Respiratory Function in Singing
歌唱における呼吸機能

chapter 9
postlude
後奏曲

「…歌唱の技術的な熟練は、通常、息の管理の技術にたどり着くことができるであろう;呼吸のコントロールは歌唱器官のコントロールと同義である。」 Miller (1986, p. 37)

INTRODUCTION
導入

この章では、歌唱教育学に関連する様々なトピックを取り上げ、歌い手や歌唱指導者が歌唱における呼吸機能をどのように概念化するかに焦点を当てて説明する。これらのトピックの中には、第8章の議論と関連するものもあるが、ここではより焦点を絞って扱う。


THE BREATH AND THE TONE  IN SINGING

歌唱における息と音

歌唱教師は、声の出し方を「息は音を運ぶ(the breath carries the tone)」「音が息に乗る(the tone rides on the breath)」と表現することがよくある。このような発言は直感的には魅力的であるが、事実ではない。息は音を運ばないし、音は息に乗らない。

歌っている間、空気は呼吸器官内を一方向に移動する。肺器官を出て、喉頭を通過し、口や鼻から出る。これに対して、音は体内を2方向に移動する。喉頭を出て口や鼻から出ると同時に、気管を伝って胸を振動させる。これは、息のゆっくりとした質量流ではない。


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つまり、音は空気分子が非常に速く行ったり来たりすることで、それぞれが自分の近くに留まり隣の分子にエネルギーを伝えているのである。このように、いわゆるブレスといわゆるトーンは、歌唱時の2つの異なるエネルギーの流れに関わっている。

これら2つのエネルギーの形の違いは、息を吸っているときでも音を出せるという事実を考えれば容易に概念化することができる。そのとき、息のゆっくりとした塊のような流れは内側へ入り、そして、観衆の関心となる音の部分は口や鼻を通して外へ広がっている。この状況で2つのエネルギー流は反対方向に動いている。

2つの異なるエネルギー流の存在は、おそらくもっとありふれた例によっても理解することができるだろう。歌手が口臭がきついとき、その匂いは息のゆっくりとした塊のような流れとともに進み、歌手の狭い範囲内だけでしか感知されない。逆に、そのような不快感とは関係なく音は臭い息を演奏会場の至る所にまき散らすことなく前進する。息のゆっくりとした塊のような流れが観衆に達したならば、会場は早々と空になるだろう。


<排気上の歌唱>

喉頭は吸気時よりも呼気時の方がより効率的に音を発生させることができると主張する著者がいます。これは真であるように思えます。しかし、呼吸生理学者は、私たちが呼気で歌うことを選択する理由はこれだけではない、と言うかもしれません。吸気は血液に酸素を送り込むので、障害なく素早く吸気したいと「願って」いるのです。血液から肺胞に送られた余分な二酸化炭素を排出するのが呼気です。しかし、二酸化炭素は歌唱時に比較的ゆっくりと排出されるため、それほど問題はありません。しかし長いフレーズをゆっくり歌うときには、酸素を補給しようとする酸素を補給しようとする衝動が湧き上がってきます。私たちは、必要な新鮮な空気を確保するために吸気を怠らないこと(早くやるとはいえ)、そして、輝かしい音色で歌っているときでも、呼気中に二酸化炭素を吹き飛ばして老廃物を取り除くことの利点を理解したようです。


 

POSTURAL ALIGNMENT IN SINGING
歌唱における姿勢の調整

歌唱教育学において、姿勢についての多くのことが言われてきた。これは、通常、全身の外形と配列と発声装置の機能に対するそれらの重要性についての指示の形として現れる。


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姿勢は、器官のすべての下部組織、呼吸、喉頭、そして上気道での機能に影響を与える可能性がある(Callaghan、2000)。歴史的に、呼吸器に対して不釣り合いなほど多くの関心が向けられてきた。人はある程度、呼吸の下部組織が歌唱に推進力を与え、他の下部組織の操作の基礎をなすという認識によって取り扱わねばならないと思い込んでいる。それは、呼吸器が残りの発声装置に比べて大きく、その姿勢が観察や解説に容易に使えるからかもしれない 。

歌唱教育学では、脊椎と体幹をまっすぐにすることで、より良い呼吸機能を確保することが一般的な前提となっている。この仮定にはかなりの面で妥当性がある。胴体を曲げたり伸ばしたりねじったりした状態での呼吸を何気なく体験してみると、比較的まっすぐな 姿勢が有利であることがわかる。しかし、このような作業仮説には限界があり、体幹の比較的硬く強固な姿勢を指導目標とする場合には、否定的な結果をもたらすおそれがある。

脊椎には自然な湾曲があり、呼吸器の筋肉はその自然な湾曲との関係で、ある種の好ましい機械的な利点をもっている。たとえば、呼吸器が最大呼気を達成することができる胸壁の形は1つしかない(Konno& Mead、1967)。もう一つの例として、各々の肺気量において、呼吸器が最大吸気圧力を発生させることができる形状は1つだけであり、最大呼気圧力を発生させることができる形状は1つだけである(HixonとHoit、2005)。

脊椎に不自然な湾曲を与えるような姿勢(脊椎を過度に伸ばそうとする)をとると、容量、圧力、形状のすべての範囲を制限し、歌手が最適な容量、圧力、形状を達成するのを妨げることがある。歌は自然な姿勢で、直感的に良い姿勢をとり、完全にまっすぐであることを意図していない椎骨に不自然な状況を強いることなく行う必要がある。脊椎の不自然な矯正は、到達できる容量、圧力、形状の範囲に影響を与えるだけでなく、パフォーマンスの柔軟性にも悪影響を及ぼす恐れがある。


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胸壁【胸部+腹部】の動きの速さと正確さ、容積・圧力・形状の調整には、ある種の力学的な利点が重要である。それは、呼吸器官を使った日常的な動作の経験から知ることができる。「ロウソクを吹き消してください」「鼻を強くかんでください」「咳をしてください」と言われても、姿勢のことを考える人はほとんどいない。むしろ、その活動の成果を最大化するような呼吸調整を、無意識のうちに行っている。歌は、それらに比べてより長く、熟練した、ダイナミックな活動である。このように、歌唱が、呼吸機能を最適化する必要に応じて姿勢を順応させる柔軟性をもって演奏されることがさらに重要である。呼吸器は、その機械的な好みを満たす方法を「好む」のである。体にはそれ自身の「知恵」があり、その知恵を恣意的な不自然な椎骨の配列によって無効化してはならない。


