BEL CANTO
by James Stark
3
Registers: Some Tough Breaks
声区:いくつかの頑固な断絶

The problem of Registers 声区の問題点 p.57

人間の声は―ほかの楽器が熱心に見習うべきモデルとして―よく完全な楽器と見なされます。しかし実際、人間の声は決して完全なものではありません、あらゆる他の楽器と同様に、それは明らかに避けられない限界に直面しても、完全性の幻想を提供できるように努めなければなりません。これらの不完全さで一番わかりやすく、最も隠すことが難しいものは、分離した声区の存在です。それは、声が最低音から最高音に向かって音階を上がっていくときに起こる、生理的、音響的裂け目なのです。

歌唱の歴史を通じて、歌手、教師、そして発声研究家達は同じ質問を繰り返してきました、いくつの声区があるのか、何が原因で起こるのか、それらはお互いどのように異なるのか、それらをどのようにしてつなげるのか、そして、性別による違いは何か。オールド・イタリアン・スクールは、ただ2つの声区―胸声と頭声―があるだけだと考えました。18世紀になると、この正統派の考えは、別の声区も含まれるのではないかという新しい理論によって混乱し始め、19世紀の初めには、3-声区説が古い2-声区説と張り合うようになりました。その後、Manuel Garciaは1841年のTraitéで声区の基本となる定義付けをしました、それはその後もずっと声区の考え方の基準となり続けています。この定義付けでガルシアは、2声区説と3声区説の和解を試みましたが、coup de la glotte と同様に、曖昧な彼の用語法によって多くの人に誤解を招きました。彼の弟子達は、彼ら自身の曲解を加えて論争に油を注ぎました。一方、新しいタイプの喉頭医を兼ねた発声教師達は新奇で詳細な多声区説を提案しました。

声区の変わり目は、よく「breaks: 断絶、変換、変換点」と言われます。オールド・イタリアン・スクールの教師達は、1つの声区から別の声区へ、声質の目立った変化を避けるために声区を単一または均一にすることを奨励しました。これらは克服すべき頑固な断絶です。全ての歌手達が上手くできているわけではないし、音楽批評家は、歌手、特に胸と頭の声区の変換点で後ろと前に変えるテノールがいるとすぐにあざけり笑いものにしました。テノールの高音をファルセットに切り替えるよりもむしろ『カヴァー』して出すGilbert-Louis Duprezの新しい歌唱法は、歌唱法の歴史を後戻りできないほどに変えてしまいました。しかしながら、何人かの著者は、昔のスタイルである、いわゆるmixed register (まぜた声区)を奨励しました。

20世紀の発声教育もまた、声区の問題を取り扱っています。論理的に思えるいくつかの立派な理論にもかかわらず間違っていることが判明しました、しかし、現代の発声科学の発達と洗練は、今や新たな洞察を声区にもたらしました。違いは、『喉頭』の声区現象と『音響』の声区現象の間にあります、そして、これらの説明は過去の教育理論のいくつかを和解させる助けになりました。声区理論のこれらの曲解や逸脱の全てを通じて、ガルシアの声区の定義は、時代遅れになることなく新しい考えを取り入れるのに充分順応性があることが分かりました。

歴史的、教育的、科学的な声区の文献の量はかなり膨大であり、この章では声区理論に於ける主要な発展の局面を述べる以上のことはできません(*1)。進歩は声区を明らかにすることによって成されてきましたが、それにもかかわらず、その答は全てではありません。そして研究者は、我々が次の世代に入るときに、この問題を喉によって捕らえ続けなければなりません。

(*1)For a review of the literature, see Mackenzi 1890, 237-56; Large 1973b; Firlds 1947; Fields1973; Broad 1973; Burgin 1973; Monahan 1978; Moener, Fransson, and Fant 1964

The Two-Register Theory of Old Italian School オールド・イタリアン・スクールの2-声区説

声区の2-声区理論は、16世紀後期の巨匠時代の最初までさかのぼるオールド・イタリアン・スクールと結びつけられます。もっとも詳しく書かれた初期の声区に関する記述は、Lodovico Zacconi のPrattica di musica(音楽の練習)1592年の中に見いだされます。a maestro di cappella(教会の先生)として、ザッコーニは、一般の未訓練の合唱団員を使ってコーラスのアンサンブルを指導すると同時に、新たなソリストとしての声質に歌手達を訓練するという問題に直面していました。彼の見解はその当時の彼の同僚達の一般的な考え方を代表するもので、単に個人的な見解ではないとザッコーニは言っています。

当時の色々な種類の歌唱を説明する際に、ザッコーニは、voce di petto(胸声)とvoce di testa(頭声)の用語を使っています。第2章ですでに指摘したように彼はファルセットよりもむしろ胸声を推奨しました。彼は『dull(鈍い)』の声を好まなかった、と同時に『金切り声でかん高い声質で発する』混じりけの無い頭声も否定しました。彼は、胸声は頭声より多くの歓喜を与えてくれる、頭声は『退屈でいらいらさせるだけではなく、すぐに嫌悪し拒絶するようになる』、また、鈍い声は決して聞えないし、その上『声に存在感がなくなるであろう』と言いました。彼は、何人かの歌手達は声区間を、後ろと前に切り返すが、より多く胸声を保つほど良くなることに、また、胸声はより多くのパワーと良いイントネーションを持つことに気づきました。(Zacconi 1592, fol. 77) このザッコーニの記述を、Cerone は、El melopeo y maestro 1613(朗唱歌と教師)の中で、そのままスペイン語で繰返しています。(Cerone 1613, ch. 73)

ザッコーニが歌手について話すとき、もちろん、女性は教会の合唱団に入ることは許されなかったので、歌手とは主に男性歌手を指していました。その当時の合唱曲の高いパートは少年か男性ファルセット歌手によって歌われていました(*2)。男性歌手が全く胸声だけで歌う難しさは、叫び声やファルセットにしないと、より高い音に到達できないことでした。ザッコーニは、歌手に高い音を力んで出さないように忠告したとき、この難しさを認識しました。『力んだ声のために絶えずダメなことをしてしまう;たまたまメロディーが、歌手が楽にそれを歌うことができない高さになったとしても、狂人や悪魔に取り憑かれた人のように叫んではならない。耳に何か奇妙なものや不愉快なものを与えるぐらいなら、それらの音を省略してしまう方がまだましである。同様に、弱い音で楽に高い音に到達できないのであれば、下手に歌うよりはファルセットで歌うべきである』(Zacconi 1592, opp. fol. 56)

(*2) See Vicentino 1555, 80; Maffei 1562, 26; Giustiniani 1962, 71; Ulrich 1912, 80.

この高音に達するために叫んでしまう欠陥は、Biagio Rosetti (1529) とHerman Finck (1556) によって、より早くから観察されていました。1580年、フィレンツェのカメラータのパトロンであるGiovanni de’ Bardi は、高音をそのように叫ぶバス歌手を批判して、『不幸な人の質草を競売にかけるときの競売人の叫び声や、終わることのない雑音を出して見知らぬ街角をうなりながらさまよう子犬のようだ』とい言いました。(*3) また別のカメラータのメンバーであるVincenzo Galileri は、1581年に、高音の叫び声を『内側か外側の過度の痛みによる悲鳴』と例えました。(*4) また他にも、Giovanni Battista Done (1763, 2:99-100) そしてPierfrancesco Tosi (1986, 11-12) もこのことについて批判しています。

(*3)Translated in Strunk 1950, 299.
(*4)Translated in Strunk 1950, 317.

Giulio Caccini、彼のLe nuove musiche《新音楽》(1602)は新しいスタイルの独唱曲の宣言書でもあり、彼は2つの声区をvoce piena e naturare (大きく自然な声)、そして voce testa (作られた声またはファルセット) と書いています。彼は、ファルセットは、気高さの欠如、息の多さ、大きな声と小さな声とのコントラストを生み出す事ができないなどの理由で嫌いであると明言しました(Caccini 1970, 56)。カッチーニ自身の音楽作品は、テノールが通常の胸声の限界を超えて引き伸ばされることが滅多に無いような音域で書かれています。カッチーニはまた、楽な胸声の音域に声を保つために移調を奨励しています。彼は、どうやら、ファルセットを避け、カバーされた歌唱など全く知らない1声区歌手だったのでしょう。彼の見解は、歌手に完全なフル・ヴォイスで歌うことを強く求めた Praetoriusによって(Praetorius 1619,2:29)、そして、ファルセットを『半分力んだ声(a half and forced voice)』と考えた Herbst によって繰返されました(Herbst 1642, 3)。

18世紀に於ける最も重要な発声論文の1つは、Pierfrancesco Togiによる Opinioni de’ cantori antichi, e moderni, o sieno osservazioni sopra il canto figurato 《昔時及び当節の歌い手に対する見解と、装飾の施された歌唱への所見》です。初版は1723年で、多くの版を重ね、英語、フランス語、ドイツ語に翻訳されました。英語への翻訳、Observation on the Florid Song 《装飾の施された歌の所見》(1743年)は、ドイツ人のオーボエ奏者であり作曲家の J. E. Galliard によるものです。(*5) 1757年のドイツ版 Anleitung zur Singekunst 《歌唱芸術の手引き》は Johann Friedrich Agricola のよるもので、彼は J. S. Bach とプロイセンの宮廷作曲家になった J. J. Quantz の作曲の弟子に当たります。(*6) トージは、彼自身がカストラートで教師、そして作曲家です。彼の歌手としての経歴はむしろ限られたもののようで、晩年を英国で過ごし、そこではオペラではなく教会音楽を歌ったようです。(*7)

(*5)ガリアルドの翻訳は、1968年の複製版がある。またEdward Foreman 1986年による、詳細な文献と共に、英語翻訳と並んで元のイタリア語が含まれている優れた版がある。
(*6)このドイツ語版は、最近、Julianne C. Baird によって、Introduction to the Art of Singing として英語に翻訳された。
(*7)伝記の詳細は、Tosi 1986、xvi-xxi; Howkins 1875, 823-4;Tosi 1743, viii-ix;Häbock 1927, 342を見よ。

トージは彼の本を主に彼が言うカストラート歌手のソプラノのために書きました。トージの時代にはもちろんカストラートがイタリアオペラに君臨するスターであり、優れた歌唱の実践に於ける手本となっていました。カストラートの現象は第7章でより詳しく説明されますが、ここで注意すべき点は、去勢された男性の声は、普通の男性の声より高い(コントラルトとソプラノの2声種が存在した)のですが、それにもかかわらず、2つの基本的な声区があり、それを統一しなければならなかったということです;教育的には、カストラート歌手は、普通の歌手と同じテクニックを教えられました。(*8) カストラートの声の声区変換は、普通の歌手と同じ場所で起こるのかは、はっきりしません。トージは基本的な声区を説明するために、voce di petto (胸声) とvoce di testa (頭声) と言う用語を用いました。彼は発声教師に、生徒達が高音、或いは、声を失う危険に対して頭声を育てることをしきりに勧めました。頭声は装飾的な音楽やトリルを歌うために最適の声ですが、同時にそれは胸声よりも弱い声であると指摘しました(Togi 1984, 14-15)。頭声のこの弱さが声区変換を目立つものにしたので、彼は2つの声区を均一にすることを勧めました:『ファルセットなしではソプラノはほんの数個の音だけの狭い音域でうたはなければならないことをしっている勤勉な指導者は、音域を広げようとするだけではなく、他の音と聞き分けられないような方法で、ファルセットを胸声に結合させるように、あらゆる事を試みなければならない。声区の結合が不完全ならば、声は多くの声区に分離したままで、その結果、声の美しさは損なわれてしまうだろう』(14)。声区の変換点についてはつぎのように書いています、『地声(natural voice) または胸声の音域は通常第4間または第5線で終わる、そして、そこからファルセットの声域が始まり、高音域への上昇と、地声への戻りの両方で結合の難しさがある』(14)。トージはたぶん中央のC(C4)が第1線にあるソプラノ記号(その当時は一般的に用いられていた)で示していました。これはカストラートの声の変換点を、通常の女性ソプラノの変換点であるC4、D4より、およそ6度高いA4、B4に特定しています。Alessandro Moreschi (1858-1922) は、レコード録音した唯一のカストラートでした。1904年にローマで録音されたバッハーグノーの『アヴェ・マリア』の中で、胸声とファルセットの変換はB4とC#5の間で起きています(*9)。これはトージの記述と一致します。何人かのソプラノは声区の結合の仕方を知っていたとトージは書いていますが、この非常に難しい作業が、どのようにして成し遂げられるかについてのアドバイスは与えていません。

