[SINGING, the Mechanism and the Technic by William Vennard,  Fourth Edition 1967]

Chapter 5

RESONANCE  p.80
共鳴

285  私が喉頭機能の考察を残して次に移ることは、未完成の章を去る不本意なことです。多くの未解決の問題があり、私が言うことができるすべてのことは、私が読んできた書物や思い出せるあらゆる同僚の意見、私自身の経験や観察の中に満足のいく回答を見出せなかったということです。新しい研究技術を今もなを待っている領域では、ヴォイス・ボックスの筋肉の健全な活動は意識下にあります。何かがひどく間違っていることがわかるまで、我々はその機能を意識するようにはならないし、決してそれを直接コントロールすることはありません。

286 あなたがトーストをかじっているとき、その行為は自発的なものです。あなたは好きなやり方で好きな時に意識的にかじるでしょう。もちろんその行為は習慣的なものとなり、やがて意識的なものではなくなるでしょう。しかし、それでもあなたは、あらゆる瞬間にその過程を意識化することができます。さらに飲み込む行為も自発的なものです。しかしその後は付随的、無意識的な行為となります。あなたは、食べ物の消化の仕方を学ぶことはできません; あなたにできることはせいぜい消化するために、気分的その他の方法で最良の状態を準備することしかできません。あなたが胃の中で食べ物を感じ始めたならば、それは消化不良を意味します。喉頭についても同じことです。喉頭内で音声を作っていると感じたならば、あなたは何かが間違っていると感じているのです。あなたが、音声が喉頭から離れて、あたかも共鳴体の中にあると感じ始めるときにのみ声の生成は正しいものとなります。

287 これは、共鳴に関する様々なアイデアがこんなにも重要視されてきた理由です。共鳴体は、注意深い訓練によって意識的にコントロールされることができます。それは、食べ物を取り入れてかみ砕く習慣を形成するようなものです;最初は、骨の折れる不器用なものですが、最終的には習慣化できるようになり、演奏家は、そのプロセスを忘れてしまうことができます。声区は、「ヘッドボイス」「チェストボイス」などと云う用語のこだわりに見られるように、最初は共鳴のことと考えられていました。そしてそれはかえって好都合でした、というのは、我々はほとんどの場合、正にそのようなイメージによって、間接的に声区をコントロールするからです。それは、器楽教育よりも発声教育がそのように非常につかみどころのないものであるという理由になります。発声教師は、「人差し指をこのバルブに、中指をそのバルブに置きなさい。そしてこの音を出すには初めの指を、その音は両方を押しなさい。」などとは言えません。さらに、フルボイスの代わりにファルセットで歌わなければならない場合、耳によってコントロールされ、イメージによって暗示された過去の経験に基づいた間接的なやり方で教育されます。歌を学ぶことは、時間のかかる忍耐強い作業です。それには、よい耳が必須条件であり、イメージは教師から与えられる助けであり、経験は、それを再現する記憶を単に呼び出すだけで非常に強力なものとなるまで徐々に蓄積されていきます。

288 共鳴体の中での明らかなコントロール以外に、喉頭の中により多くの問題があるでしょう。何人かの喉頭学者は、共鳴体に於けるあらゆる表面的な変化によって振動体に変化がみられるといいます。彼らは我々に、他の何かのコントロールを学ぶ小さな場所があるという潜在的な結論と共に、すべての歌唱芸術はこの潜在意識の領域にあるとを信じ込ませようとします。しかしこれは経験に反します。ほとんどの歌手たちは、咽頭、口、舌、顎などをどうすべきかを学ぶことによって声を向上させてきました、それ故にこの章があるのです。しかし私は、共鳴がすべてを語るという考え方に対して警戒することを強く望みます。我々が、喉頭の上の腔の形状を学んでいる同じ時に、無意識に声帯を訓練しているという良い証拠があるのです。

Two Theories of Vocal Resonance 声の共鳴の2つの理論

289 Helmholtz は、現代音響科学を発見し、彼の基本的概念は長期にわたりそのほとんどのものが退けられていません。彼は、もとは1837年にWheatstoneによって提案された声の共鳴の概念を練りあげ本にまで前進させました。この理論は今だに最も一般化しやすいものとして考えられているかもしれません。それは、声唇が正確な求められたピッチ、かなりのボリューム、そして、複雑な音色のトーンを生みだし、そして、美しさの可能性を持っているということです。この音が、喉と口を通過することで、これらの腔は力と美しさを生み出し、それらの部分音を強調し、不快なものを取り除きます;或いは、下手な歌手の場合は、逆のことが起こります。

