(【】内は訳注及び山本による解説。また、太字強調も山本による。)

PART II

CHAPTER X

Breathing

以下の章では、読者がこのテーマを理解するのに必要な解剖学と生理学のわずかな知識しか持ち合わせていないことを前提に、可能な限り専門用語を使わないようにした。

歌手の呼吸については、局所的活動と共鳴を除けば、他の何にも増して、荒唐無稽なことが書かれている。

歌手の呼吸は純粋に自然なものであり、決して強制されるべきものではなく、通常の健康な人間が通常とは異なる身体活動を行う際に用いる呼吸と何ら変わるところはない。

呼吸には3つの種類がある:

(1) 鎖骨呼吸(消耗の呼吸, the breath of exhaustion)。
(2) 横隔膜呼吸(生命の呼吸, the breath of life)。
(3) 胸式呼吸または肋間(骨)呼吸(活動の呼吸, the breath of activity)補助の呼吸(auxiliary breathing)。

鎖骨呼吸は、胸の上部と肩の「隆起」を伴って行われるもので、消耗の呼吸であり、訓練を受けていない人が激しく体を動かした後に観察されるものである。それは単に呼吸の正常なバランスが取れるまで、素早く肺に空気を送り込むための手段であり、それゆえ直ちに、そして最終的に放棄せねばならない。歌い手がこの呼吸法を必要としないのは自明の理である。しかし、歌手の間では、このようなことがあまりにもしばしば見られるということを、一応述べておく必要がある。

横隔膜呼吸は、人間が生命を維持するための自然な呼吸である。横隔膜という胴体を二つに分ける大きな筋肉の収縮によって、横隔膜が下がり、その下の内臓を圧迫して、息を吸うときには上腹部が外側と下側と前側に広がり、息を吐くときには逆の動きをする。つまり、横隔膜が弛緩すると上腹部が平らになり、肺の土台に対して上に上がっていくのだ。これは、本来横隔膜と拮抗している上腹部の筋肉が収縮した結果である。

図1腹の吸気(誤)   図2横隔膜の吸気(正)

図3.胸式、肋間の吸気(正)  図4.横隔膜と肋間の組み合わせの吸気(正)

 

ここで断っておくが、息を吸ったり吐いたりするときに、肺の中に真空が生じることは一切ない。その理論は、とっくに破綻している。【訳注;限界まで息を吐き切っても残気量(Residual volume)は残る。この残気は死んだ後にも残っている。その理論とは、「残気呼吸する人(residual breather)」や「残気スピーカー(residual speakers)という言葉が残っていることから、残気を使って声を出すことかと思われる。これは、残気量(Residual volume)と機能的残気量(Functional residual capacity)を混同することにによる間違いである。(Hixon 2006)】横隔膜が下がることで空気が肺に充満する。これが、生命の呼吸(breath of life)である。横隔膜は肋間筋や肋骨筋に付着するので、横隔膜とこれらの筋肉間で自然に同調する連携作用がある。そして、直接以下のことに通じる:

胸式呼吸または肋間(骨)呼吸
並外れた活動のために、肋間筋の働きで肋骨の下部を持ち上げて広げ、上腹部*を引くか平らにして、肩甲骨の下で背中を広げ、鎖骨に影響を与えることなく胸を持ち上げて広げることで、普段より多くの空気を無理なく取り込むことができる。肩は決して上がらず、どちらかというと肩先が少し下がっている。


上腹部とは、一方の寛骨から他方の寛骨に引いた線に当たる部分を意味する。それを腹部の中間部分と呼ぶ人もいる。(Fig. 7 の腰の点線)


歌手の呼吸は、横隔膜呼吸と肋間呼吸の組み合わせである【この意見はオールド・スクール及びガルシアの呼吸法に一致する】。これは、息をコントロールすることが身体的に必要な、通常とは異なる身体活動のための呼吸法である。