(*8)Häbock 1923, 1927; Heriot 1956; Pleants 1966.
(*9)’A Record of Singers’ 1982, HLM 7252

トージの後、2声区説に賛成する著者が続きました。最も影響力のあったのが、Giambattista Mancini で、彼のPensieri e riflessioni pratiche sopra il canto figurato 《装飾の施された歌唱に関する実践的省察》は、1774年に初版、何版か重ねられ、1776年にはフランス語に翻訳され、イタリアでの再版が1777年に、そして最後に、仏、伊、英で再版されました。最も近年の英語の翻訳は、1774年と1777年のイタリア版と同じです(*10)。この著作は、トージのものと同じく、ガルシアによく知られていて彼のTraité の中で引用されています。(Garcia 1847, 1:25; 1984, 60)

(*10) Mancini 1967; for further bibliographical and biographical information, see page v-vi

トージと同じくマンチーニもカストラートでした。彼もトージと同様に声を2つの声区、胸声と頭声に分けて:『声は自然の状態で通常2つの声区に分けられる、その1つは胸声と呼ばれ、他方は頭声またはファルセットと呼ばれる。私は今、通常と言いました、何故なら、胸声のまま全ての音域に達することができる決して尋常ではない贈り物を自然から授かるという珍しい例があるからだ』(Mancini, 1967, 20)。Edward Foreman は、この最後のセンテンスを、『18世紀の唯一、最も名高い発言』であると考えました(Foreman 1969, 53)。確かにその発言は、その意味に於いては曖昧です。それは歌手が上の声区を胸声区と同じように出しているか、或いは、歌手が明記されていない何らかの方法によって胸声を上手く上に向かって伸ばしているか、或いは、全く別の何かかを示しています。どの場合に於いても、マンチーニはこの問題に戻り、同じ曖昧さで言いました、『2つの声区が、1人の人間に於いて2つとも胸声区の中で結合されるのは、大変まれなケースである。この統一された結びつきは、普通、訓練による熟練によってのみ作り上げられる』(Mancini 1967, 39)

マンチーニは、声区を結びつけることがいかに難しいかを繰返し強調しました。『歌唱技巧で出合う全ての困難さの中でずば抜けて大きなものは、2つの声区を結合させることであるのは疑う余地がない:しかし、それがどのようにすればよいのかを真剣に学ぼうとするものにとって、それを克服するのは不可能ではない』(20)。彼は、このことについて後に詳しく述べています:

歌手の卓越した技巧は、彼が胸と頭の2つの異なる声区を合わせる多少の困難さを、聴衆や批評家に気づかれないように実行することである。これは限りない改良によってのみ獲得することができる:しかし、これは単純で自然なやり方では容易に習得することはできない。器官の強さの大小によって生まれる欠陥を修正するための研究と努力が必要である。そして声をむらなく一様に響かせ、喜びに満ちたものにする操作能力と効率的使用を獲得する。これはほんのわずかな生徒だけが達成し、ほんのわずかな教師だけが、実際的な規則、或いは、実行の仕方を理解しているにすぎない。(101-2)

マンチーニは、頭声は胸声よりも弱いので声区を結合することを助言しています;『頭声は胸から分かたれているゆえに助けを必要とする。生徒が時間を無駄にすることなく、それらを結合する助けになる確実なる方法は、最も可能なやり方で頭声を胸声と同じくらい強くするために、胸声を抑制し、出しにくい頭声をより強くしていくことを定着させることを理解することである。』 頭声が胸声よりも強いというありそうもない事象に於いては、そのプロセスは逆にされなければならない。いずれにせよ、マンチーニは疑いをものともせず楽観的な姿勢を崩さなかった、『2つの声区の結合が望み通りのポイントに到達しないこともあるだろう;それにもかかわらず、私は師匠と生徒にそれによって勇気を失わないように嘆願する;何故ならば、同じやり方を続けることで、幸運な成功を得るにちがいないと私は確信するからだ』(40)。彼は弱い声区を強くするやり方を具体的に挙げませんでした。

オーソドックスな2声区説を奉じたもう一人のイタリア人は、Vincenzo Manfredini (1737-1799) です。彼の Regole armonich《和声の規則 》(1775) は、歌唱技法論を含む音楽の総合的著書で、第2版は1797年に出版されています。声区に関して、マンフレディーニはマンチーニ以上のことは言っていません。彼は、voce di testa は一般的にファルセットと呼ばれる、そして、より弱い声区を強化するために胸声と結合されなければならないと書いています(Manfredini 1797, 61)。

ドイツの著者達は、彼ら自身が歌手でない場合でもやはりイタリアの歌唱法を信奉しました。Johann Joachim Quantz (1697-1773) は、彼のフルート奏法の教則本(1752)で、フルーティストが見習うべきであると推奨する歌声について述べ、2声区説を繰返し、ファルセットは、「引き締められた」喉頭によって作られ、そして、胸声区より弱く、より多くの息を使うことを確認しています。「イタリア人やその他の国の人々はこのファルセットを胸声に結合させ、それを使うことを歌うときの大きな利点とした」(Quantz 1966, 55-6)。共通の見解を分かち合う他のドイツの著者達の中には、Georg Joseph (Abbé) Vogel, Johann Baprist Lasser, Nina d’ Aubigny von Engelbrunner (*11)などがいます。

(*11) Vogler 1778, 18 seq; Lasser 1798, 45-6; Engelbrunner 1803, 103-9

声区融合の難しさはJohann Samuel Petri (1738-1808) により、1767年に出版された彼のAnleitung Zur practischen Musik 《実践音楽入門》で説明されました。声区に関する記述で、彼は、ソプラノのファルセッティストの演奏について、高い音は荘厳な声であるにもかかわらず、低いファルセットを出そうとするとき『彼のファルセットはそこまで届かず、突然かん高い強いテノール声に変わった。私はショックを受け、彼の愛らしいソプラノヴォイスによる私の全ての喜びは壊されてしまった。』(*12)と述べました。

(*12) Petri 1767, 206; translation in Sanford 1979, 43-4

声区分離が目立つ歌手に関する他の報告は、Leigh Hunt によって、1808年から1821年まで英国の『エグザミナー』誌の音楽批評に連載されました。1817年のある批評で、Pearmanと Incledon という2人のテノールの歌唱について書いています。「たとえ地声からとは言え、[Pearman]の[ファルセットへの]変換はいただけない。Pearmanは、確かに Incledonの歌ほど凶暴ではなかった、Incledonの歌は、道化が窓の鎧戸をぶち破って飛び出すように、喉の中で喉頭が酔っ払ってあちこち飛び跳ねるように音が跳躍する;しかしそれは貧弱なうえに下手くそだ;彼は、どのように言葉や表現を心がけているのか、必死に飛びつこうとする音程が何なのかも分からない」(Fenner 1972, 95)。 1819年にHunt は、テノールのThomas Phillips の歌について書いています;「地声とファルセットの間のパッサージ(経過音)の跳躍で不快な音になることはよくあるが、Pillips氏においてはそれが目立ちすぎる」(95)。
これに反して、1824年にロッシーニの伝記作家Stendhalは、若いGiuditta Pastaの『two voice』を『魅力的でぞくぞくさせる』と称賛しています。彼は一人の音楽通の言葉を引用して言いました、『マダム・パスタとはかくのごとし;彼女の声、声区から声区への魅力的な移行、月の光が急に雲に覆われ暗く柔らかくうっとりさせる、その後で新たに輝きはじめ、銀色の光のシャワーは千倍にもふくれあがり、私に月光の記憶の感覚が霊感を与える。』(*13) このことから、女性歌手はテノールよりも、不連続な声区の移動によってより良い効果を上げていたことが分かります。

(*13) Stendahl/Coe 1956, 373; see also Chorley 1862, 87-8.

Countercurrents to the Two-Register Theory 2声区説への逆流

ザッコーニやカッチーニからトージやマンチーニ等へと推移した2声区説は、18世紀には混乱をきたすようになりました。その混乱は、トージの英語やドイツ語の翻訳者達によって始まったようです。彼らはトージの理論に彼ら自身の見解を加えたのです。Galliard、トージの英語の翻訳者は、脚註を使って声区に関する次の所見を加えました:「Voce di testaは胸の強さからくるフル・ヴォイスで、最も響きが良く、表現豊かである。Voce di testaは胸よりも喉からより多くくる、そして、より流暢である。Falsettoは、完全に喉で作られた偽の声で、どの声よりも流暢だが中身がない」(Tosi 1743, 22 n. 18)。ガリアードは頭声とファルセットを2つの別々の声区であると考え、3声区説を提言した。

ガリアードと同じく、Johann Agricola (1757)は、音楽批評家のFranz Häbock (1927) が『感覚を妨げる不正確さ(sense-disturbing inexactness)』と呼ぶ非常に多くの声区に関するコメントを加えています(Häbock 1927,87)。長くとりとめの無い声区に関する節で、アグリコーラは、胸と頭の声区を、気管と声門の特質であることを明らかにし、気管も声門も、頭声よりも胸声でより広くなると述べました。『頭声では、気管の開きはより穏やかで、それに伴い伸縮性は少ない;気管はそれ自体がより狭い;肺は拡張できない。』 彼は、トージや他のイタリア人達は頭声を、彼が考える別の違うメカニズムのファルセット(Fistelstimme: 裏声、仮声)と混同していると訴えました(Agricola 1995,75)。 アグリコーラにとって、ファルセットは、最高音と最低音の両方で生じることとなり、『不自然な音:forced tone』であると見なされました。高いファルセットの音について、彼は言っています、『気管の頭全体(the whole head of the windpipe)は、さらに伸ばされ、そして、さらに舌骨の下の口蓋(the palate under the hyoid bone)の最も深い腔に高くとどまる。』 彼は、高いファルセットの音は、高い喉頭で歌われ、それは不自然な声質(forced quality )になると示唆しています。ファルセットが下降して低い声区に入るにつれて喉頭は以前の位置に戻りますが、声区間の変換には問題が残ります。『それは自然な声(地声)と上の声区のファルセットの音を結びつけるのに非常の有利である、もし、中間的な音を生成することができるならば、両方の種類の声で一方では最高音、他方では最低音が出せる』(77)。

アグリコーラの、胸声の低い音域におけるファルセットの存在に関するコメントは奇想天外です。これらのごく少数の音(それは常に自然な胸音より弱い)が喉頭を上げるか、下げるかによるのではなくて、『頭の傾きに伴なう下顎の低下』によって生まれる、そして、それは『口からの空気の自由な通路の進路を妨害する。その結果、これらの不自然な低い音は、自然な音と同じようなパワーと美しさを保つことは決してできない。ドイツ人は、自然に出せる声よりも低い声を無理やり出そうとするバリトン歌手を(高いバス歌手)をストロー・バスと呼ぶ。しかしながら、高い声を持つ歌手が低すぎる声を出そうとして(その上、彼らの低い声はよく聞えない)、無理に気管を引きのばすと、全部の声を壊してしまう危険性がある。』(77)と言いました。ドイツ語のStrohbass は、わらを足で踏みつけるとパチパチと音を立てる ような、最低音のことを示しています。『この音質は、バス歌手の歌唱に於いて、自然の声が十分におりきっていないときにそれを補うためによく使われる 喉の中のガラガラ(rattle)である』と、音楽理論家のMarin Marsenne が書いているので、少なくとも17世紀には観察されていました(Mersenne 1636, 1:9)。

