THE PHILOSOPHY OF SINGING
歌唱の哲学

Part 3

第2章
THE SCALE OF THE EMOTIONS
感情の音階

私は以前、声は常に歌い手の何らかの感情を聴衆に伝えるべきであり、実際、本当に感じていることを表現する目的以外では、音を発声すべきではないと述べました。この真の感情の表現はきわめてシンプルなプロセスであり、その実践は決して難しいものでは ありません、というのも、それは自然なことだからです。声は本来、考え得るあらゆる感情の表現に適しており、最も暗いものから最も明るくきらびやかなものまで、すべての感情の音階に対して適切な音-色を提供するからです。

さまざまな感情をグループに分けると、声区の違いにその類似性を見出すことができます、 声区が音階の音群を表すように、それぞれの声区は感情の異なるグループを自然に表すからなのです、 そこでは、歌い手は声を自由に、抑制することなく出すので、声区によって表現されるさまざまな音質の自然な特徴がはっきりと現れるのです。

特定の声区は、他の声区よりも多彩な音色をもたらし、その結果、より多様な感情を表現したり、同じ感情をより細やかに変化させたりするのに適しています。

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上の胸声区と下の中声区と上の中声区は最も幅広い表現ができるのに対し、下の胸声区と頭声区は音色の多様性に欠けています。例えば、下の胸声区は厳粛、陰鬱、陰気な表現にのみ適し、上の胸声区は悲しみ、哀愁、怒り、軽蔑、非難、哀れみなどの色彩を与えます。低い中声区、つまり喉の振動は、愛、穏やかな幸福、喜び、憧れの情熱、熱意、賞賛、希望、信仰などを表現します。上の中声区、つまり口の振動は、喜び、遊び心、優しさ、純粋さ、無邪気さ、また漠然とした神秘的な感情を表現します。頭声区は、明るく、きらびやかで、華麗で、歓びに満ちた表現に適しており、いかなる情熱をも感じさせません。

また、声だけが、さまざまな感情を完璧に表現するための音色を提供できる楽器の特権を享受しているわけではありません。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4本の弦は、それぞれ自身の中に同じ固有の相似的色をもっています。管楽器もまた、異なる部分で異なったクラスの感情を表現するのに適しています。

ベルリオーズは、近代オーケストレーション論の中で、『オーボエのアクセントには、率直さ、素朴な優美さ、柔らかな喜び、あるいはか弱い存在の悲しみが似合う』と述べています;また後に、『ベートーヴェンは、オーボエの喜びに満ちたアクセントにもっと多くのものを要求したが、悲しげな、あるいは寂しげなパッセージは、それに劣らず見事に成功した』と述べています。

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ここでは、さまざまな楽器と、そのさまざまな音色がどのような感情をもたらすかについて言及することはやめましょう; 聡明な作曲家なら誰でも、暗い表現の音階には主に楽器の深いレジスターと深い音の楽器を使い、明るい表現の音階には中・高レジスターとより高い音程の楽器を使うという事実に気づくだけで十分でしょう。また、抒情的な表現や劇的な表現に優れた感覚を持つ声楽作曲家たちは皆、暗い表現には低い声区を、明るく、楽しく、やさしく、遊び心のある表現には高い声区を、本能的に用いてきたことも特筆すべき事実です。そして、作曲家の劇的直感が細やかであればあるほど、上に述べたような音色の計画は、意識的であれ無意識的であれ、彼の楽音においてより完全に行なわれることになり、その結果、歌い手にとっては、感情を真に雄弁に表現する上で、作曲家と協調することがより容易かつ自然になるのです。この事実は、よく観察する人にとってはあまりにも自明のことでことさら説明する必要はないでしょう。私の主な目的は、それを認識していないであろう人たちにこの既存の音色の音階に注意を喚起することだけです。この音階は、単に真の音楽的感覚に恵まれた真の作曲家が直感的に従う一方で、一人前の知的な音楽家は意識的に従い、自分の作曲における法則としてその価値を最大限に発揮しようとします。