科学的に、横隔膜呼吸では、息を吸うのは能動的な動作、吐くのは受動的な動作と認識されている。

胸式呼吸または肋間(骨)呼吸は、横隔膜ならびに肋骨をコントロールして、息を吐くことを意志的にコントロールし、音や声を持続的に出すために必要な行為である。

歌唱時の呼気には、呼吸器官の作用に関するこれまでの多くの混乱の原因があることがわかる。私たちは、【腹部を】中に引くことと外に押し出すこと、息の支えと息の圧力、息の節約などについてよく耳にするが、この無用な混乱を解消することは価値があることである。

歌手の完全な呼吸は、2つの別々の筋肉の「系列」に関係していることを認識すれば、全体の問題は非常に簡単に理解できるようになるだろう。横隔膜の吸気は、上腹部(肋骨の下と、胸骨下の低い肋骨間の体の柔らかい部分の下)が外、下向きに膨らむ。一方、肋間の吸気では、肋骨の下の上腹部が逆の動きをし、胸骨の下の肋骨の間の柔らかい部分は、通常「外に伸び」ているか、ごくわずかに平らになった状態のままとなる。これは、横隔膜の正常な下降を全く妨げることなく達成される。しかし、肋間呼吸は、いわゆる腹式呼吸に見られる、肋骨【胸郭】の外側と上方への作用を抑制または阻止する横隔膜の異常な押し下げを防いでくれる。後者(腹式呼吸)は、肋骨の働きを妨げるというまさにその理由から忌み嫌われるもので、肋骨の働きは、歌唱行為の全調整における基本的な筋肉作用であることがすぐに分かるだろう。歌手の二重呼吸の2つの部分を非常にゆっくりと別々に行うと、上腹部を「押し出す」だけでなく、「引き込む」ことも分かるだろう。二つの行為を同時に素早く行うと(歌っているときにそうしなければならない)、横隔膜が下がり、肋骨が上がって広がるなどする。上腹部を平らにし、肋骨と胸を上げ広げ、背中を広げ、胸骨の下の柔らかい場所を、個人によって、また肋骨を広げる程度によって、わずかに膨らませたり、ごくわずかに平らにしたりして、身体を図3と4のような位置に持っていく。

この活動が横隔膜の正常な低下を妨害しないことは、かなりはっきりとよく理解されていなければならない。

上記のように、ウイザースプーンは腹式呼吸或いはベリー・アウトを否定しています。日本の発声教育ではいまだにベリー・アウトの信奉者が多くいますが、ベリー・インこそ、ベルカントの時代から最新の呼吸生理学者であるトーマス・ヒクソンに至るまでの正当な呼吸法なのです。

 

息を吸うという動作が終わると、歌手の呼吸の第二の現象、つまり吸気と呼気の間、あるいは音のアタックと持続の間の一時的な中断、私が言うところの「息のサスペンション(the  suspension of the breath)」がやってく。これは歌唱のすべての自然現象の中で最も重要なものの1つであり、あまりにも軽視され、無視されてきたものである。この「サスペンション(一時停止)」の瞬間に起こることは、非常に重要なことであり、いくら注意を払ってもたりないほど重要なものである。歌唱行為を構成する連携作用の全過程に於ける主要項目の1つである。

しかしながら、これについて論ずる前に、我々は呼気行為を完全に理解しておかなければならない。

上で見たように、横隔膜による呼気は、意志によってコントロールできない受動的なものである。補助吸気、肋骨または肋骨の吸気は、コントロールされたまたは意志を持った呼気に続けられる。もし、歌ったり、ものを持ち上げたり、その他特別な運動をすることなくこの状態を続けたとすると、横隔膜は弛緩して上昇し、肋骨は下がり、体は「安静」状態に戻り、次の吸気への準備に移る 。

「吸うこと」と「吐くこと」の2つの行為の間には、必ず呼吸の「休止」「サスペンション」があることを忘れてはならない。

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重いものを持ち上げたり、押したり、引いたりするような大きな力仕事の場合、この休止時間は、力仕事の必要性に応じて適度に長めにとることができる。