<練習であなたを寝かせるのはやめよう>

呼吸や歌に関する本には、横になってリラックスし、仰向けの体勢で呼吸の練習をすることのメリットが書かれていることが多いですね。リラックスする部分はいいのですが、呼吸運動の部分は無意味です。身体を起こした状態と仰向けの状態での呼吸機能は、全く異なった2羽の鳥のようなものです。仰向けの体勢で練習したことは、直立の体勢では応用が利きません。大きな肺気量でブレーキをかけることを考えてみましょう。直立した体勢では胸郭壁の吸気筋で、仰向けの体勢では横隔膜でブレーキをかけます。実際、仰向けの体勢で胸郭壁の吸気筋でブレーキをかけようとしても、自分で自分の体を引き上げるだけに終わってしまいます。ピアノを寝転がって練習することはないでしょうし、歌の呼吸調整も、臨終の場面での役があるのでなければ、そのような練習はしないほうがいいでしょう。


 

LUNG VOLUME EFFECTS IN SINGING
歌唱における肺気量の影響

第2章で論じられたように、呼吸の受動的および能動的力は2つの方法で明らかにされる。1つは直接引く方法、もう1つは圧力をかける方法である。


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歌唱時の呼吸器による様々な調整を考えると、このような調整に伴う力が、音声生成装置の他の構造体にも影響を与えることが予想できる。歌唱中の呼吸器官によってなされる主な調整の1つは肺気量である。近年、肺気量の容量変化にとどまらず、肺気量が喉頭の位置、喉頭の拡張、声帯の特徴に及ぼす影響に注目が集まっている。

この研究の根底には、喉頭に垂直に加わる力が声帯を外転(引き離すこと)させる傾向があることを前提にしている(Zenker、1964)。そのような力は、肺気量の変化や胸壁の形状変化の間の、横隔膜の位置の変化に伴う喉頭の気管引きであると考えられている。作業仮説は、肺気量と腹壁の体積が大きいときに喉頭の下方への引く力が最大となり、この引く力が歌唱時の喉頭の動作に影響するというものである。【訳注;この影響についての日本の発声教育界の対応は、無知、無防備につきます。「喉頭は下げなければならない!」という指導の下に、強引な引き下げ筋の使用によってどれだけ多くの不自然な声を作ってきたことでしょう。音の上昇に伴って喉頭の位置を低く保つことは重要なテクニックの一つですが、喉頭を下げると音質がぼやけて暗くなるというジレンマは非常に解決困難なものとして歌手たちを悩ませてきました。読者はまずこのジレンマに対して自覚的でなければ以下の文章を読む意味がなくなってしまいます。】

この作業仮説に関する研究は、訓練を受けていない歌手と訓練された歌手の両方を対象に、最大吸気後に伸ばされた定常発声を行う条件で実施された(Sundwerg, Leanderson, & von Euler, 1989; Iwarsson, Thomasson, & Sundberg, 1996; Iwarsson & Sundwerg, 1998;Iwarsson, Thomasson, & Sundwerg, 1998; Milstein, 1999, Iwarsson,2001;Thomasson, 2003a, 2003b)。これらの研究から得られた知見はまちまちである。作業仮説を支持するものもあれば、そうでないものもある。これらの結果は、訓練を受けていない歌手と訓練を受けている歌手の比較という観点から考えると、最もよく理解できるように思われる。

訓練を受けていない歌手の場合、データは次のような結論を支持している。肺気量が大きい場合、訓練を受けていない歌手は高い声門下(気管)圧を使い[Milstein (1999) の観察は例外]、喉頭の垂直位置を低くする。また、肺気量が大きい場合、訓練を受けていない歌手は、高いピーク間流量、長い閉鎖時間、大きな声門漏れ、大きな平均声門面積、大きな後部声門隙間などの音源(喉頭振動周期)特性を示している。これらの観察結果を総合すると、肺気量が多いときに喉頭を引っ張る気管が喉頭の垂直位置を下げ、喉頭の拡張を増加させる証拠であると解釈されている(Iwarssonほか、1996、1998; IwarssonとSundberg(1998); Milstein!999)このように、作業仮説は未訓練の歌手の研究から裏づけられるように見える。


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しかし、訓練された歌手の場合は、別の話が示唆される。肺気量が多い場合、訓練された歌手は輪状甲状筋の筋電活動が大きくなることが示されている。この喉頭筋活動の増加は、気管の下方への牽引に対応するためと考えられ、声帯の弛緩に直面してピッチを維持するための代償調整と見なされている(Sunbergほか、1989)。他にも、訓練された歌手に関する観察から、次のような結論が得られている。肺気量が大きい場合でも、歌手は肺気量が小さい場合と同じように声門下(気管)圧と喉頭の垂直位置を使用する。また、肺気量が大きい場合、訓練された歌手は、小さい肺気量で観察されるよりも高いピーク間流量と大きな平均声門面積を含む声帯特性を示す。これらの観察は、大きな肺気量での喉頭の気管引きが、訓練された歌手とそうでない歌手とで異なる最終的な症状が現れることの証拠であると解釈されている (Thomasson、2003a、2003b)。このように、訓練された歌手におけるいくつかの観察は作業仮説を支持しているが、肺気量が喉頭の挙動に及ぼす影響は、訓練を受けていない歌手に比べてはるかに少ないように思われる。

得られた証拠から導き出される一般的な結論は、肺気量が増加すると気管が下向きに引っ張られるというものである。この引きは、音源に影響を与え、より息が多い声質になる傾向があるように思える。望ましくないと思われる聴感上の効果が生じても、訓練を受けていない歌い手は気にしないか、補うことができないようだ。しかし、訓練された歌手にとってこのような可聴効果は重要である。したがって、訓練された歌手は、肺気量の変化によってもたらされるこのような影響を補う(あるいは有利に利用する)ことを学ばなければなりません。歌手や教師は、肺気量の変化によるものであれ、呼吸器が発声装置の他の部分と作用・相互作用する方法に関する他の要因であれ、望ましくない可聴音声効果の管理に時間をかけていることは間違いないだろう。


<煙に巻く>

肺気道は、外側に枝分かれしているため、どんどん小さくなってゆきます。では、なぜ、肺の中の空気を末梢に向かわせることが難しくならないのでしょうか? その答えは、各分岐の子気道は親気道より合成抵抗(combined resistance)が小さいからなのです。このような配置により、周辺に向かう空気の均一な分配を確保する効果があり、摘出、乾燥した肺の気管に煙を吹き込むことで実証さ れます。煙は、上下、前後、左右と、肺の外面全体に瞬時に現れます。私の師の1人は、このデモンストレーションを大いに楽しんでいました。煙に巻いたと非難されるような教師はどこにでもいますが、この場合は無能を表しているわけではありません。


