私は、以前から歌唱上において、たとえ譜面上にアクセントのマークが付いていたとしてもアクセントは付けないよう生徒に指示してきました。子音が弱く、母音が強い日本語を使う我々日本人は、歌唱中にアクセントを付けようとするとき、母音を強くしようとします。アクセントだけではなく、日本人は子音の存在に対する認識が極端に弱いので、歌唱時の言葉の操作はほとんど母音上で成そうとする傾向があります。その結果、開母音言語(母音で終わる言語)である日本語では、フレーズの終わりが必ず母音で終わる(唯一の例外は、「ん」です)ので、長く伸ばされた母音や、フレーズの終わりの母音のなかに、感情を込めたり、いい声を聞かせようと思ったりする結果、声を押したり、お尻の重たいフレージィング作るという多くの日本人歌手に観られる典型的な悪い癖が生まれます。同じ開母音言語であるイタリア語やスペイン語などでは、その傾向はあまりみられません、それは子音が強くなくてもアルファベットを用いた言語で子音の認識がちゃんとあるからです。日本人は、子音だけを単独で発音できない生徒がざらにいます。日本語では、アルファベットの助けを借りずに子音だけを表記することはできません。
この母音に対する強弱アクセントは、発声上かなりのリスクを伴います。上記の問題を日本語とは正反対に、子音が強いドイツ語の側からの見解が、マルティーンセン=ローマン(1956)に見られます。
強弱アクセントは歌手にとって、彼の発声器官に対する特別な危険となることがある。横隔膜や胸郭筋の突然の動きによる激しい(しかもしばしば意図せざる)アクセントづけや、まだできもしないデクラマツィオーンの技法や、まだマスターしてもいない子音の誇張化は、声唇の柔軟な機能を粗雑に傷つけかねないので、危険な遊戯である。
リヒャルト・ヴァーグナーは声をつぶす作曲家という悪評を甘受しなければならなかった…初期のワグナー歌手はソルフェージュとヴォーカリーズ(母音による発声練習)で育ってきて、ワーグナー音楽の超人的な神々や英雄が大げさに発声する言葉の暴威には、まったく慣れていなかった。彼らは、言語的に重たいアクセントには不可欠な前提であるところの、呼吸的に支えられた子音と母音の統御された遠心力を、一度も学んでいなかった。そこで彼らは、彼らの能力では不可能な表現の烈しさに傷ついたのである。声楽というと、ただイタリアのほうを向く習慣のせいで、当時子音の多いドイツ語は声楽的殺人道具のように思われたのであるが、このような考え方は本当は適切ではない…まさに悪評高い子音が有意義なアクセントづけを促進するすばらしい手段として役立つ―いかなる強度においても、子音の発音を最高度の明瞭さにまで高めることによって。
上述の子音の統御された遠心力とは何を意味するのであろうか? デクレッシェンドにおいて、強いアクセントの〈把持〉を母音の中にまで持ち込むためには(また母音は母音で、同一の呼気の圧力の激しさに決してさらされ続けてはならない)… 勢いに上手く〈ブレーキをかける〉という真の名人芸が要求される。 《フィデリオ》の〈Abscheulichcher, wo eist du hin (悪者よ、どこへ急ぐのだ)〉という箇所における sch の音の烈しさは、そのような子音把持がなければ、母音を極端に誇張してしまうことになるであろう。
歌唱におけるアクセントの扱いは、母音的アクセント(強弱アクセント)よりも、子音的アクセントのほうが望ましいことが、上の引用から読み取れます。
イタリアの教師、例えばG. B. Lampertiは、「無声子音は発声の敵である。」というようなことを言っていますが、イタリア語よりもずっと子音の多いドイツ語において子音を母音の味方にするという発想は非常に重要なものだといえます。
では、子音的アクセントとは何なのでしょうか?
子音は、息の流れを止める(破裂音、k、p、t)や(閉鎖音、b、d、g)、狭くして息の流れを悪くする(歯擦音、s、z、sch)など、息の流れを阻害することによって作られる、いわば雑音です。例えば、[k]のように硬口蓋と舌で強く息の流れを止めなければならない場合、硬口蓋と舌の接触ポイントに最も適切な息のためを保たなければなりません。もし、ためがすくなければ[k]の発音は弱く不明瞭なものとなるし、強すぎれば、その後に続く母音にも過剰な息を排出して危機的な状態になったり、母音の発声のための喉の形を崩してしまったりするでしょう。
つまり、母音と子音は、別々のメカニズムで作られる音ですが、互いのメカニズムに悪影響を与えることなく、瞬時に変換する必要があるのです。そのとき、「勢いに上手く〈ブレーキをかける〉という真の名人芸が要求される。」のです。
子音アクセントを強くするためには、流れをとめられた息のためを大きくしたり、狭くした通り道に息を勢いよく通過させ摩擦音を大きくしたりしなければなりませんが、そのあとに続く母音の発声のためには素早くブレーキをかけなければなりません。子音自体が極端に弱い日本語を使うものにとって、この操作は大変困難なものとなります。しかし、その不利な条件をまず理解し、練習によって克服すればネイティブにそれができる西洋人よりもかえって技術的にうまくできるはずです。
子音的アクセントとは、やみくもに子音を強くすることではなく、子音の明快な発音に必須のためを次に来る母音との関係で生み出す事によって達成されるものであると言えるでしょう。
最も初歩的なエクササイズとして、単独の子音を発音することから始めてください。日本語には単独の子音は存在しません(例外は、人を静かにさせるときに、唇に人差し指を当てて「シィー」というとき)。それゆえ、この単純なエクササイズも実行してみると思った以上にむつかしいかもしれません。
あなたは、[L]の子音を長く伸ばすことができますか?