“La Gloria d’Italia.” ”Il re dei baritoni” 等と言われたイタリアの名バリトン。
彼の師匠は、Wenceslao Persischini で、Battistini 以外にも、Titta Ruffo, Giuseppe De Luca (De Luca によると、少なくとも74人の芸術家を教え、De Luca は、最後の弟子(Brower, 1920, p.63))等を教えた有名な教師。
数多くのレコード録音が残されているが、イギリス、クイーンズホールで、65歳の時のリサイタルで、全く衰えを知らぬ声は多くの書物に於いて語り継がれている。彼は、楽派をつくって、後世に自分のメトードを伝えないのかという質問の答えに、「私のメトードは全てレコードの中にある。」と答えています。しかし、彼の弟子として、ロシア生まれのコロラトゥーラソプラノ Paola Novikova (1896-1967) がいます。彼女は、George London, Nicolai Geddaをはじめ数多くの名歌手を教えています。
Novikovaのメト-ドは、”Coffin’s Sounds of Singing”  の第1章に詳しく書かれています。

【証言】
息が長いことで有名で、ブレスについての質問に対して次のように答えた。「歌のために、花のにおいを嗅ぐときより多くの息を取らない。」

彼は、『力は正義なり』と信じたバリトンの同僚を叱責した。(ひょっとしてルッフォのことか?)
Battistiniは、1909年に自分の立場を弁明した:
[この力強い同僚]は、低音に負担をかけすぎて、そして、中間を強制する。その結果、彼はわたしより若いにもかかわらず、彼の最高音はすでにビブラートが現れている。彼は一つの音色しか用いない ― 強力なフォルテ ― そして、歌唱の唯一の美しさは音量にあると信じている。彼は劇的な役だけを歌う、そして、何人かの人々は『Battistini自身』より効果的にそれらを歌うと言う。しかし、…それぞれの歌は彼自身のものである。
私は、声を損なうほど強力に低い音を歌ったり、同僚が使うような労力でOtello-Iagoデュエットを歌うようなことは決してしない。私の長所は、カンティレーナに、声の柔らかさとアジリティに、音質に、― 言葉に、音楽性にある …
人は生涯を通じて、これらの声質で名を上げなければならない、決して超劇的バリトンの短命な栄光を推し進めてはならない。それでこそ、あなたは本当の芸術家(知的なプロ)となり、―たとえどんなにたくさん歌っても ―高齢までいかに声を維持するかについてわかるだろう。[WE SANG BETTER, p. 129]