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最後に、歌手の肺気量の影響に対する懸念は、大容量だけにとどまらないようだ。Milstein(1999)は、さらに、未訓練の歌手で、少ない肺気量で生み出される伸ばされた定常発声についても調査した。彼の調査結果は、少ない肺気量が、喉頭の位置、喉頭の収縮と喉頭音源特性に影響を及ぼすということである。歌われる母音は、喉頭の垂直位置が高く、流量が低く、声門後部の隙間が小さく、声門の完全閉鎖の発生率が高く、喉頭の圧縮が大きくなる。肺気量が少ない場合、気管引きは明らかにこのような結果を説明できない。むしろ、小さな肺気量での歌唱には、発声に対する肺気量効果に寄与する行動的・神経的側面があるのかもしれない (Shipp、MorrisseyとHagland、1983)。

Milstein (1999)は、肺気量が少ない状態での歌唱時に、声帯の膜状部分の密着度を高め、喉頭の圧迫を強めるという行動戦略をとっているのではないかと推測している。また、この知見の代替・補完説明として、神経媒介(neural mediation)仮説も提示した。この仮説は、呼吸器系と喉頭系の両方に共通する神経回路についての推測に基づいている。1つの可能性として、2つのサブシステムの間に共通する高レベルの活性化経路がある(Mead& Reid、1988)。もう一つの可能性は、肺器官の伸張受容体を介した呼吸-喉頭反射である。(ColeridgeとColeridge、1986)。そのメカニズムが何であれ、Milsteinの観察は、歌唱における肺気量の効果に焦点を当て、本質的に肺活量の全範囲を含むように拡大することを求めたのである。


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このように、歌手は、呼吸器がどの瞬間にどれくらいの空気を含むか次第で、喉頭と発声にいろんな影響を及ぼす呼吸器をコントロールしなければならない。このように変化する機械的な環境に対して、比較的一貫した声質を維持することは、かなりの芸当である。Emmons(1988)が、歌手は「呼吸のプロ(professional breather)」であるにちがいないと言ったとき彼女は正しかった。


<馬(Horse)のための私の王国(Kingdom)>

喘息は、呼吸困難、胸の圧迫感、咳などを引き起こします。現在の治療法は副腎皮質ホルモン剤です。これらはエアロゾルとして投与され、肺に吸入されます。それらは、気管支の問題でしばしば驚くべき成果を収めます。しかし、同時に喉頭に悪影響を及ぼし、音声障害を発症させることもあるのです。 このデメリットについて、あなたに治療を行う医師が十分に理解していることを確認する必要があります。喘息を効果的にコントロールできる最低量の副腎皮質ホルモンを投与するよう働きかけましょう。これにより、少なくとも音声に与える悪影響を最小限に抑えることができます。歌手の多くは、治療を受ける際に、その治療で起こりうるすべての副作用を知りたいと思っています。彼らが声を気にするのは当然です。結局のところ、” 嗄れた声(hoarse) “のために、” 声 (voicedom)”のいくらかを諦めろということかもしれません。


 

BELLY-IN VERSUS BELLY-OUT CONFIGURATIONS IN SINGING
歌唱におけるベリー・イン対ベリー・アウトの形状

ベリー・インとベリー・アウト歌唱は、胸壁の形が最大限に異なる演奏の2つの力学的両極端を表している。諸楽派の教育学的考えは、これら2つの力学的両極端の間の連続体の上にあるバリエーションを反映している。HixonとHoffman(1979)は、2つの正反対の形における呼吸機能の観点から、ベリー・インとベリー・アウト唱法の長所と短所を検討した。連続歌唱の吸気相と呼気相の両方が、2つの異なる戦略によって影響を受ける。演奏中に全部ベリー・インでまたは全部ベリー・アウトの方法を採用する歌手はほとんどいない。実際、ほとんどの歌手が、両極端の状態で長時間演奏することに不快感を感じると云う。

ベリー・イン歌唱は、胸壁が弛緩した形態から、腹壁を内側へ、胸郭壁を外側に位置するようになることを云う。ベリー・イン歌唱のグラデーションは、胸壁によってとられる形状が逆さにした西洋ナシに似ていることが共通しており、そこでの底-端部と茎-端部の比率は、ベリー・インの位置がその極端部に接近する程度による(Hixon、1975)。


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様々な段階のベリー・イン歌唱の場において、横隔膜と、胸郭壁の呼気筋は、機械的に有利な位置に配置される。これは、腹壁の内側にすると横隔膜が頭側に移動し、その曲率半径が大きくなるため、その筋線維が長さ-力特性でより有利な位置に置かれるからである。同時に、腹壁の内側への位置決めは胸郭壁を高くするので、胸郭壁の呼気筋の筋線維が長さ-力特性のより有利な位置に置かれるようになる。全体として、様々な段階のベリーイン歌唱は、横隔膜による迅速で力強い吸気と、胸郭壁による迅速で正確にコントロールされた呼気動作を促進する。

この2つの力学的な利点を実現するための主なコストは、腹壁の力強い収縮であり、胸壁のバックグラウンド(プラットフォーム)配置を設定することである。腹壁の収縮に伴うベリーイン戦略のグラデーションにより、歌唱時の胸郭壁の位置が自然に高くなる。ベリー・イン歌唱の概念的な例えとして、腹壁は「楽器の呼吸部分を形作り、保持する 」というものがある。そして、歌うときに胸郭の壁と腹壁が一緒になって「曲を演奏する」のです。

ベリー・アウト歌唱では、胸壁は弛緩形状から、腹壁をより外側に、郭壁をより内側に位置させるようにする。ベリー・アウト歌唱のグラデーションは、胸壁の形状が洋ナシに似ていることが共通点であり、そこでは基底-端部と茎-端部の割合は、ベリー・アウトの配置がその極端にどれほど近づくかによる(Hixon、1975)。

ベリー・アウトの形状では、横隔膜と胸郭壁の呼気筋が機械的に不利な場所に配置されることになる。これは、それら(横隔膜と胸郭壁の呼気筋)の各々が長さ-力特性でより好ましくない位置に置かれるからである。


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腹壁が外側へ位置するとき、横隔膜は相対的に扁平になり、曲率半径が小さくなり、筋線維が短くなる。ベリー・アウト・ポジションは、横隔膜から力を生み出す能力を減少させる。

