽用語では『ダイナミック・レベル』あるいは単に『ダイナミックス』として強度を表しますが、ダイナミックスと言う用語法は不適切な使い方です、それは一般にかなり広い潜在的意味を持ちますが、我々はそれに惑わされてしまうからです。)

1638年に晩成のマドリガリストDomenico Mazzocchi (1592-1666)は、five-partマドリガルの本を出版しました。その本の序文で、カラフルなヴォーカル・クレッシェンドを記載しています。彼の作品を演奏するためにはブレスと音の両方を徐々に大きくしなければならない、或いは 『優しく声を大きく、音ではなく活気で;それから徐々にそれを静めてゆき、空洞の底から来るような感じで、ほとんど聞えなくなるまでスムーズにそれを行う。』(*3) 彼の『音ではなく活気で(liveliness but not in tone)』声を大きくするという訓戒は興味深いものではあるが明確な説明はありません。

(*3) Fortune 1954, 215より翻訳:全文はGoldschmidt 1890, 76 ffより

1668年にBenigne de Bacilly (ca. 1625-90)が、良き呼吸法は良き歌唱演奏にとって最も重要なものであるというとき初期の著者たちの助言を繰り返すことになりました。かれは、歌手は『単語を短く切る、あるいは、シラブルを2つに切り離す』ことを避けるべきであると言いました。多くの歌手たちがこれらの過ちをを犯し、それによって生ずる結果は非常に悪いものとなります。良い呼吸法は全く良い肺に左右されるように思われるとはいえ、それは歌唱に於ける他の要素を加える訓練によって獲得され促進されることが証明されてきました。 (Bacilly 1968, 25)。

その他の呼吸法とブレス・コントロールに関する初期の論文は常識的なものばかりである;息を取る(または取らない)とき、空気を十分に取ること、経済的に使うこと、そして情緒的な楽句やダイナミックなグラデーションのために良く息をコントロールすること。(*4) より繊細な呼吸法とブレス・マネージングの記述はもっと後の時代まで待たねばなりません。

(*4) 他の論評はSanford 1979, 80 とDuey 1951, 148 を参照。

The Eighteenth-century Tutors 18世紀の指導者達 p.95

18世紀の主な歌唱指導者たちは呼吸法に関するアドヴァイスにおいて、初期の論文を超えるものではありませんでした。Pierfrancesco Tosiは、彼の先駆者と同じように、単語の途中でのブレスに対して警告をし、長い装飾の多い楽句の途中のブレスをやめさせ、生徒に適切な使用を勧め、静かに十分な息をとることを助言しました(Tosi 1986, 36-7; 1743, 60-1)。トージは、crescenndo-decrescendmessa di voceと言い、歌の技巧であるメッサ・ディ・ヴォ―チェは衰退の状態にあると嘆きました。

[メッサ・ディ・ヴォ―チェ]とは声を最弱音からそっと出し始め少しづつ強くして最強音までゆき、その後で同じ技術で最弱音に戻るテクニックのことを言います。それを出し惜しみすることなく、また、開口母音以外では使わないプロフェッサーの口から生じる美しいメッサ・ディ・ヴォ―チェは、最大の効果を必ず得ることでしょう。彼らが声の不安定さを好もうと、昔を見下し過去から彼ら自身を引き離すことを望もうと、メッサ・ディ・ヴォ―チェを価値のある様式と考える歌手は今やほとんどいなくなった。(1986, 17; 1743, 27-8)

1774年にGiambattista Mancini (1714-1800)も呼吸の節約とメッサ・ディ・ヴォ―チェの問題に触れています。彼は次のよう言いました、『成功のために最も必要なことは、息をいかに維持するか、そしてそれをいかに取り扱うかを知ることである』(Mancini 1967, 62)。彼が主張するメッサ・ディ・ヴォ―チェは、ブレス・マネージメントにおいて高度な訓練を必要とします;『私は繰り返す、生徒は、次に述べる事柄を少しも習得できないならば、メッサ・ディ・ヴォ―チェを実行できると思い込んではならない。それは息を維持し強化し、そして息を取り戻す技である:これはひとえに、声の正しい、そして必須のグラデーションの天賦の才能次第である』(45)。マンチーニはメッサ・ディ・ヴォ―チェの重要性を繰り返し言っています。それは、『歌に重要な美点を与える』そして歌手に『いかなる問題もなく保持し、グラデーションする』ことを可能にする。その中には、美しい歌唱の『技巧以上の秘密』がよこたわっている。彼はメッサ・ディ・ヴォ―チェの正しい歌い方を知らない人たちを非難すると同時に、Farinelli (Carlo Broschi, 1705-82)を、彼の息の精通した技巧ゆえに称賛して言いました。『何事にも目立つことなく、適切さと蓄えられた息をどのように維持し取り入れるかという知の技巧派、彼を持って始まり、そして彼を持って終わる。』 マンチーニは、彼のあらゆる前任者よりもブレス・マネージメントとメッサ・ディ・ヴォ―チェに対してより強く主張して言いました、『私はメッサ・ディ・ヴォ―チェに関して義務をはるかに超えて多くの推論を立ててきました、しかし私はあなた方に言います。若き生徒たちよ、それは私の心を支配しているのでそのことについてなら永遠に話すことができます。』(46)

1792年にJean Paul Egide Martini (1741-1816)も息を維持することの重要性を述べています;『呼吸作用により、肺が空気で満たされたとき、細心の注意で空気を制御し、声帯を振動させるのに必要な息以外のいかなる息も吐き出さないようにする必要がある。 この呼吸法は、自由に音を増減する力を与える;それは、低い音と高い音で声量を増大させる;それは、難しい楽句で容易さと明るさを与える』(Sanford 1979, 90)マルティーニの息を『制御すること(holding back)』、マンチーニの『息を取り戻す(taking back the breath)』と同じ概念はその後の多くの著者達によって繰り返され、そして、それがアポッジオの概念の先駆けとなりました。

カストラートのGirolemo Crescentini は、彼のRaccolta di esercizi《練習曲集》の中で、『Flexibility(柔軟性)』のタイトルでメッサ・ディ・ヴォ―チェを説明しています(Crescentini 1810, article 3)彼はそれを、音の楽な『アタック、強化、減少』と定義しました。続けて、これはフレーズ全体だけではなく楽節も、さらに個々の音符にもなされるべきであると言いました。この概念は、ガルシアが言う『音は同じ力で保つ』(les sons tenus de force égale)と対照的です(Garcia 1847, 1:63; 1984, 132)。 メッサ・ディ・ヴォ―チェを用いてそれぞれの音符の強さを切れ目なく変える歌手は、今日ではめったに聞くことがありません;その代わりに同じ力で音を作る歌手たちがはるかに多いように思えます。

The Garcia School ガルシア楽派 p.96

前にも述べたように、古典イタリア楽派の訓練は、パリ・コンセルバトワールのMengozzi (1803) とGaraudé (1830) の教則本でなされました。ガルードは、これらの論文は数十年前からの中心となる最も有名な歌手たちの歌の練習を反映していると主張しました(Garaudé 1830, 11)。ガルードは言いました、イタリア人たちのように静かに息を吸わなければならない、そして息は長いフレーズを支えるために節約されなければならない。また、長いフレーズのためにフル・ブレス、そして短いフレーズのためにハーフ・ブレスの両方について述べました(25-8)。そしてメッサ・ディ・ヴォ―チェについては:『音階のそれぞれの音は、母音[a]で発音され長くのばされなくてはならない;それは非常にやさしく始めなければならない、そして音の半分(そこで最も力強い音に達する)まで徐々に増大してゆき、それから音の終わりに向かって少しずつ減少してゆく。この音を引き延ばす方法[英:spinning the tone, 仏:filer les sons]は、mise de voix(仏)あるいは、メッサ・ディ・ヴォ―チェと呼ばれる。』と言い、続けてメッサ・ディ・ヴォ―チェは『純度を持って楽に実行できなければならない。弱音を強くするときに器官を変えたり、音を損なってはならない。声の響き(metallo)の質は自然でなければならない』そして『音質を変えてはならない。声区は声の強さにかかわらず同じままでなければならない、そしてvoce di testa(頭声)は使うべきではない』と主張しました(28-9)。

ガルシアは、1841年出版のTraité(仏:概論書、論文)の中で、たった半ページのみを呼吸にあってているだけで、主として吸気を扱っています;彼は1847年版とHints on Singing(1894)で、ほんの少し説明を加えています。この所見の少なさは、彼のメトードにおいて呼吸法は重要事項ではないことを示しています;むしろ歌うことそれ自体は、圧力を加えることであったのです(singing itself was the pressing matter)。ガルシアは、横隔膜の下降と胸部の上行の組み合わせによって静かな息をとることを主張しました;『私が要求するこの2つの行動は、肺を完全に拡張させ、取り入れることができるすべての空気を収容させる。腹式呼吸だけを助言することは、歌手にとって最も不可欠な強さの要因となる呼吸の半分を自ら減少させることになる』(Garcia 1847, 1:24; 1984, 33)。彼はフル・ブレス(respiro)とハーフ・ブレス(mezzo-respiroの両方について述べ、そして、息の取り過ぎについても、必要以上に早く息が漏れてしまうので警告を与えています。歌唱中は、継続的でよく管理された横隔膜の圧力を要求しました、そして『安定した』『適当な』『長く続く』圧力の必要性を説きました(Garcia 1894, 13,22)。

