[Lilli Lehmann, HOW TO SING 1902/1993 Dover edition] p.52

The Sensation of the Resonance of the Head Cavities
頭腔共鳴の感覚

頭腔共鳴の感覚は、頭声を使うことに不慣れである人々によって、主に認められる。頭声が使用されるとき、頭腔の後頭壁に共鳴して、最初は頭部と耳の神経を著しいく刺激します。しかし、これは歌手が慣れるとすぐに消えてしまいます。頭声は、純粋の頭声でのみ、息によって使われ、導かれることができます。頭痛や偏頭痛、不機嫌などの最少の落ち込みでも、ひどい影響を与えるかもしれないし、それらを使用することすら不可能になります。この圧迫感とめまいは、定期的な意識的練習によってやがてなくなり、すべての不必要で不穏当な圧力が回避されます。

非常に高い頭声を歌う際に、まるで頭部より高い位置にある声を空中に発しているように感じますが、音は喉頭と横隔膜につながっています。(9ページの図を見る)

ここで再び、歌唱での首について説明します。すべての高音における息【訳注:息は頭腔には行けませんが、この時代は音と息の区別がついていなかったので、やはり感覚的な表現になっています。】は、多くが頭声と混合されている場合や頭声だけを使用している場合はのどから直接頭腔に至ります、それによって、喉頭の斜めの位置を介して、ちょうど今説明した感覚を生じさせます。注意深く息を吸ったり吐いたりする歌手、つまり生理的なプロセスを知っている歌手は、常にある種の快感、喉が上へ下へと伸びているような、喉の中に減衰(attenuation)を感じます。首の静脈を膨らまして歌っている歌手がよく見受けられますが、首の膨張と同じくらい間違っていて、非常に醜く見えて、うっ血からの危険がないわけではありません。

速いスケールで、人はノドの筋肉にかなりのかたさの感覚があります;トリルでは喉頭にいくらかの硬さを感じます。(”Trill,” p.103ffを参照)後者の不安定な動きは、トリル、速いスケール、ならびにカンティレーナのどれにも不利になります。そのため、器官の変化する動きは、聞き取れないほどわずかなに進行しなければならないので、動き(movement)というよりも、位置を変える(shifting)ようなものでなければなりません。速いスケールでは、最も低い音は最も高い音を出すつもりで「配置(placed)され」なければなりません、そして、下降時には、高音の位置に拘束され、高音のポジションに結びてけられ、音をより高く狭く鼻の方へ押す感じで鼻の方へ押されることで音が密接につながっているような感覚を生み出すように最大の注意を払わなければなりません。

これに、参加しているすべての発声器官は筋収縮を維持できなければなりません、しばしば非常に堅く、そのフォームをある器官から別の器官に緊張を持続させたままにします。そして、この緊張において、喉頭、舌、横隔膜、口蓋、及び鼻の発声器官は、アクセントの必要性、または、歌手の体調によって、どれかが特別な弾力または特別な強さで働かなければなりません。長い年月をかけて丁寧に規則正しく練習してこそ、少しずつ成果が出てくるものです。過度の練習はこれには何の役にも立ちません ― ただ規則正しく知的な練習です― そして、成功には時の経過が必要です 。

決して、筋収縮は発作的であってはなりません、筋肉が長い間耐えられないような圧力を発生してはなりません。それらは、それらの筋力に必要なすべての要求に応えなければならず、その上、簡単にリラックスしたり再び収縮したりするために弾性を維持しなければならず、歌手が望む音色やアクセントのあらゆるニュアンスに迅速に適応することができるようにする必要があります。

歌手は、日々の意識的な発声体操を練習する限り、自分の声と表現手段の達人になり、継続していくことができます。この方法だけで、彼は自分の筋肉の無条件の支配権を得ることによって、繊細な器官の制御や、声の美しさだけでなく、全体としての歌の芸術も支配することができるのです。

声の全範囲にわたって、その筋力が、求められるすべての強さの程度で、収縮したり弛緩したりするように発声器官の筋肉を訓練することは、常に自由に使えるマスター歌手を生み出します。

 

2020/05/17 訳:山本隆則