ベリー・アウト・ポジションの1つの機械的な利点は、腹壁の外側の膨らみが極端でなければ、腹壁の筋肉が力を発生させるのに有利な機械的な位置にあることである。このような機械的な利点は、圧力を発生させるのには有利だが、胸郭壁に引く力を与えるのには不利である (HixonとHoit、2005)。

歌唱中の実際の胸壁の動きに関する諸研究によって、歌手達が連続歌唱の間、常に胸壁のベリー・インの形状を変化させて使用していることが判明した(Hixon, Goldman, & Mead, 1973; Watson & Hixon, 1985; Watson Hixon, Stathopoulous, & Sullivan, 1990; Hoit, Jenks, Watson, & Davis, 2001)。現在まで調査された歌手で、ベリー・アウト戦略をとった歌手はいなかった。これには、訓練を受けていない歌手も訓練を受けている歌手も、さまざまな歌唱タイプの歌手が含まれる。このことは、横隔膜と胸郭壁が、ベリー・イン・ポジションのグラデーションにおいて、より有利な力学的条件を採用することと矛盾しない。逸話的ではあるが、上記の研究のうち4つの研究で行われた非公式な観察では、歌のトレーニングを全く受けていない科学者からクラシック歌唱の豊富なトレーニングと演奏経験を持つ演奏家まで、選ばれた歌手にベリー・アウトの形態を強制しようとしたことが関連していると思われる。調査されたすべてのケースにおいて、歌唱者は数回の歌唱フレーズ内にベリー・イン形状のグラデーションに戻り、腹壁が内側に位置する方がより簡単で快適に歌えると報告されている。


<遅さの形>

呼吸器で確認することができる一般的な遅さの形があります。それは、胸郭の壁を内側に、腹壁を外側に位置させるものです。呼吸器を横から見ると、洋ナシを上から下に切ったような形をしています。吸気時の遅さは、いつもより平らな-横隔膜が素早く力を発生させることが出来ない結果であり、そして、呼気時の遅さは、いつもより短い呼気胸郭壁の筋肉が素早く力を発生させることができない結果です。あなたは、遅さの形を持つ歌手に出会うとき、吸気と呼気の動作がいくぶん鈍いことをほとんど断言することができるでしょう。


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RESPIRATORY SUPPORT IN SINGING
歌唱における呼吸の支え

一般的に支えは歌唱において重要であると認識されている。教師達はそれを教える。リスナーは、彼らがそれを分かっていると思っている。そして、科学者たちはその正体を突き止めようとしている。具体的にどのようなものかは意見が分かれるところであるが、多くの歌唱教育関係者は、支えが少なくとも部分的には呼吸機能と結びついているという意見である。ある人たちは、包括的な用語でそれを概念化して、呼吸支持(respiratory support)または息の支え(breath support)のような言い方をしている。別の人たちは、胸壁の特定の部位に着目し、胸部の支え、横隔膜の支え、腹部の支えのような用語を使用している。これらの事例では、「支え」の正確な仕組みについて、さまざまな意見が出されている。科学的根拠に基づいて検証可能なサポートの操作上の定義を見つけることは難しい。

近年、支えについての考察は、その基礎についての実験的研究に代わり始めた。これらの最近の3つの研究がここで考慮される。

Griffin、Woo、Colton、CasperとBrewer(1995)は、クラシック歌手における支えられた歌声の生理学的特性を定量化することを試みた。歌手は最初に、支えられた歌声の特徴は何か、次に、彼らはそのような支えられた声をどのように出すかを尋ねられた。すべての歌手は、支えられた声の生成を呼吸活動の観点から説明し、ほとんどの歌手が呼吸サイクルの吸気相と呼気相の両方に関連するコメントをしている。

Griffinほか(1995)は、被検者達にいくつかの母音と音節の繰り返しからなる伸ばされた定常発声を演奏させた。その作業が肺活量の範囲内のどこで実行されるかについては規制されなかった。呼吸データは、胸郭壁と腹壁の部位の平均的断面積の変化として記録された。観察された呼吸パターンは非常に多様であり、胸郭壁の断面積の変化は一般的に腹壁の変化を上回り、支えられた声と支えられてない声ではパターンに違いはないと報告された。著者らは、「支えられた声の出し方に関する歌手の概念は、我々の研究結果とは異なる」と結論づけた (55ページ)。


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Griffinほか(1995)の研究において、歌い手が口頭で述べたことを調べると、支えられた声についての説明は、彼らが行うよう求められた伸ばされた定常歌唱ではなく、連続歌唱に関係していることが明らかになりました。このことから、歌い手は研究で行おうとしていること(伸ばされた定常歌唱)ではなく、連続歌唱の経験について語ったことが示唆される。これによって、歌手達の説明とGriffinほかによってなされた呼吸系の観察に不一致があることを説明することができる。

Thorpe、Cala、ChapmanとDavis(2001)は、連続歌唱中の声の投射に関する支えを研究している。具体的には、クラシック歌唱の呼吸サイクルにおける胸郭壁と腹壁の動きを、声の張りが強い場合とそうでない場合の両方で計測しています。調査されたすべての歌手は、3人目の著者(Chapman)によって教えられた腹部の支えの具体的な方法を用いるように指示された。歌手から得られるデータでは、胸郭壁と腹壁の弛緩位置からの変更を明らかにし、同じ肺気量の弛緩中のサイズより、胸郭壁はより大きく、腹壁はより小さかった。

基本的に、Thorpeほか(2001)によってなされた観察の全ては、WarsonとHixon(1985)によって第8章で述べられた機能の説明と一致する。つまり、彼らに協力した歌手達は、胸郭壁の高い位置をもたらす腹壁の内側への移動で演奏した。このプラットフォームから、歌唱者はフレーズを歌う際に胸郭壁と腹壁の両方の動きを使っていた。この支え方を用いて声の張りを「強化」すると、腹壁はより内側に、胸郭壁はより外側に、そして上方に位置するようになった。このように、 著者が強化された投射状態のための「より強い支え」と言うものを生み出すために腹壁は主要な役割を果たした。Thorpeらの研究によると、呼吸器官の支えへの貢献は腹部であり、歌手の意図する目標によってその大きさが異なることが示されている。

Sonninen, Laukkanen, Karma, and Hurme (2005)もまた、クラシック歌唱における支えを調査して、「支えは、呼吸と密接な関係がある…」(223ページ)と述べた。Griffinほか(1995)とThorpeほか(2001)の仕事とは異なり、Sonninenほかは、胸壁の動きの計測を行わなかった。しかし、彼らは間接的に気管内圧を推定していた。調査における歌手たちは、 支えのある場合とない場合の異なる歌唱音節を生成するように求められた。支えの定義は、歌手にも、後で支えについて判断をしたリスナーにも与えられなかった。


