アレクシス・ドゥ・ガロードは、フランスの教師、歌手で、クレシェンティ―二の弟子である。
Garcia IIが、1835年にパリのコンセルバトワールの歌唱教授に任命されたとき、歌唱において、優れた基準のメトードでよく知られていた。Bernardo Mengozzi(1758-1800)は、コンセルバトワールの発声メトードのための資料を編集したが、彼はこの計画が完成する前に死んでしまった。この仕事は、Honore Langleによって編集され、1830年に “Methode de chant du Conservatoire de musique” として出版された。Mengozziは、イタリアの伝統的、とくに有名なカストラートAntonio Bernacchiの教えに基づいた彼のメトードは、すべての時代の音楽に適用されると主張した。
1830年代、Mengozziの本は、Alexis de Garaudeによって改訂、補足され、“Methode complete de chant”と改名された。Garaudeはパリの有名なカストラートGirolamo Crescentiniの弟子で、1816年から1841年までコンセルバトワールで教えていた。[James Stark, Bel Canto p.4]【提言】
[James Anderson, We Sang Better ]
Tip 119
1830年代に、『生徒がそれぞれの声区に属している音の質に注意することはきわめて重要である。』と言っている。
Tip 128
私たちの時代の最初のころは、女性のレッスンは「胸」の領域で正しく始める教師が少なからずいました。例えばガロードは、ソプラノと思われる女性に、C(ピアノでは真ん中のC)とその4音上のFの間で練習さ せました。彼は、これで彼女の高音の獲得が台無しになるのではという心配はしていませんでした。これは、彼女の声の3つの異なる領域(胸声、中声、頭声)を発見することの一部に過ぎなかったのです。ガロードによれば、女性はまずこの声区を発見し、隣接する区域を「結びつける」(reunir)仕事をすることになっていました。彼はメゾを中央Cの下のAから始めて、胸声で4度上のDまで練習しました。ナヴァと同じように、コントラルトは3つの声区より2つの声区がある方が良いと考えていたので、理想的な胸声区は、例えば中央Cの下のFから中央Cの上の2番目のDまでと、広い範囲でした。
[Stak, Bel Canto ]
( p.73)
1830年にガロードは書いている、『テノールの声でいつも用いられている頭の声は、無限の魅力を持っている。人は強さと純粋性でそれを出し始めなければならない、そして、気づかれない程度に、それらを胸声と結合しなければならない。』『胸声を、ほんの少し上に音を広げる、或は、胸と頭の声区を結合するために、テノールは、voix mixteを使い、それによって「1つの声区が他の声区とほんの少し関係する」、知的なテノールは、「声区を変えることなく」、或は、「声区変換のハードタイプ(それによって、声区間のあからさまなブレイクを起こすと推定されるようなタイプ)をさけて、特定のフレーズを歌うために、このテクニックを上手く使うことが出来る。』 彼の音楽上の実例では、ミックスヴォイスは、B4まで上昇する。