Teaching Singing
歌唱指導

第2章

CONCEPTS OF VOCAL PEDAGOGY
声楽教育の概念

「教育学(ペダゴジー)」とは、ウェブスター辞典によれば、教える技術、実践、または職業を指す。特に、教育の原理と方法に関する体系化された学習や指導を意味する。フィールズ(B206. 1947, p. 16)は声楽教育学を「歌唱の芸術を発展させ、鍛錬し、実践するための原理、規則、手順の総体。そして、所定の学習課程や技術的訓練による養成の過程」と定義している。

THEORIES
理論

Introductory Concepts
導入概念

 

歌声

ジャドソンとウィーバー(B344. 1965年、p. xviii)によれば、声とは喉頭の振動に共鳴を加えたものであり、無意識的な場合も意図的な場合もある。歌唱および歌唱声に関する定義は、多くの研究者によって試みられている:

声はあらゆる楽器の中で最も古く、また生まれたばかりの赤ん坊にとって最も新しい。最も原始的でありながら最も洗練されている。鳥や獣、あらゆる人種に共通しながらも、一人ひとりにおいて唯一無二である。自己表現の手段として、また歌い手と聴き手の間のコミュニケーションとして、最も親密であり、かつ最も使いやすい。 人間の声は、最も愛らしい楽器にも、最も煩わしい楽器にもなり得るのだ[B28. Ashworth 1956, p. 275]。

良い歌唱とは、よく調律された楽器―すなわち人間の声―を巧みに演奏することである[B250. Gardiner 1968, p. 3]。

歌うとは、実はエネルギーを音へと変えることだ[B341. William E. Jones 1947, p. 3]。

人間の声は、心と精神と魂を持つ唯一の楽器である[B124. Cooke 1952, p. 15]。

13/14

表1. 声楽教育学の要約
(「Teaching Singing」の記述数)—(「Training the  Singing Voice」の記述数)


I. 声楽教育学理論

A. 導入概念 41—34
B. 予備的考察

1. 声楽学習の利点 8—10
2. 声楽学習の前提条件 27—20
3. 声楽トレーニングの期間 10—13

C. 声楽訓練の目的 36—23
D. 主要な生理学的な要因としての連携 23—14

1. 声楽トレーニングは標準化できる 7—13
2. 声楽トレーニングは標準化できない

II. 声楽教育の方法

A. 心理学的アプローチ

1. 心理学的アプローチの重要性 36—63
2. 習慣形成としての発声訓練 13—14
3. 歌うことという自然な機能

a) 発声行為は無意識的かつ不随意である 26—58
b) 自発性と自然さが特徴である 32—19

4. 発声器官を解放する

a) 声楽訓練におけるリラクゼーションの要素 22—42
b) 労力の節約の原則 47—51
c) 抑制や恐怖を克服する 18—21

5. 自己表現と喜びの解放としての歌唱 19—52
6. 話すことと歌うことの比較 31—53

14/15

B. 技術的アプローチ

1. 技術的な原則と目的 29—19
2. 筋肉の干渉を取り除く 39—23
3. 初心者の対応

a) 声の分類 53—30
b) 最初のレッスン 25—15

4. 歌のアプローチ

a) 歌は技術的な練習として有用である 9—24
b) 発声練習は技術的練習として好ましい 16—10

5. 実践において用いられる原則と手順

a) 声楽練習の原則 26—10
b) 練習習の監督 10—9
c) 手段としての声を出さない練習 4—5
d) ピアノ伴奏 14—8
e) 練習における様々な要素  15—18

合計 640—–690


歌唱とは……音域と力強さの両面で拡張された発話である[B617. Slater 1950, p. 6]。

歌手の立場から言えば、良い歌唱とは神経と筋肉が連携した運動機能が正しく働く行為である[B397. Lindquest 1955, p. 20]。

歌唱は身体的というよりむしろ精神的である[B540. Ririe 1960, p. 35]。

あらゆる技巧的な歌唱は心的操作である。歌手はまずそれを感覚として思い描かずに音程を歌うことは不可能だ[B18. Appelman 1967, p. 9]。

歌声を鍛える

ビクター・アレクサンダー・フィールズは、『Training the Singing Voice』(B204.  p. 20)の中で、声の文化を、歌声の体系的な訓練と同義語として定義している「これは、歌における声の表現という芸術的パフォーマンスに必要な精神的・身体的能力を育成する目的で、個々の生徒に対して体系的な指導と練習を施す過程と定義できる。」

15/16

様々な側面からアプローチする歌唱訓練法は、「メソッド」から「生徒一人ひとりに合わせた方法」まで多岐にわたる。この両極端なアプローチの間で、特定の教授法や歌唱指導の哲学は、様々な度合いで用いられ、人気を博してきた。一部の声楽の権威は、最も顕著な教育手法にラベルを貼り分類しようと試みてきた。それらの著作から代表的な例を以下に挙げよう:

声楽教師は大きく二つのグループに分けられる。一つは、声のコントロールは意識的で直接的であり、生理学者の詳細な科学的知見に基づくべきだと考える者たちだ。もう一つは、声のコントロールは間接的で、主に無意識的、自動的、あるいは反射的であり、音のイメージに基づくべきだと考える者たちだ。 一方は生理学的アプローチ、もう一方は心理学的・美的アプローチである。前者のグループは一般に「機械論者(Mechanists)」と呼ばれ、後者のグループは「経験論者(Empiricists)」と呼ばれる[B111. Christy 1961, p. 135]。

第1の教授法は、メカニカルな哲学がある。本質的にこれは、歌手が歌唱行為の身体的な細部をすべて学び、それらを調和させるよう自らを鍛えれば、良い音色を生み出せるということを意味している。これが指導における「科学的学派」である。… 第2の教授法は、イメージを用いたものである。その哲学は、身体的な詳細が不明であるか、あるいは直接コントロールできない場合でも、良好な音の生成体験は比喩を用いて説明することができ、それによって学習者がそれを理解できるようになるというものだ。… 第3に、実演という方法がある。その考え方は、良い音色を生み出す過程を客観的にも主観的にも十分に説明できない以上、実際にサンプルを提示するのが最善だというものだ。… 第4の哲学は「話すように歌え」という標語に集約される。これは、多くの学生が美しい歌唱の響きについて人工的な概念を抱いていること、そして「芸術的」であろうとする作為的な努力よりも、彼らの話し方の習慣の方が声の生成にとってより良い基盤となることを示唆している。… 第5のアプローチは、歌って学ぶ方法だ。…  最後に、第6の哲学はインスピレーションと呼べるかもしれない。「心理学的アプローチ」という表現がよく使われる。本質的には、生徒が持つ可能性は、それが開花するための好ましい環境さえあれば十分であり、それは内側から芽生えるものであり、外側から形作ろうとする努力はむしろそれを萎えさせる可能性が高いという信念だ[B705. Vennard 1958, pp. 4-5, 22-24]。

16/17

ロス(B559. 1959, p. 26)は、歌唱指導のさらなる区分、方法、あるいは楽派を考案した:

