THE PHILOSOPHY OF SINGING
歌唱の哲学
by Clara Kathleen Rogers
Part 2
CHAPTER VI
THE FIVE ESSENTIALS OF VOCAL TECHNIQUE
発声技術の5つの要点
完璧なテクニックのエッセンスとは:
第1 完璧なトーンアタック。
第2 完璧な “レガート”、つまり音の持続と接続。
第3 『メッサ・ディ・ヴォーチェ』、あるいは単音での増加と減少。
第4 母音のはっきりした発音。
第5。子音の完全な調音。
これらをマスターすれば、歌い手は発声法が包含するあらゆる根本的な困難を克服し、抒情歌や劇的歌唱における感情表現に支障なく身を委ねることができるようになりますが、それまではそうはなりません。
1.-アタック(起声)ついて
音質も音の抑揚も、すべてアタックの仕方で決まるので、クリアで音楽的なアタックを身につけることの重要性は言うまでもありません。下手に音をアタックすると、その後何をしても修正することはできません。それは不完全なままであり、歌い手の気持ちや意図を全く伝えられないものにならざるを得ません。
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また、リズムの強調は、リズムに完全に依存しています。歌い手がどんなに優れたリズム感覚を持っていても、自分が望むまさにその瞬間に音を明確に、能動的に打ち出す力を身につけていなければ、リズムの強調に対する感覚とそれを表現する声は、互いに対立することになります。もし、音のピッチがスタート時に明確に定まっておらず、ためらいや手探り、あるいはずり上げるようなことがあれば、音楽のフレーズは動揺し、そのリズムのプロポーションを著しく乱してしまうことになります。
悪いフレージングや、時間テンポを引きずるような歌い方は、ほぼ必ずと言っていいほど、ずさんなトーンアタックに起因しています。
メカニカルな観点からは、息が解放された瞬間に声帯を合わせることで音を出すのが完璧なトーンアタックと言えます。もし、起声において声帯が出会うのが息の解放よりも先であれば、トーンアタックは硬く破裂的です。一方、息の解放が声帯の閉鎖より先に行われると、”h “で 始まる音になります。
この2つの作用は、明確な身体感覚がない限り、歌い手がトーンアタックのメカニズムを正しく理解しているかを確認するための唯一のテストとなります。そのため、音そのものに欠陥があることを認識するためには耳を頼りにしなければならないのです。したがって、歌い手の耳は、正しい完璧なアタックと間違ったアタックを区別できるように最初に訓練することが絶対に必要です、そうでなければ練習は無駄になります。
正しいトーンアタックの効果は、ベルのような透明感、自発性、絶対的かつ瞬間的な音程の正確さ、そして大きな弾力性と柔軟性です。
歌い手は声帯を直接コントロールすることができないので、息を解放したタイミングで声帯を合わせ、音を完璧にアタックするためにはどうすればいいのでしょうか?この二つの組み合わせが、少し早すぎたり、少し遅すぎたりするのをどうやって防げばいいの でしょうか? 以下の実行によって:静かに息を吸い、1秒息を止めてから、それ以上呼吸を意識することなく、優しく、しかしポジティブに音を鳴らしてください。息の解放はトーンインパルス(発声衝動?)に含まれるため、音に息をゆだねることは、音を打つこととはまた別の意識的な行為であってはなりません。
息を止めるということは、息をコントロールする筋肉を止めるということではないことを常に念頭に置いてください。
身体の枠組みは、歌い手が呼吸を保とうとする意志がある限り受動的であり続けるので、固定された位置に保持する必要はありません。
呼吸をコントロールする筋肉は、歌い手が歌おうと思った瞬間に自ら反転し、骨格の拡張が収縮に取って代わります。したがって、歌い手は、呼吸をするときには、吸い込む息そのものだけを意識し、歌うときには、歌う音だけを意識する必要があるのです。
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呼吸の行為中に音のことを考えたり、音を発する行為中に呼吸のことを考えたりすることはあってはなりません。
この目的の区別、あるいは考え方の交替によって、完璧な身体的な作用と反作用が生まれ、呼吸と歌の間の楽しいリズムの感覚を歌い手に印象づけることになります。
このシンプルな操作に忠実であれば、必ずパーフェクトなトーン・アタックができるはずです。
2. -『 レガート』と『ポルタメント』の違い
歌唱に適用される『レガート』という用語は、しばしば『ポルタメント』と混同されますが、これらは決して同じものではなく、歌い手がその違いを理解することは非常に望ましいことです。
