Franklyn Kelsey によって1950年に書かれた本。120ページほどの小さい地味な本にもかかわらず、内容は非常に重要且つ刺激的。

第5章は所謂、呼吸の章に当たリますが、彼は、呼吸機能とは息の圧縮であることを明確に示すために、その章の表題をTHE WORK OF THE AIR-COMPRESSOR としています。

V. 
エアー・コンプレッサーの仕事 p.60

息の正しい管理は、歌唱技巧の土台石である。呼吸メカニズムは、各々のフレーズが歌われる間中、断続的ではなく継続的に、そして空気-圧縮器の機能を自由にできるような方法で使われない限り、全ての発声機関は完全にアンバランスになるだろう。

声の空気-圧縮(air-compression)メカニズムは、1対の密閉された空気-容器(肺)と、横隔膜とそれに関連する筋肉組織と、気管支と気管、そして圧縮室の出口を閉じるための弁の働きをする喉頭などから構成され、それらによって空気を圧縮することが可能になります。吸気中に取り入れられるすべての空気は肺に入る、そして、肺以外の場所に空気はない。歌手と教師が陥る最も一般的な間違いは、胸を空気で満たされたボックスと考えることである、しかし、実際は、2つのスポンジ状の「エアー-バルーン」を持つ空気のない空間である。横隔膜が降ろされ、肋骨が拡大されたとき、バルーンの外の空間が増やされるので、2つのバルーンは膨らむ。

今日のすべての歌唱スクールで最も広範囲にわたる2つ目の間違いは、声門唇が、自然な状態、すなわち圧縮されていない空気によってエネルギーを与えることができると思い込んでいることである。
大気圧の中の空気はエネルギーをもっていない; 役目を果たす前に空気は圧縮されなければならない。圧縮は、気管のてっぺん(喉頭)で弁を閉じ、その次に胸腔の大きさを徐々に減少させ、そして、腹のある程度の制御された圧搾によってもたらされる。それゆえ、横隔膜は膨らんだ肺に対して、上に押しつけられる。(1. II節 実際的な指導のための「歌手の十戒」を見よ。)

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胸腔の大きさは、最初に、横隔膜の上への動きによって、そして次に、低い肋骨の漸進的な圧迫によって減少する。したがって、歌唱中に空気を圧縮する行為を意図的、継続的、意識的に管理するのであれば、横隔膜が上昇する自由を奪うようなことをしてはならない。横隔膜の上昇をコントロールするために、歌い手が腹筋を外側に押し出したり、下向きに締めたりするたびに、横隔膜はこの必要不可欠な自由を奪われる。これらの筋肉は、弛緩した呼吸【平静時の呼吸】で使用される吸気プロセスの一部としてのみ外側と下方に動く。その機能は、吸気時に横隔膜が下降するのを可能にすることである;もしこれらの筋肉が、呼気を制御するメカニズムとして説明された方法で使用されるなら、単に横隔膜の上昇を遅らせるだけではなく、上昇を妨害することになる。  あなたの手でテーブルの縁をつかみなさい。今、あなたはテーブルを押さえつけるためにある筋肉群を、或はそれを持ち上げるために別の筋肉群を使うことが出来る。しかし、押さえつける動きを遅くするために持ち上げる筋肉を使おうとするならば、あなたは自己矛盾した行為をすることになる。その結果は、両筋肉を緊張させるために筋肉がふるえ、腕の痛みを伴うことになる! あなたは、実際、自然法則に対して戦っている。それは、腹筋を外側に押すか、下方に締めつけることによって横隔膜の上昇を制御しようとするときに、あなたがまさに行っていることなのです。

声の空気-圧迫システムは、花を噴霧するために使われる単純な園芸ハンドスプレーに、緻密な機械的類似が見られる。「液体」(空気)、「プランジャー(ピストン)」(横隔膜とその関連する呼吸筋組織)と「ノズル」(喉頭)がある。腹筋はプランジャーが下がれるように外への動きで弛緩する、そして、腹筋がその位置で硬化するならば、プランジャーをしっかりと下の方に保つので、圧縮することができない; 静かな呼吸において、プランジャーは自動的に上がる。

