[歌声の科学 ヨハン・スンドベリ著、榊原健一監訳 p.14]
さほど遠くない昔に、多くの人が、神経と筋肉の働きだけで、声帯の振動が可能であると考えていた。脳が、神経信号を介して声帯が離れたり近づいたりするように命令していると考えられていた。別の言い方をすれば、声帯の振動の周期で送られる神経インパルスがあると思われていた。のちに、正しくないと証明されたこの仮説は、フランス人のRaoul Hussonによるものである。この仮説は、歌手が与えられたピッチで、冒頭から間違いなく歌えることを説明するという視点から考えれば、魅力的な仮説であった。しかしながら、我々は必要な動作を得るために、どの筋肉が、どれくらい収縮するのかを推測する能力を持っている。例えば、指や手の動きを見なくてもピアノを弾けるように学習をする。また、われわれの多くは、目視することなしに、自分の両手の親指がくっつくように動かすことができる。いつ、どの筋肉を収縮させるかを推測する能力に関するこれらの例を持ち出せば事前に頭の中に描いたピッチで発声を行うことは、もはや説明できないことではない。これらのことにもかかわらず、Hussonの考えは科学論文で広く知られ、また擁護されてきたし、声門の構造についての理解に関して、非常に良い方向で影響力を与えた。明らかに多くの研究者がHussonの主張へ挑戦しようとして、おびただしい数の論文が書かれた。それによって、声門の構造への理解が実質的に深まっていったのである。

[Joshua J. Whitener,The German School of Singing, 2016. p. 12, ]
Zemlin, Speech and Hearing Science, 182. を引用して;
Hussonによって提出された神経クロナキシー説は、脳から声帯筋肉まで対の迷走神経が分岐を繰り返して伝えられる神経インパルスによって、各々の新しい振動サイクルが始動されると主張する。これは、声帯振動の頻度が喉頭筋に供給される衝撃数に依存していて、筋弾性ー空気力学説ではまさしく決定的であるそれらの要因から、比較的独立していることを意味する。

[Vennard, p. 56-57]
甲状披裂筋のいろいろな繊維が紡ぎ合わせられる複雑さは、それらについて新しい理論を提供する進取的な考えを持つ研究者達を混乱させ、さらに、そそのかす。たとえば、Goettlerは、1951年に、これらの筋肉を顕微鏡によって詳しく研究し、そして、声帯の全長にわたる、甲状披裂筋と呼ばれている繊維は存在しないという確信に至った。披裂声帯筋(披裂軟骨から声帯靭帯と弾性円錐の下部まで)と甲状声帯筋(甲状軟骨から声帯靭帯まで)だけがあると、彼は言った。これは、繊維が収縮したとき、それらがハープ奏者の指のように靭帯をはじくことを意味する。これはHussonの神経クロナキシー説にうまく適合した、そして、この考えは10年足らずの間、大きな関心の波を引き起こした。今日に至って、それらはほとんど信頼を失い、そして、我々は、大部分は経線状線維の一昔前の絵に戻る、それは、今だに解決されていない特定の横断繊維の謎を伴い、それぞれ異なる斜線に沿って走り、紡ぎ合わせられている。
[Vennard, p. 260]
神経‐クロナキシー:神経のクロナキシーに関係すること。実例、声帯振動の振動数は、呼吸圧や筋肉緊張によってではなく、回帰(又は反回)神経のクロナキシーによって測定されるという理論。(Husson)  筋弾性ー空気力学説を参照。

[James c. Mckinney, Vocal Faults. 1994 p. 77]
Raoul Hussonの神経クロナキシー説は、1950年代にかなり広く受けいれられたが、その後ほとんど信頼をなくした。それは、「声帯振動の振動数は、呼吸圧や筋肉の緊張によってではなく、回帰神経のクロナキシーによって測定される」と言う。(Vennard, 260)この理論の主唱者達は、声帯のあらゆる振動が反回神経からの衝撃によるもので、脳の聴覚中枢が声帯振動の速度を管理しすると考えた。(Greene、The Voice、50-51)それが真実であるならば、その理論には歌手にとって明らかな心理的利点があるだろう;残念なことに、それは確認されていない。

フースラーは、「うたうこと」の中で、わざわざ1章をこの概念について書いています。第6章 声帯の「自動振動」(英語版では、Self-Vibration of the Vocal Folds)。ドイツ楽派の発声教育史において、かなりの勢いで蔓延していた過剰な声門下圧(鬱積法)を真っ向から否定したフースラーにとって、この概念は非常に魅力的なものでした。
日本語版では、本来74頁にある脚注が、本文として訳されており、その結果Hussonの名前がなくなっています。
[英語版のp.55の脚注]
R.Hussonは『声帯唇が呼吸の流れと独立して振動する…呼吸が推進力であり振動媒体であるという今までの定説は、半分にされなければならない:息の流れは、振動媒体にしか過ぎない(Panconcelli-Calzia, Die Stimmatmung.)ということを証明した。』
しかし、この新しい信条は、問題にもされず認められなかった。
H. Lullies(Physiologie der Stimme und Sprache)によると:『声帯振動の度合は、これまでと同様に、隣接する空気腔の状態での特定の症例における、技術的な要因、声帯唇の長さ・緊張・配布、息の流れの圧力・スピードに依存する。』そして、『喉頭筋が特に「素早い」筋肉に属している』ということだけを示している。
この概念 ― 声帯ヒダが呼吸の流れと独立して振動する ― の証拠がたとえ見つからなかったとしても、それは我々にとって声のトレーニングにおいて特別な価値のある教育学的フィクションとして残る。