「レガート」は「結ばれた」という意味で、連続する音符に使われる場合は、それらが互いに結ばれる、あるいは1つと1つがつながることを意味します。
『ポルタメント』とは、音色の『運び』を意味し、ある音から別の音へと声を引きずりながら、その間にあるそれぞれの音にほとんど気づかないくらいに軽く触れて音を運ぶことをいいます。
レガート唱法では、ある音程から別の音程に移る際の間の音には触れず、次の音を出すまさにその瞬間まで、ある音の楽音を維持しています。
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楽譜では、この2つの違いは次のように表記されます–
No.1のレガートの効果は、ペダルを巧みに使い、ある音から他の音が出るまで指を離さないことで、ピアノでもほぼ再現することができます―
一方、打楽器のポルタメントを想像することは、まったく不可能です。しかし、ポルタメント効果は、バイオリンなどの弦楽器でも完全に再現することができます。
ポルタメントがレガートの代わりに使われることは非常に多く、聴衆にとって不愉快な結果となるため、その乱用によって引き起こされた非難や 厳しい批判は歌手にも及び、声を常に音から音へと引きずる習慣を捨てたいがために、音を常に切り離すという別の極端に進み、滑らかさや、カンタービレと呼ばれる美しい持続性を歌から奪ってしまっているのです。もちろこの誤りは、レガートとソステヌートは実質的に同じものであり、ポルタメントは別のものであること、ポルタメントの常用は味気なく、極めてうんざりするものですが、レガート、すなわち持続的に歌うことは常に美しく、耳にとって最も喜ばしいということを理解していないことによります。
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また、シンプルなレガートは、練習を積んだ熟練歌手の証であり、喉頭の伸び縮みする筋肉を細かく柔軟に動かす必要があるため、普通の歌手にはなかなか身につけることができません。
凡庸な声楽家が、本来レガートを使うべきところで、本能的にポルタメントに逃げ込むのは、音階の間にある音に触れたときの声の引きずり音が、彼らの誤ったメカニズムを多少なりともカバーし、音を適切に持続・結合できないことをある意味で補うように見えるからであり、表現に対する善意を示し示唆することによって、たとえそれが満たされなくても、歌に共感と表現の質を求める彼らの欲求を一部満たすことができるからです。
ポルタメントを最も効果的に使えば、シンプルなレガートを強調したり誇張したりするものと定義できるかもしれません。美しい効果をもたらすのは、繊細な分別をもって導入されたときです;しかし、声がだらしなく運ばれるとき、それは汚れを連想させ、無差別に使われるとき、それは無知と悪趣味のどちらをも示します。
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厳密に言えば、ポルタメントは母音に対してのみ可能です;したがって、音節で区切られたパッセージで歌い手が声を運びたい場合、短い音を挿入するか、 2番目の音を最初の母音で先取りして、次の音節でもう一度発音する必要があるのです―
しかし、次のパッセージは、音の先読みをせずにレガートで歌うことができます。
ここでは、レガート効果は、次の音が鳴るまで一つの音を維持することに完全に依存しています、 なぜなら、子音がもたらす声の自然な中断は、歌い手が自在にアーティキュレーションするときの効果を損なわないからです。
メカニカルに見ると、レガート歌唱における音程の変化は、喉頭の筋肉が伸びたり縮んだりすることで交互に起こり、声帯の張力を変化させることによってもたらされます。離れた音を歌うとき、声帯を開いたり閉じたりする筋肉は、声帯を伸ばしたり縮めたりする他の筋肉の働きを助けて音程を変化させますが、レガートで歌うときは、音程の変化を制御する筋肉はそのような助けを得られません。したがって、真のレガート歌唱がデクラメーション・スタイルよりも困難であることは、メカニカルな観点からも容易に理解できるでしょう。
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また、声の柔軟性、つまり、すべての速く滑らかなパッセージを確実かつ正確に実行する力は、単純なレガートの練習がうまくいくかどうかにかかっていることも明らかになってきます。
ここで、レガート唱法における息の使い方について考えてみましょう。レガートパッセージの最初の音を出すとき、息はスタッカートや 持続音をアタックするときと全く同じように開放され、あるいは声に委ねられますが、最初の音をアタックする 瞬間には、それ以上の注意を払うべきではありません。息は、それをコントロールする筋肉に任せておけば、声帯に激しく作用する心配はありません。これらは、干渉されなければ、音波の振動によって消費される息の縮小に受動的であります、従って、歌い手は、音符が次々に生まれるときに、その音符のピッチと持続にのみ気を配り、それ以外のことには気を配らないようにしなければなりません。
