Respiratory Function in Singing
歌唱における呼吸機能

chapter 7
prelude
前奏曲

INTRODUCTION
序文

本書の最初の6章は、呼吸の基礎を考えるものである。本章では、歌唱そのものの考察を開始する。第8章の演奏に関する考察の前奏曲として、4つのテーマについて考察している。

SINGING DEFINED
歌唱の定義

歌唱とは、声の生成装置によって音楽的な発声を生み出すプロセスである。製品としての歌は、音響的な現象である。そのため、聴覚・知覚領域では連続した音として現れ、しばしばメロディー、リズム、ハーモニーによって特徴づけられる。言葉が含まれるとき、歌唱は言語の聴覚表現である付加的性質を持つようになる。そして、音楽的な話し方が誇張された形で現れ、メッセージが詩で語られるのである。歌われた内容が何であれ、それは、連続性と統一の感覚を生じさせる時間的つながりに音を組み込むことが必要とされる。歌には多くのタイプとスタイルがある。歌は個人的なものであり、また時間を拘束するものでもある。歌はおそらく人類の始めから存在したであろう。人生を祝う大切なものであり、しばしば物語として語られ、文化的かつ個々の人間の感情を反映するものである。

ROLE OF RESPIRATORY FUNCTION IN SINGING
歌唱における呼吸機能の役割

歌唱における呼吸機能の役割は、音を生み出すために必要な原動力( driving forces)を提供することである。このプロセスは、体系の変位、圧力の作成と呼吸器内の流れの生成を必要とする。これらの活動は ― 喉頭と上気道の活動と共に ― 生成物としての歌唱となる空気の攪乱を引き起こす。

p.69

呼吸器は、歌唱の原動力として、声の強弱(ラウドネス)、声の周波数(ピッチ)、言語的ストレス(強調)、歌唱の異なる単位(音節、単語、フレーズ)への分割(区分)などの変数のコントロールに寄与している。このように、歌唱の目的に合わせて呼吸機能を調整することができる。また、酸素と二酸化炭素を十分に交換するための換気という生命維持のための機能も同時に担っている。


<見る人の耳>

優れたプロのシンガーとは?この質問に対する答えで合意を得ようとするのは、政治や宗教について合意を得ようとするのと同じようなものです。誰にでも意見はあります。美的感覚、情緒的感覚、技術的感覚、金銭的感覚など、人によってさまざまな基準で「優れたもの」を定義します。もしかしたら、こんな話を持ち出すべきじゃなかったかもしれません。誰もが満足するような答えはありませんし、私も完全に満足するような答えを聞いたことがありません。しかし、もしかしたら、検討に値する一つの基準があるかもしれません。優れたプロの歌手は、チケットを買うという行動を誘発することにも優れていることに気づきました。その理由は、見る人の耳と見る人の財布が、ほんの数メートルしか離れておらず、しっかりとつながっているからではないでしょうか。


IMPORTANCE OF OPTIMAL RESPIRATORY FUNCTION IN SINGING
歌唱における最適呼吸機能の重要性

歌唱における呼吸機能の最適化には、多くの利点がある。まず始めに、演奏技術の向上を加速させ、向上させることができる。これにより、より早く演奏の成熟度を高め、演奏技術の最大化を図ることができる。さらに、呼吸機能を最適化することで、演奏中に呼吸器にかかる身体的負担を最小限に抑えることができる。これにより、演奏の労力や疲労を最小限に抑え、最大限の演奏持久力と快適性を実現することができるのだ。また、歌唱における呼吸機能の最適化は、声のダイナミックレンジを広げるという重要な効果ももたらす。これは、演奏の強さと多様性の向上として了解されている。いくつかの観点から、歌唱における最適な呼吸機能は、無駄な動きがほとんどないため、パフォーマンスにおける経済性を最大限に高めることができる。

p.70

ここで挙げたメリットは、機能の最適化や歌唱装置の誤用・濫用の防止を通じて、歌唱者の演奏寿命を延ばす可能性を持っている。歌唱における呼吸機能を最適化することは、歌手の演奏活動を中断したり、その継続を脅かすような特定の怪我や病気の予防につながる。歌唱における呼吸機能の最適化は、歌手にとって極めて重要なことであるが歌の先生方には十分に説明することができない。歌手は、歌唱のための呼吸機能が最適化されない限り豊かな可能性に達することも、維持することもできない。これは、全く言うまでもないことである。歌唱のための呼吸機能が最適化されていない限り、歌手の潜在能力を十分に発揮・維持することは難しい。これは、全く言うまでもないことである。


<現れたり消えたり>

歌の障害には、心理的なものと神経的なものとがあり、現れたり消えたりします。神経基盤を持つものの例として、歌唱力に影響を与える発作性運動失調症があります。ある時は、歌手の機能が完全に正常であることもあります。また、ある時は、同じ歌手の行動に、明らかな呼吸器系失調の兆候が見られることがあります。歌い手は、通常の行動から差し迫った変化の予感を報告して、その変化がいつ起こるかを予測することができるかもしれません。このような行動は、すぐに神経科医に連絡する必要があるでしょう。このような徴候や症状は、時に多発性硬化症の診断の際に見られるものです。多くの神経疾患と同様に、歌唱の徴候や症状は、後に手足や身体の他の部位に現れる問題の前兆であることが多いようです。もし、それが現れたり消えたりしたら、特に注意してください。それは、残念ながら、通常の変化をはるかに超えたものである可能性があります。