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圧縮は、緊張して引っ込んだ腹筋に対して胸を下向きに絞るような方法で行われる。一方、「ノズル」は胴体の上部を閉じ、プランジャーによって液体が圧縮されるのを可能にする。当然ながら、プランジャーの上昇を妨げてバレル内の液体を節約しようとすれば、確かに成功するだろう、しかし、ノズルからは大した噴流は出ない;もし、あなたの目的がバラに噴霧することであるならば、とても遠くへは届かないだろう!さらに、使用するノズルのサイズが小さければ小さいほど、噴射を維持するために液体を強く圧縮しなければならない。

人間の「プランジャー」はサイレント呼吸において多かれ少なかれ自動的であることを、私は示してきた; しかし、それがいつも使っているエネルギー量より多くのものを使われなければならないとき、それが自動的でないことを思い出すのは重要である。このケースにおいて、横隔膜をより高いピッチで活動させるためには、横隔膜以外の場所で意識的なアクションを起こすことが絶対に必要である。実際、横隔膜は別の場所で出された命令に反応する。鼻の通りをよくするために激しく鼻をかむとき、あるいは口から無理やり空気を吹き出すとき、横隔膜は下降することによって鼻から空気を吸い込み、あるいは同じように急速に、あるいは無理やり上昇することによって口から空気を送り出すが、いずれの場合も、横隔膜の動きは、鼻をかむときは鼻で、口をかむときは口で、意識的に行われた行為に対する反応である。同様に、横隔膜があなたの意志に応えて肺の空気を圧縮してくれることを望むなら、その上の喉頭で意識的に圧縮の動作をしなければならない、 なぜなら、この器官に関連する筋肉が、圧縮をコントロールしているからである。胸部を横隔膜の表面に向かって下向きに等しい圧で圧迫すると、横隔膜が肺の基部を均等に上向きに押し上げ、閉鎖した声門に対して空気を絞り出す。

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声の圧のわずかな強弱が横隔膜から瞬時に反応を呼び起こすため、均等な強さで完全に安定した音を出すには、喉頭の下向きの圧力を絶え間なく一定にしなければならない。

呼吸管理の理論的な側面はそれだけにして、今、理論から実践まで更に進もう。

歌手の呼吸は、Sims Reevesが「full chest」と呼んだ種類のものでなければならない。
息をする際に、胸は持ち上げられなければならない、肩はよく外へ向きを変え、背骨は一直線。ある昔の教師たちは、弟子に胸骨から下の中間点あたりの想像上の穴から息を吸い込むように命じた、そして、Santleyの、息を「チョッキの後ろと側面に」呼吸すると言うアドバイスも同じように有益である。息がこのように取り入れられるとき、歌手は喉に対して全く無意識のままである。吸気が更に進むにつれ、腹はわずかに中に引かれなければならない、そして、筋肉は緊張し、それによって胸を引き上げ、高くしたポジションで維持する。息が「チョッキの後ろと側面」にとられて、低い肋骨は拡大しているのが感じられるだろう。そして、それらの拡大が完全なものとなったときに肺は満たされる。決して、弟子は肺の一番上の限界まで満たそうとしてはいけない;もしそのようにするならば、低い肋骨は必然的に崩れ、全部の呼吸器系はバランスを崩されるだろう。

息の消費は、見てきたように、横隔膜が反応する力を制御する、喉頭の下の圧力量によってコントロールされる。圧力量は背中と腹の筋肉によってコントロールされる。そして、それが横隔膜の上への押しを遅くするために使われる。高い音を歌う際には、横隔膜の上への推進力を減速し、より軽い圧力で音を生み出すために、弟子は背中の筋肉に向かって充分にもたれ掛かる(lean well into the back muscles)ことを教えられなければならない。さらに、生徒は喉頭の圧縮作用によって腹部(上も下も)が引き込まれているかどうかを常にチェックする必要がある。