声帯の緊張を制御する筋肉や音高を制御する筋肉を働かせながら、遅い音階や速い音階、アルペジオ、トリル、その他のレガートパッセージを歌う場合でも、息は長く持続する音を歌う場合とまったく同様に調節されます。すでに述べたように、音高を制御する筋肉は、呼吸と歌の切り替えで声帯を開閉する筋肉と同じではないので、呼吸は音程の変動に影響を受けません。
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つまり、ポルタメントとは異なる真のレガートの習得は、芸術家になる歌手にとって最も重要であり、スタイルの滑らかさと幅の広さは、柔軟性と演奏の美しさと同様に、完全にこれに依存しているからです。
3.-『メッサ・ディ・ヴォ―チェ』あるいは『クレッシェンドとディミヌエンド』
『メサ・ディ・ヴォーチェ』は、最初から徐々に力を増していき、クライマックスに達した後、徐々に力を弱め、完全にフェードアウトする持続音です。
感情の自然な表出は、音を自在に増減させる力に大きく左右さ れます。したがって、音の膨らみや減少を、広義には感情表現の技法と呼ぶことができるかもしれません。魂から感情が湧き上がれば、声もそれに反応して音波を発し、感情が尽きれば音も消え去らなければなりません。
この音波やうねりは、文字通り感情を音にしたものです。この音波が声の中でより自然に、より無意識に上昇すればするほど、歌い手の表現はさらに理想的なものになります; そして、このように声の強弱を自在につける力がなければ、真の表現はまったく得られません。
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波動のない死んだレベルの音は、誰の気持ちも動かすことができません。そもそも、音そのものが生命や行動に動かされていないのですから。それは、ただ死んだ音であり、それ以上のものではありません。その死んだ音は、聞く人に伝わり、彼らは無表情な頓呼法化(apostro-phized、具体性の無い抽象的、観念的な表現)されたもののように感じられます。
歌い手は『クレッシェンド』をしているつもりでも、実は何もしていないことが多いのです。これは、クレッシェンドがどのように作られるかを知らないまま、喉の筋肉の一部を圧迫し、肉体的な圧迫を音の大きさの増加と結びつけてしまうことです。彼らは実際に音が大きくなるのを聞いているわけでは ありません、 しかし、圧力に反応して音が大きくなるのは当然だと考えているのです、 実際には、圧力は単に音を硬くしたり、震わせたりするもので、その両方であることもあります。音量を自在に増減させる技術を身につけるには、音の増減を物理的に担っているのは他ならぬ呼吸であり、筋肉による圧迫や、喉頭を押さえ込んで音が広がる空間を確保することではないことを理解し、肝に銘じなければなりません。
息の量が多いか少ないかで、声帯の振動が多かれ少なかれ変化します。したがって、意志が音を膨らませることに向けられると、より多くの息が無意識に解放され、その目的を果たすことができます。クレッシェンドをしたいときは、音を軽く叩かなければなりません。しかし、『軽く』『やさしく』というのは、『ためらいながら』『少しず』」という意味ではないことを、歌い手は覚えておいてください。【訳注:quantity of breathとは、息の量ですが、この時代の著者たちは息の量と息の圧力の違いをはっきりとは区別していませんでした。息の量という表現は生徒に非常に誤解を与えやすい言い方で、息の圧力と理解した方が望ましいと思います。また、クララ・ドリアもそのつもりで発言しているのでしょう。】
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クレッシェンドに必要なソフトアタックは、短いスタッカートの音と同じように能動的で、クリアで、ベルのような優しさが必要ですが触れるプロセスはどちらも同じです。
声を膨らませる上で最も重要なのは、息をコントロールする筋肉の自由度です。歌い手は、その調整機能を全く意識せず、音そのものを上げたり、膨らませたり、小さくしたりすることだけに関心を持ち、それがどのように行われるのか、何がそれを行うのかは気にしないようにしなければなりません。
柔らかい音を出すための音感は、呼気を調節する筋肉が非常に優しく作用し、少量の息が解放されます。クレッシェンドを希望する場合、声帯に与える息の量【訳注:息の量】は多くなり、その量は完全なクレッシェンドとわずかなク レッシェンドで変化します。『ディミヌエンド』をしたいときは、歌い手が音を止めようと思うまで、息の熱意は抑えられ、前方への圧力はますます穏やかになり、声帯が開いて音波の振動が止まります。