1. ベルカント
2. 感情的な
3. 解釈的
4 自然
5. 心理的
6. 共鳴
7. スピーチ
8、生体協調
9. 局所的努力(身体的)
10 現代科学
11. 音声的プレースメント
12. 心理生理学的音響学
13. 声区
14. 呼吸

予備的考察

声楽学習の利点

プロの歌手を目指すという理由以外で、歌を学ぶ理由として以下のようなものが挙げられる:

声楽教師はもっともっと強調すべきだと思う。少年少女は文化的財産として歌唱を学ぶべきであり、歌唱という心身の動作をコントロールする能力を獲得することは、子供たちに与えられる最も優れた訓練であるのだ[B588. Samuel 1948, p. 297]。

一般的に声では不可能と考えられていることを達成しようと努力することによって、声は平凡から卓越へと高まることができるのだ[B120. Collins 1969b, p. 19]。

声を学ぶ最も重要な理由は……究極の喜びと満足を得ることにあるべきだ[B111. Christy 1965, p. 1]。

歌唱の学習は、深い呼吸の練習によって身体的健康を改善するだけでなく、感情の解放と歌唱がもたらす喜びによって精神的健康も向上させると多くの人が考えている[B559. Ross 1959, p. 24]。

17/18

歌を歌うことは社交の理想的な機会を提供する。実際、歌い手と聴衆の間のコミュニケーションは、社会的な成熟をもたらす最も強力な手段の一つとなり得るのだ[B261. Gilliland 1954, p. 5]

声楽学習の前提条件

誰でも歌えるのか。–27名の著者の意見に基づくと(表1)、歌唱の成功に必要な前提条件として、身体的、想像的、そして生来の要素が数多く存在する。ミコライディ(B496. 1962, p. 130)は、同じくらい重要ないくつかの点を強調している。活発で機敏かつ柔軟な身体、様々な感情を表現する生き生きとした表情、どの言語においても明瞭で自然な発音、そして音楽的な心だ。 ダグラス・スタンレー(1950,p. 52)は次のように列挙している:「優れた聴覚、集中力、エネルギー、演技力、音楽的感覚、それに加え身体的な筋力による技能」

優れた耳を持つことは不可欠である。「音楽的聴覚、すなわち音の高さを想像し再現する能力を、最も重要な前提条件として挙げたのは、十分に熟考した上でのことだ」 (B345. Kagen 1950, p. 13)。 「『芸術的聴覚』は、現代の声楽指導が通常基づく主要な要素である」(B366. Kwartin 1963, p. xii)。「歌唱指導は、その大部分が聴音訓練の指導である」(B537. W. Rice 1961, p. 10)。

「想像力、気質、そして人格は重要です。「神聖な炎を持つか持たないか、それだけです」(B337. Jeritza 1947, p. 185)。「作者の意図や作曲家の意図を忠実に伝えるために必要な気質を備えていることこそが、優れた歌唱の基盤であることは明らかである」(B274. Graves 1954, p. 72)。 「教育において最も残酷な行為の一つは、生徒に偉大な声楽家としての未来が待っているとほのめかすことだ。教師が…その生徒に歌手として大成功を収めるのに役立つような個性が欠けていると知っている場合にこそ」(B124. Cooke 1952, p. 15)。

歌うという欲求は極めて重要だ。 「歌手になる上で最も重要な要素は、願い、欲望、衝動、欲求、そしてどんな困難があろうとも歌手になりたいという圧倒的な衝動だ」(『Vocal Success …』1952, p. 31)。「教師の資質は、生徒の学びたいという欲求よりも重要ではない」(B422. MacNeil 1962, p. 24)。

18/19

他の前提条件も強調されている。「音楽性、言語力、舞台上の振る舞い、人格、そしてあらゆる補助的な要素は高く評価されるかもしれないが、声そのものがそのアーチの要石なのだ」(B474. Mowe 1954, p. 3)。 ダーギン(B176. Durgin 1953, p. 23)は、多くの男女が潜在的に優れた声を持っているが、優れた歌唱に必要な他の資質を欠いていると指摘する。こうした生徒たちは、自分自身と教師に多くの問題を抱え込ませる。ヴルバニッチ(B730. Vrbanich 1960, p. 8)は「悪い声など存在しない。悪い教師によって不適切に訓練された声があるだけだ」と示唆している。
スタウト(B632. Stout 1955a, p. 10)は、声の基礎的な生理学に関する知識が前提条件であるべきだと独自に示唆している。

声楽訓練の期間

声楽の勉強を始める時期について。–ヴォーカルトレーニングの開始時期については意見が分かれるが、一般的に成熟度が重視される傾向がある。ピンツァ(B516. 1950, p. 11)は19歳で始めた。16歳では声はまだ発達していないと彼は考えている。マンション(B433. Mansion 1952, p. 15)によれば、歌の勉強を始めるのに早すぎることも遅すぎることもないという。フックス(B244. Fuchs 1964年、24ページ)は、決まったルールはないと述べている。男子は17歳になるまで決して始めるべきではないが、女子はそれより早く始めても構わない「高校生の年齢で歌を学びたいという意欲を持つ女子は、声楽の勉強を始めるべきだ。男子の場合は、本格的な勉強を16歳頃まで延期した方が良い」(B643. Sunderman 1958, p. 7)。「まず声の成熟がなければ、ヴォイストレーニングはできない」(B607. H. Shaw 1948, p.15)。

学習期間について。–声のトレーニングにかかる期間については、意見が分かれる。ウェスターマン(B754. Westerman 1955, p. 60)は、発声練習において特定の英語の音節を賢く使うことで、数ヶ月で完全な共鳴音を実現できると主張している。 ユージン・コンリー(B121. Conley 1950, p. 14)によれば、声の分類が確立された後、声を適切な位置にプレイシングするには数か月かかるかもしれない。「根本的な改善は 20 から 30 回のレッスンで達成されるべきである」(B291. Harvey 1955, p. 29)。「1年か2年、おそらく3年か4年……」 (B637. Stults 1950, p. 24)。 「少なくとも二年間の毎日のレッスンが必要だ……」(B258. Gerry 1948, p. 6)「少なくとも二、三年はかかる……」(B380. E. Lehman 1945, p. 195 および B88. R. Brown 1946, p. 121)。

19/20

しかし最初の3年間で重視された要素は、歌手の成長と共に変化していく。その時期の3つの切り離せない要素は、母音、ピッチ、そして拍子だった。… 技術こそが全てであり、生徒の世界の始まりであり終わりだった。今やその道具は、より当然のものとして扱わねばならない。人は歌うべきだ。しかし、何のために歌うのか――理由があってこそだ[B647. Swing 1953, p. 6]。