ガルシアはメッサ・ディ・ヴォ―チェ(彼は、son filésspianata di voce とも呼んでいました)は、ブレス・サポートができているか否かの最も優れた判断基準になると認めていました。彼は言っています、このエクササイズは初心者向けではない、それゆえ『歌手に、呼吸と音質のコントロールの熟練者であることが求められる』と。一つの音でのクレッシェンド‐デクレッシェンドとしてのメッサ・ディ・ヴォ―チェについて説明した後に続いてエクササイズの詳細な説明を与えています;

生徒は、ファルセット、そして暗い音色で柔らかく音を出し始めます。我々が見てきたように、この行動は喉頭をしっかりと安定させ、咽頭を引き締めます;その時点で、位置と、その結果、音質を変えることなく、そして、2つの声区の分離の瞬間にひっくり返るような突発的な移動を防ぐために、さらにしっかりと喉頭を固定しながら胸声区に移動するでしょう。胸声区に落ち着くや否や、再び喉頭を上げる、そして、音声の持続期間の半ばに向けて、それがすべての輝きとすべての力を持つように音質を澄ませるために咽頭を拡大する。音を弱くするために、生徒はその逆を行うでしょう;すなわち、ファルセット声区に移行する前、声が減らされる瞬間に、彼は胸声を暗くして、それを支え、声区変更の突発的な動作を避けるために再び喉頭を低く固定して、咽頭を引き締める。それから彼はゆっくり胸声区からファルセット区へ移動します;その後で喉頭をリラックスさせ音を消すでしょう。私はこの法則に達したのは、深い音色によって低く保たれた喉頭は転移(声区)されることなく2つの声区を作ることができるという生理学的な事実からである。その時、転移は1つの声区を他の声区から不愉快に切り離すひっくり返りをもたらす。(Garcia 1847, 1:60; 1984, 135-6)

ガルシアのメッサ・ディ・ヴォーチェはこのように声門セッティング、喉頭の垂直の位置と咽頭筋の収縮とのコントロールされた微妙な調整を必要とします。彼のメッサ・ディ・ヴォーチェはファルセット(中声区)に関連するゆるい声門閉鎖と、音質を暗くする低い喉頭の位置で静かに始めます;クレッシェンドは、喉頭の上昇と輝かしい音質を作るための咽頭の調整だけでなく、胸声に関連する声門の『締め付け(pinching)』も要求されます。どうやら『力(force)』は呼吸圧の増大によって得られるでしょう。デクレッシェンドのためには声門閉鎖が緩められ、再び性質を暗くするために喉頭が下されます。このようにメッサ・ディ・ヴォーチェは、声門閉鎖、呼吸圧、そして声道の形の適切なコントロールが求められます。なぜ、メッサ・ディ・ヴォーチェがしばしば全ての声の運動の中で最も難しいものと考えられていたことがよくわかります。

メッサ・ディ・ヴォーチェの最良の演奏のやり方に関してガルードとガルシアの間に重要な見解の相違があることは明白です。ガルードはエクササイズを通じて等しい音質、つまり声区および音質の無変換、そしてvoce di testa(頭声)の不使用を主張するのに対して、ガルシアは、声区の変換と音質の変換の両方を求めます。これは、メッサ・ディ・ヴォ―チェの実行には2つの方法があることを示しています。そして我々が見ていくようにこれらの方法論の両方が現在まで教え続けられています。

ガルシアの高弟 Julius Stockhausen は、1884年の彼の論文の中に、吸気呼吸(breath inhalation)のためにただ1つの短い節を充てているだけです。その中で、速いハーフ・ブレス(mezzo-respiro)には横隔膜呼吸だけで十分である、そして、完全な呼吸(respiro pieno)には、横隔膜呼吸および肋骨呼吸の組合せが必要であるとガルシアに倣って繰り返しています。彼はガルシアの説明が明らかに決定的なものであるとの考えから、メッサ・ディ・ヴォ―チェの説明をすべてガルシアから引用しました。しかし、彼はガルシアがこのテクニックを『発声訓練の基礎』とし、彼の論文の60頁までメッサ・ディ・ヴォ―チェの説明を続けたことに驚いています(Stockhausen 1884, 13-17)。明らかにシュトックハウゼンは、メッサ・ディ・ヴォ―チェを上級者のエクササイズというよりはむしろ初心者のエクササイズとみなしていました。ガルシア以前の何人かの著者達は確かにメッサ・ディ・ヴォ―チェは、歌手のトレーニングにおけるもっとも基本になる声の操作として、彼らの手引書の中では初歩的なものと考えられていました。(*5) このことからも、また歌唱教師の間に意見の相違が存在します。

(*5) Corri 1810 とNathan 1836を参照。

ガルシアの教えはHermann Klein (1856-1)によって20世紀まで伝えられた。かれはガルシアのHints on Singing (1894)の執筆を助けた英国のライターでガルシアの生徒でもありました。クラインもまた、何冊かの音楽批評だけでなくThe Bel Canto, with Particular Reference to the Singing of Mozart (1923)という彼自身の著作も出版しています。彼は雑音を伴うブレスは高い喉頭の位置の徴候であるのに比べ、音のしないブレスは、喉頭を歌うのに望ましい低い位置にすると主張しました。彼は、高い胸、腹式呼吸、そして『圧縮されたブレス(compressed breath)』を奨励しました(Klein 1923, 21-4)。 彼は、各音符上とフレーズ上の両方におけるメッサ・ディ・ヴォ―チェを『オールド・イタリアン・スクールの中心的な特徴』とみなし、歌手に『楽に、そして息の圧力(breath-pressure)の節約によって導かれなければならない』(31-2)と言いました。ガルシアの第1のルールは『呼吸の力(breathing power)を抑制すること、そして、それと、喉と喉頭の抵抗力との均衡をもたらすことである』と言いました(Klein 1903, 36)。

The Mandl-Lamperti School マンデル‐ランペルティ-楽派 p. 99

Dr. Louis Mandl Hygine de la Voix (1876)の中で、歌唱における良い呼吸コントロールのための新しい用語を示しました。マンデルはパリの生理学者で、彼の著作はランペルティ派によって歌唱手引書に取り込まれ引用されました。彼は、呼気筋と吸気筋との『声の闘争(vocal struggle)』を表すlutte vocale という用語を作り出しました。Francesco Lamperti は、次のように引用しています:

与えられた音を持続するために、空気はゆっくり放出されなければならない;その活動を持続することによって呼吸筋は音の終わりまで肺の中に空気を保とうと戦う、と同時に発声のために息を送り出す呼気筋の活動と対抗する。このように2つの作用の間に、lutte vocale あるいはvocal struggle (声の戦い)と呼ばれる力のバランスが確立される。声の放出とはまさに、この均衡の維持に依存し、これを用いることによってのみ出された音に真の表現が与えられる。(F. Lamperti 1916, 25)

マンデルは、lutte vocale は主として腹筋と横隔膜との戦いであり、さらにこの戦いは喉頭の収縮に反映されると主張しました。呼吸メカニズムと喉頭及び咽頭の動きのすべてが歌唱にとって望ましいとき結果として彼が言うbien posée (良い姿勢)と呼ぶバランスを生じます。彼はさらに、声門の発声前のセットは、pose de la voix (声の姿勢)の最も重要な側面の1つであると言い添えました(71-2)。彼の『声の姿勢(pose of the voice)』はこのように、呼吸作用と喉頭筋との複合作用なのです。

Francesco Lamperti は、彼自身の意見がパリの高名なドクター・マンデルが述べたことと一致するので、これらの見解を採用しました(F. Lamperti 1916, 24)。ランペルティ―は、論文の中で吸気の3つのオーソドックスなメトードについて解説しています―横隔膜、側部、そして鎖骨呼吸です。彼は音のする呼吸を避けることを勧めました(F. Lamperti 1884, 14)。『横隔膜呼吸は生徒によって完成させなければならない唯一の方法である、なぜならば、喉頭を自然で緊張していない状態のままにしてくれる3つのうちの唯一のものだから』(11)。彼はこのポイントについて詳しく述べています、『横隔膜と腹筋を使って、生徒にできるだけ深い息をとらせなさい。呼吸時に於ける胸郭でのあらゆる努力は、完全に避けなければならない。害悪はここにあり』(56)。ランペルティ―がここで言わんとしていることは、胸式呼吸の弾力性のある跳ね返る力は、歌手に無意識のうちに声門を狭くさせ、このような反動力のせいで生じる息の圧力に対して喉頭を上昇させてしまう。これに反して、腹壁のリラクゼーションによって腹式呼吸が完全に達成されれば、このような歓迎されざる反動力はなくなり、歌手は声門閉鎖と喉頭の上昇をうまくコントロールすることができるというのです。この解釈が正しいか否かにかかわらず、これらの見解によって、ランペルティーは、今や『深い(deep)』呼吸、または、『腹を出す(belly out)』と言われる呼吸法に対する彼の方向性を明確に宣言しました。

ランペルティ―によって論ぜられた、ブレス・コントロールの他の側面は、歌唱中の息の流れの割合です。かれは歌手に『火のついた先細りのろうそくを口の前に近づけ、声を出している間に、もし炎が揺れなければ、空気が穏やかに出されていることを示し、呼吸作用の技術が習得されていることの証明となる』(14)。空気の少ない流出率を主張することに加えて、ランペルティ―はまた、声門下圧を上げることも奨励しているようです。彼は、『その拡大を通じて、声は呼吸よりも強くなってはならない』(49-50)と言い。『内部の努力』つまり『声の放出のエネルギー』は。ピアノでもフォルテでも用いられなければならず、腹筋の緊張は、弱い音でリラックスさせてはならなず、声に『色を付けたり、活気づけたり』するために持続されなければならないと注意しました(52)。