生理的な活動の1つの事実は、息を吸った後に胴体が「堅くなり、」胴体以外のいろいろな手足や筋肉の活動がより自由で、強力で、弾力的で、繊細になるということである。このために、我々は、その行為が声を出すことかどうか(例えば持ち上げたり、押したりいたりする労力、その他)にかかわらず、あらゆる特別な行為を果たそうとするとき、最初に呼吸をする。
そのような行為または労力の中心は、補助呼吸のときの肋骨にある、それらの活動は、呼吸サスペンション(一時的停止)のちょうどその時に肋骨を堅くする筋肉活動の中心である。それは、けっして横隔膜ではない。肋骨の筋肉は呼吸をコントロールする中心的な筋肉である。そして、それらの活動が一時的停止(サスペンション)をする筋肉活動の中心である。それは、容易に証明される。叫ぼうとする瞬間に肋骨を落としてみなさい、すると、あなたは声を出せないでしょう。また、引くか押すかリフトするちょうどその時に、肋骨を落としなさい、すると、あなたはそのような努力または活動がなかったように振る舞うでしょう。

これは、体幹に付着する筋肉に影響するコーディネート法則の上述の原理によるものである。

この重要な法則があるからこそ、歌い手にとってのブレスコントロールやブレスサポートのあり方について、明確な結論を導き出すことができるのである。それは、人があらゆる並外れた身体的活動のために使うものと同じである。それはまた、歌唱行為において調整(コーディネーション)がどこで始まるか、すなわち、吸気行為においてである。なぜなら、吸気行為が適切に行われると、適切なサスペンションが生じ、次いで見るように、正しい呼気の歌唱行為が生じるが、実際には適切に吐き出され、さらなる何かがあるのだ。

この「さらに何か」が何であるかを述べる前に、歌手の呼吸についていくつかの明確な結論を導き出し、この呼吸が何を引き起こすか、そしてそれがいかに歌の重要な要素であるかを見てみよう。

(1) 「生命の呼吸」である横隔膜呼吸は、一般的に言われているように鼻呼吸、つまり鼻から吸って鼻から吐くというものである。肋骨、肋間、補助呼吸は、我々が絶叫したり叫ぶときのように、口を通して成される;これもまた経験によって証明された自明の事実である。歌手が横隔膜呼吸および肋間呼吸の両方の呼吸を併用する場合、鼻と口の両方を通してを息を吸う。

(2)人間は、生命の息【横隔膜呼吸】以上のものを必要とするすべての行為に、同じ種類の呼吸、すなわち横隔膜と肋間の複合呼吸を用いる。

(3) 呼吸は、どんな目的であれ、決して強制されるべきでなく、その活動に於いて、身体的な活動と結果のために、意志的な呼吸、あるいは、要求する呼吸と釣り合わなければならない。したがって、身体的活動のための呼吸を支配する明確な法則が存在するのだ。この法則をある程度、次のように述べることができる:呼吸行為は常に、強さ、拡張性と時間において意志的な発声行為と釣り合っていなければならない。「時間」とは、吸気と呼気のために使われる実際の時間を意味する。自明のように、この時間は短いかも、長いかもしれない;つまり、我々はより長く伸ばされた声、或は身体つまり、長く続く発声や身体的行為のために、その行為のためのより長い準備を可能にするために、素早く息をすることができる。そして、それは行為のためのより長い準備の余地がある。おそらくこれは、歌手の呼吸を支配する最初の法則を定式化するのに最適な箇所であろう。そして、それの法則について我々はこの本の相応しい場所でさらに論ずるだろう。

