「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当りの圧力をそのままの強さで、流体の他のすべての部分に伝える。」パスカルの原理は、Sir Charles Bellの”On the Organs of the Human Voice” 1832年にすでに見られるし、Ingo R. Titze の音声生成の科学の中で、「パスカルの法則は、肺の圧力分布を説明するのに役立ち、その適応性は続く議論で何度も仮定される。」と述べている。
Thomas J. Hixon は、このパスカルの原理から導き出される、hydraulic pull を呼吸法における重要な要素として具体的に述べています。


hydraulics  【名】(単数扱い) 水力学、水理学、応用流体力学;液体、特に水の力学的性質を取り扱いその工学上の応用を研究する学問。
hydraulic 【形】水力の、水圧[油圧]の、水力学の、水硬性の、[名] 液圧を利用した装置(水圧牽引力、油圧ブレーキ、水圧オルガン)


この概念は、まず、腹部は液体で満たされた密閉された弾力性のある袋であるということをよく認識しなければならない。それゆえ、呼吸組織としての胴体は、空気で満たされた開閉可能な栓を持つ袋である胸部と、その土台となる液体で満たされ密閉された弾力性のある袋である腹部が、横隔膜によって隔てられた2つの袋から成っているといえます。
歌唱中に、声帯を振動させるためのエネルギーである声門下圧を確保するために、胸部と腹部は非常に複雑な共同作業を行いますが、それを理解して実行するためには、上記の2つの部分の特徴をよく認識しておく必要があります。
例えば、持続する発声を通じて腹部が内側へ移動するのは、減少する排気量にもかかわらず、胸部に一定の声門下圧を確保するために腹部の形を変形させることであり、腹に入っている息を押し出しているわけではありません。第一、腹部には息は入りません、入ったとしてもゲップが出るだけです。

ヒクソンは、油圧引き(hydraulic pull)による横隔膜の降下を主張することで、100年以上続いた、ベリー・インvsベリー・アウトの論争に決着をつけ、ベリー・インの正当性を証明することになったといえます。

ヒクソンは20世紀後半から21世紀にかけて、徹底した呼吸法に関する科学的な研究を成し遂げた研究者の1人で、それ以降の研究者たちに大きな影響を今も与え続けています。ここではヒクソンの広範な研究の中からこの単語が含まれるフレーズを彼の著書から引用してみました。

[Respiratory Function in Singing by Hixon 2006 訳:山本隆則]

p. 83-84
Hixonほか(1976)によってなされたある種の観察は、直観に反した物のように思えるかもしれない。その観察は、横隔膜の活動が、大きな肺気量で歌の母音が発せられている間、胸郭壁の吸気筋の活動から切り離されているということである。なぜ、吸気ブレーキが必要とされるとき横隔膜が使われないか?答えは、直立した体位における腹腔内容物の油圧特性 (hydraulic properties)にある。

胸郭壁が吸気筋圧を生み出すとき、普通の肺気量で弛緩しているときのサイズと比較して、胸郭は拡大する。この拡大は、胸腔内圧と腹腔内圧が減少する原因になる。腹腔内圧の減少は、液体を満たした腹腔内容物の下への油圧引き(hydraulic pull)を横隔膜の裏側にセットすることになる。この油圧牽引力は、胸郭壁の吸気筋に、反対方向に引き上げるための土台を提供することで、横隔膜を緊張させる必要がなくなる。言い換えると、胸郭壁筋の上へ向かう吸気力は、横隔膜を収縮させるまでもなく、横隔膜の裏面で下に向かう吸気牽引力(inspiratory pull)に変わる。【訳注:吸気中の油圧引きは、吸気中に腹壁を内側に引くことであり、つまり、ベリー・インを意味する。】

この油圧機構(hydraulic mechanism)なしでは、胸郭壁の吸気筋(単独で作用している)は、脊柱に沿って胸部を引き上げる(それを拡大するよりはむしろ、呼吸器をある場所から別の場所へと動かす)際に、それらの労力の一部を費やすだろう 。Bouhuyほか(1966)が指摘したように、立った姿勢でこのブレーキ・メカニズムを用いることによりさまざまな有効性が得られる。腹腔内容物の油圧特性のため、胸郭壁(吸気筋)の筋肉らの一つのセットが、胸郭壁と横隔膜の動作を同時にコントロールすることができる。

p.97
継続歌唱フレーズが、大きな肺気量から始められるか、弱い発声を必要とするとき、吸気ブレーキが使われる。このようなブレーキは … 一定に伸ばされた発声のために達成される。吸気胸郭壁筋は、胸郭を拡大し、同時に、媒介物の働きをする腹腔内容物の油圧特性(hydraulic properties)によって、横隔膜に下への引きを配置する。横隔膜による補足的な動きは、胸郭壁ブレーキを伴うかもしれないが、そのような状況での横隔膜の収縮は一般的に短命である。このように、胸郭壁はほとんどの吸気ブレーキを提供する。

p.102
大きな肺気量でブレーキをかけている間、横隔膜の活動は胸郭壁の吸気筋の活動から分離される、分離は腹腔内容物の油圧特性によって可能となる。【山本解説:横隔膜は、横隔膜自身の緊張によって(ベリー・アウト)ではなく油圧引きによって(ベリー・イン)下げられるので、ブレーキ操作において、胸郭壁の吸気筋と拮抗しあうのではなく協力して働く。つまり、胸郭壁の吸気筋に拮抗しあるのは油圧引きである。】

[Preclinical Speech Science  by Hixon & Weismer & Hoit  2008 訳:山本隆則]
p.47
なぜ、胸郭壁の吸気筋は、横隔膜よりも、ほとんどの吸気ブレーキとなるのか?この質問に対する答えは、メカニカルなもので、図2-28に図示される。横隔膜が活動していないとき、胸郭壁の吸気筋が収縮し胸郭壁は拡大する、そして、胸膜と腹部の圧力は減少する。腹腔内圧の減少は、液体を満たした腹腔内容物が横隔膜の裏面で、下への油圧引き(hydraulic pull )を配置する。この油圧牽引力は、横隔膜が適所にとどまり続けるために収縮しなくても、胸郭壁の吸気筋が収縮できる安定した土台をつくる。要するに、腹腔内容物の油圧牽引力は、胸郭壁の吸気筋が胸郭壁を上げるのと同時に、横隔膜を下に引くことを可能にする。2つの胸壁の構成部分の機能を効果的に果たすので、この状況の下で2セットの筋肉を起動させる必要がない。

Figure 2-28. 横隔膜の腹腔内容物の油圧牽引力のメカニズム
(訳注;図の左側は、安静時の胴体、右側は、油圧牽引力が加わった胴体。
安静時には、胸郭壁、横隔膜、腹壁のすべてが不活動。
油圧牽引力が加わった右の状態では、胸郭壁の吸気筋が働き、腹腔内圧が全体的に低くなっている。横隔膜と腹壁は、両者とも活動していない。)