THE GERMAN SCHOOL OF SINGING:
A COMPENDIUM OF GERMAN TREATISES 1848-1965
by
Joshua J. Whitener
Submitted to the faculty of the
Jacobs School of Music in partial fulfillment
of the requirements for the degree,
Doctor of Music
Indiana University
May 2016
Accepted by the faculty of the
Indiana University Jacobs School of Music,
in partial fulfillment of the requirements for the degree
Doctor of Music
Doctoral Committee

歌唱のドイツ楽派:
1848-1965ドイツ論文の解説

 

German school of Singing:歌唱のドイツ楽派は、呼吸に対する筋肉的アプローチ、胸の過剰な拡張、より暗い音の優先度、作られた喉頭の位置、そして、発声を上回るテキストの強調の原理によってしばしば特徴づけられる。歌手、歌唱教師、音楽学者、作曲家そしてコンダクターは、ドイツ・アプローチを理解するために、原典、翻訳された著作物と二次分析を含む、古くから伝わる芸術作品の鋭い観察と徹底的な研究に頼る。英語圏の聴衆が一般的にドイツのテクニックを「知る」のは、英語の著作か、Richard Millerやドイツの教育者(例えばMarchesi、StockhausenそしてLehmann)のような研究者の翻訳版を通してです。しかしながら、ドイツの教育者によるいくつかの有力な著述の脱落はいまだに英語に翻訳されず、ドイツのテクニックの進化と今日の歌唱教育への適用性を充分に理解することを妨げています。
この分析は、1800年代中頃に始まり20世紀の中頃に至る9人のドイツの教育者によって主唱された歌唱法に対するアプローチを明らかにします。この論評の出典としてのこれらの著者のオリジナルのドイツの著述を使うことで、ドイツ・スタイルの成長にしたがい、独自のドイツ・メソッドをつくるために、他のヨーロッパの諸テクニック(特にイタリアの原理)から離れたいという願望があったことがはっきりとわかります。にもかかわらず結果的に、多くのイタリアの考えがドイツ・アプローチの中に残りました。重要なドイツの著者の確信と歌唱テクニックを比較することによる、ドイツ・スタイルの年代順の評価が、German school of Singingの本質を特定してくれます。これらの中には、横隔膜‐肋間呼吸、呼吸筋肉組織の弾力的な張力、imposto(呼吸-共鳴結合)、chiaroscuro音質、声区をブレンドする際のヘッド・ボイスの重要性、音声のバランスをとる際の子音の使用、そして歌唱へのゲシュタルト・アプローチなどのイタリア式原理を含んでいます。これらの原理は、ドイツ人の好みと趣味に合わせて変更されました。

Table of Contents

Chapter 1: Introduction  1
Chapter 2: Mechanics of the Singing Voice  6
Chapter 3: Heinrich Ferdinand Mannstein  21
Chapter 4: Friedrich Schmitt  35
Chapter 5: Ferdinand Sieber  49
Chapter 6: Julius Hey  59
Chapter 7: Bruno (Benno) Müller-Brown  72
Chapter 8: George Armin  81
Chapter 9: Paul Brums  96
Chapter 10: Franziska Marienßen-Lohmann  108
Chapter 11: Frederick Husler  121
Chapter 12: Richard Miller  133
Chapter 13: Summary of Other Key Treatises  139
Chapter 14: Conclusion: A Definition of the German School of Singing  145
Appendix: Glossary of Terms  164
Bibliography  170

1

第1章:序説

過去の50年間を超える、歌唱のドイツ・アプローチの支配的な見解は、それが単一の孤立した一連の原理であったということである。しかしながら、ドイツ・メソッドの発展に対する他のヨーロッパの諸伝統の影響については説明されてきませんでした。イタリアあるいは他のメソッドのような先行する歌唱の伝統が、ドイツの教育者に影響するだろうことは直観的に理解できます。その影響力はいまだにはっきりしていません。その当時、他の歌唱伝統がドイツの歌唱に、影響を与えたかどうか、またどのように、もしそうならば、どの程度なのか? あるいは、ドイツ・メソッドは、他の伝統と関係なく生れたのか?