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図形は、異なる音の度合いとそのリズムの関係を表しています、 完璧な声のうねりには、常に完璧なリズムが存在するからです。*
* パートIII、第4章 ”リズミカルな呼吸 “を参照。
4.-母音
Their Registers, and their Effect on the Vocal Scale
声区、および声域への影響について
音の多様性は、それぞれの母音が声に与える色彩の個性に大きく依存します。
声区の固有音を区別するのは、母音であるといってもよいでしょう。しかし、この色の違いは、音質の違いと勘違いしてはいけません。同じ音程で歌われる5つの母音は、同じように響き、同じようにクリアに聞こえ、同じように前に出る効果があるはずです。しかし、音質は同じでも、それぞれの母音が他の母音と性格を異にしていなければなりません。
母音が異なるのは、共鳴器の形状の変化によるものであり、喉頭の振動部分や最初の音【訳注:喉頭原音】自体の変化によるものではないことを理解すれば、すべての母音で音質が同じであることが当然のように思えるでしょう。歌い手の正しい本能が、同じ音程で歌われる5つの母音すべてに完璧な音の均一性を要求する場合、自然はその均一性のために必要な微調整をすることで対応します。
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もし、私たちの発声器官にこの素晴らしい調整力がなかったら、すべての母音が他の母音とは異なる音質を持ち、同じ音程で発音される5つの母音は、身体の5つの異なる部分から発せられるように感じられるでしょう。
この効果は、母音をメカニカルな観点から考えれば容易に理解できるでしょう、 というのも、母音と5つの声区の間に存在する密接な関係がすぐにわかるからです。
喉頭の位置はそれぞれの声区によって異なり、胸声区が最も低く、その後に続く声区では徐々に高くなることは、声区の章ですでに述べました。また、喉頭の位置によって喉の大きさが変わります。喉頭が胸声区の低い位置にあるときは長くて広いのですが、高い声区のために喉頭が上がるにつれて短くて狭くなっていきます。このように喉の大きさ、つまり喉頭の位置が変化することで、実際にさまざまな母音が生み出されるのです、 このことは、母音と5つの声区の間に密接な関係があることを、私たちはすぐに理解しなければなりません。
boonのooを発音すると、喉頭が低くなり、上方の喉が広々とした状態になります。goのōでは、喉頭がやや高く、喉の空間がやや狭くなります。
bathのaaでは、喉の真ん中くらいです。
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sayのāでは、少し高く上がり、喉はやや狭くなっています。
deepのようなeeでは、最も高くなり、上方の喉の空間は小さくなります。
次の表は、母音と声区の対応関係を示したものです―
母音の発音における喉頭の位置の変化は、舌の位置の変化も同時に必要とします。なぜなら、喉頭は舌骨に連結されており、一方が他方なしに動くことはできないからです。この事実は、もちろん声区にも同じように関係しています。
軟口蓋とそれに付随する口蓋垂もまた、共鳴器の形状を変化させる上で重要な役割を果たし、音階を上昇する際に喉頭と呼応して高く上昇し、母音を形成する、 すなわち、oo、ō、aa、ā、eeである。
しかし、喉頭、舌、軟口蓋のこれらのさまざまな調整はすべて、関係するすべての部分がリラックスし、受動的であるという唯一の条件下で、さまざまな母音のメンタルな公式にすぐに反応するのです。【訳注:人は0歳児から言語習得のための訓練を無意識の中で行い、言葉が普通に話せる段階で発声上のさまざまなテクニックをすでに習得しています。例えば、ある母音を発するときには、口の中で、舌、軟口蓋、唇に形等々がどのように形づけられているかを知らなくてもその母音を生み出すことができます。メンタルな公式とは、その幼年期に習得したa母音は心の中で思うだけでa母音を発する方法のことで、その発想に対する無意識の素早い反応のためのそれぞれの器官の位置や、状態について述べています。】
