ベルティングとは、ミュージカルやポップスやゴスペルなどで使われる、女声の胸声区(地声)を、高い音(ミが限界)まで拡張させて出す唱法。たとえば、”Cats”のメモリーという歌は、最高音がミのフラットですが、この音を頭に抜いてクラッシック唱法で歌うことは許されず、ベルティング、つまり地声のまま出さなければなりません。
残念ながら日本人のシンガーにとって最も出すのが困難なテクニックです。このテクニックは強い声門閉鎖を維持したまま、声帯振動を限界を超えて強く振動させるので、基本的に声帯の合わせ方が弱い日本人のシンガーの発声傾向からは最もかけ離れたテクニックと言えます。

人間は、地声のまま高い声を出すことをいつも夢見ているような節があります。1833年にフランス人テノールのデュプレが、胸の声でハイCを出したとき、オペラの歴史に最もセンセーショナルな事件として記録され、その夜の観客達の興奮を生々しく伝えています。その興奮はベルティングに対する今日の聴衆達の欲求に通じるところがあります。発声教育において、このテクニックに対していろんな意見があるとしても、この声に対する聴衆達の欲求や反応を無視することはできません。

しかし、最もベルティングの需要が多いアメリカでも、クラッシック系の教師からはかなり敬遠されています。次の引用は、クラッシックの教師であるドヒャーの比較的好意的な見解です。

[B.M. Doscher、The Function of the Singing Voice. 188-191]

Belting
歌唱のベルティング方法の生理学と音響について、そして、喉頭に対するその影響について、論争は今もなお紛糾している。
残念なことに、古典的に訓練された歌唱教師の多くは、この音声がもたらすメカニックについてほぼ何も知らない、さらにベルティングで歌おうとする人に教えようとは決して思わない。
その結果として、多くの見込みがあるブロードウェーまたは音楽劇場歌手は、堅固な発声テクニックのためのスタイルに変えて、可能な限り機能的自由さで高くて強い音声を発する方法を決して学べない。
Brodnizは、その状態に対して現実的な見方をしています。(45)

(45) Robert Thayer Sataloff, Barry C. Baron, Friedrich S. Brodnitz, Van L. Lawrence, Wallace Rubin, Joseph Spiegel, and Gayle Woodson [panel], “Acute Medical Problems of the Voice,” Journal of Voice, 2:4 (1988), 352.

あらゆる歌唱教師がスタジオで抱えている学生の10人のうち8人は、オペラ・ステージやコンサートの段階に達しないだろう。何らかのかたちで、彼/彼女はミュージカルやこのたぐいの段階に止まるだろう。歌唱を教える専門職は、彼らのような学生にどのように対応するかという考えを育てなければならない。
まず初めは、柔軟性がなければならないが、与えられた声が耐えることができる範囲内でのみ、オペラ、ジャズ、ミュージカルコメディやゴスペルに備えて鍛えられなければなければならない。
サタロフは、運動との素晴らしい例えをしめします。(46)前掲書。

彼ら(ロック・シィンガ―達)は、自分の歌が、オペラ歌手のように聞こえるのではないかと常に心配している。私は、ただ彼らに言う:「あなたは、アスリートである。」、スチーブ・カールトンはピッチング・コーチなしでは40才で投げていないだろう。一旦あなたがボールを投げる方法を学ぶならば、あなたが野球ボールか、ソフトボールかバスケットボールのなにを投げるかはあなたしだいである。それは、スタイルの問題である。しかし、それを放したときそれが行きそうなところが分かるように筋肉を使う方法を学ぶことは、運動のトレーニングの問題である。

ベルティングとは何か?ヴァン・ローレンスは、次の身体的な要素を説明する。(47) Van Lawrence, “Laryngological Observations on Belting,” Journal of Reserch in Singing, 2:1 (1979), 26-28