(4) 法則:歌手の呼吸力の強さは、音高と音量に於いて常に音に比例する。

(5) 歌手の呼吸は純粋に自然なものであり、人間が通常とは異なる身体的行為を行う際に用いる呼吸と同じであるため、簡単かつ自然に誘導することができる。また、協調の一部であるため、あまり「局所的に」誘導するのではなく、練習を通じて、発声上望ましい結果に合うように自然に励起されるべきである。

(6) 正しい呼吸は、図3、図4に示すような、歌手のボディーポジションと呼ぶべきある姿勢をとらせる。この位置は、呼吸の力強さに比例して変化することがあるが、決して種類に差はなく、程度にのみ差がある。このポジションは常に歌手にバランス感覚を与え、決して体のどの部分にも硬直や過度の緊張を与えない。

(7) 鼻だけを通して吸う場合、発声器官、特に口蓋、口峡などは空気の通過を可能にするためにある一定の位置をとらなければならない。一方、完全に口から吸い込む場合、同じ器官は、空気の通過という同じ目的のために、ある一定の位置をとらなければならない。それ故、鼻と口の両方を一緒に通して呼吸をとる場合、同じ器官は上方のどちらとも違う特定の位置をとらなければならない。これは、歌手の正しい呼吸は発声器官の特定の「発声位置/vocal position」を与えることを意味し、正さにそのようになるのだ。これが最も重要なことであることは、認めてもらえるだろうと思う。正しく息を吸い、それから発声器官が仕事をする準備をするので、歌唱行為の調整(コーディネイション)は呼吸をとることで始まると言うことが出来る。これは、単に発声器官をリラックスさせるだけの問題ではなく、本当の意味での準備であり、常に意志ある行為、望まれる音や音色に比例した明確な調整(コーディネイション)の始まりを構成すると私は考えている。したがって、正しい呼吸は、発声器官が仕事をする準備をし、「自由な活動」ができる位置と状態に発声器官を置くと言えるかもしれない。ここで断っておくが、リラクゼーションという言葉のほとんどはナンセンスであり、何の根拠もない。 なぜなら、私たちはリラックスして身体的行為を行うのではなく、正しい緊張と行動によって行うからです。これは、通常の自由な活動を遅らせたり、不可能にしたりする硬直性と混同してはならない。

確かに、鼻呼吸は多かれ少なかれ発声器官の完全な弛緩を引き起こすと思われるが、口呼吸や肋骨呼吸に伴う吸気は、そのようなことはせず、たとえば、鼻呼吸のリラックスした口蓋とは異なる口蓋の位置を引き起こす。口蓋垂を上げるには、素早く口から吸い込むようにと指導する教師も多い。

そうすると、正しい呼吸の使命の一つは、声帯を自由に活動できる位置と状態に置き、あらゆる意向に沿った発声行為に備えることであると結論づけるのが妥当であろう。歌手にとって、これほど重要なことはないだろう。

あらためて、もし我々が発声器官を「リラックスさせる」か「解放する」ことを望むならば、正しく吸うことは事実上唯一の手段である、何故なら、後で見る様に、局所的、意志的なリラクゼイションはほとんど不可能なことであり、しばしば一見達成されたように見えても、他の場所に過度の緊張を引き起こす結果となる。このような局所的なリラクゼーションは、音によってもたらされるのが最も良い方法であることが分かるだろう。

また、このことは、もし歌手が声帯の使い方を間違えていても、新しい呼吸をすることによってのみ、声帯を解放し、正しい発声位置と動作にすることができることを意味する。注意深く自分自身を注視する歌手ならば、誰でもこれが真であることを知っている。もうひとつ、呼吸法の重要性を説く。

