[Lilli Lehmann, HOW TO SING 1902/1993 Dover edition] p.54

 

On Vocal Position — There Are No Vocal Register — Propagation-Form
声のポジションについて-声区は存在しない-複製フォーム

声区とは何でしょうか? 声のポジションがあるだけです。特定の方法で歌われる一連の音群で、喉頭、舌と口蓋などの発声器官の特定の位置によって生み出されます。あらゆる声は、3つのポジションを含んでいます ― 胸声、中声、そして頭声です。しかし、すべての声がすべての声の種類を用いているわけではありません。

そのうち2つは初心者でもある程度結び付けられていることが多く、3つ目は通常はかなり弱いか、全く存在しないことが多いのですが、ごくまれに、その全音域で声が自然に均一化されていることがあります。

声区はもともとあるのでしょうか? いえ、それは、その人にとって最も楽な声域、あるいはだれかの真似をして採用した声域で話したり聞いたりを長い間続けることで、それが習慣になり固定されることで生まれたのでしょう。これが発声器官の筋肉の自然で適切な働きと相まって他の声域に比べ慣れた音域となり、他と比べて強い音域になったとすれば、それによって声区が形成されたのかもしれません。この事実は、当然歌手だけにしか理解されないでしょう。

一方で、話すときに間違って筋肉が使われると、一般的に使われている声域だけでなく、声全体が悪く聞こえるようになってしまうことがあります。だから、どの声でもある音域が強かったり、別の音域が弱かったりします。実際、ほとんどいつでもそうです、人は互いに関連する器官の適切な位置を考えようともせず、最も楽な、または最も慣れた音程で話したり歌ったりしているからです。さらに、人は子供の頃、はっきりとした声で話すことに注意を払うようにおそわることはほとんどありません。最も幸運なケースでも、このようにして練習した音域は、その人の力ではなく、技術や練習の不足に見合った音域の両側の限界までには達します。器官の潜在能力や技術に必要なものを問うこともせずに、最も簡単で慣れたことしか考えないのであれば、声に制限がかけられます。

さて、このような特殊性、例えば3音や4音だけを含むものを6音や8音に拡張したとすると、時間の経過とともに、最悪の場合には、限界外のところでブレイクが生じます。

そのような3つの声域または歌い方は見つけ出し、使うことができます。胸声、中声、頭声―3つのすべては、誇張すれば声区を作ります、しかし、それらは徐々に変化し、互いに溶け合わなければなりません。器官は、教師の熟練した訓練と生徒の才能と努力によって、ある発声ポジションから別の発声ポジションへと気づかれないうちにスライドするようなポジションの変化に慣れなければなりません。このように、声の美しさ、均一化と拡張した音域は、その有用性が強化されます。

このように声域の違いによる顕著なコントラストから、”声区、レジスター “という名前が付けられました。これらは至る所で当然の事として受け入れられており、長い間、歌手と教師の間でひどい混乱を生み出し、他の何にもまして歌唱指導における厄介ものでした。それを根絶することは、おそらく絶望的でしょう。それでも、これらのレジスターは、声と共鳴器官を使う3つの別々の方法にほかなりません。

歌手のすべての悪習や、優先すべき原因と結果を完全に無視していることから、2声区、3声区、4声区、5声区があると云う人がいても不思議ではありません。あらゆる声のあらゆる音を、新たに加えられたレジスターの名で呼ぶ方がはるかに正しい、なぜならば、最終的には、すべての音が、全体の中で正しいポジションを取るのであれば、その違いがごくわずかだとしても、器官の異なるポジションで、異なる関係になるだろうし、そうならなければなりません。人々は胸声区、中声区、頭声区という呼び名に固執して、発声ポジションを声区と混同させて、絶望的な混乱を引き起こしていますが、そこから抜け出すことができるのは、連合した非常に強力な力だけです。

「声区」という語が使われ続ける限り、声区はなくなりません。けれども、声区の問題は一掃され、教師の側ではより完全な見解を、歌手や生徒の側ではより真実の概念を与えるために、別の種類のアイデアを提供しなければなりません。