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そうでなければ、歌うという行為はなんと厄介なことでしょう!言葉を用いて歌うとき、母音に必要な機械的な調整と、音が要求する調整との間で、なんと恐ろしい衝突が常に起こることでしょう! 例えば、母音ooはヘッドトーン、あるいはアッパーミドルトーンで歌われ、空洞で弱く、同様に歌われるどの母音とも関係がないように思われます。また、母音eeを胸音で歌うと、その特徴であるふくよかさと豊かさが失われてしまいます。 そして、これらのプロセスのどれかに意識を向けようとすることによって、どうやって歌い手が望む均等な効果を得ることができるのでしょうか? 仮に、これらの異なる部位をすべて直接コントロールできたとしても、人間の知性では、母音とそれを歌う音とが常に必然的に衝突するような場合に、完璧な調和のとれた組み合わせを作るために必要な各筋肉や靭帯の正確な調整を、迅速に判断することはできません。自分の耳が音に何を求めているのか、歌手自身が明確に認識する以外に、正しい結果を得ることは到底考えられません、 たとえ自然がどのようにその結果を実現しようと。
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このように、歌い手の意思は音だけに向けられるべきであり、その音は、例えばooでもeeでも、優しくでも力強くでも、ある音程でも別の音程でも、彼が聴きたいと要求する音なのです。そして、歌い手の知覚と音楽的な耳の繊細さ、あるいは彼がその時点で思い浮かべることのできる音色の美しさと完璧さの度合いによって、自然がその目的を遂行するために用意した複雑な機械の調整の巧拙が決まってしまうのです。
歌い手は、母音そのものにある種の変化を加えることが、声のある部分における完璧な音の生成に不可欠であることを理解することが重要です。例えば、deepのような母音eeは、上中音域では好ましいが、下中音域で発生する場合は、dipのようなīに修正されるべきである。胸声区や厚い声区では、ドイツ語のGrüssのようなüにさらに修正されるべきである。
また、stoopのような母音ooは、厚い声区に適しているが、音階が上がるにつれて、footのような(ŏ 超短)に修正する必要が出てくる。
以下の例は、この問題をより明確にし、いくつかの母音の変化と発声音階との正確な関係を示すのに役立つでしょう-
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このほかにも若干の変更がありますが、あえて明記する必要はないでしょう。これらのほとんどは、歌い手がその必要性を感じているもので、修正自体は、ほとんどの場合、自然に起こります。ただし、母音eeの修正は例外で、原則として、歌い手の注意を喚起する必要があります。
しかし、このように音階の異なる部分で母音を修正するのは、歌い手の意図によるものであるはずですが、聴き手にとって母音の響きは、まるで何も変化がなかったかのように聞こえるということを理解しておいてください。
このように、厚い声区で歌われるüはeeのように聞こえますが、音質を損なわないようにするために、歌い手は母音をeeからüに修正しなければなりません。
さまざまな母音が共鳴器の形、ひいては喉頭の位置に与える影響について述べてきましたが、ある種の母音は、不完全な発声の矯正として非常に良い結果をもたらすことが容易に理解できることでしょう。
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例えば、喉頭を喉の低い位置で固定する癖が身についてしまい、俗に言う「喉声」と呼ばれる音を出している場合、アーの代わりに母音イーで声を出すようにすれば、喉頭を抑える癖を他のどんなことよりも効果的に直すことができます。また、空虚な声のトーンを修正することもできます。
しかし、私は歌い手に対して、音が鼻を通らないように十分注意するよう警告しなければなりません。イーを練習する目的は、アーで維持することに慣れている低く固定された位置から喉頭を強制的に上昇させ、母音eeの要求に応えることです。一方、母音イーのときにそうしたくなる傾向が強いように、歌い手が声を鼻から通すことを許せば、喉頭は上昇せず、治療法はその疾患よりも悪いものとなるでしょう。イーを歌うときに口がよく開いたままであれば(実際、アーを歌うときとほとんど同じ位置)、喉頭と軟口蓋の両方がその機会に立ち上がり、イーのときに生み出される音は明瞭で、響きがあり、音楽的なものになるでしょう。したがって、歌唱者は、上下の歯の間の開口部がわずかに狭くなるのは自然で適切なことではありますが、イーの際に唇を閉じる傾向を避けなければならないことが重要です。口を開けて母音イーを歌うこの練習を、CからFまで、声の出しやすい音域のすべての音が明瞭に響くまで続けた後、イーア、イーア―、イーオ、イーオ―と歌い、次のように発音する練習に変えるとよいでしょう―
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これは、喉音や 空洞音を治すのに非常に効果的な運動です、なぜなら、固定されたまま、あるいは不活性なままになっている喉頭の上昇筋と下降筋を正常に機能させるからです。
しかし、最初の母音eeを発音するときに口を開けておくように注意しなければ、練習の意味がなくなってしまいます。