アグリコーラが、頭声から高いファルセットを聞き分けたのは、喉頭の高い位置によってであり、彼の言う低いファルセットはそもそもファルセットではなく、『pulse(脈)』レジスターとして、今日知られている補助的な声区のようです。(後ほど論ぜられる)アグリコーラは、生理学者Denis Dodart (1700)とAntonine Ferrein (1741)の著作を参照にして正しい声区理論を探究しましたが、結局彼は単なる素人に過ぎず、彼の誤った音声生理学の理解は、トージの説明を明確にし損なうどころか、むしろ声区の全体的な問題点を曖昧にしてしまいました。

アグリコーラの声区に関する記述は広く流通し、他のドイツの著者達に影響を与えましたが、彼の見解に全面的に賛同した人は誰もいません。Friedrich Wilhelm Marpurg (1718-95) は、アグリコーラをたくさん引用しましたが、アグリコーラのFistelstimme (裏声)は、ファルセットの通俗的な呼び方であると言い、トージの2声区説をを採用した(Marpurg 1763, 19-20)。Johann Adam Hiller (1728-1804) は、1774年の歌唱の著書に於いて、新しい声区の用語法のために完全に混乱しているように思えます。彼は、アグリコーラの胸声、頭声、そして裏声(fistel-voice)の説明を3声区説を表すものだと見なし、『自然な』声区と『人工的な』声区を区別しようと試みました。彼は、男性の高い声をfistel-voice(裏声)と言い、女性と少年の高い声区をファルセットと言いました(Hiller 1774, 6-10)。その後2冊目の本(1780)で、アグリコーラを完全に見捨て、マンチーニのより納得がゆく2声区説を採用しました。(*14)

(*14) Hiller 1780, 6-7. See also Häbock 1927, 43-4.

Johann Samuel Petri は、fallsettoFistelstimme を同じものと考えました:『人はファルセットいわゆる裏声の使い方を学ばなければならない、そして、それを自然な声または胸声と均一にしなければならない、そうすることで、高いアリアを歌うために、低く移調したり、メロディーを変えることなく使うことができるだろう』(Petri 1767 61-2)。後に彼は次のように書き加えました、『しかし私は、胸声からはっきりと分かるほど目立たない良好なファルセットの使い方は、ほんの少し学ぶだけで良いと認めざるを得ない』(205-6)。

声区理論をもうけの種に加えたもう1人の著者は、Isaac Nathan (1790-1864) で、英国生まれの荒っぽい性格で、軽いオペラの作曲家となりました。彼は、1809年にDomenico Corri の生徒でした。Essay on the History and Theory of Music 《歴史と音楽理論の小論文》(1823)の初版は、Musurgia Vacalis のタイトルで1836年に増補第2版が出版されました。この長くてまとまりがない、一見博学な本は、歌を聴くための音楽史からラクダの好みまで、音楽的テーマのいろんな寄せ集めから成り立っています! 第6章は、『人間の声について、そしてその一般的性格』と題されています。それは魅力的に書かれているにもかかわらず、ディレッタントの著作でしかありません。彼の歌声に関する章も例外ではありません。その中で、ネイサンは4つの別々の声区について述べています;ファルセットまたはノド声(throat voice); voce di testa または頭声;voce di petto または胸声;そして、feigned voice (偽声)、これはファルセットでも頭声でもありません。かれのfeigned voice に関する考え方は新しく:『それは腹話術の類いで、柔らかく体から離れたような音が、胸、そして、主に喉と頭の後ろに作られるような感じ-離れたところから聞えてくるような幻覚を与える中声で支えられた音質-であり、甘く柔らかな音楽的な音として魔法の呪文のこだまのように遠くから漂ってくる』(Nathan 1836, 117)彼は、胸声とファルセットは il ponticello (小さな橋) によって結合されなければならなず、声区の融合は、『feigned voice の助けなしでは達成できず、ファルセットはvoce di petto (胸声) に運び込める唯一の手段或いは媒介物と考えるのが正当だろう』と主張しました。彼は付け加えて、ファルセットは口の開口部を縮めることによって完全に制御でき、そのイントネーションは口のアーチの上にある小さな小室あるいは腔の中で主に作られ(我々は今、鼻咽頭と呼ぶところ)、それを彼は、『the internal nose (内鼻)』と呼んだ(144-5)彼は男性のファルセットは、柔軟性の点では望ましいが、勇ましい言葉には向いていないと考えた。

ネイサンのコメントは理解困難ではあるが、feigned voice の記述は軽い発声、特に、胸声と頭声の間の後ろと前の通過に役に立つでしょう。Cornelius Reid は、彼の本、Bel Canto: Principles and Practices (1950) 《ベル・カント:原理と実践》(1950)[訳注:邦訳は、音楽之友社から1971年に渡部東吾の訳で、ベルカント唱法、 その原理と実践として出版されている] で、ネイサンの『feigned 』ヴォイスを、ファルセットの軽い声を胸声の『bite: かむ』ヴォイスとの結合として述べています(Reid 1950, 52,69)。より最近のvoce finta の記述は、Richard Miller (1977) によって提出されました。彼はそこで、わずかに上がった喉頭、弱い声門内転、息の混ざりの高いレベル、そして胴体の弱い支えなどによって作られた『明らかに識別可能な声質』であると述べました。『Voce finta は、イタリア楽派の男声において特殊ケースの音色としてのみゆるされている。良い点は、甘くてエーテルのように響く、悪い点はいくぶん去勢されたように響く』(Richard Miller 1977, 117-18)。

18世紀の最後の年、何人かの著者は3声区説を特に女性のために提唱しました。1792年のMélopée modern《近代の朗唱歌》で、Jean Paul Egide Martini(1741-1816) は、3つの女性声区について述べました:voix de poitrine は低い音、voix de gozier(ノド声) は中間、そして、voix de tête (頭声) は高い音のため(*15)。Bernard Mengozz (1758-1800)は、1803年に、著者の死後に出版された論文の中で、男性の歌手のために2声区説(胸声区と頭声区またはファルセット)を説明しました。彼は、コントラルトとメゾ・ソプラノもまた2声区を持つが、ソプラノは3声区、すなわち胸声区、中声区そして頭声区を持つと主張しました(Mengozzi 1803, 4-5)。彼は、声区の結合に関して次のような興味深いアドバイスをしています。歌手は、胸声区の最後の音を『甘くする』(adoucir)、そして、頭声区の最初の音を強化して『育てる(nourrir)』ように。(*16)

(*15)Martini 1792, 5, 5; Sanford 1979, 43-4.
(*16) Mengozzi 1803, 12; Garaudé 1830, 22.

1818年にGiacomo Gotifredo Ferrari (1763-1842)は、声の小論文をイタリアとイギリスで出版しました。フェッラーリは声区に関して曖昧でした。ある時点では3声区説を認めました-低音(grave)、中間(midium)、そして鋭音(acute)。しかし、彼はそれから、Tosiの2-声区理論に同調しまし;『2つの声区は、voce di pettovoce di testaで、胸声と頭声という名称で区別される、とは言え両者は肺の動力によって喉の中で生ずる… もし生徒が、胸声と頭声を結合することが難しいと感じたならば、その時弱くなった方の声を、技巧によって強化しなければならない(Ferrari 1818, 2-4)。Adolphe Müller は、1844年の2カ国語の指導書(ドイツ語とフランス語)の中で、同じように男声の2声区と女声の3声区について言及しています(Müller 1844)。歌手は声区間を、後ろと前にすべるように移動(slip)すべきであり、男声においては声区融合はより難しい、と書いています。しかし、この時点で、Manuel GarciaはTraité を出版していました、そして、声区をめぐる論争は新しい局面を迎えました。

Garcia’s theory of the Main Register ガルシアの主要声区理論

ガルシアが声区についての論争に参加したとき、事は不安定な状況にありました。古いイタリアの2声区説は、まだ広く認められており、ガルシアはトージ、マンチーニ、ハーブスト、アグリコーラの著作を熟知しており、それらの全てを彼のTraité(論文)に引用しました(Garcia 1847, 1:25; 1984, 40)。彼はまた、J. P. E. Martini の論文にも精通していました(Garcia 1847, 1: 29, 71)、と同時に彼のパリ・コンセルバトワールでの師である、MengozziとGaraudéによる教本にも精通していました(71-73)。これらの著者は全て女声のために3声区説を、男声のために2声区説を支持していました。声区のための命名法は広がり;falsetto, voce di testa, voce di mezzo pette, voix mixte, voix du gozier, そして voix sombrée ou coverte 等の用語は全て普通のvoix di petto の上の声区を示していました。彼はTraitéの序文で、これらの全てがどのようなものなのかを理解したいと述べ、そして、彼のTraitéは、声区、音色その他の発声現象の生理的な原因に対して明確に言及することで過去の習慣を新しい理論的な形に変える試みである、と述べました(Garcia 1947, pref. 1; 1984, xvii)。ガルシアのMémoire (1840) そして再度Traité (1841) に提示された、有名な声区の定義は、現在の声区の研究においてもいまだに参照ポイントとなっています:

声区という言葉は、同じメカニカル原理の発現によって作られる低音から高音へ上昇する一貫した同質の音の連なりのことを意味する。そして、その声質は本質的に別のメカニカル原理によって作られた、同様に一貫した同質の音の別の連なりとは異なる。たとえそれらを従属させる音質または力の変更がどのようなものであろうとも、同じ声区に属しているすべての音はその結果として同じ性質である。(Garcia 1847, 1:6; 1984, xli)

ガルシアの声区理論に関する混乱の多くは、『メカニカル原理』『ファルセット』という用語をガルシアはどのような意味で使ったのかを理解できなかった事が原因です。

彼のMémoireの中で、ガルシアは2つの主な声区を認めています。彼が胸声区(registre de poitrine)と呼ぶ低い声区、そして、ファルセット-頭声区(falsetto-head, registre de fausset-tête)と呼ぶ高い方の声区です。彼は、ファルセット-頭声区を、2つの部分からなる単一の声区として説明し、その2つの部分とは、ファルセットまたは中声と命名された低い部分、そして、頭声と命名された高い部分です(1847,1:6; 1984,xln,8)。言い換えれば、彼は、別の命名が一般的に正しいとされる確かな区別ではなく、頭声区をファルセット声区の上に拡張する部分と考えましたが、それぞれの命名を正当化する確かな相違点は明らかにしませんでした(1847, 1:8; 1984, liii)。

ガルシアが、1841年4月12日に、彼の Mémoire を科学アカデミーに提出したとき、声区の違いを説明するために何人かの生徒に実演させました。ガルシアは、メトロノームを時間測定のために用いて、歌手がファルセットよりも胸声でより長く音を持続させることができることを示しました(胸声が26振動で、ファルセットがわずか16から18振動)。彼は同時に、胸声とファルセットにおける音量がはっきり違うことを男声と女声で実演させました。しかしながら、ファルセットと頭声の間ではそのようなことはなく、むしろ、声の継続的な質が観察されました。このデモンストレーションは、アカデミーのメンバーにガルシア理論の正当性を確信させました(1847, rapport 3-4; 1984 xxvii-xxix)。

ガルシアのデモンストレーションは単純で効果的だったのですが、声区の理論的説明は非常に複雑でした。彼は、2つの主要声区は、声帯振動の2つの別々の方法で生成されると説明しました。胸声において、声帯は長さと深さの全部を使って振動する;ファルセット-頭声区において、声帯の内側の縁だけが振動するので振動量はより少なくなる。これは2つの主要声区を区別する『メカニカル原理』です。ガルシアの2番目のメカニカル原理は-強い声門閉鎖vs.弱い声門閉鎖(第1章での説明のように)-頭声からファルセットを区別します。