当然、歌手は、すべての利用可能な音域で完全に均一にされた声よりも、1つか2つの連結された音域の開発に力を注ぐことができます。このためには、長い年月をかけて最も忍耐強い研究と観察が必要とされます。多くの場合、隣の弱い音域のために1つまたは他の音域の長い継続的または全体の犠牲を強いることになりますが、特に混ぜられていない頭声は、中音域に比べて不均一で薄い音になってしまいます。これは相対的な位置にある器官の弾力性を練習することで、ポジティブな均一化が行われるようになります。

1つまたは2つのポジションだけを含む声は、寿命が短い声と言われ、それらの有用性はそれら自身と同ように限られています。

しかし、寿命の短い声も長い声も、いかに歌の上手な歌手でさえ、全音域を通して最も繊細な頭声の使用で絶えず練習しなければ年齢を重ねると最高音域が失われてしまうことを覚えておかなければなりません。そこで、歌い手は、必要な音域を確実に持つために常に自分の声の音域を可能な限り広げなければならないと結論づけられているのです。

器官の形成は、声の特徴に大きく影響します。もともと、大きい、弱い、深い、高いなどの声がありますが、あらゆる声は正しい練習である程度、強さ、柔軟性と音域を獲得することができます。

残念なことに、頑固さはこの問題に大きく入り込み、しばしば教師との対立を生じます。例えば、声がまったくアルトでなくでも、高音域を歌って声をつぶしてしまう恐れ、あるいは、それが楽であるという理由でアルトになりたいという人が多くいます。

現今では、もはやオペラは特定の歌手と彼らの声の特別な特徴のためには作曲されません。作曲家や歌劇台本作者は、ハイcを持っていないアルト歌手や、低いaフラットまたはgを持たないソプラノは想定しないと表明しています。しかし、芸術家はたえず必要とするものを見い出すでしょう。

ほとんどすべての歌い手の声の中には異なる音域(different ranges)が存在しますが、それが聞き取られてはならないし、実際に、存在してはなりません。音が他のものを犠牲にして強制されないように、すべては、混合された声で歌われなければなりません。単調さを避けるためには、歌い手はすべての声域で自由に使える表現手段を豊富に持っていなければなりません。(母音の章を見なさい。)何よりも、彼は特定の音の共鳴の利点と、それらが互いに関係していることについての知識がなければなりません。魂は母音の色付け、筋肉の緊張と弛緩によって表現されなければなりません。原因と結果に関する技術と知識、呼吸の管理、喉の形成の完璧さは、あらゆるダイナミックなグラデーションと表現の繊細さを生み出す力を与えるに違いありません。器官の位置は各々の音によって変えられなければならないので、音の進行において、一つの音が他の音と全く同じになることはないということを思い出すまでもありません。一般的に音の上昇中に、歌い手が、同じ一つの共鳴ポイントに一連の音を無理やり押し付けることによって声区の問題が生じます。口蓋は前歯から最後部まで弾力性、可動性があり、すべての変化に敏感でなければなりません。軟口蓋と鼻の作用の連続的な調和に大きく左右されますが、前者の上昇と伸張は音に変化をもたらすことが、常に完全に証明されていなければなりません。レジスターが厳しく定められたときにしばしば起こるように、音が行き止まりまで落ちたならば、ジャンプなしで別のレジスターへ逃げることは不可能で、それは失敗するかもしれません。歌い手が歌わなければならないすべての音で、彼は常により高いところに行けるという感覚を持たなければならないし、それぞれの音のためのアタックが全く同一のポイントに強引に押し付けられてはなりません。

喉頭は、特殊な効果を求められるとき以外は、急激に押し下げたり、引き上げてはなりません。
つまり、胸声区の音から中声区や頭声区の音へレガートで移行をしたいとき、オールド・イタリア・スクールがやっていた、そして、私もそのように習ったことは、次のようなものでした:―