この論評は、歌唱に対するドイツ・アプローチを考案し、発展させ、洗練させたドイツの著者の有力な著述を詳しく述べています。選択された著者たちは、この歌唱スタイルの発展に重要な貢献をした人々でした。全体的な歌唱へのドイツ・アプローチが成長するにつれて、どちらの要素が「正しい技術」の基本なのか、そして、これらが歌手によってどのように練習されるべきかについて、教師たちのあいだで意見の不一致がありました。例えば、George Arminは、歌唱に対する回答はStauprinzip(せき止め原理)であり、筋肉の蓄積と、声帯に逆らって息をせき止めることにあると感じた。しかしながら、Paul Brunsのような同時代の人はこの考えを強く非難し、その代わりに、Minimalluft(最少空気)と呼吸筋(例えば、腹筋)の弛緩の使用が歌唱と結びつけられることが問題の解答であると主張しました。

歌唱へのドイツ・アプローチについて、英語圏で我々が知っていることは、翻訳されたドイツ語の著作と英語の要約を通してです。これらがドイツのテクニックを理解するためには有益ではあるが、出版されずに英語では入手できないオリジナルのドイツの論文は、この理解をさらに広げ、拡張することができるでしょう。従って、この組織的論評の目的は、German school of Singingを記述するためにこれらのドイツ語の著作を取り入れることによって知識の基盤を増すことでである。最終的に、この論評は、英語の情報資源からのデータを支えると共に、ドイツの歌唱テクニックをより総合的に理解することを意図しています。

 2

アメリカ人著者、Richard Millerは、彼の著書 National Schools of Singing (1977)の中で、ドイツ・アプローチの総合的な英語の考察を最も多く与えました。国民的なメソッドについての要約は、25年に及ぶプロの歌唱に関する彼の個人的な観察報告に基づいています。彼のテキストで、彼は、何が「German school of Singing:歌唱のドイツ楽派」を決めるかについて、最も一般的な概念を記しました。たとえば、Millerは、Bauchaussenstutze(腹を膨張させた支え)*1 の呼吸テクニック、声区を統一するためのDeckung(パッサージオ・ポイントで暗くするメカニカル)*2 とドイツ・アプローチへの鍵となる要素としてのフォネイションにおける正しい咽頭腔をつくる試みのNach-hinten- Singens(後方への歌唱)を確認しました。*3
Millerの調査が一般に現場の観察に集中したので、German school of Singingを明確に述べるオリジナルの文書化された原典について、実はほとんど知られていません。Julius Hey、Friedrich Schmittそして、Franziska Martiensen-Lohmannのようなドイツの教育者は、ドイツの声楽の伝統に非常に大きな影響を与えました、それでも、英語の著作における彼らの影響力は限られ、特に、SchmittとHeyは存在しないに等しいものです。
ここにある論評は、19世紀初期から20世紀中頃までのこれらのむしろ無名の著者ならびに重要な人物の著作を含むことによって、この間隙に焦点をあてています。ドイツ歌唱アプローチを発現させる動きは1848年のMannsteinの初期の著述から始まりました。そして、それはイタリアの歌唱原理に大きく影響を受けました。Mannsteinが彼の考えを示したあとすぐに、Schmittは1800年代中頃に最初のドイツ声楽楽派をつくるために彼の試みを更に付け加えました。ドイツ・アプローチの進化は、Huslerが、German school of Singingの真の性質をさらに詳しく、解説した彼のテキストを出版した20世紀まで、十分に継続しました。
他のより知られていない英語の投稿がドイツの声楽を理解するために、この議論に加わります。


*1.Richard Miller、National Schools of Singing: English, French, German and Italian Technique of Singing Revistitted:歌唱ての国民的楽派:再検討されるイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの歌唱技術(Lanham, MD:Scarecrow Press、1997)、21。
*2.同上、135。
*3.同上、70。

3

Julius Stockhausen、Mathilde Marchesi、そしてLilli Lehmannによって書かれたオリジナルの論文は、規範となる教育学テキストとして英語読者の間で広く知られ、評価されています。StockhausenとMarchesiによる著述は、彼らの師ガルシアII(彼の概念は19、20世紀の間にドイツで一般に広く普及していた)の歌唱伝統を例証しています。彼らの著作物から、ガルシアの原理、特に声門の打撃(coup de glotte:クー・ドゥ・グロッテ)で作られると言われる正確な起声、母音の修正によるレジスター・バランス、すなわちclair(明るい)とsombre(暗い)音色、そして横隔膜‐肋骨呼吸の強調が、ドイツで歌手と声楽教師によって教えられ、採用されていたことははっきりしています。Lilli Lehmann(ガルシアの生徒ではない)もまたこれらの同じ原理の多くを彼女自身のそれぞれのアプローチに取り入れていました。重要なことは、彼女は歌手の用語を科学の言語と結合したことでした。
もう一人の教師、英語圏ではよく知られていませんが、Johannes Messchaertはドイツ歌唱伝統の考察にとって重要です。彼の著作は、ここで引用される他のものより影響力は大きくありませんが、彼の原理はドイツ楽派の発展をよく反映しており、ドイツにおける発声教育学の進化を十分に理解するためには必要です。
9人のドイツの著者が、この論評に含まれています。これらの著者の選択は、分析のため、いくつかの判定基準に基づいています:(1)ドイツの歌唱伝統の貢献にとっての、歴史的な位置、(2) 英語圏の世界における彼らの方法についての知識の不足、(3)「正しい」テクニックについての同時代の人によるに論説、(4) 1848-1965年の時代にわたるドイツのテクニックの開発の年代順配列、そして、(5)歌手を育てる個々の方法の成功。
1848年に論文を出版したHeinrich Ferdinand Mannsteinは、ドイツにおいてイタリア声楽楽派の存在と最も明確に結びつく著者の1人なので、この論評のための出発点として重要です。
彼の歌唱マニュアルは、有名なカストラートであり声楽教師のAntonio Bernacchiの4つの教えを取り込み、見習おうとしました。*4

