発声器官〈phonator〉[1872年版:喉〈 throat〉]或は、身体のどの箇所もこわばることなく、穏やかで楽に肺が空気で満たされるとき、非常にすんだ[a]母音をもちいて、声門の軽い打撃で非常にはっきりと音声を出し始めなさい。
[a] 母音は、音の放出を妨げる様な障害物が無いように、喉の底〈bottom of the throat 〉[1872年版:right at the glottis〈正に声門〉]で、充分に出すことが出来るだろう。この状態で音声は鳴り響き、丸みを帯びるでしょう。
閉じることによって、声門打撃を準備することが必要です。それは通り道でいくらかの空気を一瞬止め、そしてためます;それから、脱力するように破裂を加減して、機敏にいきよい良く声門を開きます。それは子音の[P]を発音するときの唇の動きに似ています。またこの喉の打撃は、子音[k] の発音に必要な動作をする口蓋アーチの活動に似ています。[Garcia  1847,  1:25  ;  1984,  41-2]

この理論に対する数多くの激しい反論に対しガルシアはTraiteの1872年版に次のような短評を加えました:

声帯打撃を胸部打撃[coup de la poitrine] (それは、せき、または喉につまった何かを吐き出そうとする努力に似ている)と混同することに注意しなければならない。胸の打撃は、息の大きな分配ロスの原因になり、息が多く、胸苦しい、そしてイントネーションのはっきりしない声にします。胸は、音声をはぐくむ以外の機能は無く、それを押したり、ショックを与えるべきではありません。[Garcia  1984, 42]

Hints on Singing (1894) でガルシアは再び coup de la glotte の概念を明確にしようと努めています。
ここで彼は、声門打撃を精密でクリーンな音の開始を与える声門の「巧みな調音として…声門打撃はいくらかせきに似ているが、それは声唇のデリケートな活動だけを必要とし、息の衝撃を求めない点で、本質的にせきとは異なる…この目的は、音の開始で、ズリ上げ、また、息継ぎ音の欠点から開放されることである。」(Garcia  1894, 13-14)と述べている。
また、coup de la glotte の結果としての音質について、「全ての破裂の後で完全に声帯が閉鎖すれば、そのたびに鼓膜をはっきりと打つことになり、聞こえる音は、輝いて(bright) 又は、鳴り響く(ringing) ものとなる。しかし、声門閉鎖が不完全で、ほんの少しの息の漏れがその破裂と結びつけば、鼓膜の感触は鈍くなり、それで音はこもってしまいます。」 (7)
この見解は、声を2種類の音質(voix eclatante, 鳴り響く声、と voix sourde, こもった声)に区別して考えるガルシアの重要な概念の源となるものです。

ガルシアのこのセオリーは、現代に至るまで続く長い反発と無理解にさらされていますが、その原因は、その名前に用いた、coup (blow:打撃)という用語にあると言う意見もあります。
例えば、Frank Kelsey は、「もしガルシアがcoup de la glotte のアイデアにcaresse 〈軽く触れる〉de la glotte の語を使っていればその後の多くの誤解は防げていたであろう。」(Kelsey  1954, 56)と書いています。

声門の打撃を用いる歌手は、常に楽器に対して、それの下にある軽い圧力からより堅い圧力へ移らなければならず、決して重い圧力から圧力の消失へではない。息が重い圧力によって止められ、次にアタックの瞬間に急激に押し出されるならば、喉頭は、筋肉のすべてを破壊的な衝突に陥れる厳しい爆発に従わせられる、そして、多くのダメージがそれの上に加えられる。
[Kelsey, 1950  The Foundations of Singing. VI. The work of the Vibrator を見よ]

ケルシーは、20世紀の前半から中盤に欠けて,歌手達の発声傾向が望ましくない方向に後退しつつあることに対して、強く警告を発した重要な歌手、教師です。彼の影響を強く受けた、Daniela Bloem-Hubatka は、彼女の著書”The Old Italian School of Singing”の中でいまだに強く残るcoup de la glotte に対する無理解に反発しています。
また、Jo Estill (1921-2010)は、ベルティング唱法の最も重要なメトードとしてこのテクニックを積極的に用いています。

日本の発声教育界で、世界の発声教育の歴史に於いてこのような大論争があったことは勿論、この技術の存在自体を知っている教師が果たしてどれぐらいいるのでしょうか?

日本のクラッシック歌手の発声教育では、一般的に、共鳴を重視して、声帯振動(喉頭音源)を回避する悪しき傾向があります。又、一般の日本人の発声習慣も声帯振動の効率の悪さ(ガルシアが言う締まりの悪さ)が特徴です。それは、日本人の話すという行為に対する文化的な価値観、例えば、沈黙は金なり、男は黙って…などから来るもので、基本的に日本人は大きな声が嫌いなだけです。しかしプロのオペラやミュージカル歌手ならば、その日本人の持っている癖を克服しなければなりません。
日本人の声は小さいわけでは無く、喉の締まりが鈍く、その結果発声効率が悪くなるのです。それを克服するためには、このガルシアの提唱した coup de la glotte 声門破裂の技術こそ最も重要なものと言えるでしょう。