喉頭に向かって横隔膜が反撃するのは、上向きのストローク、呼吸圧に依存している[e]だけであり、それによって喉頭が急に跳ね上がることができきます。これはブレーキング・ザ・トーンと呼ばれ、非常に多く使われ、上手くいったときにはすばらしい効果を与えた。私は今日、特にそれにふさわしいイタリアの音楽の中で使います。それは、器官の位置の、感知できない、また、聞き取れない変化のための規則にたいする例外であり、いきなりやってはなりません。

音階は、1つの半音から次の半音へと進行し、各々の音は異なります、あなたが進むにつれて、より大きな高さが求められます ― それゆえに、器官の位置は各々の異なる音で同じままではありえません。しかし、歌い方で聞き取れる突然の変化が決してあってはならいように、歌い手のノドで感じられる突然の変化も、決してあってはなりません。すべてのトーンは、リラックスして配置され、再びリラックスしたしなやかな手段で気づかれないように準備されていなければならず、歌い手の楽な印象だけでなく、聞き手に好ましい印象を与える必要があります。

下の図で示される小さな頂点は、非常に拡張性が高く、無限に位置を変えることができます。どんなにささいに見えても、その上げ下げは音や歌い手にとって非常に重要なものです。胸に対する腹部の呼吸圧の操作によって、アタックと音の本体を同時につくる呼吸の焦点は、常にしっかりと、鼻の下または鼻の後ろに配置されています。身体なしでは、最も繊細なピアニッシモでさえ、意味がありません。非常に高い混ざっていない頭声は例外で、それらは何も表現することができません。それらの中には期待される身体があり得ません。高く舞い上がる音質は、圧力に耐えられず、結果的には何の表現もできません。 これは、暗い母音による口蓋共鳴と胸部共鳴の混ざり合いによってのみ可能となります。それらには純粋な快い響きでしかありません。

すべての母音もまた、口蓋の上で途切れることなく共鳴のポイントを維持しなければなりません。すべての技術と同様に、カンティリーナの歌の技法におけるすべての美しさは、主に、音と言葉の途切れない結合、軟口蓋と硬口蓋の柔軟な関係、前者と後者の絶え間ない弾力的な調整にかかっています。

歌手が自分の音色をコントロールしたいと願うならば–練習では常にそうしなければならない–、器官の位置を変えずに簡単に、弱くすることができるかどうか、鼻や額の空洞に向かって高く運び、つまり上に向かい続けるための形を整えることができるかどうかをテストするだけでいいのである。

その方法で、音がうわずらないで、どれくらい高く響かせることが必要か、十分に高く響くための高さと持続時間の不足がどれくらい度々起こるのかを学ぶことができます。

このように、注意すべき誤りがはっきりするのです!音が低く響く原因としては、口峡柱( pillars of the fauces)が後ろに向かって高くなりすぎていることや、舌の後ろ(back of the tongue)が低くなりすぎていることなどが挙げられ、これらが相まって口腔に穴が空いてしまい、頭声が振動することができなくなってしまうことが考えられます。この誤りは、非常に多くの歌手で、あらゆる種類の声で、そして、ほとんど同じ場所で見られます。それは、いくつかの音に対して同じ共鳴ポイントを頑なに保持し、頭腔の共鳴を引き出すことに失敗しているからに他なりません。「複製フォーム(propagation form)」または継続的なフォーム(1)は常に意識的に準備されなければなりません、なぜならば、それなしで、芸術的な歌唱は考えられないからです。
(1)複製フォーム(Fortpflanzungsform):発声中に1つの音を終えて次の音を出す前に発声器官内で作られる準備のこと、そのため、次の音は、すべて同じ特性と音質となる。

この最も重要な原則を無視することは、通常、声帯と咽頭筋を過度に緊張させることになります。
これに続いて起こるのは、まず音程がフラットし、その後、多くの歌手が犠牲になる恐ろしいトレモロが現れます(「トレモロ」、pp.70ffを参照)。

 

2020/05/23 訳:山本隆則