CHAPTER XI p.67
The Vocal Organs and Their Action – Anatomy of the Vocal
Organs – Action and Reaction
発声器官とその動き―発声器官の解剖学―作用と反作用
正しい呼吸によって引き起こされ、正しい発音によって仕上げられる発声器官の作用は、歌唱行為の連携作用の結果として自然に生じるものであるから、ここではさしあたり呼吸の問題は置いといて、音とスピーチの生成に付随する現象を考察していくことにしよう。
教師や歌手は、発声器官の法則、働きや作用を理解するために、解剖学の完全な知識を必要としません。一方で、これらの法則と働きが何であるか、それが起きる方法と理由、その結果として正しい働きと誤った働きの両方が何なのかという明確な考えを得るために、彼が扱っているものを充分に理解しなければなりません。
その上に、ピッチ、音量、共鳴、音質、発話形式や発音など、すべての特徴の中で音の変化を区別できる耳を持っていなければなりません。
さらにまた、以下の議論では、歌や発話のすべての音声が、声を出すための発声が正しいか、正しくないかの連携作用の結果であることを心にとめておかなければならない。「局所的」変化、「局所的」活動の修正、「局所的弛緩」等々に対する全ての衝動は単に1つの目的しか持たないことを、そして器官の全てのより完全な連携作用の刺激が音声の生成と形成に関係することを覚えていなければならない。
彼はまた、発声器官の正しい連携作用は、第1に正しい呼吸、第2に正しい発音に依存しており、連携の1つの部分や「局所」に過度の注意を払ったり、執着したり、ストレスをかけることは、その連携作用を妨害することを確信していなければならない。議論を進める前に、18世紀と19世紀の偉大な教師たち、美しい歌唱芸術の創始者たちによって発見され、使用された原理と経験的な提案をいくつか紹介するのが妥当なように思われます。
私は、以下のような昔の楽派の考え方に注意を喚起したいと思います。
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(1) 生徒に正装閲兵式のときの兵士の姿勢で直立させ、深呼吸をさせ、肋骨を落とすことなく、最初の音をアタックさせる。(的確に、横隔膜と組み合わせた胸式呼吸の指導。)
(2) 口峡は、いつも前方に向けなければならない。(Mancini)
(3) ソプラノの頭声の配置(placing)は、第5線と第4間で母音i(ee)を歌わせることによって容易になされるだろう。(Tosi)
(4) 呼吸する方法と上手く発音する方法を知る者は、歌う方法を知る。(Porporaによるものと考えられる。)
(5) 音質を損ない、力がなくなるので、口を広く開きすぎてはいけない。(F. Lamperti)
(6)歌い手は、ワン・ブレスで歌うフレーズの練習中に、不必要に顎が邪魔にならないようにしなさい。それは、音質の均一性と良い発音(明瞭なディクション)を台無しにする。(Lamperti)
(7) 歌手に喉から出るAW(AW)とOH(OH)を練習することをやめさせなさい;それらは声を陰鬱で暗くする。(一般的なルール。)
(8) 最初はあまり大きな声でも小さな声でもなく、楽なメッツォ・フォルテで練習しなさい。
(9) 口は、通常、軽く微笑み自然で楽な状態にしなければならない。(一般的なルール)
(10) 生徒に初めのうちは楽に、自由に声を「出させ」、そして、少しずつメッサ・ディ・ヴォーチェ(「膨らみと減少」)を習得させなさい。(Mancini)
(11) 表現手段として用いる以外は、ポルタメントまたはスラーを避けなさい、そして、めったに使用しないようにしなさい。(一般的な指針)
(12) 鎖骨からの下向きに息を吸いなさい。(昔のアイデア)
(13) 弟子に師匠の声の作り方を真似させなさい、決して師匠の声を真似してはいけません。(昔の指針。)
(14)音を鳴らしながら親指と人差し指で鼻孔をつまんで閉じなさい。音が少しでも鼻にかかっていたり、鼻音質であれば、口蓋が緩みすぎて、鼻の中で音が出すぎていることになります。
(15) 口が音声で満たされているのを感じなさい。
(16) 音の焦点は、前歯の鼻の後部の下にある。
(17) 決して息が外へ吹き出すようにではなく、息が体の中に残るように歌いなさい。(G.B. Lamperti)
(18) まるで息を吸い続けるように、声を出し始めなさい。(Lamperti)
また、私は、技術の目的は表現であるとことを強く訴えたいと思います。
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発声器官の解剖学
私は、意図的に、解剖学的研究を上の頭-腔と鼻から始めて下に向かって研究していく通常の方法に従わないで、喉頭から始めて上へと作業していきました。
人間の声に於いて音声を生成することに直接関係する主な身体器官(呼吸器官を省略する)は以下の通りです:
(1) 喉頭は、気管の最上部に位置しその一部分です。喉頭には、声帯(vocal bands or cords)、披裂軟骨と、声帯や喉頭室(Morgagni)などをコントロールする他の筋肉から構成されています。喉頭は、2つの部分に分かれ:(a) 甲状軟骨は上部を形成し、固定されたままで外見的には「のどぼとけ(Adam’s apple)」の先端に当たり、(b) 輪状軟骨は下部を形成し、甲状軟骨とその関節を中心にして回転します。声帯がより高いピッチで振動するに従い、輪状軟骨は、この軸を中心に前部を上方向へ、後部を下向きに回転します。最終的に最も高いピッチで、2つの軟骨(いわゆるのどぼとけ)間の前方のすき間を閉じ、それは指ではっきりと感じることができます。
この輪状軟骨の動きと同時に、披裂軟骨の筋肉は後方下向きに声帯を引きます。そして、音程に応じて声帯を薄くし緊張させて声帯を徐々により接近させて声門を閉鎖します。コロラトゥーラ・ソプラノや、時にはハイ・テノールの最高音で、喉頭全体が上がり、少し前方に動く場合がまれにありますあります。上記のことは自然法則です。非常に高い声のための喉頭のこの特別な活動は、最高音のための軟口蓋の同調する、下向き、前方への特別な活動と一致することがわかります。
(2) 喉頭蓋は、喉頭の上にぴったりと折り重なることができ、また逆に、舌根と後部部分に向かって上方と前方に上げることができます。
(3) 喉は、喉頭から口の奥にある大きな空間の口咽頭【中咽頭】まで伸びる喉咽頭【下咽頭】、そして、鼻咽頭と呼ばれる上咽頭、または咽頭の上の空間、軟口蓋の後ろ上の空間から構成されています。
(4) 舌は、骨(固定されていない舌骨以外)に付着していなくて、腱よりはむしろ筋肉の収縮と緩和によって前後、上下に動くことができ、それ自体を広げることも狭くすることもできる言語形成の主要な発音器官です。
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(5) 2対の「口峡柱」、前方の1対は、舌根後部から始まり軟口蓋で終わり、後方の1対は、咽頭の下部側面から始まり、やはり、軟口蓋で終わります。膜質のベールのような前後2対の柱の間に扁桃があります。これらの口峡または柱は同様に働き、それらは各対の間の開口部を広げたり、狭くしたりすることができます、前の1対は後の1対よりより広く離されるか「間隔をあけられ」、2つの対は「扁桃空間」を大きくしたり、小さくしたりすることで離されるでしょう、あるいは、前から見た場合、互いに近く、ほとんど重なって見えます。それらは、舌と喉頭と、軟口蓋に非常に連携しています。
(6) 軟口蓋、口の後部の屋根を構成している線維層の軟らかいベールで、起立力のある組織または膜で形成されています。軟口蓋は上方向の前方、上方向の後方に収縮することができます、また、舌に向かって下に、ほとんどの場合その後部で舌に触れるポイントまで弛緩して咽頭を見えなくしてしまいます。軟口蓋は、その後部で、そして、口蓋垂の中の後口峡の間で終わります。
(7) 口蓋垂は、軟口蓋と同じ収縮力を持っている小さな、先細の、垂れ下がった形態をしています。口蓋垂は軟口蓋の中で上方向へ収縮することができ、実際にその中に姿を消して、後方、上方向へ、曲がり反り返って見えなくなることもありますが、舌の方へ下りてリラックスすることもあります。それは、軟口蓋と口峡柱による動きと密接に連係しています。
(8) 硬口蓋は、口腔の屋根の前部分を形成し膜と骨からなり動かず固定されています。
(9) 下と上の歯。
(10)唇は、笑いの方向にも、トランペット・フォーメーション【円唇化】にも、無限の調整が可能。しかしながら、それらの「形」は下顎の働きによって、大きくかつ徹底的に影響を与えられます。
(11) 下あごは、下に落ちわずかに後方に引かれる場合と、それが落ちるときに前方に突き出ることで下降を阻止する可能性があります。
(12) 口の空間または腔は、舌、口蓋、口峡などによって大きさや形状に影響を与えます。
(13) 顔面、鼻、他の頭腔、(例えば鼻の両側面の右洞と左洞、鼻の甲介骨、楔状腔または洞、前方の前頭洞または腔)
前方の鼻の通路は、冷えた空気の受容を防ぐために生まれつき備わっている粘膜の反応を引き起こし、吸い込む際に呼吸を強制することで実質的に閉鎖されている場合や、局所疾患や全身疾患によって部分的または全体的に閉鎖されている場合もあります。
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硬口蓋、歯などのように固定されている器官以外の固定されていない器官はすべて、明確に定義された範囲内で無限の位置をとることができ、2つ以上の方向に動くことができ、互いに相対的に、そして相互に無限の連携または組合せが可能です、しかし、明確に定義された目的と結果のためには、それらのすべては連携作用の特定の明確な法則と動きの方向性に従います。
すでに確かめたように、それらの2つの主たる「動作の系統群」は(1)嚥下と(2)発話及び音声活動に関与しています。(差し当たり第3の 呼吸活動を省略します。)
発声器官の観察、実験、および検査から、これらの2つの「動作の系統群」は、進行性動作の2つの明確に定義された法則の中で変化することがわかります。その法則は、「種類(kind)」の違いではなく、要求されるか意図された結果の程度によって異なるかもしれません。また残念なことに、それらは望ましい結果を妨害し、混乱を招きやすいことも分かります。
我々はすでに、両方の動作の系列が正しいか誤った呼吸によって影響を与えられ、それらが順番に呼吸器官に特定の反射や反応を引き起こすことを見てきました。
簡潔に、対応する嚥下行為(swallowing act)は以下の通りです:
舌が後部で「盛り」上がり、軟口蓋は咽頭の後の壁に向かって上昇し、鼻の通路を閉じて飲食物が鼻の通路や鼻咽頭に押し上げられるのを防ぎます;口峡は飲食物の通過のために広がり、喉頭は上がり、喉頭蓋は喉頭の上に完全に下降するか、舌の角度によって部分的に下降する、その一方で、外見的に、後ろの舌下外側の筋肉の押し下げに気づきます、高くなった喉頭とこれらの筋肉は、喉上部の外側の部分と、喉頭または「のどぼとけ」のすぐ上のあごの下で、ほとんど堅いこぶになります。披裂軟骨は前進して、声帯は閉まり、そして、ひとかたまりになります。これらの動きについて知ることは最も重要です、というのはこれらの動きは、正しい歌唱と発音を妨害する一連の機能又は動きと混同されるからです。
呼吸の説明でみたように、嚥下中は空気の放出ならびに喉頭の発声位置を与える一種のサスペンションは抑制され、そして、一種のサスペンションがなければならないとしても、実際には歌唱行為とは反対の方向性で、上腹壁を前方に落とすことによってなされ、吸うことも吐き出すこともできなくなります。
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話すことや歌うことに連係する動きは、飲み込む行為とは実質的に反対で、明確な法則に従っていますが、その程度は生み出される音声によって異なるだけです。
呼吸のサスペンションは保持され、肋骨は固定され、上腹部は筋肉が収縮して引き込まれ、喉頭は喉のなかで上でも下でもなく正常な位置にとどまります、舌は上向、前方に上昇し、それ自体をフラットにするか、発話または音の法則に従ってその位置を変えます、喉頭蓋は必要に応じて舌根の方に上へ折りたためられ、軟口蓋は、上向き、前方に上昇する、口蓋垂は収縮し上昇するピッチで徐々に消えます、口峡もまた、音程の上昇に伴い狭くなり、軟口蓋の前部でくぼみの陥凹は鼻の通路を閉鎖させます。唇も音程と音量に比例して開かれる。【太線強調は山本による】
子音は、唇、口蓋などに影響を与える独自の法則を持っています。
母音は持続音または延長音であり、子音は最も持続時間の短い音です。そこで、まずは母音について考えてみましょう。音のための発声器官の作用については、一般的な法則を示すことができます。音の形成と創造のための可動発声器官は、通常の位置にとどまる喉頭を除いて、嚥下動作とは逆の上・前の方向に動きます。
声帯は、人間の声の振動体です。それらは、最初のまたは基の音程と力を与えます。それらがより速く振動するほど、音程は高くなり、より幅広く振動するほど音量は大きくなります。しかし、確実に証明されているように、それらが他の助力なしで生み出す音は非常に弱くて小さいものです。そのために自然が提供してくれた空洞を利用して、力を加え、音量を強化します(いわゆる、共鳴です)。
これらの空洞は胸部、それは、音波の流れに反対方向になるので、間接的な共鳴体と呼びます、それから上に向かって、喉、咽頭、鼻咽頭、口と鼻腔、頬骨または洞、蝶形骨洞と前洞腔など、つまり口の屋根より上のすべての頭の空洞である。全器官は、いくらかサウンディング-ボックス(このアイデアは、H. Holbrook Curtis博士から生れた)にのっている二部構成のトランペットのようなもので、胸はサウンドボックスを形成し、喉はトランペットのパイプであり、口は下の共鳴体またはホーンを形成し、頭腔は上の共鳴体または第2のホーンを形成している。口蓋と口峡は、この2部構成のトランペットの主要な「鍵(key)」を形成し、発声器官のリストに記載されているように、収縮と弛緩の固有の能力のために、2つの部分の互いに対する共鳴作用(sympathetic actions )を調節しています。(素人がそのように言うことが多いが、私はここで、口蓋垂は口蓋ではないと読者に警告する。)
音響学の大原則の一つに、音程が異なる2つの音は、同じ共鳴体で同じ結果を得ることはできないというものがあります。これは、作られた音ごとに一定の種類や大きさの共鳴体が必要とされる共鳴法則があると云うことです。これは音程だけでなく、音質にも同様に当てはまることがわかります。ここでも、発話形式(スピーチ・フォーム)と無関係な音楽的な音声はないことがわかります。我々が発声器官で作る音はすべて、なんらかの言語の発話の一部です。そして、私たちが歌う音や音色の一つ一つは、発話形式と同様に、音程、継続時間、音量、音質と強度を持っています。
音の活動の1つは、それが妨害されない限りあらゆる方向に動くか、進むということです。これは、人間の声の音が「行く」ことのできる、あるいは届くことのできるすべての空洞で響くということです。それ故、それらの音は、音が作られる空気室の底部である胸や、喉、咽頭、口、頭-腔などで共鳴します。ここ数年、私たちは鼻の響きについてよく耳にするようになりましたが、実際、このテーマは、歌手、教師、評論家たちの主な検討事項となっています。しかし、我々は今やそれが、非常に重要な部分であるけれども、発声音の補強の一部にしか過ぎないことが、この主張からも分かるようになってきました。実際のところ、それ(鼻の響き)がオールド・スクールの著作物で言及されているのを見たことがありません。
