[コーネリウス・リード:声の用語辞典 1983年 p. 334]

振動感覚:Sensation of Vibration:

音源(喉頭)または体、特に胸部、顔面マスク、鼻腔の周辺部にあるように思える、発声中に生じる運動学的な印象。
感覚(求心性)神経の振動励起には2つの原因がある:

  1. 随意または不随意の筋肉運動で、遠心性神経刺激に応答して起こり、実際に振動を発生させるもの。又は、
  2. すでに発生している振動を骨伝導で身体の他の部位に放射すること。

歌い手にとってわかりやすい振動の感覚はたくさんある。例えば、音程が「高い」「低い」と感じるのは、音程の上げ下げで起きる声区の変化に関する筋肉の動きを運動学的に認識するためで、胸声区が支配的な音と頭声区が支配的な音は「違う」と感じる。

このような振動の感覚は、簡単に識別することができる。
また、声帯の振動パターン(間違ったエネルギーによって無理やり近づけるか、正確な調整によって進んで近づけるか)によるか、筋肉による干渉を克服するために必要な代償的緊張の量によるか、さまざまなタイプの喉頭調整(高い、低い、喉を開く、絞める)などによって生じる影響についてはあまり追跡することができない。

振動の感覚は、症状の原因をほとんど示さないため、しばしば誤認されることがる。例えば、「マスクレゾナンス」の認識は、自由な発声法を持つ人がよく経験することであり、同じような感覚を意識する人は(それほど強くないかもしれないが)声の障害者としか言いようがない。これらの症状を評価する際に考慮しなければならないのは、すべての振動インパルスは骨格を通して放射されるが、その伝達は技術に存在する特定のタイプの筋緊張によって変更され、条件付けられるということである。振動の刺激を生み出す物理的因子はほぼ無限に組み合わせられるので、骨格を通過する振動感覚の質と強さは、それ自体では信頼できる指針とはならないのである。

したがって、歌手が経験するすべての振動感覚に内在する質的要因は、明らかにプラスとマイナスの両方の側面を持っている。顎の緊張、首の筋肉の硬直、喉の収縮、「ミックス・レジストレーション」など、誤った音作りの構成要素は、共鳴調整が開いたノドで声区バランスが取れている時と全く同じでない感覚をもたらすことがよくある。そのため、このような振動を「感じる」ということは、特に声帯の障害によるものと混在している場合には、あまり意味のないことなのだ。

訓練中に振動のある特定の症状に注意を向けるような指示は、教育学上の中心的な問題を回避することになる。症状に対する対処療法では、「混った」声区(技術的な問題の根底に常にある)を治すことはできないし、この機能不全が緩和または修正されない限り、この手段で正しい身体感覚を強化することはできない。正しく歌っている人が体験する振動の感覚を再現しようとしても、同様に無駄であり、感覚を「意志」によって実現することはできない。特に機能的な原理が適用されていない場合、まだ経験したことのない感覚を呼び起こすためにイメージや想像に頼るのは自身を欺くことに過ぎない。

ポジティブな感覚とネガティブな感覚が混在しているため、技術が低いと、ネガティブな症状が、一般的に好ましいとされている症状を消してしまうことがある。これは、もはや放射していない、あるいは存在しないという意味ではなく、単に解剖学上の他の部位に集中している、あるいは分散しているより強い負の緊張に打ち負かされたことを意味する。発声中に筋肉の動きによって感覚器官を興奮させる、良い影響も悪い影響も多様であることを考えると、振動の感覚を自己複製しようとする試みが間違った方向からアプローチしていることは明らかである。もし、振動感覚が筋肉の動きの産物であるならば、トレーニングの方法は症状に直接関わるものではなく、それを生み出す不随意の筋肉系を刺激して、反応のパターンを改善する方法に焦点を当てるべきであることは明らかである。
このように、問題の根本を解決することなく、機械的な欠陥を修正するために採用された概念の混乱は、学生にしばしば促されるさまざまなイメージからもうかがい知ることができるだろう。”音を前に置いて”、”前歯に当てて”、”ほとんど鼻の中に入れるが、完全に入れないで”、”目の間に母音を感じて”、”顔のマスクに響かせる”、”首の後ろから出て後ろに立つ人に聞こえるように歌う”、”口蓋垂で音を集める”、”深く喉で感じる”、”頭腔で感じる”、などです。

上記の振動の感覚に関する概念は、機能的な原理を包含していない。目的と手段を混同し、異なる身体感覚は異なる種類の身体調整の産物であり、それぞれはある明らかな属性と制限からなることを証明するだけで、それ以上のことはない。印象は物理的な現実の代用にはならないし、振動の感覚をその原因と共に正しく識別しない限り、発声技術を開発するための基礎として真剣に検討する価値はないのである。

