歌唱教育の世界には、洋の東西を問わずリラックス信仰というものがあって、やたらと力を抜いてリラックスすることは良いことだと信じている人たちがいます。
「喉を使ってはいけません!」と生徒に指示する教師がたくさんいます。その類いの教師はその他にも「喉をよく開いて」、「軟口蓋を上げて、舌根を下げて」、「息を頭の後ろから回して響かせなさい!」、「マスケラ(顔面)に当てて!」等の指示とセットにされることが多いようです。まるで、肺にある息が直接頭に共鳴すると信じているようかのようですが、息はそのままでは決して共鳴しません。息をまず音に変換することによって、初めて共鳴するのです。もちろん、ウィスパーで「あいうえお」をいうことはできますが、今の論点から外れます。
以上のような教え方の基本的概念は、声帯振動の軽視、と共鳴重視です。日本の歌唱教育にはこの傾向が非常に強いみられます。

「喉をリラックスさせなければならない」とゆう言い方は、非常に危険な言い方です。何故なら、喉をリラックスさせると喉はリラックスできなくなるからです? まるで禅問答のような言い方をしてしまいましたが、「…声の分野において、パラドックスは、ごく微細な技術的諸点にいたるまで特に目立って現れる… 」(マルティーンセン=ローマン p.256) と言われるように、発声を勉強しているときには、たくさんのパラドックスに遭遇し、それを解決していくことが一種の成長の証でもあるのです。
声を出すことにおいて、喉の働きを簡潔に言うと、息の圧力と協力し合って声帯を振動させることです。この振動が声の源である喉頭音源を生み出します。ここで大事なのは、ただの息ではなく、息の圧力という点です。
大気中の空気にはエネルギィーはなく、それを身体の中に吸いこんでも、それだけでは何の力もありません。空気とは、うちわで扇ぐと素直に移動するあくまで受動的な存在です。その空気にエネルギィーを与えるためには、圧縮しなければなりません。それを、G.B. Lamperti は、「締まりのないルーズな息の吐き方は、たとえは肺の中に十分な息が入っていたとしても役に立たないばかりか有害ですらある、それは局部的な骨折りになってしまい不規則な振動とエネルギィーを崩壊させる。」(W. E. Brown, Vocal Wisdom  p.64)と言い、必要なのは圧縮された息(compressed breath)であると言います。
この発言の「局部的な骨折り」が、喉の間違った力の使い方であり、声帯の正常な振動を妨げることとなります。それは、喉がリラックスしていない証拠でもあります。

このcompressed breath を作るためには、喉を閉じなければなりません。それによって生まれる声帯下圧と声帯の抵抗のバランスを取ることで初めて歌唱か可能になるのです。
1950年にF. Kelsey は書いています。 「今日のすべての歌唱スクールで最も広範囲にわたる間違いは、声門唇が自然な状態、すなわち圧縮されていない(uncompressed)状態の空気によってエネルギーを与えられることができると思い込んでいることである。」[ The Foundations of Singing  p.60]

高い声や強い声を出すためには、それ相応の強いエネルギィーが必要なのは誰でも分かりますが、柔らかくて弱い声にもエネルギィーが必要です。歌でなくても、舞台で台詞を話す俳優は、すぐそばにいる恋人に対して、優しく語り掛ける愛の言葉を3階席の後ろまでとどかせなければなりません。ジェシー・ノーマンはピアニッシモの声を劇場中に鳴り響かせます。
基本的に歌を歌うという意図的な行為においてリラックスしている箇所はありません。リラックスさせるのは、本来の仕事を果たすためであって、休ませるためではありません。 喉や、舌の堅さは、本来の仕事をしないで別の余計な仕事に関わり合っている状態のことです。その状態から抜け出すには、その堅さをリラックスさせることよりもそれぞれの本来成すべき仕事を教え込まなければなりません。

最後に、オペラ歌手からメトロポリタン歌劇場の支配人まで出世したウィザースプーンさんの一言を、

我々は、リラクゼイションについてのほとんどの話はナンセンスで、実際、根拠を持っていない、何故なら、(正しい緊張と活動を伴わずに)リラクゼイションを通してあらゆる身体的な行為を成し遂げることはない、とここで言わせてもらおう。
これは堅さと混同されないことである。堅さは普通の自由な活動すべてをただ妨害するか、不可能にさせる。. [Witherspoon, Singing 1925.  p.60]

喉はリラックスさせてはいけません!