今まで推し進められた論拠に従うと、人間の声の各々の音は、その音程の高低に関わらずらず、言及された1つ以上の空洞において完全に共鳴を遮断するか阻止するかのなんらかの手段を持たない限り、胸、喉、咽頭、口と頭の共鳴を持たなければなりません。少なくとも母音に関して、これは明らかに不可能であることはみんな知っています、にもかかわらず、我々はほとんどそれに近いことをすることで、音声を不完全な共鳴にしてしまいます。それゆえ、人間の声の一音一音は、自然が与えてくれたすべての共鳴空洞で共鳴しなければならず、音の共鳴を支配する法則のために、これらの共鳴体が互いにバランスをとってより完璧に使用されればされるほど、それぞれの音はより完璧なものとなります。
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この推論は2つの非常に極めて重要なことを意味します。それはまず、人間の声域には2つ、3つ以上の声区があるのではなく1つの声区しかないこと、そして、声の一音一音がすべての共鳴腔で共鳴しているので、それぞれの音が胸、口、頭の共鳴を持っていることを意味します。しかし、共鳴を支配する法則のため、これらの共鳴体の使用は、それぞれの音ごとに互いの大きさの割合によって変化します。我々は、これが行われる方法を見つさえすればよいのです。観察と実験によって、声の低い音は高い音より多くの胸の共鳴が多く、口の共鳴と少しの顔面または頭の共鳴を持っていることが分かります。音程が上がるにつれて、胸の共鳴が減少し、口の共鳴が増加するが、顔面および頭の共鳴はさらに増加することがわかります。また、発声器官は音程に従って一定の比率で変化し、これらの変化はつり合いが取れていて、明確な法則に基づいて行われることがわかります。この作用とその法則を調べるならば、かなり複雑であるとしても、他の人体の同等の法則よりは複雑ではないことが分かります。音程が上がると、喉頭の輪状軟骨は音程の上昇の変化に応じてその軸を回転し、声帯を後・下に引くことで、より速い振動のためにエッジをどんどん薄くする、舌が協調的に上・前方に共同して上がり喉と口の形を変える;口峡は前方にむけて狭く、または接近する;口蓋垂は上昇し、最終的には見えなくなる;軟口蓋は前・上に上昇する、決して後方ではない;その一方で、喉頭蓋、舌の下の後部に向かって起き上がり、明瞭であるか、不明瞭であるかの音質に関して独自の法則を持つようである。この器官の詳細は後で説明します。
これらの発声器官の物理的活動は、再調整の協働過程を形成し、各音程ごとに実質的に新しい共鳴体を形成するように、共鳴体の使用を互いに比例して変化させるように計算されており、まさにそのようなことが起こります。それは非常に素晴らしいように思えますが、自然は他にも素晴らしいことを行います。ここで理解すべきことは、音程をとるための発声器官の連携作用の変化は、特定の音を出そうとする意志にによって自然に起こり、我々が確かめたように、その活動は、正しい呼吸によって生みだされる発声ポジションの完全性に依存するということです。それは、単に連携作用の一部に過ぎません。これは「局所的労力」派に反対するもう一つの理由です。なぜならば、想像力の力では、発声器官のどれか一つを他の器官と関連して、音の共鳴のための正しい位置に正確に局所的かつ個別に移動させることはできないからです。
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各々の音は先に述べたようにすべての共鳴を持っているので、胸、口腔、頭の「音質」または共鳴を認識できますが、声区はそうではありません。なぜなら、すべての音質や共鳴は、常に鳴っているのので、音程の要求に応じて、また、これから見るように、表現の要求に応じて、互いに一定の割合で異なるからです。
このようにして音(音程と音量)は完成され、強化され、共鳴されますが、それは声帯の中で作られます。
我々は、今や音質についてよく考えなければなりません。
音質は、3つの自然な現象に依存しています:
(1)完全な楽音は、基音と倍音(または上音またはハーモニクス等さまざまに呼ばれる)から成る複合量であるという事実。基本音とそれに属する倍音が完璧であればあるほど、音程と音質がより完璧になり、後者はその特徴的な響きにおいて非常に個性的なものになります。
(2)発話は、共鳴体を変化させるか、減衰させるか、「ふさぐ」ことによって作られる。
(3)その他にも、我々が “音色 “と呼んでいる言い回しのために、共鳴体を変えたり”停止 “させたりしています。
この議論の間、常に心に留めておかなければならないのは、歌唱中の人間の声で、発話形式(speech form)に関係しない音はないので、音質と音色の音声現象と同時に、音韻論(phonology)の問題や現象を考えなければなりません。
音質とは、母音や子音の色だけでなく、音程にも密接に関係しており、これらの現象は多かれ少なかれ根本的で変更不可能なものです。音程は完全なものでなければならないので、表現のための母音の響きや色が、音程との関係で変化していることを見ていきましょう。これはずっと無視されて、しばしば部分的にしか理解されなかった発音と表現における重要な要素となります。
音色は音程と同様に、間違いなく意志的なもので法則に従います。発音や母音と子音の形成もそうです。音の実験で共鳴体を調べるならば、いくつかの重要で興味深い事実が見えてきます。