発声教育学の出版物において、appoggio の概念を定着させるために最も功績があったのは、おそらくフランチェスコ・ランペルティ―でしょう。Jekyll はその用語を『声を固定すること(fixing the voice)』と翻訳しました(vii, 2, 8)そして、ランペルティ―はそれを次のように明確にしました:『アポジャータで歌うことは、低音から高音までのすべての音符が空気の柱によって作られ、そして、歌手はその上で息を控えることによって完全な抑制力を持ち、音の形成のためにどうしても必要な肺から漏れる息以上の息を通過させない』(F.Lamperti 1916, 22)。これは特別な形の声の出だし(on-set)によって達成されます、そのオンセットの中で『音は、まるで息を吸い続けているような感じで、声門のバックストロークで始められる。』彼は歌手に忠告した、『ポルタメントを実行している間の息の持続に注意しなさい。』それによって歌唱の最中での吸気筋の緊張の持続を暗示しています。同じブレス・コントロールはレガート唱法にも応用されました(F.Lamperti 1884, 13, 21; 1916, 17)。ランペルティ―は呼吸保持についてさらに詳しく述べ、以下のように言いました:『ここで、私は生徒に警告します、音を出し始めるとき、声が息にもたれるように、または、より分かりやすく言うと、空気の柱によって支えられるように、彼が(フルブレスの後)さらにより多くの息を取り入れようと想像することによって息を維持するようにと』(F. Lamperti 1884, 13, 21)。G. B. Lampertiはそれを次のように表現しました:『人はうまく歌っているとき、飲んでいるような感覚を持つ』(W.E. Brown 1957, 129)『drinking the tone (音を飲む)』というメタファーが残っていて今でも使われています。F. ランペルティ―はまた、彼の『声を固定する』説明の中で、『音は、歌手に頭の後ろの部分で反響されるようでなければならない;彼は音をそこで感じなければならない、音が上がるにつれて上昇し、下がると下降する』(F. Lamperti 1884, 14)と言ったとき、共鳴イメージを使用しています。要するに、ランペルティ―は、appoggioが良い歌唱の多くの属性を持つと信じていました。彼は結論として次のように述べています:『生徒は、注意深い監督のもとで、良くアポジャータされた声で歌うことによって彼自身の声の本当の個性と能力を学ぶ; 彼は歌うべき音楽、彼の歌をエレガントにイントネーションの欠陥を治す方法を知るだろう。この中に、私の考えの中に、歌唱芸術の偉大な秘密がある』(F.Lamperti 1916, 14)。

ランペルティ―はメッサ・ディ・ヴォ―チェについて、ほんの少ししか書いていません、そしてガルシアと同じように、それを上級者の生徒のために残しておきました;『最後に生徒が発声を前進させ、ピアニッシモの音を強くして行き声を十分に拡大して、クレッシェンド、デクレッシェンドのグラデーションを同じ音質で保持しながら、次に最後はピアニッシモにあるように徐々に小さくしていくことによってのみ、最も重要で最も難しい方法が実行されるであろう』(F. Lamperti 1916, 13)。彼は、声の強さ(intensity)の考察の中でこれを繰り返し述べています:ピアノの音は、強さの違いはあってもすべての点でフォルテと共通していなければなりません;それは同じ深さ、性格、感覚を伴い;たとえピアニッシモの状態になってもフォルテと同じく、遠く離れていても聞こえるために同じ息の流れで維持されなければならず、そして、同じ質でなければなりません (19)。The Art of Singing(1884)で彼はさらに、大きな声と小さな声の歌唱の関係について、もう一つの記述を提供しています:

与えられたフレーズで、声の放出のためフォルテで歌うのと同様にピアノで歌うときにも同じエネルギーを用いなければならないこと、あるいは、より良く表現すると、同じ強さの内的な努力(internal effort)を用いるのは必須のことである。声のヴォリューム、声の鳴りは、私が内的な努力(internal effort)と呼ぶものとは全く関係のない質である。もし小さい質の声を出すとき、横隔膜の緊張が減少させられたら、その結果として、そのピアノはフォルテよりも生命力のない色彩に乏しいものになるだろう。故にしばしばより多くの緊張が必要とされる。それゆえ、腹筋の緊張を緩めてはならない… (F. Lamperti 1884, 52)

言わば、小さい音と大きい音は、音の大きさを除いたすべての点で同様であるべきで、ランペルティーはガルードのメッサ・ディ・ヴォ―チェ(ガルシアのものよりも)のやり方に同意しました。

F. ランペルティ―は、ブレス・コントロールを歌唱法の最も重要な側面とみなし、そのコントロールを成し遂げる手段としてappoggioの考え方を応用しました。彼にとってappoggioは吸気と呼気の筋肉バランスだけではなく、声の出だし(vocal onset)、声門閉鎖、声道の形、空気流と息の圧力、メッサ・ディ・ヴォ―チェ、そしてさらに良いイントネーションまでも関係する広い意味の用語でした。このようにappoggioは、呼吸力学のための包括的な言葉となり、発声教育法において便利なキャッチワードになりました。

Francesco の息子Giovanniは、父の伝統を伝えるとともに彼自身の足跡を加えました。父と同様に、彼はMandlに倣い主に吸気の方法として複式(横隔膜)呼吸を擁護しました。しかし彼はまた、いわゆる補助的な筋肉の活動も受け入れました。例えば、『圧縮された(compressed)』ブレスを確保するための肋間筋などです。彼はこれを自分の発声イメージのブランドににしました:『肺のてっぺんと底が同じように圧縮空気で十分に満たされているとき、声は頭の中で集中し(focus)、頭、口、胸のすべての共鳴体が目覚める。』(*6) 彼はまた『静かな呼吸』を奨励しました(W.E. Brown 1957, 106)、そして息に対する声門抵抗に関して『結局。声が息をコントロールする—その逆ではない。』(*7) 彼は言いました『息は2つの原理によって「抑制(hold back)」される、圧縮された空気が肺から出ていくことに対抗する振動(声帯振動)、それと、逃げる空気エネルギーを抑制する体を覆う全筋肉の協調による活動、「栓(stop-cock)」として活動する横隔膜』(W.E. Brown 1957, 23-4)。G. B. Lampertiは声門下圧を高めることによる安定性をコントロールすることを大いに強調しました。『不十分な圧力では音は安定を欠く(appoggio;それは音を作っている間の声帯上の安定した空気圧である)。高い呼吸―圧は深い吸気を前提にする。どの音であれ安定した支えを持たなければならない!』(G.B. Lamperti 1905, 9)。声門の役目は圧縮された息を『解放(release)』することです。彼の詳しい説明のなかで言っています:

ルーズに息を押し出すと、たとえ肺の中に十分な息が入っていたとしても、役に立たないばかりか有害ですらある。それは、局部的に負担がかかり、不規則な振動とエネルギーの分散を招いてしまう。圧縮された息(compressed breath)は連携作業(co-ordination)を成し遂げる。それはただ導かれなければならず、引き止められなければならない。その内在する力は、声帯によって作られるすべての効果をあたえます。それは、声の形(pose)を壊さない。ノドが、話しているときと同じように、自然に「開く」ようになる。それは、息っぽい声も、詰めた声も取り除く。それは一つの声色だけを求めるのではなく、全ての音色、最も暗いものから最も明るいものまで、また、全ての音高、最高音から最低音までを自由に操ります。圧縮された息は、デクラメーションで作られた全ての効果を可能にします、もし同じ効果が“メトード”にならないのであれば。実際、息が圧縮されていれば、ステレオタイプの歌は歌えません。「アタック」、「口の形」、「舌のコントロール」、「声の置き所」、「固定された胸」、あれやこれやのリラックス、身体のあらゆる部分の引き締め、等々(これらはメトードに属する)のことはなにもしなくても、実際のところ、本能的な発声(デクラメーションが生み出される)は、全てのことを成し遂げます。(W. E. Brown 1957, 64-5)

(*6) W.E. Brown 1957, 43. See also G. B. Lamperti 1905, 6-7.
(*7) W. E. Brown 1957, 134. Compare this to Fischer 1993, 177.

