パリのコンセルヴァトワールは、歌唱の総合的なメトードでよく知られていた。Bernardo Mengozzi (1758-1800)は、コンセルヴァトワールの発声メトードのための資料を編集したが、この計画が完成する前に死んでしまった。この仕事は、Honore Langle によって編集され1803年に出版された。
Mengpzzi は、イタリアの伝統的な教え、特に有名なカストラートAntonio Bernacchiの教えに基づいた彼のメトードは全ての時代の音楽に適応されると主張した。
1830年代に、Mengozziの本は、Alexis de Garaude (1779-1852)によって改訂、補足され、Methode complete de chant と改名された。Garaudeはパリの有名なカストラートGirolamo Crescentini の弟子で、1816年から1841年までコンセルバトワールで教えていた。彼は、Jomelli, Porporaその他によるsolfegeを加え、この方法論は主要なイタリアの中心に訪れた結果成し遂げられたと言い、彼の時代の偉大な歌手達の歌唱練習を導入した。
1822年から1842年までのパリ音楽院はLuigi Cherubiniの指導にあったとみられる。彼は、イタリア楽派の歌唱法が公式に由緒ある組織に認定された方法論であることを保証した。
Garciaは、1835年にパリ・コンセルバトワールの歌唱教授に任命されたとき、イタリア楽派の歌唱法が十分定着し、広く且つ明確に組織化された環境の一員となった。

Cherubini、Mehul、Gossec、Garat、Guingeneと傑出した歌手(Mengozzi)たちによってつくられる委員会によって、コンセルヴァトワールの最初のMethodeが編集されたのは、その世紀の始めであった。
我々は、このように作成された仕事において、Bernacchiの優れた指針を見い出す:
「歌唱の呼吸は、話すための呼吸と、若干異なる。つまり、話すために呼吸するか、あるいは、ただ肺で空気を新たにするために呼吸するとき、第一の動きは吸気である、腹部がふくらみ、その上の部分が少し上昇した後弛緩する、それが2回目の動きすなわち呼気である。体が自然の状態にあるとき、これらの2つの動きはゆっくり生じる。
これに反して、歌唱のための呼吸において、吸う時に、胸をふくらまし、上昇させるながら腹部をフラットにして、すぐにそれを戻すようにすることが必要である。
呼気では、腹部は自然の位置にきわめてゆっくり戻らなければならない、そして、胸は、出来るだけ長く肺に吸い込まれた空気を保持するために、降ろされなければならない。ただゆっくり洩らさなければならない、そして、胸にいかなる衝撃を与えることなく、いわば、流れ出るようにしなければならない。」これらの助言は我々の国で広く取り入れられた。

1855年に、腹式呼吸を擁護するMandl博士の有名な研究報告がGazette Medicaleに発表された。

[Joseph Joal, On Respiration in Singing  p. 40 ]

「息をすることを知らない歌手は、頻繁に息をすることを余儀なくされるが、その力は弱く、不安定な音としてしか聞こえない。より大きいな空気量を、長く保持し、管理する方法を知っている必要があり、それがなければ声に力強さや響きは存在しない;さらに、この能力なしで、うまく歌をうまくフレージングすることはとうていできない。」とコンセルヴァトワールのメソッドは述べている。[同上、p. 80]

[2009, Adolphe Nourrit, Gilbert-louis Duprez, and Transformations of Tenor Technique in the Early Nineteenth Century : Jason Cristopher Vest]

さらに、パリ音楽院は1804年に『Method of Singing(歌唱法)』を印刷し、音楽院やフランスの他の学校の生徒が学ぶべきテクニックや練習法を概説した。この論説の最初の序文には、このメソッドに概説されている原理は、有名なベルナッキの流派に由来すると書かれている。アントニオ・マリア・ベルナッキ Antonio Maria Bernacchi (1685-1756)は、有名なヘンデルのアルト・カストラートで、アントン・ラーフやトマソ・グアルドゥッチ Tomasso Guarducci(1720-1770)など多くの著名な歌手を教えた。グアルドゥッチはその後、ベルナルド・メンゴッツィ Bernardo Mengozzi(1758-1800)を教えた。その後、メンゴッツィはピエール・ガラ Pierre Garat(1762-1823)を教え、二人はやがてコンセルヴァトワールの声楽教授となった。メンゴッツィとガラは『歌唱法』の二大功労者とされ、メンゴッツィは生前にそのほとんどを書き上げた。ガラはまた、アドルフ・ヌーリの父、ルイ・ヌーリにも教えた。テノールに関しては、メソッドによれば、テノールがチェスト・ヴォイスで出す最高音はG4である。(30)テノールはA4以上ではヘッドボイスを使う。(31) ロドルフォ・チェレッティも、『ロッシーニは、若い頃は優れたバリトン・テノールだったが、ファルセットが大好きで、得意だったようだ』とコメントしている。(32)