総括的な目的

教師と生徒の双方に明確な方向性や具体的な目標がなければ、知識の蓄積や音楽芸術の向上は往々にして誤った方向へ進む。「目的は、生徒が自立した存在へと成長し、より高次でさらに高次の芸術的自己表現を実現できる方向へ導くことにある」(B173. Duey 1959, p. 16)。
スタウト(B633. Stout 1955, p. 10)は、学生が何か稀有なものを備えているという考えに浸ることを許すよりも、むしろパフォーマンスの向上に重点を置くべきだと述べている。その稀有さ自体が成功を保証するわけではないからだ。これに対し、デュバル(B181. Duval 1958, p. 178)は、教師の第一の目的は個性を育むことだと付け加えている。ボレウ(B68. Bollew 1954a, p. 49)は3つの一貫した目標を指摘している:「正しい発声法、優れた音楽教育、そして食事・身体・衛生に関する規則の広範な遵守」である。ハルズ(B324. Huls 1947, p. 199)は、学生が教養ある人間になることが最も重要だと述べている。クリスティ(B114. Christy 1967, p. 14)は包括的なリストを提示している。彼はこれを「歌唱を学ぶ上での十大原則あるいは目標」と呼んでいる:

1. 積極的な好奇心、喜び、そして自信に満ちた態度。
2. 賢明で規則正しい練習習慣。
3. 活力に満ち、背筋が伸び、開放的な姿勢。
4. 効率的な横隔膜・肋骨呼吸コントロール。
5. 自由さ、活力、表現豊かな色彩、効率性、響き、そして音の均一性。
6. 正確で明瞭かつ美しいディクションの習得。
7. レガート技法の習得。
8. 敏捷性と柔軟性の技術の習得。
9. 繊細で知性的、そして感動的かつ表現豊かな解釈。
10. 自然で優雅、落ち着きがあり魅力的な舞台上の存在感。

20/21

主要な要因としての連携作用(Cordination)

「生理学」とは「人体の器官や部位の生命機能に関する学問」と定義される。声は声道の機能によって生じるものであるから、ヴォイストレーニングに関する科学は、その母体となる科学である生理学から派生した専門分野と見なすことができる(B204. Fields 1947, p. 26)。リンクエスト(B397. 1955, p. 20)は、良い歌唱は運動機能と神経筋が正しく連携した結果だと述べている。アッペルマン(B18. 1967, p. 9)は、芸術的な歌唱とは呼吸、フォネーション、共鳴、発音という身体感覚を瞬時に連携させる行為だと付け加えている。「脳が様々な感覚経路から入ってくる情報を連携させる能力がなければ、発声メカニズムの連携作用もなければ、歌うことも起こりえないだろう」(B614. Simmons 1969, p. 15)。歌唱メカニズムの円滑な連携作用は、その各部分に集中することによって決して乱されてはならない(B514. P. Peterson 1966, p. 5)。

訓練の標準化は可能か?

歌唱指導の方法やアプローチが多様である以上、標準化されたヴォーカルトレーニングの可能性について疑問が投げかけられるのは避けられない。

発声法を標準化できない理由などない [B562. Ross 1964, p.31]。

良い声は、一人ひとりに合わせて鍛えなければならない [B166. Donath 1959, p. 90]。

可能であれば、すべての声は同じように訓練されるべきだ……しかし、発声には一つの理想がある [B714. Vennard 1967, p. 158]。

「生徒の数だけ『方法』があるべきだ」と言えるだろう[B533. Reid 1950, p. 97]

全く同じ仕組みをなす発声メカニズムは、十数種類もの様々な訓練法よりも、普遍的な一つの体系によって最も効果的に鍛えられると信じる方が、自然の法則に遥かに合致しているのだ[B369. Lamberti 1954, p. 63]。

そのやり方は教師によって異なる。いずれにせよ、そうした方法は職業上の秘密であり、文書化してはならない[B347. Kay 1963, p. 75]。

21/22

声を標準化された体系として教えるという考え方は、声楽芸術を教える者すべてにとって忌むべきものである[B17. Appelman 1967, p. 3]。

 

METHORDS OF VOCAL PEDAGOGY
発声教育学の方法

心理学的アプローチ

心理学的アプローチの重要性

望ましい声質に関する心的イメージは重要だと、36名の著者が述べている。「ほとんどの歌唱は声ではなく、耳と脳で行われる」(B152. DeLuca 1946, p. 435)「声楽技術の習得は、歌唱に関わる筋肉以外要素のコントロールをまず獲得することに主眼を置くべきだと考える」(B345. Kagen 1950, p. 92)。多くの教師は当然ながら、あらゆる技術の前提として精神的概念を強く重視している(B714. Vennard 1967, p. 49)。「歌唱を教えるとき、我々は人間の精神によってコントロールされる人間の身体を扱っているのだ」(B773. Widoe 1955, p. 12)。

確かに、発声技術における機械的な欠陥は修正されねばならない。しかし、コントロールは心理的なものであり、したがって、生徒の心理もまた修正されねばならないのだ[B254. Garlinghouse 1955, p.5]。

訓練中に考慮すべき精神的概念には、3つ別個の側面があると推測される: (1) 長年にわたる個人的な認識を通じて形成された発声概念、(2) フォネーション開始時にこの概念を自動的に事前形成し、せいぜい習慣的で慣れ親しんだ経験を繰り返すこと、(3) 発声に関わる喉頭筋と咽頭筋の連携作用に変化を起させるため、この概念を再形成する必要性 [B534. Reid 1965, p. 102]。

習慣形成としてのヴォイストレーニング

「発声器官が適切に調整された際に発声できる理想的な音を絶えず追求することが、最高の声の成果を得る最良の方法である」(B124. Cooke 1952, p. 63)。

22/23

発声練習の目的は、正しい歌唱習慣を声に定着させ、それが第二の天性として残るようにすることである(B590. Bidu Sayao 1953, p. 12)。 「技術は完全に無意識で自動的なものとなるほど、確固として確立されねばならない」(B209. Fisher 1965, p. 13)。「習慣形成の心理全体を理解しなければならない。我々は生徒に教えるのではなく、助言するのではなく、彼らを訓練するのだ」(B158. De Young 1953, p. 8)

潜在意識内に新たに獲得した「歌唱」中枢が一定の能力と熟練度を獲得するにつれ、それは歌手のあらゆる動作、特に発声器官の様々な調整に関わる部分において、ますます主導的かつ補助的な役割を果たすようになる。言い換えれば、我々の中枢は次第に知的な自動性を獲得するのだ[B305. Herbert-Caesari 1965, p. 54]。

自然な行為として歌うこと

ハーバード辞典(1969, p. 918)は「天然の歌手」を「声楽的に訓練を受けていない者」と定義し、そうした歌手は「適切な筋肉の使い方と連携作用を本能的に知っている」と述べている。形式的で規律ある歌の枠組みにおいては、この状態は強く望まれる。もし備わっていなければ、模倣すべきものである。