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Sonninenほか(2005)の研究で顕著な発見は、支えられた歌唱と支えられてない歌唱が区別して認識されていないことであった。支えがない歌声のサンプルのうち、支えが「聞こえる」のは3分の1以下だった。Sonninenほかは、歌唱者が支えのあるなしにかかわらず歌えることを前提にしたと明言している。これは、Griffinほか(1995)の研究について上で述べられたものと同じ問題を引き起こす。もし、歌い手が連続した歌唱によって支えの感覚を身につけたとしたら、それが伸ばした定常歌唱に引き継がれることを期待するのは無理があるかもしれない。

Sonninenほか(2005)は、論文の解説項目の大部分を、支えに貢献しそうな呼吸器系の要因に割いている。支えは、声門下(気管の)圧のコントロールと関係があるという Vennard(1967)の概念に大きく頼っていた。Sonninenほかの議論で提案されているメカニズムは、合理的ではあるが、Draper, Ladefoged, and Whitteridge(1959)が発表したデータに基づいており、気管圧の呼吸筋コントロールを代表とするものではなく、根拠がないことが示されており問題がある(HixonとWeismer、1995)。


<ブラボー>

ここまで読んで、腹壁が歌に重要な役割を果たしていることに納得がいかない人のために、もう一度考えてみましょう。素晴らしい短い臨床ノートが以下の参考文献のなかに見つかります:Sataloff,R.、Heur,R.&O’Connor,M.(1994)。四肢麻痺のプロの歌手のリハビリテーション(Rehabilitation of a quadriplegic professional singer)。耳鼻咽喉科学アーカイブス(Archives of Otolaryngology)110、682-685。これらの著者達は、彼らが作り上げた手段、そして、彼らは依頼人が再び歌うことができるのを手伝うと保障した処置戦略に対して、私は五つ星(最も高い値)を与えました。彼らの仕事には、生体力学的な原理に対する優れた洞察力、素材の使い方に対する工夫、そしてまさに卓越した才能が感じられます。読者の皆さんは、このクリニカルノートを手に入れ、一度や二度は読んでみることをお勧めします。私は、臨床の帽子をかぶって、クライアントと一緒に歌いたくなるほど、(洒落ではなく)インスパイア(吸気)されました。


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上述の3つの論説の各々は、支えの概念が呼吸器系の要因だけでなく、それ以上のものを含んでいる可能性を示唆している。Sonninenほか(2005)が明確に述べているように、「支えられた歌唱は、歌手が行い感じる何かを指す、これに対して、支えられた声は、リスナーが感じる何かを指す、したがって、音響的相関がある」(224ページ)。歌手の視点とリスナーの視点は、歌唱における支えに関するあらゆる議論にとって重要であるように見える。

とはいえ、支えについて自らの体験を語る歌手や、それを教える教師が、それがどんなものであれ、支えが呼吸器系の基盤を持つことに強く傾倒していることは事実である。第8章で述べたように、連続歌唱における呼吸機能は、呼吸サイクル全体を変化させる問題であり、容量、圧力、形状のイベントがそのサイクルの重要な特徴である。したがって、支えとは、呼吸サイクル全体を支える生理学的要因を歌手に認識させる一連の事象である可能性が非常に高い。したがって、伸ばされた定常歌唱時の支えを研究する試みは、連続歌唱時の支えの理解には関係がない可能性がある。伸ばされた定常歌唱と連続歌唱では、呼吸コントロールの基礎となるメカニズムが大きく異なり、この2つの作業による歌い手の感覚はかなり異なっている。もし、支えが演奏における基本的かつ指導的な概念であるならば、今後の支えに関する研究では、Watson and Hixon (1985) やThorpe et al. (2001) に倣って、連続歌唱時の支えを研究することが重要かもしれない。


USE OF THE DIAPHRAGM IN SINGING

歌唱における横隔膜の使用

「横隔膜から歌うこと」というフレーズを聞いたことがない人はいないでしょう。そのフレーズは歌の民間の言い伝えに焼き付けられ、世間一般の人は、呼吸と歌について尋ねられたとき、多くの人が横隔膜について口にしそうである。横隔膜は、歌唱の際に他のどの筋肉よりも大きな力を発揮するます。

第8章では、横隔膜が吸気に重要な役割を担っていることに触れながら、歌唱について述べた。また、横隔膜は、弛緩圧が発声に必要な肺胞圧を超えるような大きな肺気量では、ブレーキとして胸郭壁の吸気筋の補助的役割を果たすとされた。この参加以上に、横隔膜が直立した体勢での歌唱のコントロールに関与していることは記述されていない。そのため、直立姿勢での歌唱は、あたかも呼吸器が胸郭壁と腹壁に囲まれた一つの区画として機能するように描かれているものがほとんどであった。横隔膜は、ほとんどの歌唱時(呼気)において、基本的に受動的な参加者であるに過ぎない。


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歌唱教育学の文献には、横隔膜の機能をめぐる膨大な民間伝承がある。ある人は、それがただの不随意筋に過ぎないという見方をした。他の人は、それが呼気の力を発生させることができると考えた 。さらに別の人は、それが他の筋肉の動作によって間接的にコントロールされると考えた。何人かは、それが腹部内臓を圧縮すると信じている。また、それが胸郭壁と腹壁に影響を与えない独立した垂直運動ができると考える人たちもいます。どこにあるのか、いつでも感じられるという説もある。また、意志的支配の対象にはならないと考える人もいる(この結論に至るまで、彼らは息をひそめることもしなかったようだ)。

歌うときに横隔膜を使っていると考えている人は、その証拠として、横隔膜の位置を感じたり、フレーズを歌うときに横隔膜が動くのを感じたりすることをよく口にする。横隔膜自体は、歌手にそのような情報を伝達するであろう受容体の種類を十分に与えられていない。(Bouhuys、ProctorとMead、1996)。それなら、彼らはいったい何を感じているのか? 答えは、彼らは腹壁を感じているかもしれない。横隔膜と腹壁は、圧縮できない腹腔内容物の反対側の表面になる。胸壁のフロア【訳注:胸壁(chest wall)というと、胸の部分だけのように思われるが、3章での呼吸器官の分類で示されるように胸のフロアと腹部のフロア全体を指す。】は、横隔膜、腹部内容物、腹壁からなる非常に大きく厚い部分と考えることができる。腹壁の位置や動きに関する感覚情報は非常に強固であり、歌手が「横隔膜から歌っている」と申告するとき、その真意は「腹壁から歌っている」ということになりそうである。横隔膜は一緒になって動いているだけかもしれない。