最初の理論を提示するにあたって、ガルシアは、Johann Müller のPhysiorogic du systéme nerveux の中での次の見解『2つの声区間の本質的な違いはファルセットでは声帯の縁だけが振動するのに対して、胸声では声帯全部が可動域に含まれるという事実に本質がある』を引用しています(Garcia 1847, 1:12)。ガルシアは、この違いは確かに真剣な検討を必要とすると述べながらも、ミュラーの理論が2つの声区の違いを全て説明しているとは考えませんでした。特に、何人かの歌手達による縁だけのファルセットに於ける力強さの理由を十分に説明できないと考えました。彼は、後の喉頭鏡での調査によって、声帯振動の仕方は2つの主な声区で確かに違っていることを確認しました。しかし彼は同時に同じくらい重要なこと、つまり、声帯閉鎖時における披裂軟骨の位置がこれらの声区にどのように影響を与えるかを観察することができたのです。未訓練の声におけるこれら別々のメカニカル原理の活動の最も簡潔な記述は、Hints on Singing に見られます。

呼吸のために分離した声門の両端は、声を出そうとすると息の通路を閉鎖します、そして、声が深い胸声の音であれば、それら(glottis)はわずかに緊張します。声門唇の全長と全幅(前の延長部分、すなわち、披裂軟骨の突起と声帯)*が、振動に加わります。その声区内で音程が上昇するにつれて声門唇の緊張は増大し、厚みは減少します。その間に披裂軟骨の内側表面の接触が進行し、声帯突起の端に及びます、それによって、声門唇の振動する長さが短くなります。中声或いはファルセットは同じ動きの結果ですが、声門唇は深くではなくわずかに縁だけで接触します。2つの声区において、声門は、披裂軟骨の付着が完全になるまで接触を進めることによって、その後方からその長さを短くします。これが起きるとすぐにファルセットは終わり、声帯だけからなる声門は頭声区を作ります。声帯の広い面によって空気に対抗する抵抗力が胸声区を作り、縁の部分による弱い抵抗がファルセットを作ります(Garucia 1894, 8;  1984,25も見よ)。

*訳注、この括弧内の原文は、(comprising the anterior prolongation, or process of the arytenoid cartilage and the vocal cord: 前方延長部または披裂軟骨の突起と声帯から成る) となり、「前方延長部分」と「声帯」の用語が曖昧ですが、前方2/3にあたる靱帯部と、後方1/3にあたる軟骨部の両方を含めると言うこと。

彼はまた、このファルセットにおける『より弱い抵抗』は、『しばしば弱くベールをかぶった』ような、より多くの息を消費する音になると注意しました。『胸声よりも声門唇の活発な収縮が求められないので、同じ音で胸声から中声に音が変化するとき、声帯の相対的なゆるみが感じられる』(Garcia 1894, 9)。彼の『Observation on Human Voice:人間の声の観察』で、ガルシアは『apophyses:骨端[vocal process: 声帯突起]の活動が終わった瞬間、女声において直ちに耳と器官そのものに非常に目立つ違いを示す』(Garcia, 1855, 403)と記しています。換言すれば、歌手がファルセット或いは中声区から頭声区へ移るに従って、声門は短くなり、声帯の内転はより強くなります。

上の声区において、堅い発声とゆるい発声の間にあるこの違いが、ガルシアが頭声区が本当の声区か、或いは、ただのファルセットの続きかを決めかねている原因のようです。彼は胸声に於いても同様の現象を観察しましたが、それには2つの名前を付けませんでした:

これらの動きにおける2つの声区を比べてみると、それらの間にいくつかの類似点を見つけることができるでしょう;最初にapophyses(声帯突起)と靱帯によって形づくられていた声門の両側は次第に短くなり、靱帯(部分)だけになります。胸声区は声門のこれらの2つの状態に対応して2つの部分に分けられます。ファルセット-頭声区でも、さらにより目立つやり方で、完全な類似性を示します。(1855, 127)

ガルシアは女性の中間の声を『ファルセット』と呼ぶことによって『典型的な誤解』を蔓延させたことを告発されてきました(Transcrips 1980, 1: 104)。しかしながら、Mackworth Young (1953) は、生理学者達は、1800年頃から胸と頭の声区の間にファルセットを置いていた;したがって、ガルシアは声の中間部にファルセットの用語を用いた最初の人ではない、と指摘しています。ガルシアは、その弱さと息の放出、そして、ゆるくておおわれた(veiled)音質から、この声域をファルセットと呼んだのかもしれません。彼は『ファルセットは特に女声、子供のものである。この声区は弱く(faible)、かぶされて(couvert)いる、そして低いパートにおいてはフルートの低い音に似ている』と書いています。かれは、女性のファルセットは、およそA3またはBb3からC4またはC#4以上に広がってると言いい、『[D4]から下に下がるほど衰えてゆき;[A3]より下ではそれらは鳴らなくなります。』女性歌手がE5に到達するやいなや声は『明瞭で輝かしく』なります。これは、声帯突起が充分に内転したときであると主張するポイントで、彼が頭声と呼ぶものにあたります(Garcia,  1847, 1:14, 1984, xliv)。

より困惑させることは、A3からC#4までの同じ音域が男声のファルセットに相当するというガルシアの記述です。『男声によるファルセットは同じ声質で、女性と同じラインに配置される。しかし、低いファルセットを発するのは難しく、胸声において、同じ音声に適した男性的な喉頭を回避してしまう』(1847, 1:8, 1984, xlvi-xlvii)。Louis Mandl は、弱い中声区のことを、訓練されていない声の『穴:hole』と言いました。(Mandl 1876, 42)今日でも『声の中間の穴』を持つ歌手の批判をよく耳にします。ここでガルシアの意味することを理解する鍵になるのは、彼にとってファルセットとは、弱い声門閉鎖からくる、そして、男声と女声の中間部に見られる、弱くておおわれた音質であると言うことをよく理解することです。女声のファルセット音域に上のより輝きに満ちた声は、ガルシアにfausset-téte (ファルセット-頭声) と呼ばれました、それは最高音でF6にまで及びます。男声におけるvoix de téte (頭声) は、昔のイタリアの言葉で、我々が普通ファルセットと考えるもののことです。ガルシアは言いました、『男は声変わりの結果として頭声を失いましたが、何人かは、それの長3度上を保っています』[およそC#5からF#5] (1847, 1:8; 1984, xlvii)。ガルシアの理論には一貫性があります、しかし、彼の2つに枝分かれした声区へのアプローチ(それは声門閉鎖と振動の仕方が含まれます)は、多くの読者に理解されませんでした、と同時に、声の中間部にファルセットの用語を使うことによって、広範囲に及ぶ誤解を導き出すことになりました。

ガルシアはこの誤解に敏感に反応し、それに抵抗することをやめ、声の中間部にファルセットの語をあきらめ、より分かりやすいものに変更しました。Hints on Singing で彼は書きました、『どの声も3つの明瞭な部分、或いは声区からなる、すなわち、胸声中声頭声によって形成される。胸声は低い場所を、中声は真ん中を、頭声は高い場所を保ちます。これらの名前は不適当ではあるが受け入れられています』(Garcia 1894, 7)。Paschkeは、ガルシアの心変わりは、1855年以降の喉頭鏡による観察に影響されたのかもしれないと書いています(Garcia 1984, 207)。

彼の前任者達のようにガルシアは声区を均等にしようと努めましたが、彼はどのようにしてそれを実行するのかという明確な教えを提供することでさらに前進しました。ガルシアにとって声区融合の鍵は、堅い声門閉鎖のメカニカル原理の中に見いだされます。いわゆるファルセット・ヴォイス-それはブレイク後のオクターブ上の音-は、ゆるい声門閉鎖を使うために弱く、ベールがかかった、不安定で、効率の悪いものであると彼は書いています。『非常に強い声門の締め付けは、我々が正に指摘した弱さに対する救済策になるでしょう』(1984, 26)。彼は通常弱い声門閉鎖のゆるい声を全く容赦しませんでした。『ベールにおおわれた、フワフワしたゆるい響きがどのようにして作られるかを教わることによって、我々はそれを識別し、避ける方法を学びます』(1984, 39)。ガルシアは、女性の生徒が『胸声区から離れた瞬間に、息の多いファルセット音への傾向に屈しない』ように注意しました(1847,1:28,1984, 51)。彼は声区間を均等にするために『最初に[D4, Eb4, E4, F4]の音で1つの声区から他の声区へ中断することなく、声区間の経過音()で気息音を出すことなく、かわるがわる移動することを練習しなさい。』同じアドヴァイスが男声にも当てはまります(1847, 1:28; 1984, 51)。Hints on Singing でガルシアはこのアドヴァイスを繰返しています。

問、中声区 [或いはファルセット声区] が、こもった音になったり、空気が漏れ続けるとき、何をしなければいけないのですか?
答、息もれは声門唇の不完全な閉鎖によって起こります。音の鳴りは、[E4-C5] 区間の全ての音を、シャープな声門打撃を伴うアタックによって得ることが出来ます。(1894, 15)

ここでガルシアは輝かしい音の達成、息の効率的使用、声区均等のために『声門の締め付け』を彼のcoup de la glotte と同じものと見なしました。強い声門閉鎖のメカニカル原理は、彼の理論に共通する特徴です。彼のアドヴァイスは、胸声区と同じ堅い声門のセットを使うことによってファルセットの弱さを避けることでした。ファルセット(中)声区から頭声への変換に関するガルシアのアドヴァイスは、胸声区からファルセット(中)声区への変換と同じです。彼は再びファルセットの弱さとcoup de la glotte の使用の奨励、と同じくsombre timbre(暗い音色) の使用について言及しました:

しばしばファルセットの端の音[C#5とD5]は弱いが、[Eb5, E5, F5]の頭声の初めの音は丸く澄んだ音である。この丸みと混じりけのなさはただ咽頭の形状と声門の収縮から生ずる、それゆえ、軟口蓋をアーチ形にすることによって、そして、消費されていない空気の一切の無駄を避けることによって、先行する音にそれらを与えるだろう。それ故、それは、暗い音色(sombre timbre)で咽頭が取る形によって、そして、これらの声区が均一化される声門の締め付けによって達成される。(1984, 45-6)

これによって、喉頭音源と声道の両方が、声区の融合において重要な役割を演ずる事が確認されます。

Voix mixte and Mezza voce 混合声とメッツァ・ヴォーチェ p.71

Gilbert-Louis Duprez の有名なut de poitrine (胸のハイC)より以前には、テノールは高音を軽い発声 - voce di testa (今日のファルセット)か、voix mixte(混ぜた声)と呼ばれるテクニックか、voce di mezzo petto(半胸声)かのいずれかで歌われていたようです(Pleasants 1966, 158-65)。 1830年にGarudeは書いています、『テノールの声にいつも用いられた頭の声は無限の魅力を持っていた。人は、強さと純粋性でそれを始めなければならない、そして、気づかれない程度にそれを胸声と結合しなければならない。』彼の音楽的実例は、これらの変換音はE4からF#4、すなわち、passaggio(変換調節区間)の音であることを示しています。彼は言いました、胸声を少し上に広げる、或いは胸と頭の声を結合するためにテノールはvoix mixte を使い、それによって『1つの声区が他の声区に少し加わる』。知的なテノールは『声区を変えることなく』或いは『ハードタイプの変換』(それによって声区間のあからさまなブレイクを予想できるようなタイプ)をさけて特定のフレーズを歌うために、このテクニックを上手く使うことができます。彼の音楽上の実例において、ミックス・ヴォイスはBb4まで上昇します(Garude 1830, 22)。これはロッシーニが、彼のテノールの高音に求めたテクニックかもしれません。ロッシーニがデュプレの胸のハイC  を聞いたとき、彼はそれを非常にいやがり『去勢された雄鶏が喉を切り落とされるときの叫び声のようだ』と言いました。(*17)