発声行為は無意識で自発的なものだ。–「言葉を覚えるずっと前から、幼児はメロディアスな音を鳴らすことに喜びを感じる。それは言葉とは異なり、『学ぶ』必要がないのだ」(B326. Husler and Rodd-Marling 1965, p. 95)。発声器官は意識的なコントロールの対象ではない(B793. Zerffi 1957, p. 64)。発声器官がどのように機能するかは、我々が発声器官に多少の力やテンションを及ぼすこと以外には、我々のコントロールを超えている(B429. Mallett 1963, p. 9)。その結果として生じる声帯の振幅が音を発生させる……その音は空気の波動から成り、その伝播速度はおよそ毎秒1,100フィート(約335メートル)である。この速度は……我々の筋肉によるコントロールを超えている(B789. Young 1956, p. 17)。自然に歌うためには……理想的な状態では無意識の行為を、意識的に演奏することを学ばねばならない。十分な時間があれば、彼らにとっても自動化された知識となるだろう(B398. Litante 1959, p. 6)。発声訓練における究極の知識とは、可能な限り多くの知識を意識から無意識へ移すことである(B305. Herbert-Caesari 1965, p. 56)。

23/24

自発性と自然さが主な特徴。「人間の声を正しく生み出す方法はただ一つしかない。それは身体の機能に作用する自然法則に完全に従う方法である」(B777. Wilcox 1945, p. 1)。初歩的なヴォーカルトレーニングは全て、動作中のスピーチ(発話)器官が本来持つ自然な調整状態を回復させることを目指す、矯正的な性質を持たねばならない(B638. Stults 1951, p. 15)。我々は、歌唱を一連の分離した孤立した「問題」ではなく、不可分かつ自然な行為として捉え始めた時に、一歩前進するのだ(B736. Leonard Warren 1949, p. 149)。他の筋肉コントロールを伴う活動と同様に、歌唱は自発的であるとき、あるいは自発的に見えるときに最も容易で効果的である[B758. Wheeler 1954, p.8]。声は身体組織の自然の一部であり、したがって人工的な処置より自然な処置を必要とする[B649. Tagliavini 1948, p. 581]。彼の技術がより無意識のものになるほど、彼の歌い方はより自然になるのだ[B227. Freer 1959b, p. 21]。発声器官全体は神経に囲まれており、それらは自発的に最も内なる思考を反映するのだ[B124. Cooke 1952, p. 20]。

発声機構の解放

発声における自由さは、広く認められる特性である。この要素はさらに次の三つに分類できる:(1) リラックス、(2) 力の節約、(3) 人前での緊張や恐怖の克服。

発声訓練におけるリラックスの要素。「喉と顎をリラックスさせる良い方法は、息を潜めて『アー』と柔らかく話すことだ」 (B257. German 1952, p. 32)。 「フォネーション時には決して機能させてはならず、比較的リラックスした状態を保つべき部位がある。すなわち胸部、肩、首、顎である」(B622. Stanley 1950, p. 63)。物語を語ることに集中すれば、発声について心配する必要がなくなる。その結果、喉の緊張がほぐれ、自然な歌声が身につく傾向がある(B432. Manning 1946, p. 135)。

24/25

純粋なイタリア語母音は、リップアクションが少なく、よりリラックスした発声をもたらすため、歌唱における最良のアプローチである(B309. Hines 1951, p. 49)。「最も大きな喜びの一つは……歌手たちが、ディクションの明瞭化が声のリラックスと音質の向上に役立ったと語るのを聞くことだった」(B436. Marshall 1953, p. 2)

歌唱における部分的あるいは完全なリラクゼーションの生理学的正確性には多くの疑問がある。ローズ(B551. Rose 1962, p.44)は「あらゆる身体訓練指導者は、筋肉が一定の緊張状態に置かれることで発達することを知っている」と述べているが、一部の教師は「声は何か神秘的な点で異なり、リラクゼーションによってのみ発達させられる」と信じ込ませようとする。 「歌唱における一般的な原則として身体の完全なリラクゼーションを推奨することは、生理学的にも心理学的にも不適切である」(B111. Christy 1961, p. 26)。
「私は『不必要な緊張のすべてを解きほぐす』という表現を用いた。これらは、入念な学習によって、自然な音色を生み出すために不可欠ではない筋肉の活動をすべて切り離すことができる部分である」(B86. O. Brown 1953, p. 16)。

 

労力の節約を原則とする; 努力するvsただ任せる。–このカテゴリーにおけるキーワードは、楽さ委ねる、そして労力を使わないことだ。

歌うことは心身ともに大きな労力を要する–しかし我々はその労力を感じさせない歌い方を装わねばならない[B252. Gardini 1950, p. 2]。
何を歌うにせよ、彼は次のことを感じるべきだ:(a) もっと高く歌える、(b) もっと大きな音量で歌える、(c) 音をもっと長く保てる[B244. Fuchs 1964, p. 85]。

最小の努力で最大の響きを伴う音量は、常に倍音を最大限に含む理想的な音である[B113. Christy 1965, p. 49]。

ほとんどの歌手は、自らの歌手生活の中で、歌うことに何の苦労もなく、束縛から完全に解放され、歌で自分を表現したいという飽くなき欲求に満ちていた特定の日々を覚えているものだ[B552. Rosewall 1961, p. 41]。

声が自由に歌えるとき、声楽の演奏は楽しく満足できる経験であるべきだ[B514. P. Peterson 1966, p. vii]。

25/26

柔軟な音は弾力性がある。それは流れるように軽やかに響き、音質の基本的な活力を失うことなく解放される印象を与えるのだ[B160 De Young 1958, p. 89]。

緊張や恐怖を克服する。「正しい技術、落ち着き、そして自信が、声の緊張という問題と、そこから生じる危険を克服するのだ」(B514. P. Peterson 1966, p. 73)。我々の大半は、実際に「解き放つ」こと、そして歌の中で自由に表現すべき感情を全身全霊で解釈することに、この上ない恐怖を抱いている。友人たちが、我々が気取って見せびらかそうとしている、あるいは歌の感情を誇張していると思うのではないかと恐れているのだ(B754. Westerman 1955, p. 137)。何よりも、自分が馬鹿に見えることを恐れるな。恥ずかしがり屋でいながら同時に歌手であることはできないのだ(Bairstow and Greene 1945, p. 34)。

これによって、生徒を褒める際の誠実さという問題が浮上する。これは微妙な点であり、生徒ごとに異なる基準で判断すべきものだ。劣等感に対処するにあたっては、重病の患者を抱える医師と似たような状況にある。そのような時、患者が持ちこたえるための嘘は正当化される。往々にして、行為の倫理性は動機に依存するのだ[B700. Vennard 1953c, p. 6]

恐怖は最も一般的な不健全な精神状態である[B385. Lester 1950, p. 178]。

自己表現としての歌唱/歓喜の解放

芸術的な歌唱は、ある気分や感情、あるいは考えを表現したいという欲求から生まれる。「それは自分自身と感情を分かち合いたいという欲求であり、真摯で慈愛に満ちた優しさが組み合わさることで、偉大な人格が生まれるのだ」(B761. Whitlock 1960, p. 32)。
「最高の音とは、単に自分の中から音楽的な意味を引き出し、それを聴く者の心の中へと届ける手段に過ぎない」 (B399. G. London 1953, p. 18)。聴衆に対して、誠実で好感の持てる人物として自分を「売り込む」のだ。聴衆全体に向かって話し、歌い、決して特定の個人を見ないことだ(B377. F. Lawson 1944,p. 67)。