話を「呼吸のサスペンション」に戻すと、息を吸ってから音をアタックするまでの間のことである。歌唱行為のための自由な活動と準備の状態を最終的かつ確実に引き起こし、固定化するのはこのサスペンションであるが、これにはさらに明確で重要なものが付随している。 それは、人間の声の「サウンドボックス」または振動体である喉頭の位置のことである。サスペンション一時的停止が生じると、喉頭(すでに、吸う行為に影響を受ける)は、肋骨の活動または「サスペンション」を通して歌うための位置をとる。そして、胸の、特に胸骨甲状筋の筋肉による活動が喉頭を固定し、声帯の活動を決める披裂軟骨と他の筋肉たちが声帯を緊張させ振動させさせたりする仕事をすることができるようにする。
サスペンション一時的停止が生じると、喉頭(すでに、吸う行為に影響を受けている)は、肋骨の活動または「サスペンション」を通して歌うための位置をとる。そして、それは(胸の、そして、特に胸骨甲状筋の筋肉を通しての活動)喉頭を固定するので、声帯を緊張させ振動させる際に、声帯の活動を決める披裂軟骨と他の筋肉たちがそれらの仕事をすることができるようにする。この喉頭位置は歌手によって個人差はあるが、上で示されたように、自然の法則に従わなければならない。これは、歌手に喉頭を故意に下げる又は上げるように要求することが、破滅的とまでは言わなくとも、いかに危険かと言うことを示すのに役立つかもしれない。喉頭と付随する筋肉の位置と緊張は、まず、正しく吸うことと呼吸のサスペンション、そして、意志的な歌唱行為に依存する。これは、ただ多くの練習を通してのみ誘発され完成されるものであり、いわゆる「局所的労力(local-effort)」派に対する第一のそして極めて重要な異議であることが認められるだろう。喉頭は歌唱中にリラックスすることはなく、意志を持った音に応じた様々な自然な抵抗を受けながら働く。ピッチに関しては、各個人に明確な限界があることを除けば、調整と緊張の多様性において実質的に無限の可能性を持っている。 しかし、これはあまりにも科学的なテーマであり、本書の範囲外である。経験上、人間の声の正常な音域を超える過剰な音程(数音域、あるいはオクターブ)を主張する特定の教師の主張は、事実上ほとんど根拠がないことをここで述べておくに十分であろう。 しかしながら、正しい呼吸と声帯の正しい位置と動作が、多くの「狭い」声の音域を実質的に拡張することは事実である。

ここで、多くの歌手が何年もかけて身につけようとしていること、すなわち「ブレス・サポート」「音のサポート」「ブレス・コントロール」など、どのように呼んでもよいものに行き着くのである。それがないと彼は無力で、それがあると彼はしばしば自意識過剰になり、ほとんど無力になります。実際、どうなのか?

肋骨呼吸という補助呼吸は、歌うという行為における協調性をさらに高め、また、肋骨の一時停止という行為を確立し、それが今度は声のポジションを決め、自由な活動を確保する。「力の中心」と呼ぶべきものは肋骨にあるので、絶叫の行為について説明したように、肋骨を下げずに音のアタックが達成される。

声のアタックが肋骨を落とさないことで達成されるように、声音 の持続も、ポジション、動き、響きという同じ因果関係で成り立っていると考えるのが常識的だろう。これは、伸ばされた、又は、維持された歌唱行為の間、連続する音や音楽的なフレーズを通して、身体や呼吸器官で何が起こっているかを即座に思い起こさせることになる。

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昔の楽派が提唱した原則のひとつに、「肋骨を落とさずに音をアタックする」というのがある。なぜか? それは、上で述べた絶叫行為に関する法則があるからだ。肋骨が「保持」されたとき、声がはっきりと自由になること、そして、声の法則に対する干渉が避けられることが経験によって分かった。これは、私がこれまで述べてきたように、正しい喉頭のポジションや抵抗などを保証するコーディネーションの法則によって説明されることが分かっている。