歌唱時の横隔膜の不活性化については、訓練を受けていない歌手と訓練を受けている歌手において、風船を飲み込むことによって推定される経横隔膜圧(transdiaphragmatic pressure, 食道圧マイナス腹圧)の測定によって、実験的に裏付けられている(Bouhuys et al., 1966; Hixon, Mead, & Goldman, 1976; Proctor, 1980)。


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また、プロのカントリー歌手や高度に訓練されたクラシック歌手の胸壁の形状を動かす力についての推論は、これらの人々が発声中に横隔膜が不活性であることを示唆している(WatsonとHixon(1985); Watson、Hixon、StathopoulosとSullivan(1990); Hoit、Jenks、WatsonとCleveland(1996); Thorpe、Cala、ChapmanとDavis(2001))。

この節で検討された所見によると、「横隔膜から歌うこと」は、めったに起こることではないという結論になる。横隔膜の活性化は、主に肺気量が非常に多いときに、胸郭壁の吸気筋による主たるブレーキを補助するために必要なコントロールを行う場合に適用されるようである。しかし、第8章で述べたように、伸ばされた定常歌唱も連続歌唱も、胸郭壁、横隔膜、腹壁の動作の組み合わせを変えて行うことができる。これは、たとえ実験データが歌手の日常的な使用を示していないとしても、歌唱中の横隔膜の使用が多くの状況下で可能であることを意味する。

Leanderson、Sundbergとvon Euler(1987b)は、訓練された歌手での横隔膜活動の研究について報告している。彼らは、伸ばされた定常歌唱における胸壁ブレーキをかける際、肺気量が多いと横隔膜が不活性であることを発見し、この観察はBouhuyら(1966)、Hixonら(1976)、Proctor(1980)の観察とも一致している。また一方で、Leandersonらは、他の歌唱課題において、胸壁による実質的な吸気のブレーキが必要となる肺気量で、急速かつ大きな肺胞内圧の減少を伴う観察を行いました。これらの中には、オクターブの音程下降、フォルテからピアノへの変化、無声破裂子音での空気の節約、声門の内転と外転の交換の繰り返しが含まれる。これらの動作の中には、短時間の息止めを伴うものがあり、そのような場合に横隔膜が活性化することが予測される。

Leandersonら(1987b)がこれら後者の歌唱活動で得たデータは、急速で大きな肺胞内圧の低下と息止めを必要とする調整には、横隔膜による吸気のブレーキが重要であることを示唆するものである。したがって、第8章で述べたBouhuysら(1966)の実験操作と同様に、横隔膜は、厳しい状況下で、大きな肺気量における重要な制御要素として機能することができる。

実際のところ、Bouhuysほか(1966)の実験的な発見とLeandersonほか(1987b)の観察の間には関係があるのかもしれない。Bouhuysらは、大きな肺気量での歌唱時に使用されるブレーキ(横隔膜の収縮なし)は、胸郭壁の吸気筋の強さと腹部内容物の最大油圧のどちらか力の弱い方によって制限されるのではないかと推論している。もしそうなら、ブレーキ時に横隔膜を使ったかどうかということに関係するのかもしれない。


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<ピロートーク>

私と妻は、何年も離れてはいるが、同じ街で、同じ研究室で呼吸生理学の博士研究をしていた。ある夜、彼女は同僚がその街で行われた歌の講演会に参加したときの体験談を話してくれました。講師は、横隔膜が胸郭に向かって凹んでいる呼吸器の模式図をフリップチャートに描き、歌うときに横隔膜を使って空気を押し出すことを説明し始めたのです。その昔、同じ街で体験したことと似ていたので、興味を持ちました。同一人物の講師だろうか?彼の生徒の一人だろうか?我々には、全くわからない。あの時、何か言っておけばよかった。


 

Leandersonら(1987b)が発表した経横隔膜圧データを調べると、歌唱時に横隔膜が生み出す筋圧が非常に高いもの(80cmH2O程度のものもある)もあることがわかった。この大きさの筋圧では、胸郭壁の吸気筋だけであれば、破断の上限を超える可能性がある。この可能性を評価するためには、Leandersonほかの歌手の胸郭壁の吸気筋の強さに関するデータが必要であろう。また、Leandersonらの研究における歌手たちは、横隔膜の活動が音源の特性に与える影響を判断しようとする実験中に、視覚的なフィードバックを受けた経験があることも重要である。おそらく、この特別なトレーニングによって、ガイドなしの歌唱フレーズで観察される非常に高い経横隔膜圧の値がもたらされたのであろう。

最後に、Leandersonほか(1987b)は、特定の歌手が歌唱フレーズ全体を通して横隔膜の活性化を示したと報告している。この場合、高い声門下(気管の)圧を生み出す状況になる傾向があった。


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最後に、Leandersonほか(1987b)は、特定の歌手が歌唱フレーズ全体を通して横隔膜の活性化を示したと報告した。この場合、高い声門下圧(気管の圧力)の生成を伴う状況になる傾向があった。その理由として、歌い手は腹壁の筋肉を強制的に収縮させることで大きな声を出し、その後、横隔膜を収縮させることで圧力を下げるというメカニズムが考えられるという。(Leanderson、Sundbergとvon Euler、1987a)。 これは、逆説的な呼吸行動と表現され、「ミステリー」として特徴づけされている(Sundberg、2003)。これは、第8章で紹介したHixonほか(1976)のデータで、横隔膜が腹壁の駆動を「相殺」する役割を担っている状況と似ていることに注意したい。しかし、このメカニズムは、肺気量が非常に少ないときのみ作動し、歌唱フレーズ全体を通して作動するわけではないという違いがある。このテーマについては、次節で詳しく述べる。(1)


(脚注1) Leandersonほか(1987b)により提供されたデータのある側面に異議を唱える理由がある。彼らの論文の図1は、横隔膜が不活性であると著者が説明した肺気量大の範囲において、食道圧と胃部圧の平均値が同じであることを示している。この条件下では食道圧と胃部圧は10cmH2O程度異なるはずである(Bouhuysほか、1966)。その理由は、胃の筋緊張と腹腔内の静水圧勾配により、胃の中の圧力が大きくなるためです。Leandersonほかは、2つの小さな圧力変換器を、1つは先端に、他のものは隣接した15cmのところに付けて、単一-カテーテル測定システムを使用した。食道圧と胃圧の平均値が同じなのは、図1の彼らの例では、発声に先立つ大きな吸気の際に、胃の変換器が胃から食道に移動した結果である可能性がある。つまり、横隔膜の食道裂孔が、大きく吸気して横隔膜の腱中心が下方に移動する際に、カテーテル先端の変換器の下に下降した可能性があるのだ。胃圧変換器が定位置に固定されていなかったため、測定された非常に高い横隔膜横断圧の一部は、横隔膜の食道裂孔で変換器が圧迫された結果である可能性もある。食道や胃のバルーンが食道や胃の圧力変換器よりも好ましい理由は様々ですが、特に小型の変換器では局所的で最も高い圧力を読み取ってしまい、これらは機械的に重要ではない可能性があるためです。