ランペルティ―は、いくつかの言語で求められる気息音([h]文字で起こるような)は、圧縮されたブレスやレガートの安定にとって不利益であると注意しました。『歌唱の勉強に最も適している言語はイタリア語である、なぜならば気息音のない唯一のものだから』(7)筋肉の活動についてG. B. Lampertiは言いました、『ブレス・エネルギーを使うよりも、抑制するためにより多くの筋肉を使う。したがって、小さな声で歌うことは大きな声よりもより難しいので最後に学ぶのがのぞましい。』F. ランペルティ―のように、彼は弱音のために声門抵抗を緩めることを退けました。G. B. Lamperti の appoggio についての概念は、大きな音と同じように小さな音でも安定と声門下圧の上昇を、そして、声門抵抗と吸気筋、呼気筋のバランスによって空気流の抑制を必要とするものでした。彼はブレスに対する抵抗のポイントを『支点(the point of support)』と呼びました(G.B. Lamperti 1905, 10)。彼は言いました『圧縮された空気の中に本来備わっているエネルギーが喉の振動に供給されるときにだけ、逃げていく息は音に変化するだろう』(W.E. Brown 1957, 64)。彼はまた、呼吸圧をコントロールするときの自己受容性感覚の役目を明確に理解し、『皮膚の内側』―神経ネットワークを持つ粘液状の膜―の感受性について言及しています。『それら(皮膚の内側)は、歌手に、これらの腔(cavities)で起きていることを知らせ続け、最終的に、前もって必要な手段を講じて発声プロセスをコントロールします。同様に身体の組織に触れる感覚を通じて息の力をマインドコントロールします。』

若いほうのランペルティ―は、メッサ・ディ・ヴォ―チェを『歌唱上の最も難しい難問』(13)であると述べ、Francesco が上級の生徒のためという見解に同意しています。『メッサ・ディ・ヴォ―チェはブレス・コントロールだけで実行される。spinning-out technique (filare la voce):【訳注、極細の糸から声を紡ぎ出し、徐々に幅広い響きを作り、再び小さな声にする。メッサ・ディ・ヴォ―チェの別の言い方】は非常に難しい;それは最大の慎重さで扱わなければならない』(G.B. Lamperti 1905, 20-1)『大きな声で歌うことは解放である;小さな声で歌うことは肺に満たされた圧縮空気に閉じ込められたエネルギーを抑制することであり、その実行にふさわしい量を測定される』(W.E. Brown 1957,61)ここではメッサ・ディ・ヴォ―チェの実行に於ける、声区及び響きの変更を暗示させるものは一切ありません。ランペルティ―楽派には、メッサ・ディ・ヴォ―チェですら声門閉鎖を緩める余地はありません。

Mandl-Lamperti 楽派は Garcia 楽派よりも声門下圧の上昇度を重要視したことは明らかです。ガルシアの教えは、モーツァルトやロッシーニの音楽の要求に対峙しました。しかし、ランペルティ―たちは、マイアベーア、ヴェルディ、ワーグナーのレパートリーを演奏する後の世代の歌手たちを教えました。オーケストラの増大に伴い、音楽の要求はより力強い声とそれを生み出すための発声技術に適合することが求められました。(*8) これは、ランペルティ―の圧縮された息と強い声門閉鎖の議論がより強くなった理由かもしれません。しかし増大する力と肉体的な努力が19世紀の歌唱に深く関わっているにもかかわらず、appoggio の原理はそのまま残っています。ガルシアは言いました『人は空気に与える圧力に比例して声門を締める必要がある』(Garcia 1984、27)。この原理は19世紀後半の作曲家によって求められる力強い声を伴う音楽スタイルに合致しています。

Francesco Lamperti の弟子William Shakespeare は『歌唱のための呼吸法は通常の呼吸をかなり拡大したもの』であるが、それは自然に見えなければならないと認識していました(Shakespeare 1910, 9)。彼の師匠と違って、彼は横隔膜呼吸を肋間呼吸(胸式呼吸)と結合させました、しかし、appoggio の記述はMandl とLamperti の説を忠実になぞっています。彼は『肋骨の筋肉の上方と下方への活動のバランスをとることによって』調整される『力強い息の圧力と同時に腹筋の緊張に対して起こる横隔膜の下方向への動きのバランスをとることについて書き残しています』(13-14)彼は、このダイナミックなバランスは表情豊かな歌唱に必要であることを見出しました:『偉大な歌手たちは、最も小さな音を歌っているときと同じように、最も劇的な効果を生み出しているときにも、息の圧力は決して中断されることなく維持されている;しかし彼の自然な生成によって、その効果は聴衆のもとに感情の強さとして届き、費やされた息や労力に気づかれることなく聴衆の魂に触れる。これが外から見ても分かるものとなれば、芸術的な効果は損なわれてしまうだろう』(42)。これは最も重要な意見であると私は信じています。シェイクスピアは声の効率のためにゆるい声門閉鎖を退けました、その状態では『息はより豊かな音を作り出せないから』です。ランペルティ―のように、彼も歌手に、ろうそくを前に置いて息がろうそくの炎を揺らさないようにする練習をするように助言しました(24-5)。しかしながら、メッサ・ディ・ヴォ―チェの彼の説明はランペルティ―よりはむしろよりガルシアに従っています。彼はそのテクニックを上級の生徒に取っておきました、そしてそれは、「漠然とした声区の変更」を含んでおり、まだ科学が明確に証明できていないと述べました(41、126)。

我々の時代により近づいても、appoggio の原理は発声教育上の重要な役目を演じ続けています。1954年の論文『Voice-training』で Franklin Kelsey は appoggio の重要性を繰り返し、『息の上にもたれかかる(leaning upon the breath)』と述べました。彼は『声がその下にある空気の柱によりかかるように感じられるただ一つの場所がある』と書いています。『その場所は、息が「息」であることをやめ、「声」になる気管のてっぺんである』(Kelsey 1954, 48)。彼は、『呼吸筋によってコントロールされた横隔膜の上への圧迫』が、歌うための息の圧力を上げる主要な仕組みであると考えた、そして、これは『ベルカントの呼吸の基礎』となったと主張した。彼は声門にかかる息の圧力の安定したコントロールを『呼吸圧搾(respiratory squeeze)』として提示しました:

それは、歌手の声に完全な変化をもたらす。それを使って教えられた歌手は、たとえそれを使っているかいないかにかかわらず、単なる音の響きからすぐに聞き分けることができる、そのため、それを使って教えられた歌手にとって『歌うこと』という言葉は、特別な重要性を持つことになる。Manuel Garcia の時代まで、この声の変化の生理学的原因はすべて未発見のままであった、しかし昔の教師たちは、それが息を正しく管理したときに起こり、そうでないときには現れないと指摘することができた。(54)

Franziska Martienssen-Lohmann は1956年に記しています、appoggioは歌唱に於けるトータルシステム(Ganzheit:全きこと)であり、apoggioの中に、息に対する声門抵抗、呼吸筋間のバランス、そして声の共鳴が含まれているという考えを強調しました。歌唱の全体性に関する概念は、appoggio なしでは考えられない、そう:両者は同義語と言えるでしょう(Martiessen-Lohmann 1993, 31-2)。Richard Miller は、それぞれの国における歌唱スタイルについての彼の著書の中で、同じ立場を進めています『Appoggioは、支えの要素だけではなく共鳴の要素をも含む歌唱のトータルシステムに等しいものである。』ミラーはF. Lamperti を引用し、歌唱中に呼吸筋がいかに機能すべきかという、彼が考える生理学的解釈を与えています(R. Miller 1977, 41-4)。なお、Enrico Caruso からLuciano Pavarotti まで、appoggioのテクニックを自身の歌に使ったオペラ歌手たちの逸話風の話がたくさんありますが、それらの話は、横隔膜を引き下ろすこと、喉頭を低くすること、強い声門閉鎖でもってブレスに抵抗すること、可能な限り少ない息を使うことなどを強調しています。(*9)

(*9) Fucito and Beyer 1922, 118, 127 そして、Hines 1994, 60, 102, 222, 304 を参照。

Stauprinzip and Minimaluft  せき止め原理と最少呼吸 p.106

19世紀後半から20世紀初頭の間に、あるドイツの発声教師は、Stüze (支え)或いは、Stauprinzip(stemming:止めること principle: 動作)として知られているブレスコントロールの特別な方法論を展開しました。何人かの著者はStauprinzipappoggioと同じものを意味すると考えました。Georg Armin、Stauprinzipの代弁者として最も初期に出版した著者の一人ですが、彼はそれを1850年代のFriedrich Schmit, 1890年代のMüller-BrunowやLauriz Cheistian Tösleffまでさかのぼりました(Armin 1946,5)。Arminの著作Das Stauprizip und die Lehre von Dualismus der menschlichen Stimme (せき止めと人間の声の二元論の学説)は、1909年にライプツィヒで出版されました。この書物は、この技術についての非常に論争的な報告で、人間の声の『二元性』を中心に展開しています。彼は、歌唱中の呼吸作用の吸気筋と呼気筋の間の相反する綱引きを二元性によって示しました。Rudolf Schilling (1925)は、Stauprinzipの彼の擁護において動揺することなくより科学的でした。彼は、歌唱中の横隔膜と肋間筋の活動、さらに閉鎖時に於ける異なる空気流の割合などを計測する数多くの実験を行いました。彼もまた、吸気筋と呼気筋のバランスをとることの必要性と声門抵抗とそれらとの調整の必要性を強調しました。Arminn とSchillingの著作の概要の中で、LuchsingerとArnoldは『わずかなせき止めは、昔のブレス・サポートの方法であるベルカントのappogioにひとしい。』と論じています(Luchsinger and Arnold 1965, 13-14)。

1937年の論文でRichard Maatzは、アポッジオの『物理的明確化』を提示し、Stütze(支え)とベル・カントのアッポッジョを同等であるとしています。彼の身体的な仮説は、歌唱中の声門下の気流の振動は基本周波数と同期されなければならないという理論に基づいていました。彼は言いました。『喉頭が声帯下での振動システムで、最も音程の振動生成の助けになるように呼吸器を調節することによって、「Appoggio」は得られる。アッポジオは「息の上で歌うこと」を可能にする』(Maatz 1937)。後の研究は、歌われた音の基本周波数への声門下のフォルマントのカップリングに関して、最初の声門下のフォルマントが500~600Hzの一定の周波数を持ち、そしてそれは、声門の波形と基本周波数に応じて、声帯振動を補強するか、それを妨げるかのいずれかであろう主張しました。これはレジスター・ブレークに影響を及ぼすかもしれませんが、それは継続的な支えの類またはMaatzによって提案されたappoggioではありません。(*10)  Maatzはまた、強い基音と強い低い倍音を作るために喉頭を低く保つことと声門上部を広くすることを擁護しました。彼は、声門下圧は吸気筋と呼気筋の同時に起こる神経感応によって調整され、それぞれの振動サイクルの間、完全な声門閉鎖を確実にするような方法で声門抵抗と調和させなければならないと主張しました。