290 何人かの権威は、喉頭源音は、純化されるまでは耳障りでうるさいとまで云います。彼らは、共鳴体の壁は肉付きがよく、音を吸収し、弱める傾向があると主張します。別の人々は、ろ過して取り除くだけではなく、共鳴体を通過させる音のその部分音のボリュームを大きくすると感じています。切除された喉頭源音のいくつかは、期待外れのボリュームです、そして、ガンに冒された喉頭を取り除かれたすぐ後の患者の協力で実験がなされたとき、その人(局所麻酔のもとで)は、通常の共鳴体の助けを借りずに切り口を通して直接、わずかに発声することができます、そして、その音は弱いものであるということも事実です。これらの事実は共鳴体は声量を増やすことを示すときに引用されます。しかし、このような異常な状態で、歌手は外因性筋肉組織の助けを役立てることができないことを思い起こさなければなりません。正常な発声に適用される、あらゆる方法において、共鳴体なしで作られる音のボリュームをテストすることは事実上不可能です。

291 1906年、もう1人の権威、Scripture は、全く異なる考え方を提示しました、それは、1830年のWillis の説にはるかにさかのぼります。彼は言いました:

Wheatstone 、Greassman そしてHermholtz によれば、声門唇は弦楽器に倣って振動して一連の部分音を作る。そして、その部分音の第1音(基音)―それは声のトーンである―が最も強い。声門の上にある一連の腔は、これらの部分音のある特定のものを強化する;それぞれの母音のために、腔(復数)は調整しなおされ、部分音の異なるセットが強調される...母音の上音理論(overtone theory)は、修正されることはない(Scripture, p. 109)。

Scripture は、喉頭は上音を作らない、一連のパフだけであると主張した。これらは、音のピッチを決定すると同時に空気で共鳴体を刺激するので、ビンの口を吹くとき、ビンが音を発するのとまったく同じ方法で、それ自体の振動数の音を響かせる。この理論は、リード楽器の振動体、或いは、振動を空気の柱に起こすという唯一の機能を持つフルートのように、喉頭の役目を比較的重要なものではないものにします。この場合、喉頭音の質は無視され、その音量はわずかです;力と美しさは圧倒的に共鳴体の成果となるでしょう。

292 Scripture は、当時、熱心な歌唱教師たちの考えに影響を与えました。例えば、Lilli Lehmann は、喉頭で引き起こされ、音声が「置かれる」と考えられていた共鳴体を通過するWirbeln について書きました。(このWirbeln (渦を巻く)という言葉は、”whirling curents (回転する流れ)”と翻訳されていたので、”eddies(小さな渦)”が望ましい。(Wirbeln という言葉は、喉頭から、喉、口、洞などへと回転しながら上昇する、コルクの栓抜きのような小さなトルネードを引き出すことによって起る、いわゆる”vortex(渦巻)理論を生み出しました。)Marafioti (P. 125) は、Scriputure が彼の「声とは話すことであり、口によって作られるもので、声帯にとってではない」(p.69)という見解をずっと支持してきたと云うことはあり得ません。

293 リード楽器の場合、音程は一様に空気腔によって決定される。(par. 57)  声と木管楽器との重要な違いは、演奏者は、パイプに合わせて正しい音程で理度を振動させなければならない、ところが、音声の振動数または音程は主として振動体によって決定される。そして、通常、音色だけが共鳴体によって変化を受ける。いくつかのケースで、どうしようもなく音程を合わせにくい共鳴体は、イントネーションに影響を及ぼす;これは、如何に歌手たちが良い耳を持っていたとしても、テクニックが未熟であれば、”音を外して”歌うという説明になります。

294  WheatstoneとHelmholtzは、声音を倍音の部分音に分析したフーリエの定理を利用しました。彼は、声音の大部分のフーリエ・スペクトラムは、不協和の部分音の存在を示し、更に分析されることができることを示すために、もう一つの計算者(Hermann)の方式を利用し、そして、彼は、これが事実のより良い説明であることを確信していました。