上記のような「印象に基づく」解決策は、残念ながら教育学上の標準的な手法となっているものもあり、「鼻腔共鳴(nasal resonance)」や声の「配置(placement)」などは、その最たるものである。しかし、これらの解決策が実体を持たないことは、チャールズ・フレデリック・リンズレーが行った実験結果からも明らかである(1932年)。 かれは、振動の錯覚は、しばしば現実そのものよりも現実的であることを証明した。例えば、ファルセットは「頭」のみに響くように思えるが、頭の空洞よりも喉頭や気管の位置でより多くの反応を起こすことがわかった。もう一つの驚くべき例外は、振動インパルスが鼻腔、或いは “マスク “で共鳴しているという印象だ。この錯覚は、Warren B. Wooldridge(1954)によって払拭された。彼は、鼻腔を湿らせた綿のガーゼを詰めたが、音色の活力が失われることはなかったという。マスクの振動は「感じる」ことができるが、それは共鳴ではなく、明らかに骨伝導によるものである。

発声時の感覚を正しく評価するために、より適切な事実は以下の通りである:

音の振動は、喉頭咽頭内で発生する。そして、その音が通過する空洞によって増幅され、骨格のあらゆる骨構造を通して放射される。顔のマスクに感じられる振動を強めるために、振動する衝撃の活力は、音源(すなわち、喉頭)を生み出すことで増やされなければならない。したがって、共鳴システムの末端や周辺部で音波振動を強めようとしても、共鳴特性を高めることができないばかりか、音の発生源からエネルギーがそれるため、事実上強度が低下してしまう。

したがって、特定の振動の感覚を機能原理の地位に引き上げることは、教育学的に不適切である。なぜなら、

1. 感覚は、筋肉の動きの結果であり、原因ではないから;
2. 主観的な印象の本質を正確に記述することは不可能であるから;
3. 骨伝導と筋肉の緊張により、水面のさざ波のような振動が、喉と口の中の空洞を通して、骨格のあらゆる部分に放射されるから;
4. 周辺部や末端部で感じる振動感覚の程度は、発生源である喉に集中するエネルギー量に比例する。振動刺激を末端で強化しようとすと、この過程が逆転してしまうから;
5. 症状は、ある程度、健康な機能的活動と結びついた筋肉のインピーダンスの結果であるため、症状の質的差異は、喉の部分における身体的調整の質に依存することになるから;
6. 振動特性は、技術的な条件、すなわち喉の部分の身体的なコーディネイションの変化によって変化し、修正されるので、同じ症状を再現することにこだわり、それを永久に良いものと考えることは、本当の技術改善の可能性を排除することであり、その症状は身体的なコーディネイションの平行した表現となるから;
7. 理想とされる振動の症状を、概念的に示すにしても、模倣するにしても、まず物理的条件、すなわちテクニックが同一でなければ、うまく複製することは不可能であるから、そして、
8. 技術的な状態は、特定の振動感覚という形で表現されるが、反応式は不可逆的である―身体的なコーディネイションを行うことはできないし、症状から原因へと働きかけようとすると、否定的な結果を除いては変更することができないから。

実際的なレベルでは、歌手のトレーニングにおける最大の関心事は、自由な動きと表現を可能にするテクニックを開発することである。従って、ある特定の振動の感覚を強調しすぎることは、正しい発声の基礎となる機能的な原則を再確認することをおろそかにすることになる。

すべての発声に存在する感覚的な印象は、発声機構を賢く使うための貴重なガイドになる。しかし、その印象は、場所ではなく、身体の内部状態を知ることでなければならない。音楽的な刺激に身体器官が反応する方法の具体的な性質を精神的に認識するためには、歌い手がコミュニケーション経験との関係を全体として考えることが必要である。振動を感じる部分だけに集中するのは、この目的から外れてしまう。したがって、ある時期に、ある感覚が他の感覚よりも望ましいと思われた場合、症状の再現ではなく、プロセスに配慮して、それを実現し、生徒の意識に導入する必要があるのである。このプロセスでは、音の欠点を修正し、発声器官の全体的なメカニカル機能を向上させることを目的として、母音の修正と組み合わせて、レジストレーションに関する原則を適用する。

ほとんどの歌手が経験する感覚は、問題と密接に関連しすぎていて、解決策を提供することができないので、技術的な向上を図るために感覚に頼る教育的なやり方は、たいてい弱点になる。

 

2022/04/07 訳:山本隆則