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呼吸を使い果たしたという感覚に対して、腹部の筋肉で息を外側に強く抑えることで息を節約しようとするのは、よくある反応である;この自然な衝動は非常に強いため、それをチェックし修正するためには、教師側が最大限の警戒を払う必要がある。この癖を解決しないーあるいはやめない弟子は、決して安定した響く音質を歌えるようにならないし、しっかりと準備された声を訓練することが全くできないだろう。息がこのように継続的に管理されるとき、すべての音は気管の最上位でその起点を持つようである。
「ハーフ・ブレス」または「素早い-ブレス」は基本的に鎖骨(呼吸)である-少量の息(ただ進行するフレーズを保つのに十分な)が肺の最上部に素早くとられる。息をすばやくとるとき、決して、深く呼吸をしようとしてはならない; 横隔膜の ― 下へグイと動かすような― 突然の降下は全発声機械のバランスを崩すだろう。同様に、決して息のたくわえのまさしくその限度まで声を出そうとしてはならない。世間にあなたの財布の底を決して見せてはならない。常に、予備にいくらかを残しておきなさい。
歌手の技巧は瞬間的に全く気付かれないでいっぱいの息をとることにあるとしばしば思われる。
そんな事ができるはずがない。それは、身体的に不可能である。
すばやくとられて(必然的に)鎖骨ハーフ・ブレスである;使用可能であるように、フル息は常にゆっくり、滑らかに、そして、静かにとられなければならない。
以上のように、ハーフ・ブレスの時間にフル・ブレスをする試みは、喉頭を間違った位置に投じる横隔膜の突然の下への動作を引き起こす;さらに、喉は、声門唇を荒れさせて、気管にあるかもしれないあらゆる粘液を乱して、常にうるさい。フル・ブレスの急激な吸気は、ただ声がしゃがれることを生み出すだけでなく、声の能力欠如への最も近道でもある。訓練の初期の段階では、弟子によって取られるすべての息は、遅いテンポの3拍を超えるぐらい遅くしなければならない。ただ遅い息が徹底的にマスターされたときにのみ、ハーフ・ブレスが可能となる。

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最終的に、歌唱時に、腹筋の内側への緊張を維持することの途方もなく大きな重要性は何度繰り返しても無駄ではない。弟子は、目的は息を保持することではなく、使うことであると理解しなければならない。自然な本能が彼にするように促すことと正に正反対のことを常にしていることを感じなければならない:肺の底で息を保持する代わりに、肺から息をゆっくりとしぼり出すように、喉頭を下に、腹を内側に押しつけて、それを圧縮し続けなければならない。このコントロールされてたくみに管理された「圧搾」(CarusoとBonciがそう呼んだ)、が発声行為である。もし腹筋を外側に押すことによってそれを妨げるならば、声はすばやく停止するだろう、何故なら肺の中の空気を消耗したためではなく、その圧力を大気のレベルに下げたためである。
大気圧の中の空気はエネルギーを持っていない。


Appendixに、まとめのような形で、歌手の十戒が記されている。

歌手の十戒  p. 113

I.背部と下部の肋骨に呼吸しなさい
肺はその後方と最深部で最大容量に達し、胸骨のすぐ前までは伸びていない。肺が完全に膨らんだとき、横隔膜の下降によって得られる空気は全体の3分の1に過ぎず、残りの3分の2は肋骨下部の膨張によるものである。 粉塵病委員会の医師によるX線検査では、腹式呼吸で横隔膜をこれ以上深く降下させることは不可能であることが判明した。決して肺を過度に膨らませすぎず、胸骨の下に大きなふくらみを持たせようとしないこと。もしそうすれば、腹筋の正しい働きを致命的に損なうことになる。
II. 低く胸圧力を保ちなさい

