「声を出しているとき、声帯は開いているでしょうか、それとも閉じているでしょうか、どっちでしょうか?」
これは、私が歌を教えているあるミュージカル劇団で、10年以上にわたり、最初のレッスンのときに生徒さん達に必ずする質問です。生徒さん達は私とのレッスンを受ける前にすでに何年かにわたって声楽のレッスンを受けている人たちです。
この質問の答は、常識的に考えてすぐに回答できるもので、「何を当たり前のことを聞くのか?」と反論されてもおかしくないほどのものですが、驚くべき事はその正解率の低さです。正解率はおよそ30~40%(少し甘く見て!)、つまり70%近い人たちが、即座に「開いて」と確信を持って答えるのです。この数字は、ヴォイス・トレーナーとして教育上決して看過することのできない非常にやっかいな問題を示しています。この正解率の異常な低さの原因は、もちろん生徒さん達にあるのではなく、『ノドは使っちゃいけません、ノドをよく開いて息をタップリ流して共鳴させなさい』と言う教育のためです。
「開いた声門は、呼吸するための形であり、声を作るためには声門は閉じなければならない」
唇を合わせてプルプルと振動させるには唇を閉じていなければならないように、声帯をプルプルと振動させるためには声門を閉じなければなりません。ところが驚くべきことに、発声中は声帯を少し開けなさいと教えている先生がいるし、実際そのように教わったという生徒もいます。それは、声帯を閉じると息が流れなくなるのを恐れているか、あるいは、喉を開けることと声門を開けることを混同しているか、その両方だあるかでしょう。
ともかく、発声中に声帯が開いていると思い込んでる人の発声は、当然息の多い声になります。それゆえ、発声中は息を流している感じには決してなりません、むしろ息を止めたときのような感じに近くなるはずです。息は流れるのではなく、声帯の下にある息のかたまりをちぎっては投げちぎっては投げを繰返します(例えば中央の[ラ]の音の場合、一秒間に440回)。もし発声中に息が流れるような感覚を持ったとすれば、その時の声帯は、裏声を出すときと同様に、完全な閉鎖がなされてなく、多量の息が漏れてしまいます。多量の息の浪費は多量の息の補給を必要とするので、燃費の悪い自動車のように、長いフレーズを維持することは不可能になってしまいます。名歌手は、息の消費量が少ないので大量の息を取る必要がないのです。(*1)
「効率のよい発声は、息のエコロジーによって達成される」
泳ぎの下手な人に限って、泳ぎ始める前に息をいっぱい吸い込みます。下手な歌い手ほど、歌う直前に息を吸い込みすぎます。ともかくたくさん吸っとけば何とかなるだろうと思ってもその息は邪魔にしかなりません。息の量がブレスの長さを保証してくれると思い込むのはあまりにも短絡的な発想なのです。肺活量の多さは良い歌い手の必要条件ではありません。個人的に私は、肺活量の測定が大の苦手です。先日も、若くてきれいな女医さんに、声楽家だったらもっといけますと厳しく激励されましたが、私は心の中で、歌い手の仕事は息を吐くことではなく止めることだと叫んでいました。
「なぜ大量の息を吐くとだめなのか?」
水道から勢い良く流れ出る水を両側から挟むようにして両手の人差し指を合わせようとすると、水圧が邪魔をして合わせにくくなるのは、実際にやらなくてもわかります。もしそれと同様のことが喉で起こったら? 気管から勢い良く流れる息に対して声帯を合わせようとすると同じように声帯は合いにくくなります。
声は、声帯の合わせ方でいろんな声を出すことができますが、強く大きな声を出すためには、声帯の全長で、厚く、しっかりと合わせなければなりません。ところが息が多すぎると息の流れが声帯の閉鎖を邪魔し、声帯は閉じにくくなります。ここで得られる結論は、「大量の息を使うと大きな声は出ない」ということになります。
「発声という観点からは『呼吸』という用語は望ましい言葉ではない」
呼吸という語は、「吐く」、「吸う」という動作を表す2つの漢字からなっており、その動作を繰返すことが呼吸です。息を吐いたり吸ったりする動作は、声門が開いてるときにおこることを思い出しましょう。言うまでもなく、発声中にはこれら2つの動作は行われません。発声中の息は呼気か吸気かと問われると、もちろん呼気ですが、発声中の呼気は「吐く」というよりは、「漏れる」といった方がよほど現実に近いのです。『呼吸』と言う言葉から連想されるものは、リズミカルに絶えず息を出し入れする動きですが、声を出す瞬間にはその動きは止まってなければなりません。声は静止状態から出さなければならないのです。「流れる」感覚は、必ず過剰な息の使用を誘発します。『呼吸』という言葉を使うことを禁じるつもりはありませんし、実際私も使っていますが、上記したような認識を持つことで息の管理に対する理解を容易くしてくれるでしょう。
発声運動は、有酸素運動ではなく、無酸素運動と言えるかもしれません。
「空気には力がない」
肺に入れられた空気は、発声においてなんの役目をするのでしょうか? 声帯を振動させるための動力源です。しかし、空気自体には力はなく、気圧の変化によって動かされ自分で動くことはできません。呼吸運動とは外気と体内の空気の圧力を変化させる運動と言えるでしょう。その力を持たない空気をエネルギーとするためには、空気に圧力を加えなければなりません。肺に入った空気つまり息は、胸筋と横隔膜と腹筋、そして忘れてはいけないのが、声門閉鎖によって圧縮されてエネルギーが与えられるのです。
「加圧された息の力」