(*17) Quoted in Pleasants 1966, 167

何種類かあるミックス・ヴォイスは、主要声区とは異なって作られるという考えは、発声教育の歴史において繰り返されてきたテーマです。我々が見てきたように、Galliard, Agricola, Nathan そしてGaradé を含む何人かの著者達は、偽りの声:feigned voice( voce finta)、fistula-voice (Fistelstime)、 half-chest voice (voce di mezzo petto)そして、mixed voice (voix mixte) など様々な名で呼ばれた、軽い発声の使い方を述べてきました。これらの用語のどれをとっても正確な意味ははっきりしませんが、次第に累積する印象は、胸声、ファルセット、またはカヴァーされた声とは異なる発声テクニックが確かにあったと言うことです。再びマニュエル・ガルシア、彼はパッサージオの音の歌い方を、より明確な用語で述べようとしました。明るい対くらい音色をいかに、またどこで使うかの論述は、彼がテノールの高音について詳しく解説した長くていくぶん不可解な脚註を含んでいます。彼は、用語voix mixteとvoce di mezzo pettoを退けました、何故ならば、それらは、これらのクリアーで高いピッチの音が、同時に胸とファルセット声区の2つのメカニズムによって生成されると、我々に思わせるからです。この考えを彼は容認できないと思いました。『実際、いかなる音の生成も、それが胸声のメカニズムまたはファルセットのメカニズムによってつくられるかよって、全く異なった両立しない状態に器官を設定する。』その代わりにガルシアは、それぞれの高音を歌うための、声門と咽頭の別々の関係によって決定される2つの方法を述べました。

その最初のものは、音を強化してくれる咽頭の協力なしで出される音。音の強度は、普通それを形成するために同時に振動する部分音の数に、そして、これらの部分音が振動するときの振幅によって決まる;その結果として、振動する部分音の数を減らすことによって音を減少させるということは実際に知られている。』これは、歌手が『咽頭の全ての筋肉をゆるめ』そして『空気の柱をますます狭くしたら』成し遂げられるといいました。ガルシアがここで示唆していることは、できるだけ少ない筋肉の関与による、弱い声門の閉鎖、低い喉頭、そしてリラックスされた咽頭のように思えます。この喉頭音源と声道のそれぞれの形を採用することによって歌手はより少ない高周波成分の音声を生成するでしょう。この音は大きな声の歌唱とは反対の小さな声で耳を打つことになるでしょう、たとえ音圧レベルが大きく異なっていようとも。ガルシアは続けて:

声門だけが振動し、楽器の他の部分全てがリラックスしている場合、空気圧はほどよく高まり、輝きと強さの増大が得られますが、決して音量は大きくはなりません。男声にとって、理論的に全く新しいこれらの所見から引き出せる大きなメリットが考えられ、そして、非常にまれに何人かの芸術家達によって本能的に適用されてきました。それらは、バス、バリトンそしてテノールのたいていは厚く高い音を、澄んだ音にするのに役立ちます。それらは、胸声区の音域を伸ばす練習の後のメカニズムを示しています;それらは高音でのこの声区のピアノとメッツア・ヴォーチェの使用、そしてファルセット音の極端な使用を可能にします;結果的に、それらは声区の結合を容易にします。(Garcia 1847, 2:58; 1975,161-2)

ガルシアがここで論じていることは、彼が生理学的に不可能であると考えているミックス・レジスターではなく、ゆるんだ発声とリラックスした咽頭を使って胸声区を上に広げるメッツア・ヴォーチェのことだと思われます。結果的に出る音は、高周波成分において弱く目立たない『半分の声(half-voice)』であることが分かります。この解釈が正しければ、ガルシアはその時点で、男声のmezza voce の詳細な記述をしたおそらく最初の著者となります。

ガルシアは男声の高音を歌う第2の方法を説明し、その中で『咽頭筋の収縮は、声門筋の収縮に添加される。楽器はそのとき、(息の)柱を極端に固定するならばもはや振動することはできなくなるが、声門だけを活動させるだけの準備された統一体を形成する。力強い押しが、ここでは全ての質量(mass)を活動させるために欠くことのできないものとなるだろう』と言っています。ガルシアは高音に対するより多くの筋肉アプローチを記述し続けました。そして、それは、声門の筋肉と声道の筋肉の強力な収縮と同様に、声門下圧の高さを必要とし、音に強力な高周波成分を生みだします。彼は、『[Bb4,B4]と[C5]は、先行する仮説では不適当なエネルギッシュな労力を必要とする』ことを認めていました。これが『明るい音色』(高い喉頭を意味する)で実行された場合、Francesco Lamperti が言うsguaiato(ぶざまな)或いは私たちが『belting』と言うものとも一致するかもしれません。それが sombre timbre (暗い音色)と低い喉頭で実行された場合、ガルシアはそれを『especially striking (surtout frappante) きわだった打撃』と述べました。この音は当然、ut de poitrine (胸のハイC)のカヴァーされた高音のことです。いずれにせよ、ガルシアは、『この方法で器官の消耗と停滞が避けられず、不幸にもあまりにもしばしば起こるのであれば』、この種の歌唱を推奨しないことを明らかにした(1847, 2:58; 1975, 162-3)。ガルシアの最後のコメントはそのような激しい歌唱は声にダメージを与えることを心配する人々によってしばしば繰返されています。我々は、ガルシアがカヴァーされた高音全てに反対していたのか、或いは、単に力みすぎや高すぎる喉頭で生成される高音に対して反対していたのかに関して彼の本心を正確に知ることはできません。しかし、モーツアルトやロッシーニの伝統的歌唱法に対する彼の親近感によって、デュプレの発する新しい胸のハイC   よりむしろ高音に対するメッツア・ヴォーチェのアプローチを優先させたとしても不思議ではありません。

Garcia’s Auxiliary Registers ガルシアの予備の声区 p.75

声区、カヴァーされた歌唱、そして声区の混合などの理論に加えてガルシアは同様に、registre de contrebass (超低声声区)、voix inspiratore (inspiratry voice, 吸気声)そして、現今『overtone singing : 上音歌唱』として知られている歌唱タイプなどの簡単な所見を述べています。ガルシアはこれらの類いの歌唱と関係するメカニズムを理解していないことと、どのような場合でもこのような音声は芸術的な独唱において役目を果たさないことを明らかにしました。コントラバス声区、それは深いバスの最低音を含む、はロシア合唱団のバス歌手でよく聞かれます、そしてこれらの音声の粗くうなるような音質は、低い胸声とは別のものです。これらはアグリコーラが誤って低いファルセットの音声として述べたものと同じかもしれません。ガルシアは、喉頭蓋が関係しているかもしれないと推測し、低い胸声よりもコントラバスの方が喉頭が高いと主張しました。彼はこの声区において2つの弱点を見つけました。最初のものは、低い胸声音と高いコントラバス音の間にある空白です。そして2つ目は、コントラバス音の使用は、コントラバス音と弱い胸の音以外の残りの声を弱くすることです(Garcia 1847, 1:14,15 1984, xlviii)。ガルシアは彼の理解が限られているのでコメントには慎重でした。

ガルシアは同様に、空気の侵入によって声帯が振動するinspiratory voice (吸気声)についてコメントしました。彼は男女の歌手は、頭声よりもこの音のほうがより高い音程に達することができるが、このような音は、劇的な朗唱、例えば、ため息をつく、にしか使えないと書いています(1847, 1:15)。

最後にガルシアは、我々が『overtone singing (上音歌唱)』として知られてる歌唱タイプを説明しましたが、それにラベルを貼ることはありませんでした。彼はこの種の歌唱で、サントペテルスブルグの通りを歌いながら馬に乗って通り過ぎる小作農の馬番を連想しました。テクニックは、子供の頃からはぐくまれ、単調な低音の歌唱から成り立っていると同時に、その低音の上に入念に選ばれた上音を共鳴させることでメロディーをつくる共鳴腔を巧みに操作すると彼は言います。それは大きな肉体的労力を要し、頬を膨らまして他の顔の部分はゆがみます。この種の歌唱は今日でも聴かれます(*18)。

(*18) At the 26th Annual Symposium: Care of the Professional Voice (Philadelphia, 6 June 1997) Mr Tran Kuang Hai gave remarkable demonstration of overtone singing by singing the tune ‘Ode to Joy’ over a drone.

ともかくガルシアにとって珍しいだけのもので、芸術的な需要性はありません。しかしながら、それは今日では拡大された発声テクニックと呼ばれ、ガルシアの配慮と彼にとって魅力あるものであることを示しています。

The Aftermath of Garcia’s Register Theory ガルシアの声区理論の余波 p.76

ガルシアの声区理論は、彼の弟子達のモデルとなり、その後の喉頭鏡の観察をもとにしたより入念な理論の出発点となりました。Mathilde Marchesi にとって、女声における中声区の存在は議論の余地のない事実でした。彼女は女性シンガーが直面する問題であると認められる後期の3声区説に賛成し、ガルシアの初期の2声区説を退けました。『私は、女声は2声区ではなく3声区を持っていると強く主張します、そして私の弟子達にこの否定できない事実の大切さをしっかり確認させます、さらにそれは、ほんの少しのレッスンで彼女たち自身の体験が、彼女たちに教えることになるでしょう』(M. Marchesi 1970, xiv)。マルケージの声区結合のための助言にもまたガルシアの影響が見られます。

胸声区と中声区の均一化と融合のために、生徒は音の上昇時に、前の音(胸声区の)の最後の2つを少し閉じ、下降時に開けなければなりません。声区の一番高い音を出すために使い果たされた全ての労力は、次に来る声区の低い音のパワーを生み出すのを難しくして結局2つの声区融合ができなくなってしまいます… 胸声区と中声区の変換と融合で得た同じ教えは、中声区と頭声区にも当てはまります(xv)。

マルケージの、ある音を『閉じる(close)』と言う教えは、ガルシアの『pinch the glottis (声門を締める)』と言う教えに似ています。これは少なくとも、研究家John Large とTomas Murrayの1979年の論文『女声声区のためのマルケージモデルの研究』での意見です。彼らは書いています、『我々の結論は、声区融合の仲介者としての喉頭の中央圧縮(medial compression)のメカニズムは、いずれにしても胸―中声区のためのものである』(Large & Murray 1978, 11)しかしまたマルケージの、ある音を『閉じること』に関する教えは母音を暗くすることを指している可能性もあります。

Julius Stockhausen も又ガルシアの声区概念にならい、2つの声帯振動の仕方(胸声とファルセットに関係する)と同じく3声区(胸声、ファルセット或は中声、と頭声)を受け入れました:『男声は、胸とファルセットの2声区のみを用いる。ほとんど例外的にテノールは頭声を使うかもしれない。通常、女声は3声区を用いるが、唯一の例外はハイ・ソプラノで、ファルセットと頭声だけを使い胸声区は使わない。女声の主たる声区はファルセットで、男声は胸声である。』彼の声区融合の論述において、彼は声門セッティングではなく、声道についてのみ語った。彼は変換区間のいくつかの音での喉頭位置の固定を奨励して言いました、『胸声とファルセット声区の融合は、上昇中は暗い音質の使用により、下降中は明るい音質の使用によって成し遂げられる。この例において、喉頭蓋の働きは明白である』(Stockhausen 1844, 13 44 も見よ)。