多くの教師は、生徒が効果的に聴衆と交流した際に驚くべき成長を遂げるのを目撃してきた[B261. Gilliland 1954, p. 5]。

26/27

彼女の本性に従い、その豊かな理解力によって、彼女は歌うフレーズの内なる意味を表現し、それを聴衆に伝えるだろう[B181. Duval 1958, p. 111]。

歌唱における第一の目的は、意味とその付随する感情を伝えることである[B160. DeYoung 1958, p. 63]。

声楽の生徒は、もし自分の発声器官を最も効率的に働かせたいなら、浮き立つような気分を確立しなければならない。その気分はどうやって呼び起こせるか? 想像力を駆使することでだ![B777. Wilcox 1945, p. 14]

歌うことは、結局のところ単純で自然発生的かつ精神的なプロセスだ。精神的な態度の中では、喜びが最も大きな助けとなるだろう。幸福な心境は、発声器官を最適な関係と位置に整えることに大いに寄与するのだ[B270. Gould 1949, p. 6]

話すことと歌うことの比較

歌唱と発話を関連付ける喩えがしばしば用いられる。「話すように歌え」を主張する理論的立場は20の声明で示されている。この概念に反対する立場は11の声明で示されている。

歌唱は通常、持続的な発話であるか、あるいは発話の構成要素となり得る持続的な音で構成されるものである[B677. Treash 1947, p. 3]。

語れ、そして息に歌わせよ[Puritz 1954, p. 23]。

歌うことは、単に感情の高ぶった状態での話し言葉に過ぎない[B389. Levinson 1962, p. 1]。

感情的なストレス下での発話こそが、歌の始まりである[B64. Bollew 1951, p. 58]。

歌うことは、話すことの拡張であり、高揚である[B106. Cates 1951, p. 7]。

私は話すように歌い、歌うように話す――すべて強い横隔膜の息で[Mary Garden, as quoted by B200. Fellowes 1952, p. 50]。

27/28

歌手の才能のすべて、技術の完璧さのすべて、規則の遵守のすべては、もし彼の歌い方が歌における語りでないなら、ほとんど無意味だと言える[B186. Eberhart 1962, p. 8]。

話すように歌うことが可能だと私は信じている。しかも、話し言葉の微妙な抑揚をすべて伴って歌えるのだ。だからこそ我々は言語を正しく発音すべきである。つまり純粋な母音で、である[B39. Baker 1963, p 9]。

「話すように歌う」という概念を否定する人々は、以下の発言にその考えが反映されている。「歌唱は単なる持続した発話ではない」(B687. Vail 1953, p. 22)。 「声を楽器として使うことには違いがある。歌手の過ちの大半は、話し方の筋肉の動きや習慣に起因する」(B730. Vrbanich 1960, p. 8)。「歌うことと話すことのもう一つの違いは、言葉の聞き取りやすさがそれぞれ異なる要因から生じるということだ」(B458. Middleton 1951, p. 50)

歌唱を学ぶことは、発話能力の適切さと直接的な相関関係はない[Bakkegard 1953, p. 25]。

「話すように歌う」というのは、長い散歩をすればバレエが習得できると言うのと同じくらい馬鹿げた話だ![B250. Gardiner 1968, p. 31]

技術的アプローチ

技術的原則と目的

教育辞典によれば、技能を体現する教材を提示する具体的な方法は、教育における技術的アプローチを形成する。
リード(B533. 1950, p. 108)は、発声理論を構築する際に求められる直接的目的にとって、音階と練習曲の使用が必然的に必要だと指摘している。ヴェナード(B714 1967, p. 119)が述べたように、あらゆる歌手の目標は「音に可能な限りの輝きと深みを同時に与えること」である。フィールズ(B206. 1957, p. 6)は、音を理想化する能力が歌唱に不可欠な要素だと述べている。

28/29

ロス(B559. 1959, p. 11)は以下の包括的な技術的目標を提示している:「咽頭による母音のコントロールを基本とし、必要に応じて口唇の動きで補完する。子音は明瞭かつ正確に発音し、可変的な息の圧力で支えられ、鼻咽頭(正常)の質を保つこと。」

これらの上に歌唱技術の全構造が築かれている。そして発声におけるあらゆる欠陥は、これらの一つまたは複数への違反に起因する。 実際の歌唱において、これらは以下の点で示される:(1) 声域内全ての音符を容易に発声できること、(2) 音量の持続的な強度と、その増減の容易さ、(3) ピッチ変化における声の柔軟性、(4) 母音と音質の良さ、(5) 明瞭な発音である[B342. Judd 1951, p. 65]

音楽の芸術は、歌い手に対して五つの基本的な技術的要求を課す:(a) 音は響きが良くなければならない。すなわち、明瞭で澄み渡った響きを持ち、息の混じった音(時折の効果を除いて)、鈍い音、甲高い音、そして空虚な音であってはならない。(b) 歌い手は、個々の楽器が可能な最高音質の音色を、あらゆる音域で生み出せなければならない。(c) 音程は完璧でなければならず、音は完全に安定していなければならない。(d) 歌手は、非常に緩やかなテンポで歌う場合でも、最速のテンポで歌う場合でも、音域全体にわたって音の流れを途切れさせず連続的に保たねばならない。(e) 歌手は、音量を自由に増減させ、その増加率を完全にコントロールし続けねばならない[B356. Kelsey, Grove’s, p. 44]。

筋肉的干渉の除去

声楽教師としての我々の仕事の多くは、様々な種類の干渉を除去することに向けられている(B253. Garlinghouse 1951, p. 2)。筋肉の干渉に伴う発声上の問題と正反対にあるのが、発声において強く求められる特性–音の自由さである。「発声の自由さとは、音声経路全体が完全に受動的な状態を保ち、音階を通じてある要素が完全に均一である時に達成される」(B468. Montell 1950, p. 80)。発声領域における緊張や硬直からの解放は、声音にとって必要である(B552. Rosewall 1961, p. 32)。「『自由』とは厳密に言えば、技術や楽器の属性である。しかしこの用語が音に用いられるのは、熟練した聴き手の耳が共感的に、歌い手が望ましくない緊張や『干渉』から解放されていることを感知するためである」(B692. van den Berg and Vennard 1959, p.12)。

29/30

音の強引な押し出しは、しばしば筋肉の干渉の問題と結びついている。「自由に歌いたいなら、声を投げつけたり押し出したりしてはいけない」(B114. Christy 1967, p. 62)。 推進によって発せられる音は、いかなる音質も得られない。これが歌い手が最もよく犯す過ちである(Vrbanich 1960, p. 8)。「無理に力を入れたり、不快に感じたりするものは、明らかに間違った発声法が使われている証拠だ」(B645. Svanholm 1948, p. 540)。「ほとんどの過度な力みと緊張は、まだ歌い始める前の事前緊張から生じている」(B363. Koppel 1956, p. 19)
筋肉の干渉を減らすための矯正法は、多くの著者が提供している。レスニック(B535. 1948, p. 281)は「舌を緩める」ことを勧めている。彼女が舌について言及するのは、「顎を緩めるより、どういうわけか単純だからです」と述べている。 ロバート・メリル(B454. 1947, p. 315)はこう述べている。「意識的に何かをしようと始めた瞬間、身体は緊張し、拘束が生じるのだ」
バッハナー(B31. 1947, p. 79)は、干渉を徐々に克服する助けとして、スタッカートの練習を毎日行うよう勧めている。
ジェームズ・F・クック(B124. James F. Cooke 1952, p. 63)はエンリコ・カルーゾの興味深い言葉を引用している:「歌う時、私は自分の身体も喉も技術も呼吸も、言葉と音楽とそこに込められたドラマ以外の全てを忘れる。メロディが上昇するにつれ、声を花のように咲かせようとする。音は常に自然に流れ出る。決して無理に押し出されることはない」。