我々が、歌い手としての正常な呼吸をとり、それによって正しい発声位置と自由な活動を確保して、発声器官を意図的に変化させることなく自然に音を出せば、結果として生じる音は母音AHとなり、共鳴体の全ては音程のための法則に合わせて使用されるでしょう。それぞれ声は1つの音調を持っていることを見つけなければなりません、一般的にその音域の低めの楽な中間音では、その中で最も完全なAH母音、完全な音程、共鳴と個々の音質が鳴らされます。我々は、これをその声の自然な「原始(prime)」と呼びましょう。それゆえ、この声によって作られた他のすべての音は、この受け入れられた「原始」の母音AHの修正となります。それらは、音質や音色、または音程でAHとは異なりますが、共振体は、それぞれの修正のために、また、我々が言うところの「停止(stopped)」(減衰、または増強)された使用のために、異なるように調整されます、そして、これがスピーチ・フォームが作られる方法です。音程の形成を支配する法則が非常に根本的であるように、スピーチ・フォームも根本的であり、どちらか一方が道を譲るか、その作用を修正しなければならないことは自明のことです。これはまさにその通りで、音程が上がるにつれて母音が変化することを説明しています。また、それは高音で歌うことや言葉を発音する難しさを説明します。そして、その困難さは、音程のための位置と母音のフォーメーションのために必要な位置の根本的な違いに正確に比例しています。子音は、母音よりもさらに基本的な位置にあることが多く、現実的に、音程の妨げとなるため、誇張された形で同じような難しさがあります。これは、子音をできるだけすばやく発することで、明るさ、音程と音質を妨げないことを保証するという昔からの格言があった理由を説明します。また、実際に音の形成の一部となっている母音は、それら自身の共鳴体を「停止」したり、求められるピッチのために変化させたりする法則に従うことを要求されるだけではなく、それぞれ母音が固有のピッチを持っていることも分かります。(これはAikinの本「声」で詳細に説明された。)
ここでも、母音AHは正常または根本の音程を持っていることがわかります。つまり、AHに対してAWは音程が低く、OHはさらに低く、OOは最も低いということです。また、長いĀがAHより鋭いかより高く、EEはĀより高いことがわかります。これは、母音を2つの「ファミリー」、AH Ā EEとAW OH OOに分けることができます。1つは正常な素音から始まり、より高くより鋭敏な音へと進み、もう1つは正常以下の素音から始まり、より鋭敏でない音から最も低い音へと進む2つの反対の音程の展開を表しています。これらの音のファミリーは、音程の場合のように音質と密接に関係しています。それらはまた発話の基礎であり、言葉に固有の特性と表現を与える基本的な音色を持っており、さらにまた感情表現の音色や音質が重ね合わされています。これは簡単に言えば、音質(音色)が単一ではなく二重であることを意味しており、実際に言葉に内在する音質と、実際に感情や表現に内在する音色という2つの明確な使命を持っていることを意味しています。そのため、音程による母音の「ゆがみ(giving way)」や修正は、母音が本来持っている音質や響きを破壊するほど広範囲に及ぶものであってはなりません。ここで、少しの間わきへそれて、長い間探求されてきた歌手の単純な問題のいくつかの興味深い説明を見つけることがでます。
固有なものと「一般的なもの」の音程と音質に関連する母音進行の2つの「ファミリー」を心の中に保つならば、歌手のいくつかの癖や欠点、音質の原因が見えてきます。古典楽派では、AWとOHの使用を禁止していました。これは、彼らが喉音母音と呼んでいたもので、音程が低く、暗く、陰鬱な音質で、当然「リング(鳴り)」と輝きに欠けているからです。彼らは、後述するように、OOを、それ自体の特性と関連する目的のために使用しました。彼らは主な練習媒体としてAHを使用しました、それが基音と共鳴音の両方にとって完全な音であるからです。彼らは、声を明るくするためにĀを使い、特にソプラノやテナーの高音域では “頭に入る “のを助けるためにEEを頻繁に使っていました。なぜでしょうか? 音程に比例した声の共鳴を支配する法則があるからです。つまり、音程が上がるにつれて、以前に説明したように、発声器官の再調整により、頭部共鳴が増加します。
そのため、特定の音に対して継続的な練習を行ったことによる声の「傾向」を、その結果の明確な理由とともに説明することができます。歌手が母音EEで何週間も何ヶ月も練習を続けていると、声が「頭声的」で細くなるだけでなく、EEを鳴らすために必要な非常に小さな根本的な位置、その固有の音程、固有の音質のために、声が詰まり、締まってしまうことがすぐにわかります。
また歌手が、同じ長い期間、OO母音で練習するならば、声は、OO母音の固有の特性である、気息質、響きが悪い、弱い等々のものになるでしょう。これは、さらに詳細に説明されるでしょう。だから他の母音は個々の特性に比例します。しかしながら、これをする前に、我々はいくつかの他のとても重要な現象を明瞭にしなければなりません。
それぞれの母音がそれ自身のピッチと音質を持っているように、母音を生じさせる明確な身体的な活動がなければならないのと同じように、すべての母音音声の形成に必要なさまざまな行為に関して進行する活動の法則がなければなりません。したがって、母音のこれらの2つの「ファミリー」は活動の法則を持っています。