4

1853年に続いたFriedrich Schmittの仕事は、特にドイツの原理の上に築き上げられるために歌唱の楽派を企てることに費やされ、*5  Julius Hey(1884)の努力によって後に続けられました。*6  HeyのRichard Wagnerとの緊密な関係と協同は、朗読、Deutscher Gesangs- Unterricht, Der kleine Hey(1912)の凝縮されたバージョンでドイツ語における最も有名な作品の1つになりました。ドイツのオペラの発展に対するWagnerの影響力は中心的なものであり、ドイツ・オペラのスタイルの国粋主義的な所有権を促進しました。*7
Mannsteinの貢献の37年後に書かれたFerdinand Sieber(1885)の著作は、イタリアの伝統と、ドリスデンでのJohannes Mikschと、イタリアでのGiorgio Ronconiとの勉強の経験を通して彼が開発した原理の影響を反映しています。*8 同時に、Bruno Muller-Brunow(1890)は、彼のスピーチ・ベースのアプローチにおいて歌唱(Tonbildung)への新しい生理的‐機械的アプローチを示しています。*9  George Armin(1909)はTonbildungの同じアプローチを続け、Stauprinzipの非常に論争の的となる方法を加えました。そして、それは彼が言う声の二元論的な性質を一つにするための「息をせき止める」テクニックでした。Paul Bruns(1929)は、後にArminのメソッドを攻撃し、その代わりに最少空気の技術と呼吸筋組織の弛緩を主張しました。*10
20世紀中頃までに、Franziska Martiensen- Lohmann(1963)は、前のドイツの教育者ならびに古いイタリアのマスターの要素を取り入れて、円熟した国際的楽派のアプローチを提示しました。*11


4. Heinrich Ferdinand Mannstein, Die grosse italienische Gesangschule (Dresden: Arnoldischen Buchhandlung, 1848), 3.
5. Friedrich Schmitt, Grosse Gesangschule fur Deutschland (Munchen: Beim Verfasser, 1854), 7.
6. Friedrich Blume and Ludwig Finscher, Die Musik in Geschichte und Gegenwart: Allgemeine Enzyklopadie der Musik; Personenteil,12, (Kassel: Barenreiter 2004), 1505.
7. Julius Hey, Deutscher Gesangs-Unterricht. Lehrbuch des sprachlichen und gesanglichen Vortrags (Mainz: B. Schott’s Sohne, 1884), 2-4.
8. Ferdinand Sieber and Ferdinand Seeger, The Art of Singing (New York: Wm. A. Pond, 1872), 14.
9. Franziska Martiensen-Lohmann, Der wissende Sänger: Gesangslexikon in Skizzen (Zu.rich: Atlantis-Musikbuch-Verl., 1988), 147.
10.同上、148。
11.同上、148。

5

Frederick Huslerは、彼のテキストでドイツ・アプローチを作る重要な教育者を更に詳しく説明し、そしてそれを疑いの余地のない専門分野にする望みから、歌唱プロセスの謎を解くために生理学を使う最初の人物の1人となりました。*12 彼の著作は、今でもドイツ中の音楽学校の声楽教育の決定的なガイドとしての役目を果たしています。*13
ここにある論評は、ドイツの著者の各々にとってのキー・ポイントを詳述して、考慮中の話題にとって中立的な英語の文書にまとめています。歌唱にとって基礎的な要素は、呼吸、共鳴、フォネイション、声区そして各々の論文の独特の側面に関する議論を含み、著者によって詳細に述べられます。従って、この論評の目的は、歌唱に対するドイツ・アプローチ ― 歌唱のドイツ楽派 ― を定義するための努力の成果において、すべての著者によって擁護された技術の多様な要素を比較検討することとなります。


12. Frederick Husler and Yvonne Rodd-Marling, Singing: The Physical Nature of the Vocal Organ: A Guide to the Unlocking of the Singing Voice (London: Hutchinson, 1976), xiii.
13.私がこの論文のための引用を選択したとき、私はドイツの同僚の多くにどの文献が彼らの活動で最も有益であるかについて尋ねたところ、大多数がHuslerの著作をよく知っていて、彼らの研究でそれを使ったということです。同じことは、本論文で再検討される他の引用では言われることがありませんでした。