VI.

振動体の仕事 p. 66

 振動体の機能は、振動中に動かない空気の柱を喉 ― 更に、気管 ― にセットすることである。喉頭の振動要素は、自然の側との非常に巧みな歩み寄りから作られる;それは、息をするための肺活量を危険な方法で妨害することなく、発声を可能にする手段である。自然に喉を横切るしっかりした隔膜を固定することは可能なのか ― いくぶんに蓄音機のサウンドボックスの音響隔膜のラインのように ― その結果はより効率的なサウンド-メーカーであるかもしれない。しかし、人間の「音響隔膜」は、その持主の継続的な存在を確実にするために、裂け目を備えていなければならない。にもかかわらず、つまり、本質的に、声門があるべき姿は ― 全体に切れ込みがある隔膜である ― そして、歌手の作業は、切れ込みによって生じる空気のロスを可能な限り減らすことである。声門唇の接近は、歌手が可能な限り完璧にそれをなしとげなければならないということだ-そして、これは、同様に適切な歌唱において、喉頭は十分意識的に用いられ、コントロールされなければならないことを意味する。

これは、歌手は喉頭に自意識を強く持たなければならないということを言っているのではない。それは実際、単に気管の閉ざされた先端にすぎない。ポイントは、歌手に開いた音を出し始めるためのただ2つの二者択一の方法だけがあるということである、(a)ピンと引っ込められた腹筋に対する、胸の周到でコントロールされた圧迫、または(b) 喉頭で、又はその上でなされる、声を出そうとする想像的な意志の行為を伴う呼気行為。今や、そういう意志の行為を伴う呼気の行為は、疑いなく空気-圧迫になるのに対して、その圧迫は、我々が見たように、必然的に効率が悪いだけでなく、その行為が管理され、コントロールされることができる場所の物理的な活動の正しい中心を与えない。さらに-そして、これはより大きな重要ポイントである-呼気の行為は最終的に、声門唇を開くための披裂軟骨への指令であるので、声を発する(すなわち、それらを閉じること)ために同時に指令を受けるとき、喉頭の中に、非常に疲れる自然の筋肉の対立が生まれるだけでなく、発声の見地からもさらにより悪いものとなる。声門唇の完璧な接近は、行為のまさしくその自然現象によって不可能になる。呼気の行為によって声の完全な聞こえ度を訓練することは、完全に不可能である。

歌手が故意の審美的効果として気息質の音を生み出す症例を除いて、声門の唇によって費やされる息の量は、完全に音の高さと強さに依存する。歌手の気管の先端は閉ざされ続けなければならない;そうでないならば、音はきわめて急速に聞こえ度を失う。他方、きわめて最初の瞬間から、弟子が十分に接合された声門の唇で歌うことを学んだとき、音の鳴りの急増は常にまったく驚異的である。

喉頭の発声行為は、すでに述べた、圧力の継続的な行為からなり、一種穏やかであるが、しっかりした「母音の調音(首の後ろの方に傾く気管での)」を伴なう、ちょうど、管楽器奏者が「アーティキュレートする」、すなわち「舌を使って吹奏する」彼の楽器の管の中に音を入れるように。母音は、いわば、押されるべきであり、決して引かれてはならないことは絶対的に重要である;その後のケースでは、楽器の反動がなく、音は喉音で飲んだように聞こえる。この行為は、(Manuel Garciaによって「クープ・デ・グロッテ」と呼ばれるアタックの形または声門の打撃となるときの)息の閉塞(a stoppage of the breath)から実行されることができるか、 または、それが、(昔の教師が「vibrazione」または喉頭の振動と呼んだものとなるときの) 息の休止(a pause of the breath)から実行されることが出来るかのどちらかである。それが、呼吸の途切れることのない「イン-アウト(出し入れ)」行為の一部としてなされるならば、それは常に間違っている。瞬間的な息の休止または閉鎖は、音が始まる前に常になければならない、そして、弟子はこの休止がなされていることを確実にするために、注意深く監視されなければならない。音の連続的な「イン-アウト」アタックは、バイオリン奏者が不注意に弓で弦をたたくことによって音を始めるときと同じ性質である。喉頭は常にアタックの準備ができていなければならない、たとえ高くても低くても、音がどの位置にあろうとも。

これらのアタックの形は両方とも正しい、しかし、第1のは、第2のものよりわずかに効率的である、何故ならば、それが、音により鮮明なスタートを与え、歌手にコントロールのわずかにより効率的なポイントを与え、そして、歌手が維持することができる、より完璧な接近のために、より豊かでより深い音を生み出す。接近に於けるこの改善の原因となるものは、きわめて興味深くて、声のトレーナーの側にも十分に理解する価値がある。