(*10) Titze 1994, 263-9 声門下圧のフォルマントの詳細な説明

1952年の論文で、Fritz WinckelもまたStützeの意味を明確にしようと試みています。彼は、吸気筋と呼気筋のバランスの取れた緊張、さらに声門閉鎖(Griff)そして芸術的歌唱の特徴を明確にするものとして『cover』(Decken)に対して注意を呼びかけ、そしてアマチュアの歌唱にそれらの関係が欠けていることに注目しました。彼はこの声の配列を、Arminとその支持者たちから借りた言葉である、Stützfunktion(support function, 支え機能)と呼びました。Winckelの呼吸筋の使い方を説明するためのParadoxen Atmung (paradoxical breath: 逆説的呼吸)という用語の使用は、おそらくArminの『dualism: 二元論』に起源があるようです。Winckel は、それは歌唱のために声門下圧を最適の値まで引き下げるのに役立つと信じていました(Winckel 1952、105)。Maatzのように、Winckel はStütze(支え)を伴う歌唱は声の質に重大な効果を持つと主張しました。彼はStütze(支え)を、低くされた喉頭、それとDecken (covering)に関連する声門上部の拡大に結び付けて考えました。Decken (covering)はStützeを伴った音には自然に起こり、音を暗くし、上部の部分音の多くを制限(limited)すると言い、『音の美しさは部分音の制限に依存する』(104)と書いています。

その後のドイツの著者たちは引き続きStauprinzipの概念に取り組んでいます。LuchsingerとArnoldは、20世紀初頭において、『歌手と教師たちは、stemming principle(基を止める)あるいは、息の流れをdamming up (せき止める)として知られるブレス・サポートの特別なテクニックによっていかにエキサイトし混乱したか』について詳しく述べています。しかし、彼らがこの原則の中で声門閉鎖の役割を完全に無視したので、混乱を招くことになりました(Luchsinger and Arnold 1965, 13)。Franziska Martienssen-Lohmann (1993, 31-2, 384-5)そしてPeter-Michael Fischer (1993, 177-80)は、ブレスコントロールの解説でappoggioとStützeについて考えているドイツの著者たちの間のわずかな意味の相違について考察しています。彼らはおおむね2つの用語をほぼ同じものであるとみなしています。どちらの概念も、呼吸筋の吸―呼バランスの機能、それと同じく喉頭筋による息に対する声門抵抗に焦点を当てています。また、両方の概念は、音に対するこの支えの効果を考慮しています。Martienssen-Lohmann はStütze は明らかにワーグナー向きの強固で精神的な声の使い方に関連づけられると注意しています。彼女はこのテクニックの達人として偉大なイタリアのテノールEnrico Caruso を上げています。さらにより最近では、Wolfram Seider とJürgen Wendler (1977, 62-5)が再びappoggioAtemstütze(呼吸の支え)を同一視しています。

Richard MillerのStauprinzipの記述は、呼吸圧と声門抵抗の極端な使用を示しています:『ブレスのせき止め(breath damming)は、声門下の筋肉の圧力を作ることによって息を保持するテクニックである。息の流れは苦しいうなり声、或いは、きばり声(ウッ)で体験されるのと似た筋肉の緊張の結果としての声門によってせき止められる。』このStönlaut(大きなうめき声)と呼ばれるうなる発声は、声の楽器の基本的な力であり、今世紀に成功したドイツの歌手たち、多くのワグナーのヘルデン・テナーを含む長いリストの歌手たちがそれに固執したと彼は言います(R. Miller 1977, 28)。

Stauprinzip は高い声門下圧を必要とする声の強い使い方であるという見解は重要なものです。LuchsingerとArnoldを含む何人かの著者が、Stauprinzipappoggioと一致するというとき、おそらくそれらのケースを誇張して言っているのでしょう。Stauprinzipappoggioと同じ原理のいくつかの性質があるとき、それはより極端な形になります;高い声門下圧、息に対する強い声門抵抗、そして低い喉頭の位置。Stauprinzipappoggioの違いは、このように程度の違いであって、種類の違いではありません。19世紀後半になって、大編成のオーケストラを飛び越えて聞こえてくるだけの力を持った朗唱風の様式で歌う能力は、優雅でしなやかな初期のオペラの唱法よりも重要性を増してきました。appoggioがより華麗なスタイルのために優先されるテクニックであると同時に、Stauprinzip は、ワグナーにより適用できるものだったのです。

Stauprinzip には、確かに支持者がいますが、またそれを中傷するものもいます―その最も著しい人物がPaul Bruns で、彼のMinimalluft unt Stütze (1929)の本の中で、ArminとSchillingに厳しい反論を展開しています。BrunsはStützeappoggio に相当するという主張に強く反対しました。彼は、Stützeは、充分な力強い音を獲得するために『ポンプで満たされた肺(pumped-full lungs)』(vollgepumpten Lungen)によって生み出されたもので、それは、bel cantoとは関連づけられないと主張しました。むしろ、歌手は肺をただ部分的にだけ満たし、それから、声の自由な流れ(Freilauf)をとらえるために『残りの空気(residual air; Residualluft)』を使わなければならないと主張しました。Freilauf (自由な流れ)或いは、Freilauf-Phänomenは『free voice』(英語ではしばしばあいまいな概念になってしまう)或いは、Henry Curtisの『no-effort』楽派などといくぶん似ています。BrunsはFreilaufは大いに直感的であり、それはリラクゼイションを基にするもので、低い倍音の深い共鳴よりも、高い倍音のフルーティーな共鳴を好み、『非常に高い (lofty)』共鳴イメージを使います、それは、Stützeの強い筋肉的なアプローチとは正反対のものであると示唆しました。彼は、残っている空気は17~20秒の間歌うのには十分で、結果的に『新しいドイツのドラマティックスタイル』とは反対の『昔のイタリアン・メトード』の典型と考えられる、明るく、軽く、体から分離された(disembodied)音質になると言いました。彼にとって良い歌唱の秘密とは、強い肺にあるのではなく(それは結果的に柔軟性をなくし、チェストヴォイスの信頼性をもなくすことになる)むしろ、可動性のある横隔膜(それは結果的に、弾力性とファルセット・トーンと高い倍音の重要性につながる)、そして、計り知れない自由な流れの発声(inscrutable Freilauf-Phänomen)なのです。Brunsは明確な生理学的用語を使って自己の理論を説明しませんでしたが、彼の論文からは穏やかな声門下圧による軽い発声、そして、声門抵抗よりも呼吸筋の吸―呼バランスにより大きく頼る限られた空気流を擁護したように思えます。彼の歌唱のための教示『ささやき言葉(whisper-words;Flüsterwörte)』は、この軽い声の作り方を促進しました(Bruns 1929, 1-25, 38-9)。

Brunsは、彼の著書の本文の最初から最後までStützeに関連づけてワグナーの名前を出さないように気を付けていましたが、「あとがき」(Schlusswort, 104 seq)で彼は本気を出しました。そこで彼は、人間の声と対位法的に活気づけられたオペラのオーケストラの戦い(Kampf)、それと共に、大きな舞台装置の重み、そして、人間の声を上回るプロダクションの価値基準などを公然と非難しました。彼は真正面からワーグナーに『オペラの黄昏』(Operndämmerung:ワグナー自身のオペラタイトルのパロディー)の責任を負わせました、そして、『超現代的傾向』とワグナーの『未来はオペラ』の新しい独断的主張の両方を非難しました。彼は歌手たちに対する無神経さゆえにArtur Nikisschのような『独裁者的』指揮者を非難し、さらに、批評家と聴衆による誤りをも見逃しませんでした。最後にトロバトーレのマンリーコのような役のテノールのハイCの誇張ゆえにヴェルディ―を嘲笑しました。Buruns は確かにこの「あとがき」の中に彼の胸の内を吐き出しました!

現在のオペラ唱法においてその役割は認められているにもかかわらず、より最近の著者たちはStauprinzipを声にとって破壊的なものとして攻撃した。例えば、Frederick HuslerとYvonne Rodd-Marlingは、Stauprinzipを『鬱積法』と呼びました。彼らは言いました、『生徒は喉頭の下に呼気を集積(せき止め)し、それによって生体をしたから圧迫する… この方式は多くの声を破壊してきたのに何年も続いてきているし、いまなお新しい熱狂的な信奉者を獲得し続けている』(Husler and Rodd-Marling 1965, 44-6)。

MinimalluftとStützeの論争でさらに明らかになることは、エンリコ・カルーソーが彼らの主張にふさわしい事例であることによって、自分たちの理論が正しいとする両者の熱意です。Carusoは1921年に死んでいますが、当時、あるいはおそらくあらゆる時代で最高のテノールとして広く認められていました。1922年のCarusos ThecnikでBrunsはMinimalluftとCarusoを関連づけようとしました。Stauprinzipに反対したフースラーとロッド―マーリングもまたカルーソーの歌唱を称賛しました。Salvatore FucitoのCaruso and the Art of Singing もまた1922年に出版されました。フチートは長い間カルーソーの伴奏者でありコーチでした。カルーソーのブレスコントロールの記述の中で次のように書いています。彼の息の取り方は、確かに彼に十分な起動力を供給しました;しかし、この力の蓄積が並みの結果であったならば、彼は出て行く空気の柱のいかなるかけらも利用することができなかっただろう。それは息の放出に対する完全なコントロールなので、無駄に吐かれる空気は存在しない、それが、カルーソをたぐいまれな発声の熟達に至らすことができたのだ』(Fucito and Beyer 1922, 127)。カルーソーは、彼の声を生み出すために確かに最少の呼気流を使ったかもしれませんが、彼は明らかに、ブルンズが言う『残りの息(residal air)』や、Freilaufのフルート音質のいずれでも歌ってはいませんでした。むしろ彼は大いなる力と力強い高音で歌いました。それはカルーソーの偉大さを表すとともに、両サイドの主張者たちが彼を自分たちの見本に仕立て上げようとする論争の激しい敵意をも表していました。