この際、すべての練習と同様に、下あご、首、舌、そして周囲のすべての部分が正常にリラックスしていることが不可欠である。
以下は長母音と短母音の表です―
pineのように長く発音される母音iとmuteのように長く発音されるuは、それぞれ正しい二重母音のように歌われます。
二重母音は、一方が短く他方が長い2つの母音の間の滑舌から生じると定義されています。
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pineのi、voiceのoi、soundのou、nowのowは、最初の音は長く、2番目の音は非常に短く発音されます。
これらのいずれかを歌う場合、声は最初の音で完全に保たれなければならず、 2つ目の音は、音が終わるときだけに聞こえるようにしなければなりません。このように-
muteのu、dewのeu、quoteのuo、languidのui、assuageのuaのように、uは2番目の音で声を持続させ、最初の音は最初の子音の一部であるかのように素早く発声します。このように-
母音の話を終える前に、もうひとつだけ付け加えることがあります、それは、 歌い手は、母音が主にノド【訳注:ここでのノドは咽頭のこと。】で生成されること、そしてその生成に伴う口の形の変化は喉の変化に対して二次的なものであることを常に念頭に置くべきです。したがって、口で意識的に母音を生成することは、明瞭で能動的な特徴を欠いた音、色がなく人工的な音を生成することであり、意識的に口を動かせば動かすほど、その音はより労力を要し、不明瞭になります。また、各母音は常に楽音のピッチそのものに組み込まれていなければならないのに対して、それらは音に付け加えられた余計なものという影響も与えてしまいます。
このように母音を楽音に取り込むことができるのは、ピッチと母音を一つのユニットとして完璧にとらえ、発声機構全体をその概念に無条件に委ねた結果でしかありません。
5.-子音
明瞭ではっきりとしたアーティキュレーションほど、歌の魅力を能動的に高めるものはありません。それはデクラマティックな歌唱において最も強力な効果を発揮し、あらゆる形式の劇的表現において貴重かつ必要なものなのです。
すべての子音は、多かれ少なかれ、声音の障害物または中断を形成しますが、その中断は自然なものであり、発声の明瞭さはその中断に依存するため、歌手はそれを回避しようとしたり、それによって声音が改善されるという理由で子音の価値を下げたりすべきではありません。それどころか、アーティキュレイトな音に最大限の価値を与え、その完成に必要な時間を与えなければなりません、 さもなければ、満足のいく結果は得られないでしょう。
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子音は、母音を歌うときに口を自由に通過する音が、子音では全部または一部で遮られるため、一瞬、母音生成の妨げになるという事実がありますが、歌い手がさまざまな子音の性質と、子音と母音との関係を理解していれば、完璧な音作りの妨げになることはありません。
発声の滑らかさのために音の明瞭さを犠牲にする歌い手は、この2つの特質を調和させることは不可能である、という大いなる過ちを犯しています。両者は調和することができるだけでなく、一方が他方を助けることもできます。
子音がどのように形成されるかを説明するのは私の目的ではありません、普通の人なら誰でも自分でわかることだからです、そして、何か特別なハンディキャップがない人は皆、どのように形成されるかを考えることもなく、本能的に子音を発音しているからです。
しかし、この点で指導が必要な方には、アレクサンダー・J・エリスの『Speech in Song』( Novello、Ewer&Co., London and New York)と題された発音入門書を推奨します。
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私が提案するのは、歌唱における具体的な使い方を参照しながら、さまざまな種類の子音を引用し、処置することです。またある規則を指摘し、それをよく守ることで明瞭で明確な発声を簡単かつ自然に行うことができるでしょう。
調音に主に関係する部位は、舌、唇、歯です、そして調音の明瞭さは、舌と唇が、要求されたことを行う柔軟性と即応性の結果です。
子音にこだわったり、誇張したりしても、発声の明瞭さにはつながりません。発声の明瞭さは、子音が正確に形成されているかどうか、また子音が滑舌よく発声されているかどうかに左右されます。しかし、例外的に、少し誇張したり、単語の頭子音や、時には末尾の子音にこだわることで、デクラメーション的な歌唱が効果的になる場合もあります。ここでは、子音のさまざまなクラスについて考えてみましょう。
クラス1 – f, s, z, sh, th, wh.
