多くの歌の教師と歌手自身は、「発声器官と接触する」ことの重要性、それがどのように働き、そして、その中の微妙な調整が歌唱パフォーマンスにいかに影響を与えるかを知ることの重要性にしばしば言及する。これらの線に沿って、 多くの注意はしばしば、歌唱教師と歌手が、何が歌唱中の呼吸の「正しい」か「最高の」か「好ましい」方法であると信じていこと、ならびに呼吸のこれらの方法と関係しているいろいろな「イメージ」に集中する。人は、歌手がより多くの訓練をし、彼または彼女のパフォーマンス経験がより広範囲なほど、彼または彼女の歌唱パフォーマンスに必要とされるメカニズムについての信念をより正しいと考えるかもしれない。さらに、人は、特に高度に訓練された歌手が、歌唱中に呼吸器でしていることと触れ合っていると思うかもしれない。現行の調査は、一般にこれらの予想のどちらも支持することができない。それとは反対に、高度に訓練され、時にはコンクールにおける成功によって認められた歌手は、たいてい歌のパフォーマンスに関連したメカニズムについての正確な知識がないことをその調査は証明する。(p. 119)

不一致の一部は、正確な呼吸器部分の機能の十分な理解を欠く現行の被検者達までたどることができる。たとえば、一人の被検者は肺の中から空気を持ち上げて押し出すために横隔膜を使うと言った、しかし、もちろんそのようなことは起こるはずがない、なぜならば 横隔膜は吸気力しか与えることができない筋肉だから。不一致の一部はまた、身体的原理に関心を持つ、現行の被検者達の誤解にさかのぼることができる。そして、いくつかは、呼吸生理学と力学に関連する原因と結果を含んでいる。たとえば、1人の被検者は、空気が肺に入って横隔膜を沈める方法について書いた、それは横隔膜の降下によって空気が肺に入るのである。もう一つの例は、1人の被検者は彼の呼吸器を底からてっぺんまで満たされた 巨大な容器であると書いた、ところが、もちろん肺への流れの分布はそのような勾配曲線を示さない。歌手の考えと実際の現象の間の更なる不一致は、現行の被検者がシステムとしての呼吸器の機能に関しする誤解に由来する場合がある。たとえば、「私は、空気を吸い込まない」、そして、「呼吸は、空気を『肺に落とす』ことによって達成される 」、のような被検者たちの声明は、これらの被検者達が、呼吸器は肺システムに空気を吸い込む陰圧ポンプであることを知らなかったことを示している。もう一つの例は、「空気は体から押しつけられるのではなく、解放される」そして「呼吸は、まるでため息をついているように口から吐き出される」のような説明は、それらの著者が、歌唱中の呼吸活動の呼気相が呼吸器から空気を文字通り追い出す恒常的な筋肉のコントロール下にあることを理解していないことを示唆する。このように、メカニズムについての現行の歌手の考えと実際のメカニズムがいくつかの理由のために一致しないことがわかる。そして、そのほとんどは呼吸行為の正確な生体力学的測面の誤解に関するものであった。歌うことの民間伝承は、体の生体力学と芸術的パフォーマンスの間の変換にかかわる誤解をたくさん持っているので、人はここの結果に驚いてはならない。(pp. 119-120)