渦巻運動理論 [Cornelius L. Reid,  A Dictionary of Vocal Terminology  p.418]
最初にDenis Dodart(彼は共鳴体を通して動く「渦」について論じた)によって19世紀初期の理論家に注目されて、20世紀の始まりの直前に英国の科学者Edward W. Scriptureによってに後に念入りに仕上げられた系統的論述。

Scriptureは、Wheastone-Helmholtzの上音理論の正当性を否定し、声帯は弦を振動させるような方法で振動するのではなく、パフの連続を生み出し、そして、捻れたコルク栓抜きのような流れで空気を動ごかし、口、鼻腔を通って洞に進入させることを発見した。。
Gunnar M. C. Fant(現代のスウェーデンの科学者)は部分的にScriptureの所見に賛成し、声帯によって発せられるパフが声門の音波を生成する圧力変化を生み出し、これらが、機械的な声帯自体の振動よりもむしろ、音高の原因となることを認めた。
渦巻運動理論は、E.Herbert-CesariとReverend Noel Bonavia-Huntによってより近年になって支持を受け、後者によってCaesariの本の序文で次のように記述された:

人間の声は、たくさんの補助的な波によって変更された主要な波の生成物である。主要な波は喉頭の声帯のすぐ前方に形成されるが、それは渦巻運動、或いは、振動する(声門の)すき間から発する空気圧の回転する核に起因する。繊細な電子楽器を用いて、これらの渦巻運動を検出することができる。同様の過程は、空気柱が奏者の唇によって刺激されるオーケストラの管楽器のマウスピースで起こる。声帯…は音声を生み出さない、それらはホーン-奏者のの唇の各々の振動が唇を撃ち、マウスピースの中に渦巻くのと同じように渦巻き流(各々の1つの渦は完全な前後の振動)を生み出す。[E. Herbert-Caesari, The Science and Sensations of Vocal Tone]

上記の説明において与えられないものは、それがあることによって声門下圧(金管楽器(エネルギーがホーンの管に送られる)のマウスピースで与えられるように)に部分的な妨害を引き起こし、そして、音源の方へ移動する空気の多くを戻すことによって渦を生み出す役目をする妨害物の存在の可能性である。そのような抵抗する作用因子が発見されない限り、渦巻運動理論は明らかに間違っているだろう。
金管楽器と声のメカニズムの音響特性の間で直接の類似が存在しないのに、著しく近い機能的な類似があるようにおもえる。各々は振動体の反対側にある均一にされた圧力システムを利用する、そして、各々は、音源で振動の振幅を増やすことによって、奏者の唇と歌手の声帯で大きく自己振動することが出来るようになる定常波を生み出す。発声メカニズムで、マウスピースの役目は、仮声帯とモルガーニの喉頭室とみなされる。このように、同じように、ホーンの管に導く小さな開口によって押し付けられる制約によって、空気はマウスピースのカップの中に入れられるので、仮声帯は、せばめることによって喉頭室の袋を膨らませる。両方の例で、圧力強化は息の消費を抑制して、音源の方へエネルギーを向け直す。
上記から導き出されることができるものは、次のようなことである:
室嚢が膨らむならば、一般に認められたように、その場合、それらの膨張から生じる空気の時計回りと反時計回りの動きが、急速に移動する流れを生み出すことにならなければならない、そして、おそらく「渦」の存在を立証することができる。この仮説が真であるならば、渦巻運動理論はもはや既知の音響法則への公然たる反抗ではない。
渦巻運動理論はLilli Lehmann(1848-1929)によって多くのプロセスにもたらされた。そして、彼女は回転する流れをWibeln(「渦」)と呼んだ。これらの流れが上の共鳴体、特に鼻の通路と洞にそれらの進路を首尾よく見いだしたとき、彼女は音がよく「置かれている」と考えた。同時に、H. Holbrook Curtis博士とJean de Reszkeは、鼻の共鳴の理論を進めたが、それは渦巻運動理論を採用せず、可能な共鳴体として洞に注意を集中した。
洞音声生成の概念は、E. G. White(彼の最も極端な見解は声の専門家に挑戦するというよりはむしろ、衝撃を与えた)によって、後に長々と展開された。
ヴェルディ‐とワーグナーのより重いオーケストロレイションとドラマティックな音楽を歌うために大きい声が求められたので、Lehmann, de Reszke,White による実際的な使用のためにScriptureの理論の適応は、おそらく避けられなかった。
鼻の腔に声を「置く」、それをそこで「共鳴させる」ことによって、声帯はその結果、容易には疲れないだろうと考えられた。
Scriptureの仮説と発声教師のそれとの違いは強調するものによって見えてくるかもしれない、後者は音の共鳴特性に対する態度を表明し、前者は声門上圧システムの存在によって生じる空気の動きに対する態度を表明する。この相違は重要であることがわかる:渦巻運動理論が最終的に証明可能か否かに対して、鼻の共鳴と洞の音声生成の形に於ける応用は明らかに不適切である。
鼻の通路が効率の悪い共鳴体であることは間違いなく明らかである。それらは小さくて、粘膜でひどく湿っていて、音声が喉腔から出るとき、通らなければならない開口部の小さいゆえに事実上利用できない。
その上に、振動源を取り巻く空気分子の交互の膨張と収縮によって音声が進むので、それはどんな状況でも「置かれる」ことはできない。
一方では、室嚢の中の空気の動きが渦または、声門下圧に対抗する下への圧力のため、そして、嚢の範囲内の空気の時計回りと反時計回りの回転のため、小さな回転する流れを生み出さなければならないことは、明らかである。
渦巻運動理論は、初めのうちは一見いくらか奇妙であると思われるが、それは非常に多くの科学者と実際的な発声教師の支持がないわけではない。しかしながら、それが理解されるものであるならば、2つの対抗する内部の圧力システムの間で平衡を必要とする原理は、共鳴に関するものと混同されてはならない。