共鳴体としての鼻 [Vennard, Singing  p.93-94]
339 すでに述べたように、鼻咽頭とそれによる鼻の全共鳴体は、軟口蓋(ベーラムとも呼ばれる)の括約筋活動と咽頭の上部収縮筋によって閉じることができる。この閉鎖をもたらすために軟口蓋を押しつける上部収縮筋の部分は、「Passavant cushion(パッサバントの隆起)」と呼ばれる。腔自体は調節できないので、そのコントロールは全面的に、共鳴システムの内側と外側に切り替えることによって行われる。どちらが望ましか、また、通路はただ部分的に開かれるとみなすのか、また、どの程度までか等々についての多くの価値のある論争がある。
340 鼻の通路は、入って来る空気を濾過したり温めたり(またはまれに冷したり)するのに適しているので、塵などが浄化されたり、肺を傷つけないような温度にする。表面は不規則で、ひれ又は何かメカニカル・ラジエーターのひれのような側面の甲介骨を持ち、また、できるだけ広い体-温領域に空気を接触させるために肉質で、血管がたくさん走っている。2つのことに対する結果のすべては:通路がその機能に理想的に適しているとはいえ、急速に息をとるにはまずい手段である、そして、それは音を改善し、作り上げるためにも不十分な共鳴体である。これらの理由で、ほとんどの歌手は口で吸って、口を通して歌う。
341 鼻によって共鳴した音の音質は、素人にさえよく知られる。それは「honky 白人の蔑称」おおわれた音(ホンキ‐トンク調の音楽で使われる声)であが、よく「鼻のトゥワング」と呼ばれるものと混同してはならない。良い例は、口蓋に欠陥があり、他の共鳴体から鼻をさえぎることができない不運な人のスピーチにおいて聞くことができる。ベーラム(軟口蓋)を下げることで誰でもそのようなスピーチをまねることができる、極端な場合は口をさえぎり、音は鼻孔を通して出なければならなくなる。咽頭がたとえどんなによく開いていても、口の通路以外から、音は損なわれずに出てくることはできない。
342 この音質のどの程度までが、歌唱として認められるか?私は、それは全面的に避けるべきであり;鼻咽頭の閉鎖は完全でなければならないという専門家の意見の方へ傾く。鼻の共鳴がごくわずかな価値しかないというデモンストレーションとして、私はよく生徒のために、指で鼻孔を交互に閉じたり離したりしながら、伸ばした音を歌う。実際に音質に変化がない。(鈴の音のような、「口の」音質で歌っているのならば、同じことを確実にすることができる;確かに、それをやったことがないならば、それはあなたを驚かせるだろう。)
343  1954年に、Wooldridgeは、2つの状態のもとで6人の専門的な歌手によって生成される母音を比較することによって、歌声に対して鼻の通路の寄与を分離しようとした:正常な状態と、鼻の通路に綿のガーゼを詰めた状態。彼は、2つの状態下で母音のスペクトラム間の有意な違いが生まれるのを発見することができなかった。そして専門家のリスナーの審査員団は2つの状態を録音テープを聞くことによって違いを識別することができなかった。Wooldrigeは結論を下した。「『鼻の共鳴』という用語は、歌声で声の音質を記述する際に、正当性がない」(39ページ)。5人の男性の歌手(自分自身を含む)によるこの実験の繰り返しは、元の所見(Vennard)を確認した。しかしながら、これは鼻の子音またはフランス語の鼻母音((509))に適用しない。
344 鼻の下で鏡を保持しながら歌い、それがどれくらい曇るかについて注意深く観察するとき、息がどのくらい鼻孔を通過するかについて容易に試すことができる。私は1つの鼻孔の下でほんの少し曇るが、フランス語の鼻音を歌うとき、鏡のほとんどの部分が曇る。より困難な実験は、注射器によってミルクで鼻を満たすことから成る。私が口の母音を持続して出すとき、私は喉に漏れているミルクの微妙な滴りがわかる、しかし、私が息をつぐとき、私はそのときまで保持された大きな量をのみこまなければならない。
345  CroattoとCroattoは、36人の大家を再検討して、そのことを次のようにまとめた「大体において、放射線的な研究により、ほとんどの権威者が口腔音素での完全閉塞(鼻ポートの閉塞)を支持しています。その一方で、彼らの一部は、必ずしも閉鎖された方法で生成されるとは限らないという証拠を提示するものもあります。」(137ページ)。
346 しかしながら、Russellは、X線調査の多くにおいて、軟口蓋が喉の壁から離れて下がると、指摘する、そして、他のものよりこれらの音の中で、どんな鼻音性も明瞭に聞き取れなかったと強調する。これは、19世紀にパッサヴァンが鼻にチューブを挿入して、軟口蓋と彼の名前の由来となっている筋肉のクッションの間の空間を開いておくという実験を行ったことを覚えていれば、説明できるかもしれない。横断面の開口部が12平方ミリでは母音音質に影響しないが、28平方ミリでは紛れもない鼻音性になる(Rousselot、268ページ)ことが分かった。Bartholomewは別の方法でそれを説明する;鼻の共鳴が音の小さな部分であるだけならば、反対すべきものではなく「頭共鳴」と言われるものである、しかし、他の共鳴体が締めつけられるか、遮断されるときは、好ましくなくなる(148ページ)。
347 もちろん、鼻音性のわずかな味つけは、時には声に「ビロードのような」音質を与えるために望ましい。それはフランス語の鼻母音の必須条件である、しかし残りの言語は他のどんなものとも同様に鼻音ではない。また、鼻音性は特定の子音の特質であり、文字「m」、「n」と「ng」で示される。教師は、声を出す際に母音を「置く」ために、これらの子音をしばしば利用する。しかし、この場合、鼻音性は目的のための手段で、音の中に残ってはならない。Jean de Reszkeは、「音は鼻の中になければならない、しかし、鼻は音の中にあってはならない。」と述べたといわれている。私はこれを、優れた音は鼻の中に感じられるだろうが、鼻声であってはならない、と理解する。「プレイスメント」(431-436)の錯覚を引き起こす感覚は、鼻や洞での共振に基づくものでだろう、しかし、これは楽器の音響生成物を増強する共鳴と同じではない。