[コーネリウス・リード:声の用語の辞典(Cornelius L. Reid :A Dictionary of Vocal Terminology p.274)]

Placement(プレイスメント、配置):20 世紀の考えでは、声音(vocal tone)は解剖学の様々な部位、通常は顔面マスクや頭部の「前方」に「方向づけ」られ、音のエネルギーが集中されるとする概念。18 世紀と 19 世紀の用語では、喉頭部位にエネルギーを集中させることによって、発声器官に向かって歌うことで声音が適切に開始されるという考え方。

正しい音のプレイスメントを身につけるための初期の練習のひとつに(18世紀から19世紀にかけてベルカントの名教師であったガエタノ・ナヴァが述べている)ヴィブラツィオーネ(vibrazione)がある。この練習(単音で行うもので、messa di voceの第2段階と同じもの)の直接の目的は、喉頭の振動を意識して、喉頭の機能を効果的にコントロールできるようにすることであった。ヴィブラツィオーネに加え、もうひとつ「プレイスメント配置」を意味するものとしてインポスト(イタリア語で「置かれた」の意)があるが、これはインパスト(文字通り「貼り付け」)に由来すると思われ、マンチーニによれば全喉頭の発声(full throated tone production)を示すが、不明瞭であまり使われない表現であった。また、messa di voce(原文のまま、すべてがあるべき場所にあり、完全なことを示す【messaは、置くこと、据え付けること、という意味がある。】)のように、messaと組み合わせてimpastが使われた可能性も十分にある。しかし、年月が経つにつれて、メッサ・ディ・ボーチェが一音の膨張と減衰を意味するようになり、インパストはインポスト、つまり “置かれた “の意味になっていったのである。つまり、インパスト(impasto)、メッサ・ディ・ヴォーチェ(messa di voce)、インポスト(imposto)は、暗に「完成」を意味し、ポルポラの高弟ドメニコ・コリが表現したように、歌い手は「クレッシェンドのための声の準備」、つまり発音のための準備態勢をとっているという意味だと考えられる。

現代の教育学で理解されている「配置(placement)」についての最初に言及した一人は、G. B. Lamperti (1840-1910) である。彼は William Earl Brown が引用したように、「置かれた(placed)」音を「マスクや顔だけでなく、頭の高い位置、咽頭やノドの深い位置、そして、胸の低い音で感じる」ものと述べて、この完全性の感覚を強調したのである。これは、リリ・レーマンが提唱した「配置感覚(placement sensations)」(鼻、舌、口蓋などの感覚)と同じ概念で、非現実的なまでに表現されている。このコンセプトは、声のメカニズムを刺激して「声区」を生み出すことが知られている原理から、それらに併発する症状、つまり「頭」と「胸」に集中する振動感覚へと重点を移すことで、伝統的なベルカントの信念から逸脱する最初のポイントとなった。

Lampertiが単に「優勢な側についた」だけなのか、時流に乗っただけなのかどうか、それは未解決の問題である。
確かに、彼の配置に関する考え方は、彼の傑出した弟子であるウィリアム・シェイクスピアと同じではなかった。彼は、「喉頭を適切な位置に保持するために、喉頭を息の上に置いたり、バランスをとったりする」ことで音を正しく出すことができると考えていた。
このことは、後にフスラーとロッド・マーリングが喉頭の動きを支配する懸垂筋について鋭く説明したように、上と下の舌骨筋、およびそれらの関連筋群の効果的な相互作用に依存している(彼の説明では)。
シェイクスピアは、このような発声について、次のような記述をしている:

この外側のシールドは、適切な筋肉の上下方向への複合的な作用によって安定させなければならないとされている。これにより、音階の高い音を出すときに、隣接するチューニング筋がより強力に収縮することができる。このことから、舌骨はわずかな重要性しか持たず、何らかのサポートが必要であると考えられる。この骨から顎の両側の下面に伸びる強力な筋肉と、顎の両側に伸びる筋肉があり、さらにEとCをつなぐ筋肉もある。このようにして喉頭を安定させ、高音を出すためにチューニング筋が強く収縮してもズレを防ぐことができる。
このように、レジスターはそれぞれ異なる筋肉配置によって影響を受けているように思える。後者の筋肉は相互に作用することで、高音、低音、フォルテ、ピアノのいずれの音にも必要な正確な位置に喉頭をバランスよく配置する。同時に、内部の筋肉は、すでに言及したように、振動する声帯の長さと幅に無限かつ著しい変化をもたらす。プレイシング、チューニング、レジスター変更などのコントロールは無意識に行なわれなければならない。