音が、息の休止から開始されるとき、声門唇のメカニカル状態は、圧力不均衡なものとなる、なぜならば、声門唇より上は「ゼロ-圧力」の状態になり、そして、それら下の「プラスの圧力」が素早く増強され;そして、披裂軟骨が声門唇の縁をピッタリ接近させるのは、この圧力の増強中のことである。披裂筋筋肉はその時、急速に増大する圧力量に対して、互いに唇の縁を引く仕事に直面する。しかし、一方では、音が息の閉塞から開始されるとき、接近中のメカニカル状態は圧力平衡のものである。
ブレス-ストッピング・メカニズムは、同等の圧力量が声門の上下にあるように、声門唇より上の小さな間隔に位置する仮声帯から成る。今、等しくされた空気-圧力のメカニカル状態は、全く圧力のない状態と同じである。1平方インチにつき14.7ポンド空気の圧力があなたの窓ガラスの両側にあるので、薄いガラスでも壊れない。部屋の中の空気を消耗するならば、圧力がただ外側だけにかかり、窓は中へ押されて、ガラスは粉々にされるだろう。同様に、息が止められるとき、声門唇の両側面へ圧力が均一に掛かるため、披裂筋は互いにそれらの縁を合わせることを成し遂げるための圧力量を持っていない。接近はその時、まさに音の深さと豊かさにそんなに大きな違いを作る、少しの付け加えられた効率によって成し遂げられる。
今や、声門の打撃の練習が、学生歌手の喉頭に多くの害を与えたことを否定することはできない。障害の原因は、単にある大歌手達によって使われたときそれが優れた結果を与えると思われたからと言って、彼らが理解してもいない何かを教えようとした教師のまずさのせいに違いないということは、実に嘆かわしいことだ。そういう教師によって犯される基本的な間違いは、声門の打撃を、重い圧力からの爆発的な解放のようにみなすことであった、ところが、現実に、それは基本的に軽い圧力への穏やかで熟練した行為である。

声門打撃を教えるとき、留意する2つの圧力の要素がある。最初の要素は、もちろん、仮声帯の閉鎖によってもたらされる空気-圧から成る、そして、これは可能なかぎり軽く保たれなければならない。第2の非常に重要な要素は、胸の圧迫の行為によって生れる物理的な圧力の感覚から成る、そして、仮声帯が開いたあとまでこの感覚は続く。仮声帯によって息を止める目的のすべては、披裂軟骨の前突起がより強い堅固さで互いに押しつけるのを可能にすることだ。したがって、声門の打撃を用いる歌手は、常に楽器に対して、それの下にある軽い圧力からより堅い圧力へ移らなければならず、決して重い圧力から圧力の消失へではない。息が重い圧力によって止められ、次にアタックの瞬間に急激に押し出されるならば、喉頭は、筋肉のすべてを破壊的な衝突に陥れる厳しい爆発に従わせられる、そして、多くのダメージがそれの上に加えられる。このようなやり方で音を開始するとき、弟子は初めのうちは維持することが非常に難しい心理的状態を取ることを学ばなければならない。彼は、音を純粋に物理的な行為(すなわち、胸の圧搾)の生産物と考えなければならず、想像的な意志の行使によってもたらされる何かではない。ちょうどピアニストが彼の指でキーを押し下げることによって、またはバイオリン奏者が弦を横切って弓を押すことによって音を生み出すように、 ―各々のケースの音は、歌手の想像的な意志とは関係がない ― そのように、歌唱生徒も、閉ざされた気管による「ボーイング」によって彼の音を生み出さなければならない。

基本段階の生徒のための最もよい練習方法は、閉じた口での声門打撃の実施である。母音の空洞がある場合は難しくなく、実行することはかなり楽である、そして、同じように、子音が先行する母音の時よりむしろ単独母音の上でより楽である。学生はそれゆえに、ハミングすることから母音発声に、そして、母音発声からソルフェージュの練習へ、あるいは-大陸式であるソル、ファが、この国で使われないので ― 注意深く組み立てられた言葉と音の練習に進まなければならない。

3つの必須ポイントに留意しなければならない。第1には、決して喉を意識するようになってはならない。部分部分ではなく、全体的に考えなさい-喉頭腔に関する知的探究のようなもので、喉頭を見つけようとしてはならない。第2に、楽器の「チューブ」は喉頭の後ろにあるので、母音は頸部の後ろに向かって明瞭に発音されなければならないことを常に忘れてはならない。第3の、そして、最も重要なことは、決して、決して口腔で感じようとするのではなく、常に中声のために咽頭で、低声のために胸で、高音のために頭で響きを感じようとしなさい。高くまでハミングの練習をしてはいけない;音が高くなるほど、開くためにより多くの空間を持たねばならない;、そして、何よりも練習は穏やかに。声門の打撃を、唇による音節「パー」の調音と同じ性質を持つものとみなしなさい-しかし、あなたの口の中へではなく、あなたの喉のまさしくその最下部での、声門による母音の調音。それは常に圧力への行為である;あなたは、まるでそれが音の流れに反対の方向に押されているように、気管の閉ざされた先端が軽い反動活動を受けているのを、感じるはずである。それでも、このはね返りは、ライフルのはね返りのように、突然でも短くも無く、水の噴射で、後ろに絶え間なく押される消防ホースの継続的なはね返りのようである。
私がこのポイントについてくどくど言うことを読者が許してくださることを望みます。声門の打撃として知られているアタックのメソッドは、最も偉大な声の開発者となるか、最も速い声の破壊者になるかのどちらかで、それは、それが実行されるやり方によって完全に決まる、そして、それは、ただ悪影響の代わりに有益なことを生み出す、後方に音を演奏することと、連続する気管の反動を保つそれらの2つの小さな違いである。あなたが、口から母音を放つために空気銃のように喉頭を使うならば、あなたは楽器にあり得る最も大きなダメージを負わせることが分かるだろう。穏やかに使われて、息の適切な管理を伴うならば、それは他の誰もなしえなかったくらい、あなたの声を成長させ、強化するだろう。「声」と呼ばれるものは、まさにピアニストの「タッチ」またはバイオリン奏者の「ボーイング」が筋肉のセットであるように、結局のところは、筋肉のセットであることを忘れてはなりません。たくみに、穏やかに使われて、それらは大きな強さとしなやかさを生み出す:下手に、容赦なく使われたならば、それらは多くのトラブルを与えることになる。