これは、2つの異なる方法で行うことができる:(a), 声帯を開けて、息の自由な流れを音声と混ぜ合わせることによって、そして (b)、声帯の堅い接近を保ちながら、横隔膜の上昇を減速することによって。
明らかに、最初のは間違っている、そして、第2のが正しい。
呼吸筋の正しい活動を理解するために、横隔膜は、その上の空気の消耗によって引き上げられるのではなく、いわば、ゆっくり上方向へしぼられる、学生は、息を閉ざされた唇の小さい開口に強制的に通過させることによって、または、力強く鼻をかむことによって、管楽器奏者の動きをシミュレートするだけで良い。(鼻をかむときはいつでも、我々は正確に管楽器奏者が彼の「唇」で行うものを、接近された鼻孔でする、そして、歌手が閉ざされた気管の最上位でする(ずっと非常な繊細さで)ことを学ばなければならないのはまさにこれである。)動きが腹筋上部のきわめて力強い内側への収縮を伴うことはすぐに気が付く、そして、この種の筋肉の活動が上行する横隔膜に対する一種の歯止めの働きをするように、慎重に加えられるという考えを理解するのはたやすい。横隔膜はそれから呼吸筋のコントロールされた圧搾によって上に向かって押される。喉頭での空気-圧力の量は、筋肉の圧搾が加えられるかたさによって定められる。圧搾がより堅いほど、圧力はより低く、そして、喉頭での自由の感覚はより大きくなる。
空気-圧力は腹筋の圧搾によって定められる、:空気-支出は、喉頭で使われるかたさによって定められる。

III. 歌手にとって、音声を支える筋肉の圧力は、常に音声自体より大きい
これは特に声の最上音のケースである、そこでは歌手にとって音声はきわめて小さいと感じる。アタックに於いて、高音は常に腹圧に頼り、そして、音声はそれ自体に任せなさい。オーボエまたは管楽器を演奏する際に行うように、呼吸筋の「ブレーキをかける」動作が息を吐く普通の過程の完全な抑制となると理解するのは重要である。しかし、平均的な発声プロセスは息を吐くプロセスによって行われるため、呼気プロセスを維持しようとする強い衝動が常にある。特に、息の流れが非常に小さい声のトップエンドでは、もっと自由な息の流れがなければ言葉を形成できないと生徒に思わせるほどである。これは幻想である、そして、息を吐くプロセスを再開したいという誘惑は厳しく阻止されなければならない。決して、決して、決して、腹筋をつかむのを緩めてはならない;もしやめれば、歌うことの代わりに叫ぶことに、そして、音声だけではなく、喉頭を大きく損なうことになるだろう。

IV. 喉頭で音を打ちなさい
喉頭が各々の音を打つために完全に自由であるという感覚を生じるのに必要なだけ、胸の圧力は常に低くなければならない。喉でも息でもなく、常に喉頭自身で打ちなさい。とはいえ、あなたの 「打つ (striking)」行為(これ以上の呼び名は見つからないが)は、常に愛撫のようなものであるべきだ: しっかりとした自信に満ちた、それでいて愛撫のようなものだ。また、あなたの「打つ」はピアノのハンマーのようなものではなく、弦を弓で「アタック」するようなものだということも覚えておいてほしい;それは 音符やフレーズの最後まで、始めと同じように続けなければいけない。

V. 全体として声を認識せよ
決して共鳴器の1つの部分に声を閉じ込めようとしてはいけない。胸のてっぺんから頭のてっぺんまで伸びていて、ピッチが上がるにつれて底辺が低くなっていくような視覚イメージを頭の中で描きなさい。共鳴体の一部分に声を閉じ込めようとしてはならない。 胸のてっぺんから頭のてっぺんまで伸びていて、ピッチが上がるにつれて底面が低くなっていくようなものを視覚化してほしい。 もしヴァイオリンの胴体が敏感で、弦の振動を感じるとしたら、その最大の振動感覚はブリッジのすぐ下に感じられるだろう;それにも関わらず、サウンドの感覚は肉体の全部の表面に拡張するだろう。同様に、歌手は喉の底でサウンドの最も強い感覚を感じる、しかし、それをそこで閉じ込めようとしてはいけない;それが頭の頂上まで正しく伸展しているのを感じなければならない。