同じことだが、力の中心は肋骨にあり、肋骨は歌唱行為の間、つまり1つの音や 音楽フレーズを持続させる間中、その働きをしなければならないのだ。

歌うという行為の中で、呼吸器官や筋肉に実際に何が起こっているのか、という疑問が生じる。それは非常に単純なことである。息を吐き出すと、横隔膜は上昇し、上腹部の強力な拮抗筋に助けられ、吸い込むときとはまったく逆に、押し込まれ上昇する。肋骨は多かれ少なかれ、自身の肋間筋だけでなく、腹筋にも助けられ、しっかりと保持されている。これにより、横隔膜の上昇をコントロールし、排出される空気をコントロールすることができる。努力または作用の方向は、図4に示されている。肋骨を保持し、上腹部を引き寄せ、胸骨の下の柔らかい部分にわずかな反射作用が起こり、緊張して外側に押し出される。これは、音色のアタックの瞬間だけでなく、発声行為を持続する間にも起こる。この持続が異常に長くなると、補助呼吸をするために肋骨が落ちることがあるが、肋骨が備えている相反する2組の筋肉の抵抗を受けながら落ちる。これは最も重要なことである。これは、横隔膜を最高位置かそれに近い位置まで上昇させた後、歌う行為を過度に長引かせると、肋骨を空気の「排出器(expeller)」として使わざるを得なくなる可能性があることを意味する。

肋骨の主な役割は、横隔膜を補助してサスペンションを固定し、喉頭の位置を固定すること(これまでボーカルポジションと呼んできたもの)であり、第2の役割は空気の予備または補助供給を供給しコントロールすることである、ということが理解さ れるだろう。サスペンションの瞬間に上腹部がわずかに平らになるのに、歌唱中にさらに平らになるのはなぜか、と聞かれることがあるが、まさにその通りである。図3と図4に見られるように、肋骨は保持され、横隔膜が上昇すると上腹部が平らになり、肋骨の予備呼吸を必要としない場合は、肋骨は単に素早く落ち、新しい呼吸をすると再び拡張する。これを自然かつ簡単に、しかも驚くべきスピードで実現する。もし補助呼吸をした場合、肋骨は抵抗を受けて下降し、それによって発声位置を失うことなく、新しい呼吸では横隔膜の下降に伴って自動的に広がり、体は常に図4のような位置にあることになる。これは、喜んで感嘆の声を上げ、同じような感嘆の声を繰り返してみるとわかりやすい。歌手は決して局所的に肋骨を押し出そうとしてはならない。その動作や 緊張もコーディネート の一部であり、徐々に自然な動作ができるようになるだろう。この作用をもたらす手段については、適切な場所で説明することにしよう。

サスペンションの瞬間に上腹部がわずかに平らになるのに、歌唱中にさらに平らになるのはなぜか、と聞かれることがあるが、まさにその通りである。図3と図4に見られるように、肋骨は保持され、横隔膜が上昇すると上腹部が平らになり、肋骨の予備呼吸を必要としない場合は、肋骨は単に素早く落ち、新しい呼吸をすると再び拡張する。これを自然かつ簡単に、しかも驚くべきスピードで実現する。もし補助呼吸をした場合、肋骨は抵抗を受けて下降し、それによって発声位置を失うことなく、新しい呼吸では横隔膜の下降に伴って自動的に広がり、体は常に図4のような位置にあることになる。これは、喜んで感嘆の声を上げ、同じような感嘆の声を繰り返してみるとわかりやすい。歌手は決して局所的に肋骨を押し出そうとしてはならない。その動作や 緊張もコーディネート の一部であり、徐々に自然な動作ができるようになるだろう。この作用をもたらす手段については、適切な場所で説明することにしよう。

また、わたしは、歌唱行為とは別に練習される「呼吸エクササイズ」に対して強く忠告するだろう。すでに述べた法則から、私たちは連携行為を扱っているので、呼吸作用とボーカルポジションの関係から、呼吸は歌唱行為と一緒にのみ練習さ れるべきである。身体の筋肉のコーディネーションの一部に向けられた過度または誇張された注意または努力は、一般にそのコーディネーションを妨げることを心に留めておく必要がある。これは、歌を学ぶ上で最も危険なことの一つである。