初心者への対応

初学者のための原則と指導指針は、この研究全体を通して扱われている。多くの考え方は、初学者にも中級者や上級者の声楽学生にも同様に適用できる。 ただし、声楽の指導法には、一般的に初心者を対象とした特定の分野がある。声の分類。声の響きと人間の声域の多様性は、特定の声種分類をもたらす。伝統的な分類法が発展し、声楽作品の大半は明確にこの分類に基づいて書かれている。声の分類プロセスは53の記述に反映されている。

30/31

シルビア・バグリー(B34. 1947, p. 2)は、従うべき良い原則としてこう述べている:「まず声を解放せよ。そうすれば『それ』が自ら行くべき場所を教えてくれる」。クリスティ(B111. 1961, p. 149)も同様の主張をしている: 「この件について心配する必要はない。なぜなら、練習が適度な音域内で行われるなら、声は自然に落ち着くべきレベルに落ち着くからだ。そうなれば、声は自ら分類される」
ウイットロック(B761. 1967, p. 12)は、特に活発な会話中において、声を聞くことに価値を見出している。オーレン・ブラウン(B86. 1953, p. 16)は、声の分類に過度の重点が置かれていることを示唆している。彼は、各声がその自然な音域に最も適した役割を果たすことを望み、声を従来のパターンに分類することにはこだわるべきではないと主張している。

文献では、初期段階や性急な声の分類について頻繁に言及されている。「若い初心者における声の分類は困難であり、ばかげているさえある」(B61. Best 1957, p. 24)。スティニャーニ(B630. 1949, p. 350)は、若い歌手の声が、彼女自身が個人的な経験を通じて自らを立て直すことが最も困難な時期である、キャリアの初期段階で分類されてしまうことを残念に思っているポール・ピーターソン(B514. 1966, p. 7)は、よくある欠点は声を早々に分類しようとする傾向だと述べている。アッペルマン(B16. 1953, p. 36)は、大学生年齢の男女の声は「過渡期の声であり、直面する声の問題は数多く多様である」と述べている。初心者の音域は、訓練が進んで初めて判断できるものである(B525. Punt 1967, p. 57)。教師は訓練の初期段階で声を分類すべきではない。一定の音域内で楽に歌えることは指針とはならない。…音色の欠点が取り除かれ、正しいアタックと発声が確立された時、分類の問題はもはや問題ではなくなる(B67. Bollew 1953, p. 59)。「初心者を分類することについて、私は決して急ぐ必要を感じない」(B714. Vennard 1967, p. 78)。

声の分類を決定する要因として最も頻繁に挙げられるのは、声の響きと声域である。これらの要因の相対的な重要性については、しばしば議論される:

声は、音域よりも音質や質感によって分類されるべきだ[B274. Graves 1954, p. 17]。

低い音域を持っているからといってコントラルトになるわけではなく、高い音域を持っているからといってソプラノになるわけでもない。声の音質、つまり声の響きがこれらを決定するのだ[B628. Rise Stevens 1947, p. 248]

31/32

もし決定的な要因が一つあるとすれば、おそらく我々の大半は音質を選ぶだろう[B754. Wheeler 1950, p. 10]。

重要なのは、声域と、そして何よりも声質だ [B424. Jean Madeira 1963, p. 22]

声の違いは声域ではなく声質によって判断される。音域は実際には全く関係がないのだ。[B454. Robert Merrill 1950, p. 19]

声の分類は、音域だけでなく音質やテッシトゥーラにも依存する。声の分類が確定するには、数年にわたる発声訓練が必要な場合もある[B681. Trusler and Ehret 1960, p. 17]。

単に声域だけで声種を判断するのは、最も信頼性が低く、誤解を招く要素である[AATS 1956]。

首と顔の身体的比率が声の分類に影響する要因だと考える者もいる:

歌手の一般的な身体的特徴は更なる手がかりを与える。一般的に、高い声は丸い顔、短い首、丸みを帯びたあるいは四角い胸、高い口蓋と繊細な軟口蓋を持つ者にみられる。一方、深い声の歌手には長い顔、細長い首、長く平らな胸、広い口蓋と分厚い軟口蓋がしばしばみられる[B83. Brodnitz 1961, p. 23]。

大きな共鳴腔を持つ個人は、当然ながら響きのある音色を持つ。他の要因からすでにその分類が分かっている人物の口腔咽頭腔を検査すれば、それによってさらに細かい分類を決定できるのだ[B372. Landeau 1963, p. 7]。

より具体的には、声帯の長さと形状は理論的に重要である:

声の低い人は声帯が長く比較的細く、声の高い人は声帯が短く比較的広い [B83. Brodnitz 1961, p.23]。

32/33

コントラルトの声帯は長く分厚く、男性のテノールと非常に似ている。正真正銘のコントラルトは通常、大柄な女性で、背が高く、体格も大きいものだ[B467. Moe 1950, p. 11]。

バリトンとコントラルトの声帯は、テノールやソプラノに比べて通常より重く丸みを帯びており、それに伴う音質のまろやかさがある[B483. Negus 1962, p. 145]。

声の分類と喉頭の寸法に関して一般的に受け入れられている立場は、次の声明に代表されている:喉頭、特に声帯の大きさが各個人の声域を決定するという事実は、ごく基本的なものである(B402. Luchsinger and Arnold 1965, p. 99)。フランスの科学者ラウル・ユッソン(B328. 1957a)の実験による結論は、声の解剖学的・生理学的分類を否定するものである。自身の論争を呼んだ理論に基づき、彼は代わりに「声帯の興奮性と反回神経の特性が分類の基礎となる」と提案した(B296. Heaton 1968, p. 1)。オリジナルの研究の英語訳において、ユッソン(B328. 1957a p. 6)は次のように述べている:「一方の音声タイプと他方の声帯の長さとの間には、有意な相関関係は存在しない。」カルーゾは比類なく長い声帯を持っていた。若く非常に高いソプラノ歌手であるJ・ダーラは、非常に長く広く厚い声帯を持っている。ジーグル(1964)はユッソン理論の要素を用いてさらなる研究を行った。