声区が何であるかを確認する道具とし喉頭鏡を使うことことでガルシアの後に続いた最初の歌手ー科学者の一人が、Friedrich Wieck [訳注:クララ・シューマンの父]に音楽を学び、Helmann Helmholtzに化学を学んだEmma Seiler です。彼女の所見は最初はドイツで1861年に出版されました;英語の翻訳、The Voice in Singing (1868)は何版かを重ね、Curwen(1875)、Lunn (1878)、Mackenzie (1890)、そしてCurtis (1909)などによって引用されました。ザイラーはガルシアの著作を惜しみなく称賛し、彼を『現在生存している最も優れた歌唱の巨匠』と言いました。(Siler 1881, 40)。しかし彼女は次のように書いています、彼の研究成果は『信じてもらえず、ほとんど顧みられなかった、そして発声教師達によって多くの場合完全に拒否された』(88)。彼女は、これらの人々が『科学の表面だけを扱い、そしてそれらを当てはめるだけで、歌唱芸術のためになるどころか害にしかならない不幸な結果』について厳しく批判しました(32)。彼女もまたガルシアと同様に、喉頭鏡は声門の全部を明らかにすることは困難なので、観察には不完全な道具であることを認めました(52)。

Emma Seiler は5世区説を最初に提案した人物とされています(Monohan 1978, 285)。彼女は『発声器官の5つの動き』を、次のように述べています:

  1. 胸声区の第1シリーズ、声門全部で、大きく、ゆるく振動し、声帯靱帯[襞]と披裂軟骨が動く。
  2. 胸声区の第2シリーズ、同じく大きく、ゆるい振動で、声唇だけが動く。
  3. ファルセット声区の第1シリーズ、披裂軟骨と声帯靱帯による声門全部が動く、しかし、靱帯の非常に細かな内側の縁だけが振動する。
  4. ファルセット声区の第2シリーズ、声帯靱帯部分だけの縁の振動によって生じる。
  5. 頭声区、声帯靱帯の部分閉鎖を伴って、同じ仕方、同じ振動によって生ずる。

ザイラーの声区の説明は、大部分がガルシアの声区に対する二又のアプローチ(two-pronged approach)、つまり一方のメカニカル原理は声帯の仕方で、他方は声門セッティング、の練り直しです。胸声区は、堅い声門閉鎖と、ゆるい声門閉鎖に分けられ、それはまた、ファルセットー頭声区と同様です。この4つの喉頭の活動に関する記述はすでにガルシアによって説明されています。5番目のものは、ガルシアが述べた『deep contact (深い結合)』、声帯突起の接触ポイントを超えて膜状襞が閉鎖する、の言い換えのようにおもえます。ザイラーは、声区融合のための助言は示していません;むしろ簡単に『最も自然に、そして全てのことと同様に、最も単純な歌唱法がベストである』(Seiler 1881, 82)と言っています。彼女、『自然な限界』を越えて声区を拡張するやり方を『歌唱芸術の衰退の主な原因』であるとして非難しました(82)、そしてガルシアと同じくテノールのカヴァーされた高音に反対しました(73)

広く用いられた Teacher’s Manual of the Tonic Sol-Fa Method で、John Curwen は、信頼できるものとしてザイラーの声区理論を採用しました(Curwen 1875, 17-18, 172-4)。Lennox Brown とEmil Behnke も又ザイラーの影響を受けています。彼ら自身の喉頭鏡の調査結果をもとにザイラーの5声区に新たな名前を付け、lower thick(低いー厚い) ; upper thick(高いー厚い); lower thin(低いー薄い); upper thin(高いー薄い) ;small(小さい)(*19)としました。ザイラーと同様に、かれらは、声区が原因で起こる裂け目に関してむしろ無関心のように思えます、ただこう言っているだけです、『1つの声区からもう一つへの変化は、常に限界音の下に二つの音が作られなければならない、それによって、2つの声区の接合で、両方のメカニズムをとることが出来るいくつかの「選択できる」音ができるだろう』(Browne and Behnke 1904, 183) 。これでは、生徒の声区融合に必要な技術操作のための十分な説明とはとても言えません。

19世紀も終わりに近づいた年、ガルシアの批判者で、大きな影響力を持つMorrell Mackenzie は、彼自身の声区の明確な定義づけをしました:『声区を、声帯の特定の調節によって作られる同じ質の一連の音とする。』彼はまた、『長いリード』と彼が言う低い声区において、声帯はその長さ全部を使って振動する、そして(声帯を)引き伸ばすことによって音程を変える。上の声区、或いは、『短いリード』は声帯の部分だけを使う、そして音程は『stop-closure』或いはdamping(制振性)によって上昇させる(40-1)。マッケンジーは、このように声帯の長さだけを要因にすることで、声区を簡略し過ぎました。ザイラーとは異なり彼は喉頭鏡の使用を避け、声区変換中の声帯を直接観察しませんでした。彼はまたザイラーの5声区説を退け、『喉頭鏡の発明による直接の結果は、目に見える証拠の発見によってそれを頑固に信じ込み、観察によるあらゆる種類の誤りを受け入れてしまい、全ての問題にほとんど絶望的な混乱を及ぼすことである』(245)。声区に対するマッケンジーの記述は曖昧で助けにはなりません。彼の記述はこうです、声区の結合は『1つの音を他の音に「ぴったりはめる(dovetailing)」ことによって、そして、声が全音域を通じて「ブレイク」や、感知される音色の違いが無いように、なめらかで一様になるまで音の表面を工夫することによって達成される。正しい声区の管理には、優れた歌唱の秘密が横たわっている』(99)。かれは、この訓練は医者によってコントロールされるべきであると言ったが、どのように音を「ぴったりはめる(dovetail)」或いは「なめらかにする」ことが出来るのかについてのアドバイスは与えなかった。

伝統的なイタリアの歌唱教師の中でやはりランペルティ一族は最も抜きんでています。フランチェスコ・ランペルティは、女声の3声区モデル(胸声区とmixedと頭声区)、男性の2声区モデル(胸声とmixed)に賛成していました。彼はガルシアの『ファルセット』よりも、男女両声に『mixed』の用語の使用を好んだようで、女声の中間音の弱点を自然な欠陥だと考えました(F. Lamperti 1916, 9, 12)。彼は、声区変化が起こる音域は個人によって異なるので、声区の特定の変換点に的を絞ることに消極的でした(1884, 9, 18-19)。 彼は音色と声区の区別をいつも明らかにしませんでした。ガルシアと異なり、『異なる音色の使用について正確に規定することはできない』と言っています(18)。

フランチェスコと同様に、ジョバンニもまた、声区、音色、呼吸を別々のテクニックとしてよりもむしろ全体の一部分として扱いました。『声区は音の共鳴の異なるポイントによって決定される;呼吸の仕方はいつも同じままである』(G.Lamperti 1905, 10)。ジョバンニは女声の3声区説、いわゆる、胸、中、頭、に賛成しました。男声に関して言っています、『いつも列挙される(胸、中、頭)の声区と並んで、男声は女声とは本質的に異なる第4の声区がある、すなわち「ファルセット」と間違って呼ばれる「mixed」声である。そして、この声区の訓練が見過ごされてきたという、正にそのことが卓越したテノールが非常に少なくなった原因であり、大きな声のパワーに恵まれた芸術家が、しばしば音質のために音量を間違える主な原因なのかもしれない』(25)。これはガルシアのvoce di mezzo petto 或いは voix mixte と一致します、そしてこれはさらに強健なデュプレの胸のハイC   が、ロッシーニの初期の歌唱スタイルに同化された人々によって容易に受け入れられなかったことを示すものとなります。さらに彼は言っています、テノールは頭の共鳴を胸声と『混ぜ合わせる(mingle)』ことを、そして、中声区をvoix mixte とブレンドすることを学ばなければならないと。これらの全ては、共鳴イメージの言い方で説明されています。『中声のための共鳴ポイントは硬口蓋である;頭声は、頭の前方のてっぺんである』(25-6) 。

Francesco Lamperti の弟子の一人が英国の発声教師William Shakespear です。彼は20世紀の最初の10年間にイタリアの発声テクニックをイギリスの読者層にもたらしました。彼の有名な論文 The Art of Singing は1899年に初版され、英国と米国で何版か出版されています。Plain Words on Singing (1924)の中に『Teachings of the Old Masters』と題する1章を加え、Guilio Caccini, Bénigne de Bacilly, Pierfrancesco Tosi, Giovanni Bontempi, Daniele Fridrici, Johann Mattheson, Johann Agricola, Johann Adam Hiller,その他からの抜粋によって歌唱史における彼の明確な知識を明らかにしました(Shakespeare 1924, 71-114)。彼の初期の著作では、ガルシアの3声区説の倣い、中声区にファルセットの用語を用いました。そして『1つの声区を他の声区にまるで1つの長い均等な声を作るように「ぴったりはめる(dovetail)」ことが出来る』と言っています。彼は共鳴イメージを歯へのフォーカスと同化することによってこれを結合させました(Shakespeare 1910, 32-40)。後に『ファルセット』の用語を『中(medium)』声区ととりかえ、女声声区の頭声区における『stop-closur (閉鎖)』(damping:制振)について説明しました(Shakespeare 1924, 11-12)。彼は言いました、『何人かの教師達は5つの声区があることを見いだした。F. ランペルティは、声帯の活動における変化はそれぞれの音ごとで起こると感じていた。確かに、その音に適しているあらゆる音とあらゆる力加減のための、その音だけに適切なメカニズムがあると言うことも同様に正しいと言えるかもしれない。さらに音が正しく歌われたとき、実際にどの声区でその音を発したのかを見つけるのは時として困難である。(*20)』。拡大解釈すると、あらゆる音はそれ自体の特別な声帯の調節を必要とすると言う考えは、『声区なし』の個別的な声区概念から導かれ、世紀の変わり目の何人かの著者によって支持されました(Monohan 1978, 143-4)。19世紀後半は様々な声区理論であふれていました。その中のいくつかは伝統的なものと、細心ではあるが曖昧にほのめかされた科学的理論の混合がもとになっています-それらはまるでことわざの牧師の卵、『部分的にはよい』(全体としてはよくない)のようでした。

Register Theory & Modern Voice Science 声区理論と現代の発声科学 p.81

声区に関する全体的な問題は、声区の生理学的、音響学的、空気力学的な側面に詳細な注目を払うことで、今日の音声科学者達をひきこみ続けています。現代の検査装備と技術は、以前にもましてより細かな細部で、声区現象を測定し観察することを可能にしました。さらにこれらの利点によってさえその正当性を信じられる単一の声区理論はありません、それにもかかわらず、数多い研究の中には多くの一致する点が見られます。声区の最も広く一般に容認されている見解は、ブレークによって分離された2つの主要な声区の古くからのイタリアの理論を支持します;これらの主要な声区は声帯振動の個別の方法であると考えられます。そのうえ、声の中の特定の共鳴現象によって区別されるいわゆる第二の(または音響の)声区があります。主要声区と第二の声区は一緒に、声区の2-レベル概念を構成します。(*21)  最後に、ソプラノの超高音とバスの超低音における補助的声区があり、これらもまた歌唱においてある役割を演じます。