Modern Views of Breath Mechanics ブレス・メカニズムに関する現代の見解 p.111

ブレス・コントロールについての教育的文献を調べることで、我々は今や、呼吸力学に関する現代の観点から発声科学の文献に目を向けることにしましょう。そこにもまた矛盾と論争が満ちていることがわかります。その原因の一部は、様々な呼吸つまり普通の呼吸(自律的な呼吸〈vegetative breathing〉と言われる)、話し声のための呼吸(音声の呼吸〈phonnic breathing〉と言われる)、そして、歌のための呼吸(普段、歌手たちによってブレスコントロールと呼ばれるが音声科学では一般的にこの用語は不正確すぎるために避けています)などの呼吸に必要とされるものの違いによります。呼吸中の吸気時と呼気時の活動は非常に複雑でそれらの総数を測定することは困難なことです。さらに、個々人の呼吸の戦略は複雑でそれぞれ異なっているので、歌唱のための『正しい』ブレスコントロールに対して、意見が一致することはおそらくないでしょう。歌の呼吸作用は呼吸システム上、自律的呼吸や話し声の呼吸より非常に多くのものが求められます。歌手たちは普通長く引き伸ばされた音声を出し続けるために大量の息をとります。トレーニングによって歌手たちは大きな呼吸容量を増大させることができます、そして、肺の中に残った空気量を節約することで歌で用いられる息の有効性を増やすことができます(Proctor 1980 a, 34-42)。さらに歌手たちは歌唱中の声門下圧と空気流の割合をうまくコントロールし続けなければなりません。そのためには声門バルブの動きをコントロールしなければならず、そしてそれが呼吸筋の活動に作用します。以下の論評は、歌唱のための基礎的な呼吸メカニズムの一部を示し、さらに異なる考え方を持つ楽派間の意見の不一致の範囲を指し示めします。

呼吸システムは歌うための動力源です。歌うためのエネルギーは、呼吸ふいご(respiratory bellows)(よく『胸壁(chest wall)』と呼ばれる)の動きによって生み出され、それには、胸郭、横隔膜、腹筋が含まれます。吸気の間に胸郭内のスペースは胸壁の拡張によって増大されなければなりません。この拡張は様々な比率で横隔膜の低下と胸郭の上昇の両方を含むことができます。横隔膜は中央の薄い板状の腱の周りを筋肉組織に取り囲まれています。横隔膜は胸腔の床であると同時に腹部の屋根でもあります。その下方への動きは、歌手たちが ‘belly-out’ positionと云う腹部を前にふくらませることで腹腔内容物の移動を必要とします。研究者Ronald Bakenは『胸部の床は単独のもので、横隔膜、腹部の塊と腹壁の前面から成る構造を持っており機能的に分割できない』と指摘しました(Baken 1980, 9-10)。

システムの第2の部分は胸腔で、各々外肋間筋(吸気筋)、内肋間筋(呼気筋)の収縮によって胸郭を上げたり降ろしたりすることができます。吸気の間、横隔膜の下降と同様に胸郭の上昇は胸郭内のスペースを広げて空気を引き入れます。胸郭の上昇だけ(横隔膜の下降や腹壁前面の膨らましを伴わない)によってなされる吸気作用を歌手たちは『belly in(腹を中に引く)』と言われています。(*11)  歌手たちのあいだで全く異なる呼吸の戦略があることは確かです。Bakenは、最も望ましい吸気努力は、上げられた胸郭、下げられた横隔膜、それと、しなやかな腹壁を含む全胸壁の活動が必要であると主張しました。『胸壁の両方の部分が機能しているとき、各々は肺気量の全体の変化に寄与する…なさなければならない有意義な声明のためにはシステムの両方の部分が必要である。多くの愚かな解釈は、それをやりそこなった結果である』(Baken 1980, 10)。システムの2つの部分の活動は。さまざまなやり方で機能できるし、さらに、呼吸にとって有効です(Leanderson and Sundberg 1988, Proctor 1980a, 41)。さまざまな見解や、歌唱のための異なる吸気法に導いたのは、この変わりやすさのためなのです。

(*11) Hixon and Hoffman 1979, 9-10; Leanderson and Sundberg 1988, 11.

歌唱中は、呼吸での呼気期は吸気期に比べてより複雑です、なぜならば発声は呼気のシンプルな活動の上に重ねられるからです。呼気は腹筋と内肋間筋の収縮によって起き、それらはともに胸腔内のスペースを圧縮して肺から呼気を押し出します。吸気筋と呼気筋が同時に収縮すると、呼吸操作に必要な安定化をもたらします。Donald G. Miller (1994, 22)は、車の運転中にブレーキとアクセルを同時に踏むという巧みなアナロジーを使っています。歌唱中の声門下圧レベルと気流速度は、さらなる内転力を必要とします、そしてその内転力の中で、息に対する声門抵抗が、上昇した声門下圧レベルと減少した気流速度の両方に現れます(Leanderson and Sundberg 1988)。

歌唱の呼吸サポートに関する主要な論争の種は、発声の間、能動的筋力に対立するものとしての受動的な反動力によって演じられる相対的な役割りです。何人かの研究者は、一定の音を長くのばしている間、呼気力は初めのうちは、引き上げられた胸壁が安静時の姿勢に戻るにつれて、吸気筋のゆるみによって起きると主張します。これの後に、腹部とおそらく内肋間筋の収縮力への滑らかな移行が続きます。この見解に従うと、弾性反動と筋収縮が順序どおりに起こって、息を吐く行動の連続体をつくります。(*12) Leanderson とSundbergは歌唱中に一定の声帯下圧を持続させる重要性を指摘しました。

(*12) See Leanderson and Sundberg 1988; Bouhuys 1977; Bouhuys, Mead, and Proctor 1968; Bouhuys, Proctor, and Mead 1966; Proctor 1974, 52-3; Proctor, and Mead 1966.

このように声門下圧は発声にとって決定的なものであり、能動的な筋肉の力によって補足された、受動的、能動的反発力であるいくぶん込み入ったシステムによってコントロールされる。反動力は、肺の空気量または肺気量によって変化するので、発声中に一定の気圧を持続するために必要なものは肺容量によって絶え間なく変化する。小さな、または大きな声を持続するために一定の声門下圧が必要である…このような一定の圧力を生み出すためには、肺容量によって異なる度合いの筋肉の力が求められる。(Leanderson and Sundberg 1988, 4)

この理論はとりわけひとまとめにして『エジンバラ・グループ』と呼ばれる一団の研究者たちと関連付けられるようになりました、しかし、エジンバラ・セオリーはかなり疑問視されました。Thomas HixonとGary Weismer(1995)は、この理論の系統的論述と音声の呼吸の全体的内容に導く研究の有効性に異議を唱え、エジンバラ・グループの実験法と、いろいろな呼吸筋の活動とそれらの一連の関りを含む結果の解釈に疑問を呈しました。Hixonの要点は、エジンバラ・グループが、呼気の初期でさえ受動的な力の役割を誇張し、少なくともスピーチにおいて、積極的な腹部の努力を見落したということにあります。歌に必要とされる呼吸の並外れた量と圧力が、全呼気機能が能動的な筋力によって制御されることが示唆されることから、歌唱においてはこの問題がさらに重大であるとみなすことができる。

関連する問題として、歌唱中の横隔膜の役割に関する意見の相違がある。何人かの研究者は、横隔膜自体は、音声呼気(phonetic expiration)によって、ほとんどすることがないと主張します。Donald F. Proctorは、『多くの声楽教師の心に深くこびりついた考え、横隔膜は歌唱の間のカギとなる筋肉であるというのは間違っている。』(*13)とまで言いました。プロクターの声明は、この問題に関する利用可能な客観的データからはみ出しています。他の研究者たちは、『横隔膜は歌唱に結び付くすべての発声プロセスのあいだ(吸気の中間期以外)緩められているので、いわゆる「声の支え」には寄与しない。』(*14) この観点によると、呼気は腹筋の助けを借りて、呼気と吸気の肋間筋のバランスと同時に吸気筋の受動的な弾力性反動力によってコントロールされます。(*15) もう1つの異なる観点は、横隔膜は外肋間筋と共に呼気力のバランスを取り、声門下圧の調節役を務めます。そして、横隔膜は歌手の間にあるかなりの個人的相違によって、ある時には積極的に、またある時には受動的に働きます。(*16) ある研究によると、『横隔膜はフレーズの最初の部分のあいだは、強い弾力性のある反動力を和らげるために、外肋間筋と相乗作用で働くだろう。』また、この動きは素早い発声変化の時に特にはっきり現れます。(*17) 声楽教師であり研究者のWilliam Vennard (1967, 28-30)は、Francesco Lampertiが以前に主張したのと同じように、横隔膜は呼気筋に対する最も重要な拮抗筋であり、その活動は、上腹部(胸骨のすぐ下の腹壁の上部)のふくらみを観察することによって間接的に確認することができると言いました。Leanderson と Sundberg (1988, 4)は、『このふくらみは腹壁の筋肉組織と横隔膜が同時に緊張することによって起る』と言っています。何人かの有名な現代の歌手達もやはり、歌唱の間に横隔膜が、腹筋の内側と上への収縮に対して、押えつけることによって確かに活動していることを、ふくらんだ上腹部が示しているといっています(Hines 1994, 136, 104)。

(*13) Proctor 1974, 53; Luchsinger and Arnold 1965, 13; Bouhuys, Proctor and Mead 1966.
(*14) Wyke 1974d, 297. Hixon 1987, 362-3; Mead, Hixon, and Goldman 1974, 58; Proctor 1974, 52-3; Proctor 1980a, 107-8.
(*15) Proctor 1974, 52-3; Proctor 1980a 72-82; Baken 1980, 10-12.
(*16) Leanderson, Sundberg, 1988, Leanderson, Sundberg and von Euler 1985, 1987a, 1987b.
(*17) Leanderson, Sundberg, von Euler and Langerkrantz 1984, 218.