これらは声を発することはできませんが、声とは独立した独自の音を持っています。
このうちの1つが単語の頭にある場合、声を出す前に独立した音として聞こえるようにしなければなりません。
語尾につける場合は、声が止まってから鳴らさなければなりません。
したがって、次のように歌うことになります:
EXAMPLE
左:子音で始まり、子音で終わる単語で、声とは独立した独自の音を持つもの。
右:独立した無声音が冒頭と途中に出現する単語。
もし歌い手が、上記の独立した音が聴こえるようになるまで声を出さないようにしなければならないという事実を知らずに、早急に声を無理に出そうとすると、必然的にうまくいかないとはいえ、そうしようとするだけで、筋肉に力が入り、体の一部に緊張が生じ、声音の美しさを奪い、歌い手の自由を奪うことになるでしょう。
私たちが耳にすることの多い、力んだり、緊張したり、効果的でない歌唱のどれほどの部分が、単にこの重要な事実を知らなかったり、無頓着であったりすることに起因しているのか、理解している人はほとんどいないでしょう。
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クラス2 –
次の子音、b、p、d(k、q、c)、t、g、j、chは、語頭では無声であり、子音に続く母音が有声化されたときに初めて聞こえるようになります。従って、これらのうちの1つが単語を始めるとき、歌い手は音が歌われるまえに、その音の形を無言で作っておかなければなりません。これが単語の途中で発生すると、一瞬だけ発声が中断され、次の母音が発音されるときに再び聞こえるようになります。語尾につける場合、その特徴的な爆発音は、声が途切れた後、かすかな母音eを帯びたときに聞こえるようにしなければなりません。
歌い手には、最後のかすかな母音を含む最後の爆発音は無声であることに留意してもらいましょう。
EXAMPLE
左:子音が冒頭では無声であり、末尾で(声を出さずに)発音される単語。
右:無声子音が真ん中にある単語(声を中断する)。
クラス3 –
以下の子音、l、m、n、r、w、y、ng、tn、dnは、声音が部分的にしか遮断されないため、発声が可能です。
r、w、yを歌うとき、声は口の中を自由に通ります、 wとyはooとeeと同じです。
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その他はすべて鼻音です。そのため、発声を明確にするために必要以上に長くは発音しない方がよいでしょう。
上記の子音が単語の先頭、中間、末尾のいずれに出現しても、鼻音の子音では音質に一定の変化が生じるものの、声が完全に途切れることはありません。
芸術家にとって必要不可欠な、発声のしやすさ、自然さ、明瞭さを獲得するために、歌い手は常に、子音の性質と声との関係、そしてその正確な形成に関する本能を完璧に精神的に理解することによって、望ましい発声の自然さがもたらされるのであって、発音するための労力や、マウシング(口パク)や、いかなる種類の努力によってももたらされないということを心に留めておくべきだということを、結論として付け加えておきます。
歌唱、特にデクラメーション型の音楽では、音節全体が音に取り込まれ、楽音を特徴づける効果を持たなければならず、その2つは今や1つとなっています。
2023/06/29 訳:山本隆則