(*21) Oncley 1973; Hollien, Gould, and Johnson 1976

The Primary Register 第1位の声区

2つの第一位の声区は、よく引用される1960年の論文でJanwillem van den Berg によって再確認され、そこで彼は「新しくて簡潔な主声区の始まりの概念」を提案しました。これらの声区は「徹底的で互いに矛盾する喉頭の調整によって成し遂げられる」(van den Berg 1960, 19)。1840年のJohann Müllerのようにvan den Berg は摘出された人間の喉頭による実験を実施しました。彼は声帯の縦のテンションが2つの形をとり、2つの主要声区に対応することを発見しました(*22)。低音部の声では声帯の本体も振動に加わります。音程が上がるにつれて、声帯筋の活発な抵抗に対して輪状甲状筋の引く力が強くなることにより、声帯は引き延ばされ内部のテンションによって固くなります。これは「積極的縦の緊張(active longitudinal tension)」と呼ばれます。この形状を保ちながら普通に到達できる最高音はおよそEb4(311Hz)で、そのポイントで声帯は完全に収縮(contracted)されます。Eb4をこえると、全く異なる調整が声帯に求められます。このポイントで筋肉機能に突然の変化が起きます、それは声帯筋の積極的テンションが完全に開放されるからです。これはいわゆる声区分離(register break)と言われるものです。今や、輪状‐甲状筋は、十分に広げられた声帯靭帯の抵抗を受けるまで声帯を引き延ばします。その声帯靭帯は声帯の内側の縁にあります。この形態では、それらの内側の縁だけが振動します。輪状‐甲状筋の積極的な引く力に対して、声帯靭帯の消極的な抵抗は「消極的縦の緊張(passive longitudinal tension)」と呼ばれます。下降する音階を歌うとき、この形状はおよそEb3(155Hz )まで拡張することができ、このポイントで声は下の声区に入ります。これはどちらの声区でも歌える音域が、Eb3からEb4までのオクターブであることを示しています。van den Berg は披裂軟骨の位置は声門下圧の変化とともに2つの主要声区に影響を与えることができると言及しています(van den berg 1960)。

(*22) Van den Berg 1960 and 1968b. See also Luchsinger and Arnold 1965, 78-80

Van den Berg の理論は1960年以来よく知られているもう1つの論文によって補強されました。その中でHenry Rubin とCharles Hirt は2つの主要声区とそれらの間のブレークにおける声帯の動きの高速動画を報告しました。大きく変えられたスピードでフイルムを見ることで、胸声では声帯の長さと深さのすべてが振動に加わることを観察することができました。ブレイクでは、声帯は一時的な無秩序におちいり、そののちファルセットの振動状態が優位になります。声帯はおおむね同じ速度で振動し続けますがほとんど接触しません;それらの縁は完全に薄くなり、声帯本体は、振動に加わっているようには見えません。それらは、『空気流に耐えるが、せいぜい中央線にただ軽く接近するか、それらを一緒に合わせるには不十分な緊張収縮で、その時は靭帯だけが振動している』状態のままです(Rubin & Hirt 1960, 1311)。これらは、非常に多くの初期の著者たちによって観察された弱さということになります。ヴァン・デン・ベルグの摘出された喉頭による観察もルービンとハートによる高速撮影による人間の喉頭の直接的観察もガルシアが簡単な喉頭鏡で行った観察と一致します。

現代の研究者たちの一般的同意は、低い声区はしばしば高い声区よりも高周波成分が豊かな源音スペクトルを生み出すということです(*23) 同じく低い声区は、しばしば高い声区より、少ない空気流と、より大きな強さを生み出す高い声門下圧を使うことによって、より効率的であると考えられています(*24)。しかしここで再び注目しなければならないことは、堅固な声門閉鎖はどちらの声区においてもスペクトラムと効率因子を増大することです(*25)。換言すると声区と声門セットの両方が、声質と効率に影響を与えます。またもや、これらの研究成果のすべてがガルシアの理論と一致します。

(*23) Large 1968; Colton 1972, 1973b; Colton and Hollien 1973B; Levarie and Levy 1980; Sundberg 1973, 1987.
(*24) Colton 1973a; Colton and Hollien 19773a; Hollien 1974; Lieberman 1968a, 31-2
(*25) Rothen berg 1981; Sundberg 1981; Lieberman 1968a, 1-2

声区間の変換点、あるいは、passagio に関する不一致があります。何人かの著者たちは、声区の変換点は、性別でオクターブの開きがあるため、男女の声の間にオクターブ現象があると言っています(*26)。しかしより広く受け入れられている見解は、ガルシアに戻り、男性歌手も女性歌手も第1の声区変換点は、およそEb4(311Hz)です(Large 1973B, 13-15)。passaggioは、声区が重なるいくつかの音域で実行することができます。そして様々な研究は、聴衆が第1の声区変換の違いをかなりの正確さで聞き取れることを示しました(*27)。Richard Miller、彼はイタリアの数多くのスタジオを訪れた結果、男声はprimo passagiosecondo passaggio そしてそれらの間にzona di passaggio があると説明しました(R. Miller 1977, 104, 117, 123, etc.)。しかし、彼はこの理論に関する著作からの引用はなく、多くの出典はただ男性における1つのpassagio(胸とファルセットの間)と、女性における2つのpassaggio(1つは胸と中声区、1つは中声区と頭声区の間)だけしか述べていません。

Covered Singing カヴァーされた声 p.84

ガルシアがどちらの声区においても、あらゆる音の暗さに対してvoix sonbrée(暗い声) という用語を用いたことを思い出しましょう。いっぽうDidayとPétrequinは、もっと具体的にvoix sombrée ou couverte(暗いカヴァーされた声)という用語を、テノールのカヴァーされた高音のために用いました。現在では、発声科学の著書は、後者の意味で、大概『covering singing』の用語を使っていますが、カヴァーされた歌唱での、声道の役割を重点的に扱い、それに比べて声門閉鎖の役割についてはほとんど注意が払われていません(*28)。

(*28) For a review of the literature, see Fischer 1993, 180-3; Large 1972; Bunch 1977; Luchsinger and Arnold 1965, 103-7.

Aatto Sonninen は、カヴァーリングの筋肉運動を歌唱における『外枠機能(external frame function)』と述べました(Sonninen 1956, 1961,1968)。喉頭の上昇と降下は、ストラップ筋によってコントロールされます。ストラップ筋とは、上部は舌骨、下部は胸骨、後部は咽頭筋組織に付着して、首の中で喉頭をつるす筋肉です。引き下げ筋は、声門の上のスペースを大きくするだけではなく、声帯の長さと緊張を変える際に、輪状‐甲状筋に作用します。ストラップ筋が喉頭を上げるとき、『気管引き』と呼ばれる受動的な力が、輪状軟骨アーチ(前側)を上へ傾けようとします。このように、輪状軟骨の筋肉の活動範囲を制限して、胸声声域の上への拡張を抑制します。しかしながら、ゾンニーネンによれば、喉頭が、胸骨甲状筋の収縮によって、安静時の位置かそれ以下に下げられた場合、甲状軟骨は後ろと上に傾けられます、したがって、輪状‐甲状筋はその全範囲を通じて自由に収縮できます。これは声帯の長さを短くし、それによって声区の変換を遅らせ、胸声区がその通常の限界を超えて機能することを可能にします。今や声帯の内部の緊張の増加によってピッチを上げることができます。そして、声帯は胸声声域の最大限の長さと緊張を回避する一方で、それは実際に振動する質量を減少します(*29)。Shippは、低い喉頭の位置は、縦に高い喉頭の位置より、声帯により余裕を持たせることができ、高い上音により強いエネルギーをもたらすことに同意しています(Shipp 1987, 219)。

(*29) Sonninen 1968, 80-6; Luchsinger and Arnold 1965, 76-7; Shipp 1975, 1977; Honda and Bear 1982, 66.

男声のカヴァーリング運動は、passaggio 上の音で用いられます。カヴァーリングが始まる正確な場所はそれぞれの声種によって異なります。テノールは通常F#4(370Hz)あたりで;バリトンはEb4(311Hz)で、そしてバスはさらに低いところから始めます。しかしその場所、歌手によって幾分ずれがあり、さらに個々の声においても、強さ、母音の違い、歌う時刻、新陳代謝、そして音楽的状況によって変化します。オペラのテノールはカヴァーされた声をC5(523Hz)、胸のdoまでもっていきますが、バリトンは大体A4(440Hz)までもっていきます。カヴァーの運動は喉頭の降下と咽頭の拡張を伴います、そしてそれは母音を暗くします(よって、voix sombréeによるvoix couverteを連想させます)。男声の胸声区の高い音域のおいてpassaggioに達するまでF1(第1フォルマント)は、通常H2(第2倍音)に合わされます。そのポイントで、歌手はF1をH2以下に低下させます、そこで、シンガーズ・フォルマント、すなわち、F3、F4、時にはF5の密集への、あるいは、F2のH3またはH4への同調のいずれかの優位な響きへの変更が生じます(Miller and Schutte 1990,1994)。

カヴァーされた歌唱は, Diday と Pétrequin が最初にそれを、voix sombrée ou coverte (暗くカヴァーされた声)と呼んで以来、諸流派によって、さまざまな言い方が存在します。イタリア流派は今日、voce piena in testa (full head voice:頭声フル・ヴォイス)と広く呼ばれていますが、ドイツでは、Vollton der Kopfstimme(full tone of the head voice)(Luchsinger& Arnold 1965,95)と呼んでいます。Richard Millerは『legitimate head voice(正当な頭声)』と呼びました(Richard Miller 1977、113;1986a, 118)。またそれは、『male operatic head register(男声のオペラティックな頭声区)』とも呼ばれています。(Large, Iwata, and van Leden 1927)。これらの呼び方の激増にもかかわらず、coveringという用語が最も多くの歌手たちに流通しています。

Belting ベルティング

ここでわき道にそれて、『Belting』として知られているテクニックについて説明しましょう。それは、クラッシックの歌唱様式の一種とは考えられていないにもかかわらず、カヴァーの運動と密接な関係を持っています。ベルティングはポピュラー・ソングの唱法として広く用いられており、特にブロードウエイ・ミュージカルでは、クラッシックの訓練をした歌手が主要な役を占めるようになりますます多く用いられるようになりました。(*30) ベルティングは男女両方の歌手において、胸声が、普通声区が変わるE4(330Hz )あたりを超えたときに実行されます。このポイントで、歌手は喉頭を上げたままにして、それによってF1を上げてH2に同調させます。母音はカヴァーされた声のように暗くなりません。ベルティングは、強い閉鎖度と声門下圧の増加が求められます。これらのすべては、大きな労力がかかり、ヴィブラートのない音になるか、『ヴィブラート・クレッシェンド』とよく言われる、音の持続の終わりだけにヴィブラートがかかる筋肉の硬直が要求されます。Schutte とD.G. Millerは、次のようにベルティングを定義しました:『ベルティングとは、第1フォルマントを開いた(高いF1)母音上で、第2倍音に同調させるために、喉頭の上昇を必要とし、ある音域で、一貫した胸声区(>50%の声門閉鎖の位相)の使用を特徴とする、大きな声のための唱法である』(Schutte & Miller 1993, 142)。男声において、ベルティングは何よりもまず、高い喉頭の位置によってカヴァリングと区別されます。歌手が高い音をベルトし、そのあとで喉頭を下げて咽頭を拡大すれば、カヴァーされた声になるでしょう。カヴァリングとベルティングのどちらにおいても、胸声区はその普通の限界を超えて上方に拡張されます。女性において、胸声が通常中声区と呼ばれる音程に引き上げられればベルティングになります。多くのベルターは、オペラティックなテクニックに達するために、どのように閉じるかを知ると驚くでしょう。カヴァーされた歌唱と同様に、ベルティングはしばしば危険であると考えられてきましたし、それをうまく実行できない歌手にとってそれはおそらく危険なものとなるでしょう。しかし、カヴァーされた歌唱を用いた歌手同様、発声的な障害なしで長いキャリアを享受した有名なベルティング歌手たちが存在します。正確に、何が危険で、何がそうでないかを判断するための多くの調査が必要です。『良い』ベルティングと『悪い』ベルティングの間には、おそらくいくつかの重要な違いがあります。また、個々の歌手の喉の強さに違いがあるかもしれません。強力な歌唱テクニックに対する見境のない非難をする前に、これらの要素が確認され評価されることは有益なことです。

(*30) Sullivan 1989; Miles and Hollien 1990; Schutte and D.G. Miller 1993; D.G. Miller and Schutte 1994.