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従って、自分の声の中に、音のさまざまな個性があることを認識し、声を出す際に、それらが絶対的に自由で明瞭に主張できるようにすることは、歌手の教育の重要な部分とならなければなりません。また、これらの異なる音のキャラクターを、互いに区別し、それらを徹底的に感じ取り、認識され、そしてそれらが自然に堂々と無意識のうちに自己主張するまで保ち続けなければなりません。

声区に属する感情、あるいは感情群のひとつを、声のその位置にぴったり合わせることに関する完全な厳密さは、その方式を声の自然な表現に合わせることができる練習においてのみ観察することができます;しかし、私は声の練習において、この自然法則に忠実であることを強く推奨します;なぜなら、そうすることでしか、それぞれの声区に属する音色の真の特徴を、その完全性を保ったまま維持することができないからであり、また、楽曲が要求する音色の変化、移調、混合はすべて、それが必要とされる場所で、とても自然に、とても簡単に、とても自発的に、とても無意識に行われるため、準備も練習も必要ないからなのです。

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異なる声区は、上に挙げたように、異なる感情のグループをはっきりと表現し、特定の感情が発声メカニズムに直接的な影響を及ぼします、 歌の中の特定の音、パッセージ、フレーズが、歌い手が歌っている声区に属さない感情を呼び起こすことが必要な場合、その結果、歌われる音質はミックスされたものになります。このように、声のメカニズムの多様な変化によって無意識のうちにもたらされる音色の多様性は、まさに素晴らしいものです。

作曲家には、感情と声区の音色の間のこの法則を、常に厳密に観察し、それを遂行することはできないので、歌い手はしばしば混合声を利用しなければなりません、 そのため、歌い手は自分の声を使う際に、少なくとも純粋なレジスターの音質と同じくらいの頻度で、混合声の音質を使わなければなりません。しかし、実際にはそうではないのです。日常の練習においては、声区の自然な色調を維持し、その結果、声区と親和性のある感情や情動を呼び起こす方がはるかに望ましいことです。これは、画家がパレットの上で、色合いを混ぜ合わせたり変化させたりする際に、原色を互いに区別しておくのと同じ原理なのです。画家のパレット上の色彩が、互いに混ざり合ってしまえば、すぐに識別できなくなってしまうように、また、そのような混乱した素材では、すぐに明確な効果を生み出すことができなくなってしまうように、歌手もまた、適切な固有の音色に彩られた、明確で統合された感情表現を失ってはなりません; この音色は、画家のパレットに描かれた原色に相当し、画家はそこからあらゆる色合いと音調をブレンドして創作しますが、大きな違いは、画家が意識的に色をブレンドするのに対し、歌い手はそうではないということなのです。

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歌い手が呼び起こす感情は、音を描くプロセス全体を支配する絶対的な統治者なのです。色を混ぜ合わせ、その上に色を重ね、身体的な機械全体を動かして、感情を音に投影します、 歌い手はその過程を意識することなく、ただ自分の目的だけを意識します。

従って、歌い手は、声の訓練において、すべての音あるいは音群に、常によく選ばれた感情を当てはめる習慣を身につける必要があります。これは、ゆっくりとした練習でも非常に簡単に行うことができます。持続音やゆっくりとした分離音、アルペジオや 音階の練習を非常に面白く、かつインスピレイションに満ちたものにし、練習におけるマンネリ化した 習慣はすぐに消え去り、声の練習における強烈な喜びと楽しみがそれに取って代わるのです。さらに、このように常に適切な感情を音に適合させることを追求することで、歌い手は次第に、さまざまな母音とさまざまな声区の音色、ひいては感情そのものとの間に、思いもよらない最も興味深い類似性があることに気づくようになるのです。

これらの認識は心に押し寄せ、物事の大いなる素晴らしい統一性をこれまで以上に完全に理解し、実現するよう心を奮い立たせるのです。

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音作りの日常的な練習において、上記の法則がどのように適用されうるか、いくつか例を挙げてみましょう。