声の分類問題は、発声器官の解剖学的および基礎的な評価に依存する。解剖学的評価では、喉頭の形状、声帯の長さと厚さ、口腔咽頭腔の構造、呼吸器系の発達を考慮に入れる。 次に留意すべきは二次的要因である:全身形態、体格の大きさ、顔貌など。機能的評価は、我々が利用可能な科学的調査手段を通じて、実際のテシトゥーラ(声域)と音の質を決定することで行われる[B372. Landeau 1963, p. 31]。

最初のレッスン。 — 最初の手順に関する25の記述は、様々な興味やアプローチを明らかにしている。これらの記述は代表的なものである:

33/34

私のところに来る生徒は、最初はただ聞くだけだ。声の訓練は自動的に矯正的になることを彼に説明する(B788. Winsel 1966, p. 22)。

最初のレッスンでは、生徒は絶えず変化する感覚と、その変化を受け入れることの重要性を認識させられる(B491. Newton 1957, p. 21)。

私は初回のレッスンで呼吸法を教えない方針を取っている。生徒は歌を学びに来たのだから、すぐに発声練習を始める。初回レッスン終了時点で呼吸制御が不十分な場合、次回のレッスンで注意を促す。その頃には、進歩的教育者が言うところの「受容態勢」が整っているはずだ[B714. Vennard 1967, p. 18]。

声楽の学習を始めたばかりの頃は、決してピアニッシモで歌うな。喉を絞り(締め付け)てしまうからだ  [B90W. Brown 1957, p. 133]。

正しい身体の姿勢、そして様々な発声法や母音、音色に応じた顎と唇の開き方は、初心者が注意を向けコントロールする際、最も素早く反応する要素である[B111. Christy 1961, p. 138]。

初心者が歌の技術を学ぼうとする時、教師は通常、五つの主要な問題に直面する。 それらは以下の通りだ:(1) 訓練されていない聴覚、(2) 制御不能で協調性のない筋肉、(3) 誤った呼吸法、(4) 歌手が他人が聞く自分の声を自覚できないこと、(5) 声は物質的なものではないという認識の欠如である[B419. McLean 1951b, p. 8]。

最初から、教師は生徒が楽器を習得するための内的な感受性を育まねばならない[Vrbabich 1960, p. 8]。

歌へのアプローチ

特定の作品を学ぶ際に生じる技術的必要性を通じて発声技術を開発することの妥当性については、意見が大きく分かれる。より伝統的なアプローチでは、歌曲を歌うための準備として、技術的な発声練習を継続的に行うことを重視する。

34/35

9つの方針は技術的熟練への曲によるアプローチを提唱している。16の方針は発声練習の拡張的な使用を提唱している。この主題に関する選りすぐりの意見は交互に列挙されている:

あらゆるキーとリズムにおいて、あらゆるインターバルに対するあらゆるアプローチを含む、数百もの練習法を習得する必要がある[B447. Maurice-Jacquet 1954, p. 141]。

歌うことを学ぶ最良の方法は、歌を練習することである[B111, Christy 1961, p. 5]

最初の 1 年間は、集中的な発声練習のみに限定しなければならない [B440. Martinelli 1954, p. 57]。

学生は単に発声練習をするだけでなく、歌うことを学ばねばならない。カッファレリのようにわずか1ページ分の練習曲を6年間も続けることを期待するのは、200年も遅すぎる話だ[B705. Vennard 1958, p. 23]。

若い歌手の最大の過ちは、音階や技術を練習する忍耐力を持つ代わりに、歌を歌いたいと望むことだ[B223. Freeman 1949, p. 10]。

現代の心理学的研究は、高度な筋肉の技術を習得するために、長年にわたる定型化された反復練習がもはや必要ではないという強力な証拠を示しており、技術的な課題を音楽そのものから引き出すことで、大幅な時間の節約につながる可能性がある。[B171. Duey 1951, p. 156]

レパートリーに本格的に取り組む前に、発声技法をほぼ完全に習得することを強く求める[B132. M. Craig 1950, p. 16]。

技術は、技術そのもののために存在するのではない。習得され次第、実際のレパートリーに移行されねばならない[B761. Whitlock 1969, p. 12]。

確かに、歌い手にはインスピレーションの源があるに違いない。ある生徒は、発声練習よりもずっと上手に歌えるかもしれない。私にとってこれは、その生徒が伴奏の美しさや詩、メロディラインにインスピレーションを頼っていることを意味する。この生徒に発声練習をさせるべきではない。彼が音楽的に取るに足らない発声練習に時間を費やすことは、喉を痛める退屈で有害な歌唱にしか繋がらない。別の生徒は美しい発声練習をするかもしれない。彼は自分の声や教師の声に夢中になっているかもしれない。…この生徒は発声練習をすべきだ[B213. Foote 1963, p. 22]。

35/36

練習の原則

声楽の練習において、規則正しく体系的なアプローチは、望ましい歌唱力を得るために不可欠である。フィールド=ハイド(B203. 1950, p. 51)は、生徒の進歩は、何よりもまず練習の仕方とその質に依存すると述べている。発声練習は、生徒の自発性と粘り強さに大きく依存する。フリーゼル(B231. 1964, p. 84)によれば、他のいかなる芸術形式においても、演奏者がこれほど個人の責任に縛られることはない。そして、発声技術の習得において他者が果たす役割を考慮したとしても、最終的には歌手自身が責任を負わねばならない。

発声練習の原則。「最初の練習では、まず数種類のストレッチ運動で体をほぐすことから始めなさい。これにより身体がリラックスし、より活力を取り戻す」(B677. Treash 1948 p. 4)。「発声器官の筋肉をほぐすために15分から20分を費やすことは非常に重要である」(B737. Waters 1943b, p. 4)。多くの初心者は、声楽訓練の初期段階において、短時間だが頻繁な練習セッションの重要性を理解できないだろう(B552 Rosewall 1961, p. 74)。練習に対する適切な動機付けを提供するため、フィールド=ハイド(B202. 1950, p. 38)とシンプソン(B615. 1965, p. 2)は、特定のボカリーズを課す理由を生徒が認識する必要性を強調している。

練習の監督。 —多く教師は、初心者が教師の監督下以外で練習することを好まない。「これは、求められていることを理解し、それを達成する方法が分かるようになるまでは、しばしば望ましいことだ」(B43. Rose Bampton 1949, p. 52 および B695. Asteris Varnay 1943, p. 689)。ダグラス・スタンレー(B622. 1950, p. 155)は、生徒がスタジオ外で技術練習を行うことは、いかなる時期や発展段階においても有害だと述べている。一人で練習する際、生徒は必然的に教師の指示に集中するよりも、自分の声に耳を傾けてしまうからだ。
フックス(B244. 1964, p. 33)はこの問題に対する解決策を提示している。彼は、レッスンでは生徒に修正せずに歌わせ、自分で修正するよう試みるよう指示することを提案している。教師が生徒にそれができると確信した場合にのみ、生徒は一人で練習することを許されるべきだ。

36/37

最初の数ヶ月間は、実際にはほとんど発声練習を行うべきではない。生徒の訓練におけるこの初期段階では、主に筋肉を発達させ、声の仕組みを理解させ、音声とコントロールの正しい概念を植え付けることを主目的とすべきである[Rose 1962, p. 240]。