 

Mixed Register 混合声区

我々が見てきたように、混合された(mixed)声区、あるいは、調合された(blended)声区は、いずれにせよ、Mengozziの1803年の論文以来良く知られています。1世紀後、Brown とBehnke は次のように書いています:

『voce mista』とは『lower thin(低く薄い)』の振動メカニズムと『lower thick (低く厚い)』喉頭位置とを組み合わせるという意味において、混ぜられた声である;振動は声帯靭帯の薄い内側の縁に限られていると同時に、喉頭自体が、『lower thin』の時の位置より低い位置になるの、その結果、音を作ろうとするいかなる余分な努力をすることなく、著しく音量を増やすことができる。(Browne and Behnke 1904, 184)

より最近の調査でもまた、声区は調合(blend)されると主張されています。Rubin とHirtは、高速度撮影による研究の後、技巧的な歌手たちは、声区間の変換点を調合できると述べました。「動きは非常にうまくコントロールされているので、実際の『ブレイク』がなく、声区の本当の調合がなされた」(Rubin and Hirt 1960, 1320)。Janwillen van den Bergは、声区は能動的、受動的縦の(長さの)テンションが徐々に変化することによって調合されると理論化しました。『胸声とファルセットのこの混合はmid-voice(中間声)と言えるかもしれない。』(*31) 彼は『mid-voiceは実際に「独立」した声区ではなく、胸声区とファルセット声区の「mixture(混合物)」である』(van den Berg 1960, 26-7)と言いました。何人かの発声教師たちもまた、2つの振動方法は主要声区が調合できることと関係があると主張しています(*32)。しかし、声区は『喉頭の互いに相容れない調整』に起因するというバン・デン・ベルグ自身の主張と、『mid-voice』がそれらの同じ相容れない調整の調合(blending)であるという彼の平行した理論を一致させることは難しい。D.G. Miller は次のように言っています:

『胸』と『ファルセット』の声帯振動の仕方が、同時に起動するということは実験的には可能であるが、歌唱においては適用できない。さらに一方から他方へ気づかれぬように移行する能力は、教育的目標というよりは例外的な才能である。技巧的なレジスター・ブレンドはよく訓練された声の重要な特徴であり続けるが『胸声』と『ファルセット』の何割ずつかの調合というよりもっと別の方法でもたらされる。(D.G. Miller 1994, 27)

(*31) Van den Berg 1962, 95-6; see also vanden Berg 1960, 23.
(*32) See Kelsey 1950, 58-9; Vennard 1967, 65-6; R Miller 1977, 106-7; 1986, 118, 134-42; Proctor 1980, 111.

この『別の方法』は、声区変換中の強い声門閉鎖によって演じられる役割を含んでいるかもしれません。研究者達は、弱い内転は直ちに声帯分離につながり、ガルシアが言ったファルセットの始まり(the beginning of the falsetto)と一致します。(*33) RubinとHirt の観察では、よく訓練された声、特に女声において、このポイントで強い声門閉鎖は、高い声区での声帯の動きを、低い声区でなされるように、よりしっかり合わせます。(Rubin & Hirt 1960, 1312-13) van den Bergの著書にたいする批評でJohn Large は、声区融合のための真の基礎は披裂軟骨の堅固な閉鎖であると示唆しました:

もし、均一化のメカニズムが中央圧縮(medial compression)のメカニズムと関係するのであれば、2つの声区のより高い部分音の類似したエネルギーの出現は、歌手が2つの声区における類似した声門の波動をどうにか作れるようになるという仮定に基づいて説明することができる。言い換えると、胸声のように聞こえさせるために若干の胸の音と中声区を『混ぜる』-したがって、ブレンドされるか、均一化される-教育学的考えは、このように胸声区調整の声門波動の特徴である爆発性を維持して、歌手が声門の『割れ目』が中声区に現れるのを防ぐことを意味するかもしれない。(Large 1974, 27)

特に低い中声区の弱い音で、披裂軟骨を互いにしっかり締め付けを維持することは、声区の変換ポイントで、声門を締め付けることを奨励するときのガルシアが心に抱いていたものとまったく一致します。

(*33) Van den Berg 1960; Large, Iwata, and von Leben 1970, 393.

Acoustic Registers 音響的声区 p.88

『第2位の』声区に関する議論は、優位な共鳴を移すことに関連する声における特定の断絶を考慮するかなり最近の考えである。これらはときには、『resonance registers (共鳴声区)』(反対語として『laryngeal registers (喉頭声区)』)と言われますが、それらが喉頭声区と同種のものではない限り『声区』の語の使用は、言い過ぎかもしれません。Paul B. Oncley は、これらの違いを最初に指摘した人の一人です。2つの主要声区を説明した後で、彼は『本来純粋に音響的な「lifts,引き上げ」とよく言われる声質の一連の変化』について説明し始めました。(Oncley 1973, 35)これらのリフトは、フォルマントチューニングにおいて、基本振動数が上がるときに、フォルマントを低い倍音へ移動させ、それによって、声道の1つの優位な共鳴からもう一つへの素早く変化すると言われています。(*34)

(*34) See Sundberg 1977a, 1977b, 1980, 1985a, 1987; Benade 1976; D.G. Miller and Schutte 1990, 1994

教育的視点から、女声にとって最も重要なリフトは、いわゆる中声区と頭声区の接合点で生じます(およそD5, 597Hz)。中声区でソプラノはF1とF2を接近させ、それらをH2に同調(tuning)することで、大きく暗い音を作るでしょう。もし彼女がこの主たる共鳴を、D5近辺の普通の境界を超えて運び上げようとすれば、音質が『重い』と言われるだろうし、突然の、歓迎されないF1-H1チューニングへの変化の危険があります。歌手たちはこれを『lift:引き上げ』、『flip:ひっくり返る』或いはさらに『break: 分離する』と考えるでしょう。技巧的な歌手は、D5までの音程で、このようなF1-H1のフォルマント・シフトを準備するでしょう。これは音を『軽くすること』或いは『頭声』で歌うことと考えられています。このD5での優勢な共鳴変化は、女性の3声区説と一致します。

女性の高音と同様に男性のファルセットで起こる同じくらい重要な現象は、F1-H1フォルマント・チューニングの間の音響的バックプレッシャー(acoustic backpressure)によってもたらされる声門抵抗の増加で、それによって声帯振動を強化する。1986年の研究で、H.K. Schutte とD.G. Millerは、女声のおよそF5-G5(700-800Hz)から始まる『頭』声区において第2の声門抵抗が始まる(本来の喉頭筋の調節に加えて)、それは、それぞれの振動サイクルの間に瞬間的な音響的バックプレッシャーの1種によってもたらされます。この声門上圧波(supraglottal pressure wave)声門サイクルと咽頭の波動との関係から出てきます、そしてF1がH1に変化したときに起こります。(*35) このバックプレッシャーは声門への空気流を減少させ(そしてさらに瞬間的に逆流させます)。この現象は男性ファルセットにもあらわれ、それが1回のブレスで長いフレーズを歌うカウンター・テノールの能力のもとになるのです。主観的に、それは歌手が空気流を少なくするために、意識的に声門を締め付けなくても済む、楽さ、あるいは『letting go:させておく』ようなものとして経験されるでしょう。

(*35) D.G. Miller 1994、31;Schutte and Miller 1986、390-1.

これで、女声の頭声区を中声区から分けるために集められたいくつかの現象があると問題なく結論することができるかもしれません。ガルシア、その他による説明のように、披裂軟骨は頭声を出すために互いに堅くくっつき、それに伴い声門を短くすること。加えて頭声区において、F1-H1フォルマントチューニングへの変更があり、最後に、声門抵抗は、空気流を減少させる音響的バックプレッシャーによって強化されます。ガルシアがこれらの現象を知っていたならば、それらが他の声区とは違った『テクニカル原理』となり、それらが3声区説を補強することに同意するでしょう。

Auxiliary Register 補助的声区

すでに説明した声区に加えて、考えなければならない更なる2つの声区が残っています―男性の最も低い声と女性の最も高い声です。時にバス歌手によって用いられる低い補助声区は、ストロー・バスとしてすでに述べました。そのパリパリする音質ゆえに『vocal fry』『pulse register』などとも呼ばれ、(*36)すでに見たようにガルシアは、contre-bass 声区と呼びました。ロシアの合唱団でよく聞かれます。Mackenzieは、この声を動物のうなりと比較して『原則として声を損なくものとして、出してはならない』と言いました。(Mackenzie 1890,101)ストロー・バスの音は、横披裂間筋の内転の緊張と、活動的ではない側披裂間筋の結合によって作られます。これは、披裂軟骨後部の端を互いにくっつけるが声帯突起はくっつけません。空気流と声門下圧は低く、声帯は幅広く振動し、閉鎖度は小さく(a small closed quotient)、部分音は少ない。(van den Berg 1960, 25) 元の音のオクターブ下の音が鳴る低調波(subharmonics)も出ることがあります。(Svec, Shutte and Miller 1996)

(*36) Van den Berg 1960, 25; Hollien 1968, 1971, 1974; Hollien, Girard, and Coleman 1977, Hollien and Keisyer 1978.

ハイ・ソプラノの声もまた補助声区を持ち『flageolet』、『whistle』、『bird-tone』あるいは『flute』等さまざまな名前で知られています。最近まで、この声区に於ける音源は振動する声帯では決してなく、『短い三角形:short triangle』と呼ばれる披裂軟骨後部の隙間で作られる空気の渦巻きによる『後部発声』によって生まれると間違って説明されてきました。(*37) しかし、D.G. Miller とH.K. Schutte(1993)による最近の実験結果では、この声区は、共鳴によって特徴づけられるものであり、音源の変化によるものではないことを明らかにしました。

(*37) Rubin and Hirt 1960, 1317; van den Berg 1968a, 21; Catford 1977, 103.

フラジョレット声区は典型的にB4とEb5の間で始まります。この下の音ではフォルマントはまだ第1倍音(F1-H1)に同調されていません。フラジョレット声区において、第1倍音は第1フォルマントに移行し、FiとF2の接近に行って形作られた共鳴に移動します。生理学的に、フラジョレットは『最小限に縮小された声帯振動が特徴であり、明らかに完全閉鎖の状態ではない』。そしておそらく、F1がF0以下に落ちるとき、声帯で縮小された推進力によって影響を受ける。(Miller and Shutte 1993, 210)歌手はF1に上げる努力の減少を、声帯筋の離脱の感覚として経験しているかもしれません。そのような音においては、たとえF1とF0が協力しなくてもまだ強い強度でいることができますが、母音の識別は失われます。教育的観点から、ソプラノはフラジョレット声区にたいする細かな調整をするために、フォルマントや声帯振動について詳しく知っている必要はありません。共鳴イメージがこれらの調整をするために重要な役割をするかもしれません。

Conclusion 結び p.90

声区に関するこの短い再考は、いくつかの重要なことに向けられています。人間の声は、最低音から最高音まで音質の均一性の観点からは完全な楽器とは言えません。むしろソロ歌唱の歴史は、声における自然な不連続性を認識することと深く関わってきました。そしてそのために、その強さ、色、可動性と母音の了解度に分割されるようになりました。歌手たちは長い間、すべての音域において、少なくとも均一化のイメージだけでも得ようと、声を統一するうまい方法を模索してきました。

ガルシアは声区を異なる『メカニカル原理』と考えた点で正しかったのです。我々は今や、いくつかの異なるメカニカル原理があることを知っています。声帯の振動の仕方は、胸声、ファルセット、ストローバス、そしてフラジョレットで異なります。そのうえ異なる声門セットは2つの主要声区の強さと輝きに作用し、声区の『均一化』において重要な役割を演じます。声道の調整は主要な共鳴の変更、あるいは、声を『リフトする』、それと共に男声の『カヴァーされた』声道に導くことができます。ガルシアの声区の定義はこのテーマの十分な理解の良きスタート地点になりました。近代の発声科学は声区に関する特別な報告を今日までもたらしてきました、しかし、そのことがより進んだ研究を必要とするのです。

山本隆則:訳 2009,04,04