 

歌唱における高い胸郭壁ポジションの使用

歌唱教育学において、特にクラシック歌唱では、持ち上げられた(elevated)(または高い(high))胸郭壁ポジションによる歌唱が一般に普及している。「持ち上げる」という語は一般的に、弛緩中の状態より高い位置を意味する。


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LoringとMead(1982)は、安静時タイダル(周期性)呼吸では、胸壁がリラックス時の位置から変形し、腹壁がわずかに内側に、胸郭壁がわずかに外側に移動することを示した。そのため、一日の大半を直立姿勢で過ごすことを前提にすると、胸郭壁が一日中やや高い位置にあることになる。このように胸郭の壁を少し高くした状態で維持する仕組みは、腹壁筋の収縮によるものである。この活動は、それ自体、安静時1回換気量(tidal volume)の変化には寄与しないが、肺気量変動の吸気相を駆動するのに必要な筋圧の本質的にすべてを供給する横隔膜の効率を最大限に高めるために役立つ(HixonとHoit、2005)。

胸郭壁は、呼吸器のさまざまな調整によって、安静時の一回換気量を高める(サイズを大きくする)ことができる。これらには、胸郭壁、横隔膜、腹壁が単独で、あるいは異なる組み合わせで行う動作が含まれる。

表9-1に、胸郭壁の位置が高くなる原因や維持するために可能な調整を一覧に示す。このリストは、吸気力、呼気力、そして、吸気と呼気力のカテゴリーに分けられている。

表 9-1 の吸気力の項目にあるように、胸郭壁は、それ自身の筋肉、横隔膜、またはその2つの組み 合わせによる吸気力の結果、上昇することができる。呼気力のカテゴリーでは、胸郭壁の筋肉による呼気力が小さくても、腹壁の筋肉によって加えられる呼気力に伴い、胸郭壁を上昇させることができることが示されている。そして、吸気力と呼気力の複合カテゴリーでは、胸郭壁と横隔膜、またはその両方から加えられる吸気力のさまざまな組み合わせと、胸郭壁と腹壁、またはその両方から加えられる呼気力のさまざまな組み合わせとともに、胸郭壁を上昇させることができることが示されている。したがって、歌唱時に胸郭壁を高い位置にし、その状態を維持する方法は11通りある。単純なものもあれば複雑なものもあるが、すべての状況下で実行できるわけではないが、演奏条件下で実行できるものばかりである。

 

表9-1.  胸郭壁位置を高くして、維持することができる調整の概要。RC=胸郭壁、DI=横隔膜、AB=腹壁。マイナスのサイン(-)は負の筋肉圧を、プラスのサイン(+)は正の筋肉圧を意味する。RC(胸郭壁)筋圧は差し引きされた正味の値である。


吸気力/Inapiratory Forces


-RC(胸郭壁)
-DI(横隔膜)
-RC(胸郭壁)、-DI(横隔膜)


呼気力/Expiratory Forces


+AB(腹壁)
+RC(胸郭壁) < +AB(腹壁)


吸気と呼気の力/Inspiratory and Expiratory Forces


-RC(胸郭壁)、+AB(腹壁)
-DI(横隔膜)、+AB(腹壁)
-RC(胸郭壁)、-DI(横隔膜)、+AB(腹壁)
-DI(横隔膜) > +RC(胸郭壁)
-DI(横隔膜)>(+RC(胸郭壁)<+AB(腹壁))
-DI(横隔膜)>(+RC(胸郭壁) >+AB(腹壁))

【訳注;上記の11の全てが胸郭を高くする操作であり、胸郭が下がることはない(ベリー・イン)。また、Preclinical Speech Science p.28 図2-14* も参照。この図において、上の右の組み合わせと、2段目の左が胸郭が下がり腹壁が前に出る、ベリー・アウトの形を作ることになる。】

*


多くの場合、胸郭壁の高い位置は、機械的な利点があると考えられ、推奨されている。また、胸郭壁の呼気筋を拡張することで、歌唱フレーズ中に迅速かつ正確な筋圧の調整を行うことができる。胸郭壁の小さくて即効性のある筋肉は、歌い手が達成したい多くの目標に特に適していることから、歌唱ではこれが推奨されている。ただし、胸郭壁の位置を極端に高くすると、肺気量が多いときに弛緩圧に対するブレーキに必要な胸郭壁の吸気筋の機能が低下することに注意しなければならない。したがって、連続した歌唱時に吸気筋と呼気筋の両方が効果的かつ効率的に機能するために、胸郭壁の位置をどの程度高くすればよいかについて、おそらく好ましい機械的妥協点が存在すると考えられる。


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歌唱教育者は、演奏のために胸郭壁を高くした位置を確立し、維持するためのさまざまな工夫を提案してきた。胸郭壁の吸気筋が胸郭壁の上昇位置をもたらすという考え方がある。つまり、胸郭の壁は、吸気筋の働きによって能動的に「自ら上昇」し、その上昇した位置を維持することができるという見解である。このメカニズムは、呼吸器の弛緩圧が歌唱フレーズに必要な肺胞内圧力を超え、ブレーキが必要な場合に働くと考えられる。しかし、胸郭壁の呼気筋が呼気力を発揮しなければならない状況下では、このようなメカニズムは機能しない。これは通常、中・小肺気量領域まで、さらには大音量で歌うときの大肺気量領域でも必要な条件である。言い換えれば、胸郭壁の吸気筋を使用する方法では、どんなに長い歌唱フレーズでも、胸郭壁の上昇した位置を維持することはできないのである。

 