Solemn(厳粛な)
Menacing(脅迫的な)
Deprecating(非難する)
Sorrowful(悲しい)
Pathetic(感傷的な)
Loving(優しい)
Yearning(憧れ)
Serenely happy(穏やかな幸せ)
Hopeful(希望に満ちて)
Joyful(悦ばしい)
Enthusiastic(情熱的に)
Playful, or tender(陽気な、または、優しい)
Gay(華やかに)

もちろん、上記の感情や雰囲気は、それが示された音だけに適応するものではなく、歌い手が自由に変化させることができます。上に挙げた例は、単なる示唆にすぎません。声の自然な音から劇的表現の完全なアルファベットを開発する目的で、完璧な一連の練習を考案することは簡単かもしれませんが、今ここでそれを行うことはこの仕事の範囲にはありません。さらに、声の練習においてすべての音や 音のグループに対して何らかのムードや感情を形成するという考えを理解し、それを受け入れることのできる知的な歌手であれば、私がすでに提案したことから、容易にそれを実践し、自分自身に適用することができると確信しています。したがって、ルーラード、素早いアルペジオ、音階、トリルなどはすべて、もちろん例外はあるにせよ、陽気で楽しい気分で歌うのが正しいということだけは付け加えておきます。

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低い声区の音は、この場合、純粋な声区の響きからいくらか変化します、このことは、ここまで述べてきたように、明らかでしょう。

下の胸声区と上の胸声区の2つの声区しかないバスボイスは、テノール、コントラルト、ソプラノに比べ、理論上、多種多様な感情を表現することができません。しかし、自然は補償と適応の法則を常に用意しており、バス・ボイスが真の感情によって適切にかき立てられると、希望する表現に対する発声機構の素晴らしく微妙な適応によって、大きくて美しいコントラストと音色の陰影が無意識のうちにもたらされるのです。しかし、音作りの練習では、バスは、厳粛、厳格、武骨、英雄的、威嚇的、高貴、威厳、悲哀、哀れ、懇願などの感情の表現に限定すべきです; というのも、明るく、優しく、楽しい感情を呼び起こすことを常とすると、高音域の充実した男らしい声区が次第に崩壊し、その声区は金属的で硬質なものになるか、空虚で生気のないものになってしまうからです。それゆえ、彼は自分の2つの声区に満足し、その自然な美しさと力を十分に、そして自由に発達させ、発声の瞬間には、彼が持っている声区とは別の声区に本来属する感情の表現については、自然の法則に任せましょう。

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テノールには、厳粛な、厳しい、武骨な、英雄的な、威嚇的な、高貴な、威厳のある、寛大な、悲しげな、懇願する、悲愴な気分や感情に必要な声区があり、さらに、ソプラノやコントラルトの低い中声区、つまり喉を振動させる声区に対応する声区があるため、穏やかな幸福感、愛情、希望、憧れ、喜びの感情に自然な声色を与えることができます。彼も同様に、この広い表現域で満足するようにさせてあげましょう、 そして、ソプラノやコントラルトの上の中声区、つまり口の中で振動する声区に属する、遊び心のある、あるいは女性的な優しい感情を損なわないようにしましょう、 ただし、ルビーニのようにハイCを超える音域を持つ場合は別です。

結論として、歌い手が呼び起こす感情は、意志をかき立て、可塑的な発声メカニズムに、それ自身の完璧な表現のために適切な音色を提供するよう仕向ける限りにおいて、発声メカニズム全体を間接的に制御するのであり、声の異なる声区に内在する主要な音色は、ドラマや叙情詩の構成によって常に変化する感情に合わせて、自然に混ざり合い、移り変わるのであり、感情そのものを選択する以上の意識的なものは、このプロセス全体には存在しないということを私は繰り返します。

2023/08/09 訳:山本隆則