18世紀に於ける最も重要な発声論文の1つは、Pier Francesco Togiによる Opinioni de’ cantori antichi, e moderni, o sieno osservazioni sopra il canto figurato《昔時及び当節の歌い手に対する見解と、装飾の施された歌唱への所見》です。初版は1723年で、多くの版を重ね、英語、フランス語、ドイツ語に翻訳されました。英語への翻訳、Observation on the Florid Song 《装飾の施された歌の所見》(1743年)は、ドイツ人のオーボエ奏者であり作曲家の J. E. Galliard によるものです(*5)。1757年のドイツ版 Anleitung zur Singekunst 《歌唱芸術の手引き》は Johann Friedrich Agricola のよるもので、彼は J. S. Bach とプロイセンの宮廷作曲家になった J. J. Quantz の作曲の弟子に当たります(*6)。トージは、彼自身がカストラートで教師、そして作曲家です。彼の歌手としての経歴はむしろ限られたもののようで、晩年を英国で過ごし、そこではオペラではなく教会音楽を歌ったようです(*7)。

(*7)伝記の詳細は、Tosi 1986、xvi-xxi; Howkins 1875, 823-4;Tosi 1743, viii-ix;Häbock 1927, 342を見よ。

トージは彼の本を主に彼が言うカストラート歌手のソプラノのために書きました。トージの時代にはもちろんカストラートがイタリアオペラに君臨するスターであり、優れた歌唱の実践に於ける手本となっていました。カストラートの現象は第7章でより詳しく説明されますが、ここで注意すべき点は、去勢された男の声は、普通に男性の声より高い(コントラルトとソプラノの2声種が存在した)が、それにもかかわらず、2つの基本的な声区があり、それを統一しなければならなかったということです;教育的には、カストラート歌手は、普通の歌手と同じテクニックを教えられました(*8)。カストラートの声の声区変換は、普通の歌手と同じ場所で起こるのかと言うことです。トージは基本的な声区を説明するために、voce di pettp (胸声) とvoce di testa (頭声) と言う用語を用いました。彼は発声教師に、生徒達が高音或いは声を失う危険に対して頭声を育てることをしきりに勧めた。頭声は装飾的な音楽やトリルを歌うために最適の声であるが、同時にそれは胸声よりも弱い声であると指摘した。ファルセットなしではソプラノはほんの数個の音だけの狭い音域でうたはなければならないことをしっている勤勉な指導者は、音域を広げようとするだけではなく、他の音と聞き分けられないような方法で、ファルセットを胸声に結合させるように、あらゆる事を試みなければならない。声区の結合が不完全ならば、声は多くの声区に分離したままで、その結果、声の美しさは損なわれてしまうだろう」(14)。声区の変換点についてはつぎのように書いています、『地声(natural voice) または胸声の音域は通常第4間または第5線で終わる、そして、底からファルセットの声域が始まり、高音域への上昇と、地声への戻りの両方で結合の難しさがある』(14)。トージはたぶん中央のC(C4)が第1線にあるソプラノ記号(その当時は一般的に用いられていた)で示していました。これはカストラートの声の変換点を、通常の女性ソプラノの変換点であるC4、D4より、およそ6度高いA4、B4に特定しています。Alessandro Moreschi (1858-1922) は、レコード録音した唯一のカストラートでした。1904年にローマで録音されたバッハーグノーの『アヴェ・マリア』の中で、胸声とファルセットの変換はB4とC#5の間で起きています(*9)。これはトージの記述と一致します。何人かのソプラノは声区の結合の仕方を知っていたとトージは書いていますが、この非常に難しい作業が、どのようにして成し遂げられるかについてのアドバイスは与えていません。

[James Stark, Bel Canto 61]


ソロ・ヴォーカルの教育法に関する初期の重要な文献(9)は、カストラートのピエール・フランチェスコ・トージの手によるものです。彼の『Opinioni de’ cantori antichi e moderni sieno osservazioni sopra il canto figurato』は、トージが70歳を超えた1723年にボローニャで初めて出版された。その後(1742年)、イギリスに移住したドイツ人、ヨハン・エルンスト・ガリアード(Johann Ernst Galliard)による英訳版が出版され、イギリスや北米の声楽教育界では、「Obervations on the Florid Song(装飾の多い歌唱に関する考察)」として長く知られています。1757年には、J.H.アグリコラによる解説付きのドイツ語訳『Anleitung zur Singkunst』が出版されています。アッポジャトゥーラやシェークなどの装飾の実行、ルーラードやスケールの管理などが主な内容ですが、ト―ジは技術的なことにも言及していますが、具体的なアドバイスはほとんど避けています。たとえば、呼吸管理に関して:

…自分の呼吸を管理するために… 歌手は常に必要以上の息を供給[しなければならず]、息がないためにやり遂げることができないことは避けなければなりません。

カストラートのト―ジは、声域を「ヴォ―チェ・ディ・ペット(胸声)」と「ヴォ―チェ・ディ・テスタ(頭声)」と指定したが、どのようにして声を楽にするかについての明確なアドバイスはなかった。彼は、調音器官が共鳴体域与える効果について、より具体的な情報を提供しました。イタリアでは昔から、後ろの母音よりも前の母音を好む傾向がありますが、/i/と/e/は/a/よりも疲労が少なかったからです。

歌唱法は、すべての人が支持する統一された指導理念に沿ったものではなかったかもしれませんが、初期の論考を通じて共通の技術的な脈連が見られます。呼吸や発音に関する教育学的な視点は共通しているにもかかわらず、著名な先生が「他の教育学界は真の歌唱術を失ってしまった」と頻繁に訴えているのが印象的です(今日の教育学界や批評家の嘆きを彷彿とさせます)。トージは、既存の歌唱芸術の状態に満足していませんでした:

紳士諸君! マスターズ !イタリアでは、(特に女性の間で)[イタリック体で強調]昔のような素晴らしい声を聞くことはもうできない[1723]。親の無知は、子供の声の悪さに気づくことができない。その必要性から、歌うことと金持ちになることは同じことであり、音楽を学ぶには、きれいな顔をしていれば十分だと信じているからだ。あなたは、彼女の何かを与えることができますか?

歌の教師としてのパフォーミング・アーティストの役割についてのト―ジのコメントは、彼の時代と同様に現代においても賢明なものである。

多くの人は、完璧な歌手は完璧な指導者でもなければならないと思うかもしれませんが、そうではありません。自分の気持ちを簡単に、生徒の能力に合わせた方法で伝えることができなければ、どんなに素晴らしいものであっても、その資格は不十分です。

[Richard Miller; Historical Overview of Voice Pedagogy]

訳:山本隆則