Donald Proctor達のエジンバラ・グループが言う、能動的な反動力は歌唱時において重要な役割を果たすという主張は、ヴォーカル・ペダゴギーの歴史と矛盾します。この主張を認めるいかなる著名な発声教師を、過去、現代にかかわらず見出すことは難しいでしょう。この点で、受動的な反動は呼吸コントロールの概念の外側にある。そして、それは受動的ではなく完全に能動的なプロセスであると考えられます。このように歌手たちは発声前の瞬間からフレーズの終わりまで『ブレーキとアクセルを同時に使う』ということになります。これは、吸気筋と呼気筋が歌唱中の拮抗作用によって一定の状態にあることを意味します。『ブレーキ』の構成要素としての横隔膜の能動的な使用は未解決のままです、そして、科学的な意見は、この問題に関して混乱しています。しかしながら、声楽教師達の間で広く行き渡った知識は、横隔膜がブレス・コントロールにおいて重要な役割を果たすということです。

Subglottal Pressure, Intensity, and Airflow 声門下圧、強度、空気流

声門下圧と空気流率をコントロールすることは、発声テクニックにおける基本的な構成要素です。T.A. Sears (1977, 84)はブレス・コントロールにおいて決定的な要素となるのは声門下圧の調整であると主張しました。Proctor (1980a, 67)はそれに同意して言っています、『発声、特に技巧的な歌唱において、呼吸に関する重要な問題を解くカギとなるのは確かに声門下圧のコントロールである。』 声門下圧が幅広い値で測定されるのは、歌手たちの個人差と共に、1人の歌手においてもかなりの変化があることを示しています。声門下圧は腹筋と肋間筋の様々な配列によって生み出されます(Leanderson and Sundberg 1988)。比較的に一定した声門下圧は、維持された音と同時にスムーズなレガートにとって望ましいものです。声門下圧は一般的に、水の高さを示すセンチ(cmH2O)の単位で測定されます。(*18) 研究者達は、最適の声門下圧レベルに関する見解において一致していない。一般的に、最小の声門下圧が必要とされる限界の発声で、およそ2cmH2O ; 通常の発話で7cmから10cm、強調などを含む大きな声での発話でおよそ10~12cmH2O;そして、叫び声ではおよそ40cmH2Oです。(*19)

(*18) 実験的な方法による声門下圧の測定で説明のために用いられる。Proctor 1980a; vanden Berg 1956a; Schutte 1992; Schutte 1980; Lieberman 1968b.
(*19) Catford 1977, 29; Khambata 1977, 63; Proctor 1980a; Sears 1977, 84; see also Ladefoged, in Wyke 1974, 477.

声門下圧は主にデシベル(㏈)で測定される強さをコントロールするメカニズムです。(*20) 歌唱中の声門下圧は通常発話中よりも高くなります。Proctorは、多くの歌声は5から20cmH2Oのあいだの圧力を生じる;ある種の声は、40から70cmH2Oの高さに達するかもしれない、しかし上限は60cmH2Oを上回ることはまれである、と言っています。(*21) Sears (1977, 84)は『最大のクレッシェンド』のための上限を50cmH2Oに置いています。しかし、Schutte(1980, 167)は、最も高いレベル、特にテノールが100cmH2Oあるいはそれ以上の圧力がかかった大きな声を確認しています。Husson(1962, 21-8)は、パリのオペラ座のメンバーにより高いレベルを要求しましたが、数字は彼が推定したものと一致していました。男声歌手、とくにpassaggioの上を歌うテノールは典型的に女性よりも高い声門下圧を示します。声門下圧の低さは、未訓練の歌手やマイクに頼って聞かせるポピュラー・シンガーの特徴です。一方、Beltingには高い声門下圧が要求されます。このように広範囲に及ぶ測定値から声門下圧の『正しい』レベルのための確固たる結論を導き出すのは困難です。一般的なガイドラインとして通常100cmH2Oの大声で歌う歌手は『high pressure singers(高圧歌手)』と呼ばれ、60cmH2Oは『moderato pressure singer (中庸の圧力歌手)』とされ、最大の圧力がだいたい40cmH2Oかそれ以下で歌う人を『low pressure singers (低圧歌手)』と呼べるかもしれません。明らかなことは、歌手のトレーニングと音楽の異なるスタイルの必要条件に従い、歌唱が声門下圧の幅広い範囲を受け入れるということです。

(*20) Sears 1977, 82; van den Berg 1958, 241; Cavagna and Margaria 1968; Schutte 1980; Catford 1977, 26-36.
(*21) Proctor 1980a, 55, 62, 79; Proctor 1974; see also Proctor and Ladefoged in Wyke 1974a, 476-7

声門下圧、と同じく振動に密接に関係することは、空気のミリリットル(ml/s)で計測される1秒間の発声中に声門を通過する空気流の割合です。空気流の割合もまた、様々な歌と変わりやすい音楽次第でここでもまた最適の割合の明確なガイドラインはありません。(*22) すでに見たようにファルセット唱法はしばしば胸声よりも高い空気流の割合が増加し、強い声門閉鎖と大きな閉鎖度では空気流の割合は減少します。(*23) カヴァーされた歌唱では、パッサージオより低い音程よりも1秒間に消費する息の量は多くなるでしょう(Luchsinger and Arnold 1965, 107)。Schutteは、芸術歌唱の美学的な要求に見合った音作りをするために歌手は声の効率をある程度犠牲にしなければならないかもしれないと言い、効率的な要素は、『美学的な要請にとって二次的な重要性しか持たない』と結論を下しました(Schutte 1980, 167)。そのような非常に芸術的な歌唱に於ける1つの要求はビブラートの存在です。研究者は、ヴィブラートの振動はヴィブラート周期中に内転の最も弱いポイントでいくらかの弱い息の喪失が原因で起こるのでヴィブラートがかかった声は約10%多くの息が使われるかもしれないとということを示しました。(*24) 他の美学的な要求は、テキストの意図を表現すること、演じられる感情又は音楽の個々の要求などによって、息の多い声から甲高い声、或いはゆるんが声から張った声まで音質の変化を求めるでしょう。

The Messa di voce p.116

前に示したように、発声教師は、伝統的に主張してきました、messa di voceは、発声を調整する究極の試練であると。この見解は、何人かの声の科学者たちによって繰り替えられています。(*25) われわれはすでにmessa di voceを実行するための異なる2つの方法を述べてきました; GaraudeとFrancesco Lampertiは声区分離がない均一な音質を求めたのにたいしGarciaは音質と声区の両方を変えることを主張しました。その議論は今日まで続いています。何人かの研究者によると、メッサ・ディ・ヴォーチェに対する1つの効果は、『それに、音量変化と共に、声区の変更を伴う』としている(Vennard, Hirano, and Ohala 1970b, 33)。Vennard (1967, 213-14)は次のように言っています、適切に実行されたときメッサ・ディ・ヴォ―チェは『喉頭振動のある仕方から別の振動の仕方に移行する』ことによって達成される。つまり、彼が言う『ファルセットのような』頭声で始め、次に胸声に変え、そして頭声に戻ると。他の多くの著者もまたメッサ・ディ・ヴォ―チェにおける要素として声区の移動を記述しています(Monahan 1978, 169-72)。これらの著者たちはガルシアの見解を繰り返しています。Ingo Titzeも最近の論文で『歌手はいくぶん異なった2つの方法でメッサ・ディ・ヴォ―チェを行う』と述べています。1つの方法は、声帯は最初に最適の状態にないてん(接合する)して、練習のあいだじゅうそれを持続させます。音質は、開始から終止に至るまで『空気の多い(airy)』、或いは、『息っぽい(breathy)』音にならないで、『正当(legitimate)』なままです。これは、空気流と声門下圧の維持のために堅固で安定した抵抗を呼吸システムに提供します。2つ目のエクササイズの方法は、クレッシェンドで前進的な内転の身振りをして、デクレッシェンドで逆行的な外転の身振りをします。声は最初は気息音(ファルセットのような)ですが、最終的には十分な響きに至ります。(Titze 1996, 31)

(*25) 例えばProctor 1980a, 108-10

これはガルシアの見解よりもむしろGaraudéとLampertiの見解に一致します。わたしは8章でこの問題に戻りそこでメッサ・ディ・ヴォ―チェのこれら2つの歌い方に於ける実験データを提供することになるでしょう。