(1) 上へ伸ばされたモーダル(地声)声区、或は話声声区
(2) 比較的大きな振幅
(3) 上がった舌根
(4) 上がった喉頭
(5) 狭い咽頭径線
(6) 閉ざされた喉頭室のスペース
(7) 喉頭の上に傾けられる喉頭蓋

エドウィンは同意して、ベルティングが「攻撃的で拡張した低い声区、或は、胸声が支配的な歌い方(48)」であると示唆する。

(48)Robert Edwin、「ベルトかまたはベルトしないか-それが問題だ」、NATSジャーナル、44:3(1988)、39。

1980年のNinth Symposium on Care of the Professional Voice で示されたEstillの調査は、付加された特徴をリストアップする。
(1) 極めて大きなエネルギー・レベル
(2) あらゆる他の歌唱方法より声帯筋活動のより大きなレベル
(3) あらゆる他の歌唱方法より外因性筋肉のより大きな活動
(4) 弱いダイナミック・レベルはあり得ない
(5) 他の歌唱方法と混ざらない或は音色変化がない
それでも、ベルティングは、胸声歌唱の形で音階を上がるのか?
振動するサイクルの極端に長い閉鎖局面(Estillは2-オクターブ音域上の70%と推定する(50))、高い喉頭の位置、減らされた空気流れとビブラートすべての不在は、それがそうではないことを示す。

(50) Jo Estill, “Belting and Classic Voice Quality: Some Physiological Differences,” Medical problems of Performing Artists, 3:1 (1988), 42.

そのうえ、オペラの胸声はその低い音域で最も豊かである、しかし、ベルト声は下の方に行くとに細くなる。
「良い」ベルティングと「悪い」ベルティングがあるのか? おそらく。
残念なことに、(伝説的なエセル・マーマンのように)歌手が数十年の間、週に8回のショーを生き残る理由を、我々は知らない、そして、他の人は比較的短い時間に喉頭疾患をおこす。
長期間首尾よく歌ったそれらのベルター達は、我々の個人的な知覚的な観察では、高い確率で鼻共鳴を使う傾向にある。
Estillは、そのサウンドを「大きい、耳障りな、時には鼻声の、常に『トゥワングのよう』…」と記述する。(51)前掲書、38
Miles とHollienは、ベルティングは「…ほとんどビブラートはなく、鼻音性のレベルが高い」と感じる。
(52)Beth Miles and Harry Hollien、「ベルティングはどこへ/ Whether Belting」、Journal of Voice、4:1(1990)、69。

それらの結論は、彼ら自身の観察とベルティングの調査に対する回答の対照調査に基づく。
サリヴァンは不賛成で、鼻音性は、ただ解釈のために使われる色選択であり、そして、それが喉を疲れさせるので控えめにしているだけだと言う。
(53)Jan Sullivan、「 Belt/Pop Voiceの教授法」、Journal of Research in Singing、13:1の(1989)

彼女は、それが疲れる理由の生理学的な説明を提供しない。
フィクション(文化的な条件付け)から事実を切り離すことは、極めて難しい。
評判の良い咽喉科学者は、我々にこの種の歌唱について警告し続ける。
彼らは機能亢進習慣の明らかな徴候(それのほとんどすべては喉に集中している)で歌手を見る。
発声疲労での赤みとはれは、より一般的な警戒信号の一部である。
同じ状態は、何人かの古典の歌手でよく見られる。
または、彼らの少数しか組織的技術的な厳しい訓練をしないので、ベルター達がより危険にさらされていることは、ありえるか?
「…ベルター達がたびたび声の病状を体験することは、よくあるようだ。残念なことに、この関係の根拠は、十分に理解されなくて、論争になりやすい。」(54)MilsとHollien、前掲書、66。