異なる母音のために、我々は舌、口峡などのさまざまな位置を見いだします。舌は「AH」のために上・前に動き、「邪魔にならないように」それを平らにしますが、過度にではなく、あるいは硬直しないようにします。
Āではさらに、EEではよりさらに、上方向、前方に動きます。(M)Ā(N)、E(R)、E(H)、I(T)などの中間母音の中間位置を持っています。
他の条件が同じなら、発声器官がピッチに比例して上方向、前方に動くという、すでに述べた音程に関する法則と単純に一致しています。舌が前方に移動すると、それ自体が横に広げられます、これは、身体的な動きが前にあり「前に歌うことや前に置くこと」の感覚を生じるので、歌手が「前に歌う」ことを教えられる理由を説明しています。
だから、AWからOHとOOへの進行で、この動きまたは法則は、ある程度(どれくらいかわまだわからない)小さくされます、舌は後部を狭くして、わずかに丘状に盛り上がります。音程に関連する母音の変更についてあらためて調べると、音程が上がるにつれて、母音が互いに接近する傾向があり、それらの別々の特質の何かを失うことがわかります。それはまさに、音程の根本的な法則に従うために、予期しなければならないものなので、またしても法則を立てることができます。
母音は音程が上がるにつれて変化し、開いた母音は閉じた方へ、閉じた母音は開いた方へと変化しますが、常にその「母音の特徴」を可能な限り保持していなければなりません。つまり、それらは決して区別がつかなくなることはありません。
AW-OH-OOの進行は、すでに与えられた発声法則に従うことを防げるものではなく、単に従う程度を変えるだけであることを理解しなければなりません。
作用と反作用
Action and Reaction
反作用がない作用はありません。ですから、ある明確な音を発したり、生み出すためには発声器官の、ある明確な作用が必要なのと同じように、これらの音を生成させたり発生させたりする器官にも反作用がなければなりません。この反作用は、多かれ少なかれ直接たずさわる作用に比例して、それぞれの発声器官に直接的で持続的な効果をもたらします。最も鋭い音程(acute pitches)は、声帯の最も鋭い作用、最も高い振動数、発音器官の最も誇張された位置、および共鳴の変化に関連したものを必要とします。そして、最も鋭い音程を鳴らすことは、声帯と発音器官に最も鋭い反作用を伴うでしょう。発音器官での音色の生成についても同じです。これは、大げさな色や偽りの色を使っているために声が疲れてしまうケースが多いことを説明しています。
母音は、音程によって違って聞こえるので、声帯に違う反作用を引き起こし、共鳴や音質によって違うので、共鳴器官や発音器官で様々な反作用を起こします。これは子音にも言えることで、形に応じてより誇張されます。
当面は母音と既に述べた2つの「ファミリー」に限定して議論しますが、体幹と喉頭に対する反応は以下の通りです。:AHは普通、鋭く広範囲にわたる反作用を持つでしょう、Āはより鋭く、EEはさらに鋭くなります。AWは、鋭さにおいてAHより少なく、OHはより少なく、OOは最も少ない反作用を持つでしょう。これは声帯に関係しているので、喉頭と、筋肉(喉頭にあり、よって声帯を操作する筋肉)にも関係していなければなりません。したがってAHからĀとEEへの進行は、声帯のよりしっかりした閉鎖と、より閉じた声門を必要とします。
常に、声帯の振動(振動の幅)に依存している声のボリュームは、AHよりĀで少なく、ĀよりEEで少なくなります。これでははっきりと聞こえないのでは?我々は、ĀとEEで強さを得る代わりにボリュームを失うことになるかもしれません。
また、AWでの声帯の接近は、AHより少なく、OHはさらに少なく、OOは最も少ない。しかし、AHとAWは、強さに於いて、それぞれの音のファミリーの初期です。言い換えると、それがそれ程多くの強さを失うので、実際にボリュームと伝える力を失うことになります。OOはまた、最少の声帯活動、したがって最少の喉頭活動を持っているので、我々が経験によって知っているように、それは最少の反作用と最少のボリュームを持っています。
OO母音で叫ぼうとする人は誰もいません。声音の実際のボリューム(「大きい音声」と認めるもの)が、ただ声帯の振動だけによるのではなく、共鳴体にも同様に依存していることが分かります。
これで、共鳴と作用に関して母音を以下のように分割することができるようになりました:
AHは、通常の完全な共鳴と作用です。
Āは、中間の鋭さ、または中間の高さです。
EEは、最も鋭いか最も高い。
AWは、やや鈍いか、低いかです。
OHは、中間の鈍さか、中間の低さである。
OOは、低い鈍さか、最も低い。我々は、OOを共鳴しない母音と言う。
この本の中で提唱されている教育システムには理由があるので、読者の皆さんにはこれらの単純な推理をすべて念頭に置いていただきたいと思っています。
発声器官が発するそれぞれの音には明確な因果関係があり、常に協調の法則によって機能していることはすでに見てきました。したがって、もし一つ一つの音に明確な原因があり、その度に明確な反応を引き起こし、その原因を発見することができるならば、誤った歌唱や誤った活動、そして、多くの病的な状況の治療法のための同様の明確なシステムを開発することができます;というのも この方法を使えば それぞれの発声器官に 多少なりとも作用を強いることができるので、協調性を変えることも完璧なものにすることもできます、 もしリラックスや緊張を引き起こす作用を要求する音を知れば、リラックスや緊張を得ることもできます。
