fauces(口峡)は、ラテン語から来た語で、渓谷、或いは、狭い道を意味します。
口峡柱(pillars of the fauces)は口腔と口咽頭の境目となる2対の柱(piller)で、前後2本の柱の間のスペースが扁桃窩と呼ばれます。
我々にとってほとんど無視しがちな箇所ですが、いろんな著書の中で重要な場所としてたびたび登場します。特に、ウィザースプーンは”Singing”の中ではっきりとその扱い方まで述べています。彼は、局所的な努力(local effort)を強く否定しているので、口峡の活動も、発声器官の全体的な動きの中の一つの要素として説明しているところに注目しなければなりません。
[Witherspoon, Singing, 1925]
Manciniは、特に口峡が前方に向かなければならないことを教え、そして次の事実に注目させた、「現代の歌手」(つまり、18世紀後半の歌手)は、彼らの声を損なうほど口峡を伸ばすか緊張させることによってより力を獲得しようとした。それは彼らが自由で能動的な口峡によって歌うと信じていたという主張をはっきりと我々に教える。そしてそれは、少なくとも故意の圧力を局所的に加えることなく、自由で能動的な口蓋を意味する。(p.13)
口峡は、いつも前に向いていなければならない。(マンチーニ)(p.68)
2対の「口峡の柱」、前方の1対は、それらが付着している舌根後部から導かれ、軟口蓋で終わる;後方の1対は、それらが付着している咽頭の下部側面から導かれ、やはり、軟口蓋で終わる。膜質のベールのような2対の柱の間に扁桃がある。これらの口峡または柱は同様に働く;それらは各ペアの間の開口部を広げたり、狭くしたりすることができる、前のペアは後ペアよりより広く離される、または「間隔をあけられる」、2つのペアは「扁桃空間」を大きくしたり、小さくしたりすることで離されるだろう、あるいは、前から見た場合、互いに近く、ほとんど重なって見える。それらに、密接に連係しているのは、舌と喉頭と、軟口蓋である。(p. 69)
嚥下の時には、飲食物の通り道として広くなる。(p.71)
スピーチまたは歌唱のための協働の行為は、嚥下行為とほとんど反対で、確かな法則に従う。そして、生み出される音声によって、どの程度活動するかは異なる。
呼吸サスペンションを保持する、肋骨は固定される、上の腹部は筋肉が収縮して中に引かれる、喉頭は喉の通常位置のままで、上でも下でもない、舌は上方向、前方に上がり、平らになるか、スピーチまたは音声の法則に従ってその位置を変える、喉頭蓋は必要なだけ舌根に向かって起き上がる、軟口蓋は上方向、前方へ上がる、口蓋垂は収縮し、上昇するピッチに伴い徐々に消えてゆく、口峡もまた、ピッチの上昇に比例して狭くなり、陥凹またはくぼみは鼻の通路を閉じている軟口蓋の前の部分にできる。また、唇は音声のピッチとボリュームに比例して開かれる。(p.72)全体の装置は、サウンドボックスの上に載せた2部構成のトランペット(このアイデアは、H. Holbrok Curtis博士から生れた)のようなもので、胸部はサウンドボックスを形成し、喉部はトランペットのパイプであり、口部は下部共振器またはホーンを形成し、頭部の空洞部は上部共振器または第2ホーンを形成します。
口蓋と口峡は、この2部構成のトランペットの主要な「鍵」を形成し、発声器官のリストに記載されているように、収縮と弛緩の固有の能力のために、2つの部分の互いに対する共鳴作用(sympathetic actions )を調節しています。(p.73)ピッチが上がるにつれて、喉頭の輪状軟骨が上昇するピッチの変化によってその軸を中心に回転して、声帯を後方、下向きに引く必要に従って動き、加速的な振動のためにそれらの縁をますます薄くする;舌は、上方向、前方に強調して上がり、喉と口の形を変える;口峡は、前に向き、狭くなる、又は接近する;口蓋垂は上がって、最終的に消える;軟口蓋は前に上がる、決して後方でない;同時に、喉頭蓋(より下部の舌の後部に対して立ち上がる)は、明瞭であるか不明瞭であるかの音質に関してそれ自身の法則を持つようである。(p.74)
私はここでまた、咽頭の後部壁に対して後方に軟口蓋を上げること(そのことは広範囲にわたってそのように教えられて、いまだに教えられている)は、教師と歌手の最も有害な創案の1つであると、最も強い言葉で非難するだろう。
この動きは発声器官の嚥下行為の一部である、それは口峡間の開口部の正しい形を妨げる、それはうつろな、強制された「咽頭」声を生じ、高音にとって破滅的である、おそらく現代の歌手達の間で、優れた自由な鳴り響く高音がめったに聞けなくなった主たる原因である。
さらにManciniの時代までさかのぼると、いかに口峡を使うべきかを教えられる、そして、この権威は、とても注意深くそれを説明する、「現代の」歌手達(つまり1784年頃当時の歌手達)は、口峡をしっかり締めて、それらを伸ばすことによってさらなる力をつける努力をし始めていた。(p.83)[Coffin’s Sounds of Singing, 1976 p.45]
「口と『口峡』の調和が完璧であるならば、声は明るくて響きが良いだろう。しかし、これらの器官が不調和に動くならば、声は不完全になり、結果的に、歌唱は台無しになる。」 (Mancini, 1777, p.96)