繰り返しになることを承知で言えば、正しい呼吸の使命は2つある。空気を供給するだけでなく、正しい発声ポジションを確保し、発声器官の働きを整え、自由な活動を保証し、干渉を防ぐのだ。

もう一つ、呼吸器官に関する興味深い観察がある。これは歌手にとって非常に重要であり、なぜ歌手が何らかの困難の犠牲となるのかを説明するのに役立つものである。発声器官には、歌って話す行為(発声行為)と、飲み込む行為(嚥下行為)という2系列の機能、つまり2種類の作用がある。正しい呼吸は、以上のように、正しい発声活動を活性化し、その手助けをするものである。食事中に飲み込むと、呼吸器官の逆の作用、つまり上腹部が弛緩して、空気を吐き出す行為が妨げられたり、抑制されたりするのです。これも単純に、声の器官と息の器官に関わるコーディネートの法則で、喉頭や気管に食べ物が入り込んで窒息しないようにするための、とても必要な法則だ。嚥下動作中に話をすると、これまで見てきたように、発声位置と動作を引き起こす呼吸のコーディネート作用を刺激して、声門を開き、喉頭蓋を上げ、食べ物が気管に入りやすくなり、窒息しやすくなる。

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さらにコーディネーションの法則に従うと、間違った呼吸をする歌手が、舌を引いてこぶを作り(嚥下位)、口蓋を引いて過度に盛り上げるなど、発声でも歌でも、発声行為への干渉に悩まされ、喉頭が盛り上がる理由が容易に説明できるようになる。

もし私たちが、明確な目的のための自然なコーディネーションによる発声器官の2つの系列の機能を明確に理解するならば、1つの音を持続する際の呼吸器官の作用の完成度や、発声ポジションや発声動作の重要性も同様に明確に理解できるだろう。

1つの音声を維持している間、或は、発声ポジションと発声活動に、我々ははっきり同程度に呼吸器官の動きについての熟達の重要性を見る。

この動作の最終的な現象は、任意の音やフレーズの終了または停止において観察することができる。これもまた、「心の音/nota mentale」と呼ばれる古い規則と全く同じものである。それは、極めてシンプルである。生徒たちは、自分が実際に歌ったり持続したりするよりも、ほんの少し長く、おそらくは装飾音程度の音を歌ったり持続したりすることを想像するように教えられた。つまり、声楽用語でいうところの「ノータ・メンタール」つまり心の音を、実際に歌った音よりも長く「ブレス-サポートを維持する」ことで、音が止まった後に呼吸努力や緊張を止めていたのである。これにより、音と息のサポートが同時に停止することで発生する「うなり声」や「あえぎ声」を防ぐことができる。このような声は、歌手の中でも高い評価を得ている人によく聞かれる。これは、歌の鑑定家にとっては、コントロールの欠如と過度の肉体的努力による苦痛の徴候である。これは、息の一時停止の後に、あるいは実質的に息の一時停止とともに音を開始するのと同じように、息の一時停止とともに音を終了することを意味し、ここでも肋骨が努力の中心となる。これで歌手の呼吸の作用、呼吸器と発声器官の連携の基礎が完成し、一連の作用を明瞭かつ真に表現した次の図8を示すことができる。
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図8 心の音、
吸気-一時的停止-発声アタック-維持-声が終わる-呼吸の一時的停止-呼吸の支えが終わる-新しい呼吸