つまり、私たちは、流行や思いつきやトリック(生理学的にも心理的にも)によるのではなく、音を通して歌を教えなければならないということです。言い換えれば、私たちは任意の器官や器官群の局所的活動を、作用と反作用でこれらの器官に直接影響を及ぼす特定の選択された響き作ることによって、意のままに体系化することができるのです。これがまさに、私たちがその方法を示そうとすることなのです。しかしながら、第1には、私たちはいくつかの他の事実と原理を理解しなければなりません。
二部構成のトランペットに話を戻すと、私たちが扱っているのは主に二つの種類の共鳴であり、この二つの共鳴は非常に明確で特徴的な性質を持っていることがわかります。最初の口の共鳴は、声の真の基本共鳴です。それは、私たちが母音を「形成」する口の中の空洞全体に依存しており、その母音が歌われる声の実際の基礎を形成します。口の共鳴は、声の叫び声、大きくかん高い明るい金属的な響きであると言ってもいいかも知れません。もちろん、一定の範囲内であれば、それを減少させたり、増加させたりすることができます。
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したがって、これらの2つの共鳴体はそれら自身のはっきりした音質を持っていて、ピッチとボリューム–あるいは運声力、だけでなく、一定の音質特質を音声に供給しています。それらは実際に、それぞれ大きな共鳴体の異なる部分で作られた、音質または音色の集合体であることが分かります。つまり、いずれの母音または音声も、その中に分割することができる共鳴の2つの主な音質を持っていますが、これらの2つの共鳴の各々が、咽頭共鳴または咽頭音質、鼻腔共鳴または鼻腔音質などとしての構成要素を持っていると言うことになります。すでに見たように、我々は胸部を間接的な共鳴体として扱って、それをそのままにしています。
これらの2つの共鳴体またはトランペットのパーツが我々に2つの音の「初期」音質(”prime” qualities of sound)を与えることがはっきりと分かると思います。低いまたは口腔共鳴は、大きさ、鳴り、輝き、力、もし必要ならば、叫び声、喜びの感嘆などを与えます。高いまたは頭腔共鳴は、円熟、暖かさ、柔らかさ、魅力的な響きなどという意味における美しさを与えます。
ピッチが我々に課す範囲の中で、これらの2つの共鳴体は、実質的に無限の連携作用の様々な程度で働くことができます。我々は、一方を犠牲にしてどちらかを誇張することができ、それは実際の表現や芸術的な表現を助長するかもしれないし、マンネリズム、気取り等に終わるかもしれません。私たちが耳にするのは、命令することに慣れている人の硬くて断固とした口調や質、教養のない人の荒い声、説教師やいかさま師の「気取った」大げさな声、または慇懃な言葉巧みな口調、完璧な歌手や話者の美しい声などであるが、それぞれに明確な物理的な原因があるのです。
もしこの分割を達成するために必要な音を知っているならばそれらの使用においてこれらの共鳴体を意のままに分割することができます、科学的見地からすると、我々は完全にそれらのどちらも防止したり、抑制することはできないにもかかわらず。しかし、それが目的に答えるほど、ほぼ完全にできるのです。また、我々は口共鳴のさまざまな種類を少なくしたり、増やしたりできます。最後に、頭部の共鳴は、これまでに示されてきたように直接だけでなく「間接的に」も、口の屋根を介して共振しているという事実を認識しなければなりません。
このように、人間の声のすべての音色は、そのすべての共鳴器で響いているが、程度や量は様々であるという私たちの以前の結論を妨害したり、反証したりしすることはありません。
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我々が先に提示されたすべてのことによって導びかれてきた最終的な結論は、単純にこれです。正しい歌唱、つまり、すべての発声器官の正しい連携作用をもたらすために、我々は正しい位置と自由な活動を引き起こす正しい呼吸を教え、その音を使って発声器官が連携作用の法則に従って動くようにします。その後で、目的のために選択される根本的な音は、局所的弛緩か緊張を引き起こし、発声器官の位置に影響を及ぼすでしょう、それらは共鳴を変え、修正し正くします、そして我々が作用しようとする発声器官に、それらは望み通りの反作用を引き起こすでしょう。これが唯一確実な手順の方法であり、その正確さ、明確さ、自然さにおいて驚異的であることは、この調査の長年の発展の間に、私自身の満足感によってわかりました。
我々は今や、音声システム(phonetic system)(Chapter XIII参照)と呼ぶ身体的な発声エクササイズのシステムを与えられた。それは我々に、発声メカニズムのあらゆる部分の活動を誇張したり弱めたりすることができ、実際にあらゆる部分を「マッサージをする」ことができます。発声の誤り、退化とさらに疾患の多くの頑固な症状を治療することができます。すべての結節または小結節とまではいかなくても多くを取り除くことができ、さらに全身的にも局所的にも薬を使わずに多くの状況を改善することができます(治療とまではいかなくとも)。また、運動の結果や結果の不足を観察することで、局所的なものでも全身的なものでも、我々はしばしば医師や外科医がより望ましい診断にたどり着くのを助けることができます。