VI. 口よりもむしろ喉を開けなさい
声帯のすべての振動は、圧縮空気の小さい破裂を起こす。喉をうまく開ければ、モーターの排気管からサイレンサーを取り外したときとまったく同じ効果が得られる。サイレンサーは、発生するガスが瞬時に自由に膨張するのに十分な空間を与えないことによって作用する。顎を落として口を開ける動作は、食べ物を口に入れるときと同じで、喉の入り口を自動的に閉じ、食べ物が咀嚼される前に食道入口に入り込まないようにする。喉は下顎の後方への動きによって開かれ、頬の筋肉を引き上げることでわずかに微笑んだ表情を作るが、大きく口を開けることはない。このような開き方は、口が喉の奥に移動したような感覚を引き起こす。歌い手は、喉頭のすぐ後ろと上に口があるように感じる ―その口は上部が大気に向かって大きく開いている― ので、本当の口が消えたように感じる、そして、喉頭と「口」咽頭の間に通路がない。これは、昔のイタリアの金言:「L’Italiano non ha gola」 ― (「イタリア人(歌手)は、喉がない」) ― ;また、ガルシアの格言「歌手の本当の口は、咽頭と考えるべきである」の本当の意味である。

VII. 声を静止させなさい
それなりに感じることができる唯一の「流れ」は息の流れである点は、以前に言った。正しい歌唱において、声は流れ(すなわち、口からの流れに)とは見なされない;それは、常に共鳴器のある部分で停止するかのように感じる。歌手は、それは外へ放射しているが、この放射を「流れ」として感じないことに、常に気づいている。(この点は微妙だが、それは、強調しなければならないくらい非常に重要である。)そして、声が常に中心線で機能しているように見えるよう、静的な状態を保つよう努めなさい。私たちは 「声の放出 」と言うが、歌手の感覚を最も的確に表す言葉は 「注入(immission)」だろう。

VIII. 1つの連続する全体として音を結びつけなさい
Chi non lega, non canta」;「「結びつけない者は、歌えない。」そして、それが「結びつける」呼吸筋の休むことのない連続する圧搾であるので、この必要不可欠な行為が完全に継続的でなければならないと言うことと同じである。即ち、決して8つの音のパッセージを8つの異なる音と考えてはいけない;それの上に8つの異なるピッチが刺繍された1つの単音としてそれを考えなさい。したがって、呼吸圧搾は単一の連続する全体を処理する、一方で、喉頭は結合するものを緩めることなく音程を「打つ」のである。

IX. 質と量のための仕事は、それとともに来る
最高の音質で、完璧な響きを特徴とする小さな音を操れる者は、楽器が可能な最大限の音を容易に操れる。しかし、小さな音は声帯を開いて息を多く通すことによって出るのではないことを忘れてはならない。小さな音は、横隔膜の上昇を鋭く減速させ、呼気行程をはるかに強く抑制することによって作られる。ソフトな歌唱は最も難しい作業である。

X. 聴衆をあなたのところへ来させなさい:決して聴衆の方に出かけてはならない
あなたは、磁石である:聴衆は、磁石に引き寄せられるものある。あなたの正しい役割を決して逆転させてはいけない。これはすべての偉大なパフォーマンスの奥義である、そして、この十戒の第7の戒律はそれに多大な関係を持っている。自分の声をより静的に保つことができればできるほど、この最後の、そして最も偉大なものの本当の、言い表すことのできない意味をより早く理解できるようになるだろう。そして、どんなに大きな肉体的エネルギーの消費が要求されようとも、不必要な肉体的緊張を持ち込むことによって打ち砕くよう説得することはできない、偉大な静寂の中心で常に歌っているように見えることを理解し始めるだろう。そのとき、あなたの歌は広がる樫の木のように大きく見える。あなたの技術的なプロセスは、大樹から生じる小さなドングリのように(重要ではあるが)小さく見えるのだ。

2015/07/03  訳:山本隆則