Neuromuscular Control Systems 神経筋のコントロール・システム p.117

呼吸作用のコントロールは随意的なものと反射的なものとのコントロールを含みます。『生命維持』のための呼吸作用は無意識レベルで起こるにもかかわらず、呼吸作用は意識レベルでもコントロールすることができます。呼吸の衝動は酸素の必要性によって誘発されるというのはよくある誤解にすぎません。むしろ息をとる衝動は、肺と血液中の二酸化炭素の蓄積に反応する化学受容体によって起こされます。吸気は横隔膜と肋間筋を刺激する動力システムを使います。肺が膨らんだとき伸びた感覚器官は脳に対して抑制衝動を誘発して吸気は終わります。長くのばされた音は、結果的に肺と空気の通路で濃縮された二酸化炭素となり、それは呼吸しようとする強い衝動を刺激します。それ故に歌手はこの衝動に抵抗しながらの実行を通じて蓄積された二酸化炭素の耐性を増やさなければなりません。(*26)  歌手たちはまた音楽のフレーズの必要性に対する吸気の深さに調和することを学びます。歌手が次のフレーズを実行するために必要とされる以上の、そしてそれぞれのフレーズの終わりでの『tops up (息継ぎ)』よりも著しく大量の息をとったとしたら二酸化炭素の蓄積はほとんど抵抗できないくらいのブレスの衝動を生み出し、それによって、実際には肺が満たされていても身近な息切れの感じを与えてしまいます。それは『half-breaths』の練習となる現象です。息の量を発声に求められる量と一致させることは、歌手がより高いレベルに強化されるための本質的な技術です(Wyke 1980, 45)。

(*26) Wyke 1974a, 477-8; also Transcripts 1980, 40.

自己刺激に感応するコントロールは、姿勢、発声前の胸壁の構え、そして引き上げられた声門下圧の保持を含め呼吸作用のすべての側面に寄与します。腹筋と肋間筋は『声、姿勢、呼吸作用のあいだでの相互作用を制御する自動的なメカニズムを絶えず調停しそして調整する』紡錘体と呼ばれる、自己刺激に感応する神経抹消を多量に備えられています(Gould 1971b, 8) 。 横隔膜はスピンドル紡錘体をほとんどもっていないので、研究者たちに、横隔膜は呼気のコントロールにおいて受動的な役割を果たすと断言させてきました(Lieberman 1977, 77)。発声前ですら、正しい発声のための許容範囲に達する声門下圧の上昇が求められます(Gould and Okamura 1974a, 356)。声門下圧を上昇させるために緊張している腹筋は、横隔膜の緊張によって抑制され、吸気肋間筋ですら呼気肋間筋の大綱によってバランスをとらされます。(*27) 肋間筋は声門加圧の良きチューニングのために特に重要だと考えられます(Proctor 1980b, 16を見よ)。一旦発声が始まれば適切な声門加圧の持続は声門部分の粘膜反射作用と腹‐肋間筋バランスによってコントロールされます。喉頭粘膜にある非常に敏感な感受期間は声門加圧をモニターして『適切な喉頭の緊張を持続するために重要である。』(*28) これらの神経筋肉のコントロールシステムは喉頭反射機能と聴覚フィードバック・システムの間で補完されます。

(*27) Bishop 1974; Wyke 1974a, 68-9; Wilder 1980b, 13; Cambell 1974, 3.
(*28) Wyke 1974a, 68-9; Gould and Okamura 1974a, 356-9; Horii and Weinberg 1980, 62-3.

Conclusions 結び p.118

歌唱におけるブレス・コントロールの歴史的、科学的両面の考察は、クラシックの歌唱スタイルが吸気作用とコントロールされた有声の呼気作用の両面の特別な呼吸作用の要求を持つことを示しています。初期の論文は歌手に静かに息をとること、長いフレーズを維持するために十分ないきをとること、装飾パッセージの途中でのブレスを避けること、そして胸声よりも多くの息を消費するファルセットを避けることを説いていました。Cacciniのesclamazione(感嘆詞) と彼のcrescere e scemare della voce (声のクレッシェンドとディミニエンド) は良い呼吸コントロールを要求しました。messa di voce は最も難しい発声練習と見なされ高い水準の呼吸コントロールを要求されました。それはまた声楽において重要な様式、そして表現上の工夫と考えられた。

ある18世紀の著者たちは歌手たちに歌っているあいだ、息を『hold back (抑える)』ことを促し、これは吸気と呼気の力のバランスを作り出しました。19世紀には、この考えは『lutte vocale』或いは『vocal struggle (声の闘い)』として示され直接appoggioの概念に導くことになりました。Appoggioは吸気と呼気の呼吸筋のバランスのことだけではなく、息の圧力に対する声門抵抗、空気流の割合そして声質をも指していました。それは、ヴォーカル・テクニックの多くの要素を1つの教育概念に包括されるので『total system』(Ganzheit)として説明されました。

19世紀後期から20世紀初期のドイツのStauprinzipあるいはStützeと呼ばれる同じ原理の再公式化と延長はヴェルディのオペラや特にワーグナーの楽劇に求められるパワフルな歌唱と関係していました。これに対する反作用としてMinimalluftと呼ばれる正反対の理論が『residual air (残りの息)』、そして、少ない呼吸圧で歌うことを主張しました。その擁護者は、Minimalluftはより力を要うするStauprinzipよりも伝統的なAppoggioにより近いもので、例えばロッシーニのオペラのようなベル・カント・オペラの昔のフォームのように歌手たちに用いられるテクニックであると主張した。

現代の声の科学は、有声のブレスコントロールの問題を、声門下圧、空気流の割合、開いた音質と閉じた音質のパーセンテイジ、喉頭の高さ、声質、レジストレーション要素、神経生理学的コントロール・システム等々の明確な測定による客観化において、いくらかの進歩を果たしてきました。このような測定は、歌手たちが訓練によるものと、多様な種類の音楽の物理的、音楽的要求双方の様々な方法におけるこれらのパラメーターを変えることが可能であることを論証してきました。しかし、appoggioの教育学的概念は、そのように多くのパラメーターや変化を含んでいるので、基本的な研究方法や客観的記述には適していません。それゆえ、appoggioという用語は、全体論的やり方で判断する歌手たちや発声教師たちの主観的洞察力により適したものとなるのです。この章の終わりにあたり、これまで詳しく述べてきたappoggioに対する私自身の解釈を述べましょう。

Martienssen-Lohmann のように、わたしはappoggioGanzheit(全体性)であるとの見解に賛同します。それは非常に特別な歌唱へと導く、調整された生理的な適応の総合システムです。それは歌手によって間違い用のない方法で感じられ、聞き取られることができる声の調整フォームです。主観的には、appoggioの感覚を、声門のすぐ下で圧力を加えられた弾力性のある息の『クッション』として思い描きます;このクッションは発声前のセットであり、結果として起こる発声を通じて維持されます。appoggioの声質に対する効果は、音色と強さの微妙に作られた浮揚性と順応性を声に加えることによって、そして、声に『プロジェクション、投射』を与えることによって、chiaroscuro(明暗法)を越えます。

歌手は特定の条件が満たされることを確実としなければなりません。そして、吸気から始めて、継続された音そのものに達します。呼吸のために、わたしは、腹筋を緩めることで達成される『低い』ブレスを選択したFrancesco Lampertiに同意します。それは横隔膜を低い位置に導き、喉頭を楽な縦方向に低い位置に下げてくれます。この低いブレスは、胸、肋骨呼吸(胸式呼吸)の弾力のある反発力が原因でときどき起こる喉頭の『clutching (ぐっとつかむこと)』を防ぎやすくしてくれます。吸気の終わりで声門は素早くしっかりと閉鎖され、喉頭は吸気時と同じ低い位置にとどまり続けます。それから、呼気筋が収縮して、声門下圧を求められる強さに相応するレベルまで上昇させます。この上に向かう圧力が喉頭を押し上げないように注意しなければなりません。ガルシアは、呼吸圧の蓄積によるこの種の発声前セットを咳の直前の喉の状態と比較しました。そのほかの歌手たちは、それをうなり声(grunt)或いは、痛みを伴ううめき声(groan)(Stönlaut:独)、さらに出産または排便機能と比較しました。

起声(onset)において、声門打撃はさけ、むしろ声門下圧を維持しているあいだは、しっかり内転された声門と大きな閉鎖度で歌うことに注意しなければなりません。この圧力は『閉じ込められた(pent-up)』ブレス・エネルギーとして感じられ、それはときに、息を抑える(held-back breath)、圧縮された息(compreesed breath)、または、せき止め(breath damming)などと云われます。ブレス・プレッシャー、声門抵抗、そして、声道調節(特に縦の喉頭位置)などの間の一定の相互作用は、歌手に強度と声質を変化させる技術を、そして、継ぎ目のないレガートと、声区移動で目立った変化なしで歌う技術を与えます。ガルードとフランチェスコ・ランペルティによって述べられた長い音符と短い音符のメッサ・ディ・ヴォ―チェのタイプは、このアポッジオによります。また、アポッジオの均衡は、歌手にビブラートの微妙な呼吸制御をするであろうコントロールされた声門下圧の波動を可能にします。(5章と8章を参照)

Appoggioは、歌唱のすべての筋肉の同時の複雑な調整です、そして、それは呼吸圧と制御された発声の平衡に根ざしています。科学用語のその定量化が完全に決定されないままの間、教育学的概念としてのその有用性は長く発声教育学の歴史における重要な要因でありました。

 

2009、1.21 訳:山本隆則