手段としての無音練習。「楽器なら一時間同じ音符を練習できるが、声はそうはいかない。考えることを増やし、声を使うことを減らすことを学ばねばならない」(B465. Rosalie Miller 1957, p.18)。すべての練習で声を出す必要はない。その多くは精神的な練習でよい。なぜなら心は声を節約するように働くからである(B768. Whitlock 1968a, p. 17)。練習時間と同等の休息期間を、練習と次の練習の間に挟むべきである(B678. Treach 1948, p. 4)。 「『無音練習』あるいは音の瞑想とは、自らの心の中で音を聴く練習、すなわち音のイメージングである。この方法で長時間を費やすことは有益な結果をもたらす」(B779. T. Williams 1953, p. 17)。

ピアノ伴奏の使用について。クランマー(B138. 1957, p. 23)は、教師が伴奏を弾くことについて警告している。教師は生徒に十分な注意を払えなくなるからだ。 ディエルクス(B163. Diercks 1963, p.23)は、歌の指導の早い段階で、歌い手に伴奏を体験させるのが良いと述べている。チャールズ(B109. 1953, p. 6)も同意しているようだ:「歌の和声構造を理解しなければ、歌手は適切に解釈できない」。 ウイットロック(1967, p. 60)は、伴奏のない歌は曲の半分に過ぎず、単なる発声練習とほとんど変わらないと指摘している。ネルソン(B484. 1954, p. 11)はさらに、発声練習や歌の伴奏として、テープやワイヤー、レコードなどの録音媒体を活用することがしばしば有益だと付け加えている。

練習における様々な要素。–以下は、声楽練習に関する雑多な提案を記した15の記述から選んだものである:

レパートリーにある様々なカデンツァを、それらが含まれるアリアやフレーズから切り離して練習せよ。まず、カデンツァが記譜されている調より半音下げて歌い、次に元の調で歌う。元の調で上手く歌えるようになったら、半音上げて練習する……そうすれば、元の調でより楽に歌えるようになるだろう[B181. Duval 1958, p. 97]。

鏡の前で絶えず練習せよ[B186. Eberhart 1962, p. 33]。

37/38

スタッカート練習の日常的な実施は、声のコンディショニングにおいて最も重要な要素である[B420. McLean 1951b, p. 8]。

毎日声を鍛えてます。もちろん一度に長くはやりませんが、定期的に続けています[B626. Eleanor Steber 1946, p. 365]。

間違っていると分かっている音を練習するのを続けてはいけない[B114. Christy 1967, p. 24]。

 

SUMMARY, ANALYSIS AND INTERPRETATION
要約、分析および解釈

本研究で使用した文献から、声楽教育学にまつわる640の概念を抽出した。本章で設定した26のカテゴリーにおいて、各項目ごとに意見の相違が示された。表1の比較研究から導き出された傾向と主流の意見は、以下に列挙する:

1. 声楽の学習効果については、ほとんどの著者が当然のこととして扱っているようだ。この点に関する論評は少なく、またかなり大雑把なものだった。
2. 歌唱を学ぶ上で、明確な目標と目的は非常に重要である。この主題に関して36の意見が収集された。フィールズは20件を集めた。
3. 本研究者が発見した声楽訓練の標準化に関する記述は、フィールズが発見したものと比べて著しく少ない。この問題について何らかの意見を表明した記述は11件しか集まらなかったのに対し、フィールズは31件を発見している。この指導の側面が主要な関心事ではないようであることから、近年の著述家は直近の過去のものよりも見方が成熟し、寛容であるように思われる。
4. 本研究で収集された心理学的アプローチの重要性に関する記述は、フィールズが発見した数の約半分であった。この一点から、歌唱指導における経験的アプローチは、以前の研究期間中よりも普及していないと推測される。 ここで関連する他の二つの要因がある。研究者の個人的関心は心理学的アプローチに向けられており、そのような概念が存在した場合、無意識のうちにそれらを見つけ出そうとする傾向がより多くの事例を導き出した可能性がある。しかし、心理学的概念は機械論的アプローチのそれほど明確に述べられていない。
この傾向は、心理学的アプローチという大分類の下にある他の二つのカテゴリーでも裏付けられている。発声行為は無意識かつ不随意であるというカテゴリーは、フィールズが確認した数の半分以下しか記録されていない。発声訓練における要素であるリラックスも同様の割合で反映されている。自発性と自然さが特徴であるというカテゴリーのみが、声楽の権威たちの著作において受容の増加が見られる。
5. 声の分類に関する概念は53個集められた。フィールズは30個を列挙した。ユッソン(1957a)の実験が、歌唱のこの側面に関する追加の考察を促したと推測される。

この章およびその後の章を通じて、声楽指導の最適なアプローチについては、ほとんど合意が得られていないと想定してきた。意見の相違は、個人的な芸術活動を習得することの難しさに起因するものである。
これらの見解は、実験者が目にする実験的証拠だけでなく、多くの情報源から集められ、時にまとまりなく集められた経験的知識にも基づいている。経験論者たちは概して、ポルポラやその同時代人たちに遡る一連の師たちから、多かれ少なかれ、個人的かつ伝統的なアプローチへの信念を授かっていた。バーナード・テイラー(B656. 1951b, p.6)は次のように記している:

人間の発声器官は、解剖学、生理学、心理学、音響学の法則に完全に支配される唯一の楽器であり、過去50年間にこれほど多くの科学的研究が行われてきたことを考えれば、人間の発声機構に少しでも関連する科学的な新発見が、 「歌う方法」という問題を一度きりで「解決」しようと企図し、あれこれの主張を掲げる意見が生まれるのは、当然かつ避けられないことである。

物議を醸すことで注目を集めたり、自己顕示欲を満たしたりするために騒ぎを起していると、その声高な科学者を非難したり、あるいは生理学的要因を過度に強調していると責めたりしても、さまざまな疑問は決して解決されない。 単に反対意見を検討するだけでは不十分である。

39/40

より妥当な見解は、発声指導において、特定の学派だけが正しい答えを独占する必要はないというものだ。事実が明らかになるにつれ、対立する見解のそれぞれの一部が、全体として正しい理解において不可欠な要素となることが分かってくる。

結論として、ヴェナードとギリランドの主張は、適切な立場を理解する上で参考になる。

教師は、あらゆる教育法の中で最も身体的な機械論的アプローチと、最も形而上学的なインスピレーション的アプローチが、密接に相互に関連していることに気づく。少なくともこの人生において、身体なき精神、あるいは精神なき身体とは何だろうか? [B705. Vennard 1958, p. 25]。

我々の哲学と指導方法を再構築し、声楽および合唱の学生たちが、教育の本質である自らの体験の質を向上させたいとより強く願い、かつその能力を高められるようにしなければならない。我々の専門分野は広範な対象を扱い、無数の学生の人生に影響を与える機会を提供している。この機会を最大限に活用する方法を学ぶべきではないか。[B261. Gilliland 1967, p. 57]

2026/03/14 訳:山本隆則