我々は、さらに手術を回避することができるかもしれません。私はここで医師と発声教師の協力を最も強く嘆願します。どちらも「すべてを知っている」わけではありません。2人が協力して、苦しんでいる歌手に救いをもたらすかもしれません、あるいは、少なくとも歌唱において、キャリアの更なる追及の中で、愚かで、おそらくさらに危険な企てを示す診断に達するかもしれません。
共鳴に関する限り、子音は母音より根本的なので、後者(母音)によって一般に助けられるとはいえ、我々は、前者(子音)によってよりはっきりと互いから共鳴を「分割する」ことがわかります。母音は、口を開けた状態でのみ、共鳴するか、声となります。もし口が大きく開き過ぎたならば、この動きは個人差がありますが、共鳴は四散させられ、母音は不純なものとなります。母音でも子音でも、子音のNとM、および複合音のNGを除いて、声の一部が鼻から出ることはありません。それとは逆のことを言っている供述は数多くあり、とても危険で、偽りです、そして、立証されることができません。昔の楽派の「トリック」の1つとして、声を出している間、親指と人さし指で鼻の穴を閉じることをしていましたが、これは真です。この閉鎖によって、鼻音か鼻音性の音質を助長する音声が生じるならば、「プレイスメント」または音の生成は間違っています。【太字強調:山本】
共鳴の分割をさらに推し進めるならば、法則と混同してはならないいくつかの興味深い観察が可能になります。発声器官がピッチならびに音質についてすでに述べた一定の行動線をたどると、最も低い音声は、下部後方の鼻腔共鳴だけでなく、男女ともに手で感じることができる胸部共鳴を多く持っていることが聞きとれます。さらにより高いピッチで、胸部共鳴は完全に消えるように思われます。そして、顔面の共鳴は高くて強くなり、さらに鋭くなります。また、我々は、共鳴によって変化する、しばしば非常に複雑な感覚を感じます。声のフォーカスは常に発音される母音の中にあるようです、口の中ではかなり前ですが、(Porporaが言ったように)前過ぎでも、後ろ過ぎでもありません。これは個人差があり、口に関しては、しばしば、声は全く前に感じられません。ここでも、ピッチが上がると、音波はより短くなり、口峡はそれらに合わせて狭くなります、そして、より高い音声はより狭く、より明るく、大きくも暗くもなく、そして、それらが上ー外の方向をとるのを歌い手は感じます。多くの教師がこれに反対するだろうと思いますが、他のどの処置も「咽頭声(pharynx voice)」となり、暗く、すべての音声に不可欠な「リング」が欠けた陰鬱な音声になりますが、特に高い音声には欠けています。
私はここでまた、咽頭の後部壁に対して後方に軟口蓋を上げることは、これまでも今も広く教えられてきたことですが、教師と歌手の最も有害な創案の1つであると、最も強い言葉で非難したいと思います。この動きは発声器官の嚥下行為の一部であり、口峡間の開口部の適切な形成を妨げ、うつろな強制された「咽頭」声を生じ、高音を台無しにします、現代の歌手達の間で優れた自由な鳴り響く高音がめったに聞けなくなった主たる原因である可能性があります。マンチーニの時代にまでさかのぼっても、いかに口峡を使うべきかを正確に教えられており、この権威者は、「現代の」歌手達、つまり1784年頃の歌手達が、口峡をしっかり締めたり広げたりすことによって、より大きな力を得ようとしはじめていたことをとても注意深く説明しています。この動きの間違ったアイデアは、それによって鼻の通り道が閉ざされ、鼻音を防ぐということです、しかし、硬口蓋のすぐ後ろの軟口蓋に形成されたわずかな陥凹またはくぼみは、同じ目的をはるかによく果たしており、ピッチ、音質と音色の調整を助けるために軟口蓋と口蓋垂の後部は自由なままにしておきます。【太線強調:山本。この段落は、口蓋帆咽頭ポートの閉鎖の仕方について言及している非常に興味深い箇所。ただ、ウィザースプーンは、軟口蓋の陥凹で閉鎖すると言っていますが、最新の研究では、口峡柱で左右の方向に接近させて閉鎖させる方法があることが、Moon & Kuhen 2004などによって示されています。】
「感覚」でどれだけ教えるべきかというのは議論の余地がありますが、私の考えではあまりにも重要視され過ぎています。
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感覚とは、せいぜい、ある種の作用や音による結果であり、本来の原因ではないし、原因となることはできません。したがって、それはせいぜい行動の証拠としての価値しかなく、一度経験した後、その感覚を思い出すことは、行動への「衝動」の発想を助けるかもしれません。
前述の発声器官とその作用、法則、感覚などについての議論では、可能な限り、用語や構成上の「科学的」な言葉は避けています。発言・説明・結論の形式は、生理学や科学に精通していない人でも、誰でも理解できるように、意図的にできるだけシンプルにしています。科学好きの方には、これが非常に難しいことだとご納得いただけると思います。
2020/12/12 訳:山本隆則