<バイオリンを双方向で弾く>

赤ちゃんは、呼気と吸気の両方で泣きます。彼らの強力な呼気発声の後にしばしば喉頭性喘鳴で吸気性発声がよく続きます。打撃(strokes)のボリュームは両方向で大きいですが、呼気発声は通常、吸気発声より大きくなります。何人かの研究者は、幼児の泣き声に関係する吸気性喘鳴が未熟な喉頭動作を反映することを示唆しました。これでは十分な説明とは思えません。呼吸器官の動きと喉頭は、呱声(生まれたときの赤ん坊の泣き声)そして最も初期の発声(泣き声と非泣き声)においてさえよく調整されています。さらにまた、大人の喉頭は成熟していますが、それでも、感情的にひどく悲しいときには大人も呼気と吸気の両方で泣きます。幼児期でも、老年期でも、人生の旅路の途中でも、苦しくて泣くときは、呼吸器系のバイオリンを双方向に弾くことになるようです。


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もうひとつは、横隔膜の作用によって胸郭の壁が高くなるという考え方である。これは、横隔膜の収縮によって肋骨の下6本が上方に引っ張られ、胸郭壁が高くなるという考え方である。横隔膜は、歌唱フレーズ中も活動を続け、胸郭壁を高い位置に維持すると言われている。Leanderson、Sundbergとvon Euler(1987b)は、彼らが調査した歌手達の中の1人がそのような横隔膜の動きをしたことを報告している。このような動きは、他の歌手の実験的研究では観察されていない。したがって、横隔膜の連続的な活性化が、多くの歌手が演奏中に胸郭壁の上昇を効果的に維持する方法であることを示唆する証拠はほとんど存在しないのである。

また、このようなメカニズムを歌に利用することに対しても、論理的な反論がある。歌唱フレーズ中の横隔膜の連続的な収縮は、呼吸器官の機能にいくつかの悪影響を及ぼす。その結果、胸郭壁や腹壁を力強く動かしていない状態では、胸郭壁も腹壁も大きくなる傾向がある。実際、腹壁の筋肉を収縮させずに横隔膜を収縮させても、胸郭壁を上昇させるための最低限の効果しか得られない。このような状況下での横隔膜の作用のほとんどは、胸郭壁の頭側への移動(胸郭壁挙上)ではなく、腱中心の足側への移動と腹壁の外側への移動に解消される。横隔膜の収縮が胸郭壁の上昇に大きく寄与するためには、腹壁の力強い収縮が必要である。また、第8章で述べたように、腹壁の力強い収縮だけで胸郭壁の位置を上昇させることができるのであれば、なぜ横隔膜の収縮という筋肉コストを追加する必要があるのか?

また、フレーズを歌うときに横隔膜を収縮させることに反対する意見として、この方法は横隔膜が吸気に果たす役割を制限してしまうというものがある。横隔膜が胸郭壁を上昇させることにより、呼吸周期の吸気側で用いる横隔膜の容積変化能力のかなりの部分が失われる。これは容積だけでなく速度にもいえることで、連続した歌唱における横隔膜の機能として非常に重要な2つの特徴である。横隔膜の活動は、連続歌唱時に呼吸器を吸気するための主なメカニズムであり、このメカニズムを使用することで、呼吸サイクル全体を通して胸郭壁と腹壁を呼気方向に活動させることができることを示す実験結果を思い起こそう。

歌唱のために高い胸郭壁の位置を決めて維持するための実際のメカニズムが、腹壁の内側への位置決めであると信ずる正当な理由がある 。連続歌唱の研究では、腹壁の筋肉によってプラットホームが構成される結果、胸郭の壁が高くなることが示唆されている (Hixon、GoldmanとMead、1973; WatsonとHixon、1985; Thorpe、Cala、ChapmanとDavis、2001)。


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これらの筋肉が収縮すると、腹壁は内側に、横隔膜は頭側に移動する。横隔膜が頭側に移動することで、胸郭壁が高い位置に持ち上がる。腹壁の活性化は、胸郭壁を高い位置に置いておくために、連続歌唱フレーズ全体を通して維持される。実際、歌唱フレーズの間、腹壁の収縮が徐々に大きくなり、胸郭の壁が徐々に高くなることは珍しいことではない。(WatsonとHixon、1985)。胸郭壁や横隔膜の吸気筋の活性化だけでは、このような現象を説明することはできない。

胸郭壁を持ち上げるメカニズムとしては、腹壁の内側への位置決めが第一に挙げられるが、胸壁【胸部+腹部】のさまざまな部位で、異なるタイミングで他のメカニズムが働く可能性がある。肺気量と発声に必要な筋圧に応じて、腹壁は胸郭壁の筋肉(吸気および呼気)、横隔膜、またはその両方と連携して胸郭壁の上昇をコントロールすることができる。8 章で述べたデータから、腹壁の呼気作用と胸郭壁の吸気・呼気作用の組み合わせ(第 3 項目の第 1 選択肢、第 1 項目の第 2 選択肢)が最も可能性が高いと思われる。胸郭壁の吸気筋は、肺気量が多いときに腹壁が胸郭壁の位置を高く設定し維持するのを助けるために使用することができるが、胸郭壁の呼気筋は、歌唱フレーズの過程で胸郭壁がより上方に押し出されるときに実際に動作することになるだろう。【訳注;胸郭壁の一見矛盾するこの作用がアクセルとブレーキのバランスや素早い変換を可能にすると考えられる。】

歌唱時に胸郭壁が高くなり、その位置が維持される生理的メカニズムは、実に単純である。腹壁は脊柱に沿って上へ胸郭壁を持ち上げており、その内側への動きの強弱が胸郭壁の上昇の程度を決定する。この効果を 口で表すなら、伸ばされた定常の母音を歌いながら、腹壁を交互にゆっくりと繰り返し内側に動かしたり、外側に動かしたりすることである。腹壁の出入りに応じて胸郭壁が上下する (Hixonほか、1973)。このような状況下では、胸郭壁の上昇と下降は必須である。


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REVIEW
復習

息と音は、まったく異なるエネルギーの動きを意味している。

脊椎には自然な湾曲があり、呼吸器の筋肉はこの湾曲との関係で、ある種の好ましい力学的な利点を持っている。

肺気量の変化は、特に肺活量の極値において、喉頭や発声に好ましくない影響を及ぼす可能性がある。

ベリー・インとベリー・アウトは、胸壁の正反対の形状をもち、ベリー・インによって、歌唱中のより大きな力学的利点が得られる。

歌唱における支えの経験を語る歌い手や、支えの概念を教える教師は、支えが呼吸器系にあることに強く傾注している。

横隔膜から歌うことは、高い弛緩圧に対して吸気ブレーキが必要な、大きな肺気量での歌唱にほぼ限定される。
胸郭壁の位置を高くして歌うことは力学的に望ましいことであり、主に胸郭壁を持ち上げる腹壁の調整によって達成される。


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2022/08/14 訳:山本隆則