シェイクスピアの「プレイスメント」の説明は合理的で、ベルカント時代の偉大な教師たちが抱く信念にそのまま合致している。しかし、その後のプレイスメントに関する概念は、この仮定から大きく逸脱している。シェイクスピアによれば、「声」は、音の源(喉頭咽頭)で起こる筋肉活動によって動き出した振動インパルスの産物と考えられていたが、現在では「プレイスメント」は「共鳴で歌う」問題と考えられている。それは、それ自体では声音を発したり増強したりできない解剖学的組織の部分における振動感覚を再現し強化することによって達成される。したがって、インポスト、インポストかメッサにかかわらず、プレイスメントと共鳴の元々の概念は、よく配置された音は機能の産物であるとしたことは容易に理解できるだろう。具体的には、母音に応じた咽頭腔の正確なチューニング(これは喉頭の安定性を意味する)、およびピッチと強弱によって課せられる要件を満たすために収縮する筋肉プロセス、そして声帯の物理的形状を調整し決定する機能であった。

現代のプレイスメントは、シェイクスピアの説明とは大きく異なっている。1930年代、フランク・ヒルは、「それぞれの音が適切に補強されるように導くこと」と定義した。フランクリン・ケルシーは、『グローブ音楽・音楽家辞典』(第5版)の中で、「音の流れを解剖学のある部分または別の部分に向けること」だと主張しているが、文字通りの意味でそのようなことは物理的にも音響的にも不可能だと断言している。しかし、科学的な権威がその誤りを指摘し続けると、理論と実践の両面で修正が行われた。1969年に米国歌唱教師協会が発行したパンフレットでは、プレイスメントとは 「完全な心と身体の協調の産物 」と定義されている。ヴェナードは別の立場から、”異なる音色の音が異なる身体の部位であるかのような錯覚 “と表現している。現在では、ある著者が言うように、「プレイスメント」とは、”特定の個人に適用される声の統合とコーディネイション “というのが合意されているようだ。

上記の定義が控えめであるにもかかわらず、多くの教師は、プレイスメントに関連する視覚的なイメージをトレーニングの手順に取り入れています。具体的には、「硬口蓋に当てる」、「顔のマスクに入れる」、「唇の前方や前歯の後ろに当てる」、「頭や胸に響く感じ」など、婉曲的な表現でアドバイスしている。具体的な提案としては、ヴァイオリニストに、自分の楽器から出る音を天井や床やオーケストラの3列目に「向けて」美しい音色を出せというのと同じぐらい馬鹿げた話である。

「プレイスメント」の支持者は、1)「声」は動くことができない空気粒子の秩序ある乱れに過ぎないこと、2)それ自身は機械的機能を持たず、他の活動の産物であること、を認識していないのである。

したがって、プレイスメントに対する正しい見解は、多くの歌手が体の様々な部分(頭、胸、顔のマスクなど)で経験する感覚は、振動インパルスが骨伝導によって音源から骨格を通して放射されたために現れる症状であると認識することである。つまり、喉頭咽頭で起きている機能的活動(特にレジストレーションと共鳴)の質を反映しているに過ぎないのである。これらの症状が現れる強さは、声音を生み出す協調プロセスの効率を反映しているにもかかわらず、その効率は症状の強さを増すことで高められるものではない。また、症状がすでに現在の技術的状況の産物でない限り、(想像の産物であることを除いて)症状を出現させることはできない。

「プレースメント」は実際基礎のない概念である。また、一旦声帯が振動するようになると、音質に対する効果的なコントロールができなくなるという事実も見落としています。トレーニングの手順を建設的なものにするためには、「プレイスメント」またはそれに関連するイメージに基づく教育的手順は、断固として排除されるべきである。

 

2022/03/24  訳:山本隆則