肺の中で圧縮された空気がどれほどの力を持つかは、重量挙げの競技を思い浮かべれば簡単に想像がつきます。しかしバーベルを持ち上げるほどの圧力で声を出すことは不可能です。発声に於いてはその圧力を声門下圧と言い、圧力の強さの単位は㎝H2O(*2)で表します。普通の声の大きさによる話し声で6cmH2Oほどで、歌ではそれより大きく20~30cmH2Oに達することも珍しくありません(*2)。声門下圧が声の大きさとピッチに大きく関係することは近年の研究で明らかにされていますが、実は、オールド・イタリアン・スクールの時代から言われていたことです。19世紀後半の最も重要な教師として知られているランペルティは、「大量の息を入れても、それを圧縮しなければ何の役にも立たない」と言っています。
(*2) cmH2O: 空気圧の値を示す単位、U字型をした透明の管に水を入れ、片方の端から息を吹き込みその水位差を生じさせcmH2Oでしめす。1cmH2Oは100Pa。
(*3) ヨハン・スンドベリ著 「歌声の科学」40―41頁 榊原健一[監訳]
「息の量と息の圧力」
水道につないだホースから大量の水が流れると、太い流れで曲線を描きすぐに落下してしまいますが、ホースの端を指でつまむと水は勢い良く遠くまで飛んで行きます。その時ホースを流れる水の量は、圧力をかけるほど水量は少なくなるという反比例の関係にあることが分かります。
風船を一杯にふくらまし、手を離すと、最初は無秩序に飛び回り、半分ほどの空気になると直進して飛びます。つまり、風船の弾力によって加圧が最も強い初期の状態では、空気の分子は出口に殺到し、出口を振動させ、かえって出にくくなりますが、中の圧力が減少するにつれて、もはや出口を振動させることができず、その結果、出口は筒の状態に戻り空気の流れがよくなることによって風船は直進して飛ぶのです。
多量の息を使ってはいけない、にもかかわらず、安定した歌唱のためには充分に息を取らなければなりません、何故なら、充分に息で満たされた胸には、自然に加圧された息のエネルギーが蓄積され、息の無駄な漏出を防ぎ、さらに声帯を振動させやすくなるからです。
オペラ歌手たちがあんなにも胸を引き上げ、大きく開いて歌うのは、たくさんの息の量をためておくためではなく、最も適切な圧力を生み出すためなのです。
「歌において求められるのは、呼吸法ではなく圧縮法である。」
呼吸法とは声門を開けているときの技術であり、圧縮法とは声門を閉じたときの技術です。体に取り込んだ息を圧縮するためには、声門を閉じなければなりません。声門をしっかり閉じることと、喉が詰まることを混同してはなりません。声帯の閉鎖の仕方は発声技術の中でも最も複雑な操作を必要とします。『息の量』は、その操作をより困難なものにし、『息の圧力』は、エネルギーとの相乗効果によってその操作をより自然でたやすいものにしてくれます。
2017/08/11 山本隆則
【追記】
呼吸の科学的な研究は案外遅く、最も初歩的な研究が20世紀初めごろから始まり。その研究成果が発声教育の現場で有効に働くようになったのは21世紀になってからなのです。
その中で、歌唱に於ける息の扱いについて知っておいた方がいい事実をできるだけ簡単に述べたいと思います。
我々は、生きている限り休みなく呼吸をしています。リズミカルに吸っては吐き吸っては吐きしているのですが、この呼吸は無意識下で行われます。この呼吸はその個人の全肺活量の10%の量の息しか使っていないのです。なぜならば、呼吸の第一の仕事は新たな酸素を吸入し、使用済みの二酸化炭素を排出することですが、その仕事を達成するためにはそれだけの量で充分なのです。また、日常では吸った時に肺軽量の50%の息が、吐いたときに40%の息が肺の中に留まるので、日常会話では息を取らないで話し始めることができるのです。この最も楽で意識にも上らない、それゆえ、寝ている間にも勝手に呼吸してくれるありがたい呼吸が、腹式呼吸、あるいは横隔膜呼吸と呼ばれるものなのです。言い換えれば、寝ていてもできる最も楽な呼吸が腹式呼吸の重要な働きなので、決して神秘的なものでも特別なものでもありません。
では、歌うときの息の扱いはどうなのでしょうか?当然,10%の息の量では舞台では弱すぎます。そこで、肺活量の50%以上の息を取ることになるのですが、ここに重要な問題点が出てきます。
肺活量の満杯近くまで息を取って、その反動で声を出そうとすると、その時に生じる圧力は、声を生み出すために必要な圧力よりも多くなり過ぎて50㎝H2Oぐらいまで達してしまいます。舞台で発する、台詞や歌では、オペラ歌唱の場合でも20㎝H2Oの圧力で十分なので、余分な30cmH2Oの圧力にブレーキを掛けなければなりません。
肺活量の40%の位置は、日常の呼吸で息を吐いたときの位置ですが、それより多く息を入れれば入れるほど体のリアクションとして息を吐くプラスの圧力は強くなり、反対に40%の位置から息を吐けば吐くほど吸い込もうとするマイナスの圧力は大きくなります。この吐こうとする力、吸おうとする力を総合して、『弛緩圧(Relaxation pressure)』といいます。このなんとも矛盾した名前ですが、能動的な呼吸の裏側に受動的な呼吸の力が存在しているのです。
例えば、よく見る光景ですが、腹式呼吸としてお腹に大量の息を入れ(息は肺の中にしか入らないのですが)言葉の一音節ごとに腹をついて台詞をしゃべろうとする行為は、アクセルとしてのお腹の突き+弛緩圧で過剰な圧力を生み出してしまいますが、弛緩圧を調整することで、能動的な労力無しで弛緩圧の受動的な力だけで豊かで張りのあるオペラ・ボイスが楽に生み出すことができるのです。