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呼吸のこの問題を去る際に、わたしは次の警告をするだろう。
(1) 呼吸活動が決して強制されてはならないか、必要以上に局所的に、そして、意識的に作ってはならないと、歌手は理解しなければならない。それは、常に望ましい成果と比例している。
(2) 歌う行為から切り離された呼吸エクササイズは、たいてい有害で、歌手の真の呼吸を育てない。
(3) a. 連携する呼吸活動は、分割されてはならない。それは、以下の通りに自然でむしろ間接的な手段(例えば腕の使用)で引き起こされなければならない:片足をすこし前に出して楽な、直立した姿勢で立ち、両側から腕を肩の位置レベルまで上げ(手のひらを下に向け)、同時に、息を楽に、深く、そして、広く吸う、決して強制したり、決して大量の空気を取り入れようとしてはいけない。唇はわずかに開かれなければならない。(図5)Fig. 5 Fig. 6
b. 同じ姿勢で立って、腕を前方へ上げ、手のひらを上に向け、再び肩の高さに上げ、同様に静かに吸うこと。唇は開かなければならない。これは、懇願のしぐさのように。(図6)
c, 歌手が鎖骨呼吸や肩を「丸める」などの習慣に悩むならば、上記と同じ姿勢で立たせ、肘を曲げることなく頭の上に腕を上げて、手のひらを合わせなさい。腕を降しながらゆっくりと息を吸い、それらが離れたとき手のひらにを下に向け、そして、肩の高さで腕の下降を止める。鎖骨呼吸習慣が極めて頑固であるならば、上記の方法で鼻から吸い始めなさい、そして、腕が下るときに唇を開きなさい。このエクササイズは、肩と鎖骨の持ち上げを抑制するか、防止する。(図7)Fig. 7
一般的に、歌唱なしで2、3回これらのエクササイズの何かを行うだろう、やがては常に歌うか叫ぶ感じで練習することになるだろう。実際に、単に叫ぶ行為はしばしば、自然にすばやく、正しい呼吸を引き起こすだろう。
d. その後は、呼吸活動が自由で、楽で、適切になるまで、いくつかの音声またはフレーズを維持しようとしないで、楽な中低の声域で、短い継続時間の単一の音声で始めなさい。他方では、叫ぶことを練習しすぎるのは賢明でない、何故なら、「キャッチ」呼吸、または、空気を求めてあえぎを引き起こしやすいので。
(4) 歌手または話者の呼吸は、静かにとられなければならない。これは、鼻と口を一緒に通してしか達成されることができない。
(5) 吸い込むとき、口は決して広く開いてはならない;唇はわずかに開きなさい。
(6) 呼吸器官のあらゆる部分で「一点に集中する(localizing)」ことを回避しなさい。
(7) 深く、そして、広く、吸入しなさい。しかし、容易に、そして、強制することなく。背中を局所的に拡大しようとしてはいけない。それは、それ自体で注意するだろう。
(8) ゆっくり急ぎなさい、歌手の技巧が忍耐、時間、注意、脳と純粋に自然の手段、さらに一番最初に想像力を加えること、によってのみ完成されることを忘れてはいけません。すべての音声は、想像力と意志の明確な推進力の結果でなければならない。
(9) 歌手が上達するにつれて、彼が歌っている音楽のリズムに基づく呼吸の「リズム」を習得させなさい。それは、表現の本質的な部分でなければならない。これは、フレージングに驚異的な影響を及ぼすだろう。
(10) すべての歌手が学ばなければならないことは、かれは自然の法則に従わなければならないが、どの程度従うかは個人的なものであること、この点で、それぞれが彼自身の法則であること、彼がある力に於いて他の歌手を上回るか、或は、及ばないかもしれないということ、そして呼吸も例外ではないということ、等々。また、健康と強さは、歌手にとってきわめて重要なようそではあるが、強い身体的な力はおもうほど重要ではないかもしれない、;しかし、より強靱に鍛え上げられた演奏者の能力をはるかに超えてフレーズを維持することができる、繊細でほとんど弱々しく育った歌手をわれわれはいかに多く見てきたことか。技術と頭脳は、筋肉や力よりずっと多くのものを達成するかもしれない。穏やかな音声を歌うために息または空気を多量に必要としない、そして、呼吸の労力について話すとき、我々は使われる空気の量と同様に筋肉の活動に言及する。

[Witherspoon, Singing. 1925  p.55]