多くの調査が行われる必要がある。
我々がベルティングを理解する為の中心は、この種の歌唱が重度の声帯障害を引き起こすかもしれないという見方を確認或は退ける必要性がある。
(1) ベルティングは、それ自体有害か?
(2) 歌手が「正しく」それを行わない場合だけ、障害が生じるのか?
(3) 個性または音楽の好みによってベルティングに合わない歌手がいるのか?
(4)「ベルティング(それを言うならオペラも)に生理的に合わない繊細な喉」を持つ歌手がいるか?
今、ベルティングで歌う人を扱わなければならず、将来の研究を待つことができない教師にとって、ロバート・エドウィンのアドバイスから安心感を得なさい。
歌手が技術的な問題を探究するために個別のスタイルから切り離されることができるのを、彼は強く感じる、そして、これらの新しい洞察力はスタイルが許す程度にその時与えられたスタイルに組み込まれることができる。(55)エドウィン、前掲書、89。

教師が健康的な発声テクニックを擁護するためにそれらの倫理的責任を放棄することは提案出来ない。
まさに我々が同意する美的な好みにではなく、すべての歌手に対する責任を、我々の専門職が持っていることが提案される。

また、つよい声帯の使用を擁護するJames Starkは、次のように書いています。

[J.Stark, Bel Canto p.85-86]

ここでわき道にそれて、『Belting』として知られているテクニックについて説明しましょう。それは、クラッシックの歌唱様式の一種とは考えられていないにもかかわらず、カヴァーの運動と密接な関係を持っています。ベルティングはポピュラー・ソングの唱法として広く用いられており、特にブロードウエイ・ミュージカルでは、クラッシックの訓練をした歌手が主要な役を占めるようになり、ますます多く用いられるようになりました(*30)。ベルティングは男女両方の歌手において、胸声が、普通声区が変わるE4(330Hz )あたりを超えたときに実行されます。このポイントで、歌手は喉頭を上げたままにして、それによってF1を上げてH2に同調させます。母音はカヴァーされた声のように暗くなりません。ベルティングは、強い閉鎖度と声門下圧の増加が求められます。これらのすべては、大きな労力がかかり、ヴィブラートのない音になるか、『ヴィブラート・クレッシェンド』とよく言われる、音の持続の終わりだけにヴィブラートがかかる筋肉の硬直が要求されます。Schutte とD.G. Millerは、次のようにベルティングを定義しました:『ベルティングとは、第1フォルマントを開いた(高いF1)母音上で、第2倍音に同調させるために、喉頭の上昇を必要とし、ある音域で、一貫した胸声区(>50%の声門閉鎖の位相)の使用を特徴とする、大きな声のための唱法である』(Schutte & Miller 1993, 142)。男声において、ベルティングは何よりもまず、高い喉頭の位置によってカヴァリングと区別されます。歌手が高い音をベルトし、そのあとで喉頭を下げて咽頭を拡大すれば、カヴァーされた声になるでしょう。カヴァリングとベルティングのどちらにおいても、胸声区はその普通の限界を超えて上方に拡張されます。女性において、胸声が通常中声区と呼ばれる音程に引き上げられればベルティングになります。多くのベルターは、オペラティックなテクニックに達するために、どのように閉じるかを知ると驚くでしょう。カヴァーされた歌唱と同様に、ベルティングはしばしば危険であると考えられてきましたし、それをうまく実行できない歌手にとってそれはおそらく危険なものとなるでしょう。しかし、カヴァーされた歌唱を用いた歌手同様、発声的な障害なしで長いキャリアを享受した有名なベルティング歌手たちが存在します。正確に、何が危険で、何がそうでないかを判断するための多くの調査が必要です。『良い』ベルティングと『悪い』ベルティングの間には、おそらくいくつかの重要な違いがあります。また、個々の歌手の喉の強さに違いがあるかもしれません。強力な歌唱テクニックに対する見境のない非難をする前に、これらの要素が確認され評価されることは有益なことです。

(*30) Sullivan 1989; Mils and Hollien 1990; Schutte and D. G. Miller 1993; D. G. Miller and Schette 1994.