295 最初に、これらの考えは両立しがたく見えますが、今日では、両方の原理はおそらく同時に働くと信じられています。私たちは、声はリード楽器や弦楽器よりも、金管楽器により近いと思い込んでいるかもしれません。(ちなみに、、Helmholtz、Scriptureにもかかわらず、これは真である)共鳴体は、喉頭源音(それは第1の重要性である)に準拠して選択的に機能するが、それらはさらに、それら自身の中で発生する周波数も付け加える、そして、それは、喉頭振動の中にまったく存在しないかもしれません。これらの加えられた振動数は、それぞれの共鳴体の大きさと形に依存し、発せられた基音のピッチの倍音列に属さないかもしれません。これらの振動数は倍音列の中の最も近い振動数に歩み寄ろうとします;しかしながら、我々は、新しく追加される実際のピッチ以外に倍音の増加についての単純な事例を持っていません。いくつかの事例において、結果は、異議のあるものであり、歌手は共鳴体を作り替えることによって、それを修正する方法を見つけなければなりません。

Mackworth-Young (p. 73 ff) は、優れた歌手は、絶えず声帯と調和して喉を調整する(A good singer always tunes his throat in harmony with his vocal cords.)と確信しています。発声教育学はしばしば、「基音(fundamental)」を喉頭で作られるものとして、「倍音(overtone)」を共鳴体で作られるものとして語ります。ここに書かれていることから、これが語の不注意な用法であるとはいえ、それはまったく誤っているというわけではない概念を表しているように思われます。

296 私の声の共鳴についての説明が混乱しているように思えるなならば、これだけは言うことができます、私がこれから述べようとしている現実はさらに混乱していると。単純な一般化を提示する教育は、ぞうを「見」たがる盲人のあの有名な委員会に似ています。ある人は象の鼻に触れて報告します、「ゾウは蛇のようなものである」と、別の人は牙に触って主張します「ゾウとは槍のようなものである」と、たとえその寓話を聞いたことがなくても他の人の報告は容易に想像がつくでしょう。委員会のメンバーは、彼らが得た結論によって徹底的に意見を異にし、さらに、彼ら自身の観察を基に修正されます。

297 ある原則は、理解のための基礎として受け入れられるかもしれません。第1、あらゆる共鳴は第2の振動体である。第2、声の共鳴体は空気の柱である。それは弦楽器がそれでできているのと比べられるような何種類かの共鳴板ではありません。第3、共鳴体の形は複合体であるだけではなく、高度に変化できる。このように、全体でも、その一部分でも振動することがある。それを、一度にいくつかの方法で振動させることと考え過ぎてはならない。たしかに、多くの振動体はこれをしています、さもなければ、我々は音色を持つことはできません。音色は、異なる強さで互いに響くいくつかの周波数で成り立っています。空気は、他のどの媒質とも同じくらい、これが完全にできます; 確かに多くの様々な楽器の音は、同じ空気によって耳に運ばれ、同じ小さな管に注ぎ込まれますが、それにもかかわらず、われわれの注意の仕方によって、1つの音、或いは、個々の音源からの音として聞き取ることができます。

298 すべての共振(sympathetic vibration)が、楽器の音響的生成物に寄与するわけではありません。それのいくつかのものは衰えてしまい、聴衆はそれを決して聞くことはありません。歌手はこのような振動を知っているかもしれません、そして、それが彼を助けるかどうかは、彼がそれにどのように適合するかにかかっています。それは心理的に彼を助けるかもしれません(「プレイスメント(置く)という語で、431-436節)、あるいは、それはむしろ彼にとっては望ましく、聴衆にとっては望ましくない音を選んでしまうように惑わすかもしれません。いくつかのケースで見てきたように(55,56節)共振は、よいものよりも害のあるウルフ音を作り、それは声にも起こります。(320節)【不当分調律法による、おるがんなどで、ある和音に起こる不協和音;ヴァイオリンなどで共鳴胴の欠陥によるきしリ音】 楽器には、3種類の振動があります。第1には、主要な振動体です;声ではこれは喉頭です。第2の振動体として「共鳴体」と呼ぶものもあります;声ではこれは主にノドと口の中の空気のかたまりです。第3には、私が言及した消耗性の振動があります。辞書的な定義として、この第3の種類の振動にはあてはまらない強化または延長と云う考えを含みますが、厳密に言って、それもまた共鳴です。私は、声を強化する第2の振動だけのために「共鳴」という語を使用します。

299 声音の音質とは、最初の喉頭原音、マイナス共鳴空洞によって阻止されたそれらの上音、プラス、励振された上音の拡大、プラス、特定の空洞の空気が動かされただけで発生した可能性がある不協和周波数の生成物となるでしょう。共鳴体が意図的なコントロールを受けるまで、その時点で、我々はそれらのピッチとピッチを決定する要因となるものに関心を持っていなければならない。

2020/01/25 訳:山本隆則