SINGERS’ BELIEFS ABOUT THEIR RESPIRATORY ADJUSTMENTS

呼吸調整に関する歌手の思い込み

歌唱に於ける呼吸機能について正確な考え方を持つ歌手は、パフォーマンスを向上させるのに有利な立場にあるとみなすのは理にかなっているように思える。そのような歌手達はさらに、演奏中に最適であるとされる方法で、呼吸器を使うことがよりうまいはずである。驚くべきことに、歌手が歌うときに呼吸器をどのように使っていると思っているか、そして実際にどのように使っているかは、時に全く異なることがある。

p. 71

このことは、まず歌手に、歌うときに呼吸器をどのように使っていると思うかについて説明させ、次に演奏中の呼吸機能を器械で測定するという研究で証明されている。参加者が、主要なコンクールで優勝したことのある高度に訓練されたクラシック歌手であっても(Watson & Hixon, 1985)、プロとして成功した経験のないカントリー歌手(Hoit、Jenks、WatsonとCleveland、1996)であっても、同じ不一致が発生する。高度に訓練された古典的な俳優を対象とした研究でも、報告された呼吸行動の記述と演技中の実際の呼吸行動とを比較したところ、同様の不一致が見いだされた (HixonとMaher、1987)。明らかに、歌や演技の際の呼吸機能に関しては、パフォーマンスとパフォーマンスに関する知識は必ずしも一致しない。なぜだろうか?

Watson と Hixson (1985) は、高度な訓練を受けたクラシック歌手の研究でこの問題に取り組んでおり、彼らが行った観察は、ほとんどすべてのタイプの声楽パフォーマンスに通用するように思われる。具体的には、次のように述べた:

多くの歌唱指導者や歌手は、発声器官の仕組みや微妙な調整が歌唱パフォーマンスに与える影響を知ること、「発声器官との付き合い方」の重要性によく言及する。こうした観点から、歌唱指導者や歌い手が考える「正しい」「最善の」「好ましい」呼吸法や、その呼吸法に関連する様々な「イメージ」が、しばしば注目される。多くの訓練を受け、多くの演奏経験を積んだ歌手ほど、自分の歌唱パフォーマンスに関わるメカニズムについて正しい信念を持つ可能性が高いと思うかもしれない。さらに、高度な訓練を受けた歌手は、特に、歌うときに呼吸器官で何をしているかを把握していると思うかもしれない。しかし、今回の調査では、このどちらの予想も裏付けられなかった。それどころか、高度に訓練され、場合によってはコンクールでの成功によって認められた歌手でも、一般に自分の歌唱パフォーマンスに関連するメカニズムについて正確な知識を持っていないことを実証しているのである。(p. 119)

p.72

 

WatsonとHixon(1985)は、歌手の呼吸調整に関する思い込みが、通常、歌唱に関連する呼吸現象とほとんど一致しない理由について、考えられる原因を整理しようと試みた。そのために、歌い手から提供された説明を構造的、機能的に分類し、より詳細に検討した。以下の抜粋にあるように、歌手は概して、呼吸器系の解剖学的知識はそれなりに持っているが、機能については持っていないという結論が出された。

このような矛盾は、被験者が呼吸器のいくつかのパーツの機能を十分に理解していないことに起因するものと思われる。例えば、ある被験者は横隔膜を使って空気を持ち上げたり、肺から押し出したりしていたが、横隔膜は吸気力のみを発揮する筋肉であるため、もちろんそんなことはありえない。また、呼吸生理学と力学に関連する物理的原理(因果関係も含む)に関して、現在の被験者が誤解していることも原因のひとつと考えられる。例えば、ある被験者は、空気が肺に入るのは横隔膜の下降によるものなのに、空気が肺に入ることによって横隔膜が沈むと書いている。また、ある被験者は、自分の呼吸器を下から上へと満たされる巨大な桶のようだと言ったが、肺への流れは当然ながらそのような分布にはなっていない。さらに、呼吸器官のシステムとしての機能に関して、被験者が抱いていた誤解が、思い込みと実際の出来事との間の不一致を引き起こしている。例えば、「空気を吸い込まない」「呼吸は空気を『肺に落とす』ことで行う」といった被験者の発言は、呼吸器が空気を肺へ吸い込む負圧ポンプであることを認識していないことを示している。例えば、「空気が体から押し出されるのではなく、解放される」「ため息のように口から息が溢れ出る」といった被験者の記述は、歌唱時の呼吸行為の呼気相が、文字通り呼吸器から空気を追い出す一定の筋肉コントロール下にあることを、その著者が理解していないことを示唆している。このように、今回の歌手のメカニズムに関する思い込みと実際のメカニズムが一致しなかった理由は複数あり、その多くは呼吸動作のある生体力学的側面に対する誤解に関連していることがわかる。歌の伝承には、身体の生体力学と芸術的パフォーマンスの間の変換に関する誤解が多く、この結果も驚くには値しない。(pp. 119-120)

p. 73

 

このことから導かれる論理的な結論は、歌手が、演奏のために呼吸器がどのように機能するかについての教育を受ける必要があるということである、このような結論は避けられないようである。

しかし、この結論は、歌手を非難しているように受け取られてはならない。高度に訓練された古典派の俳優も、パフォーマンス中の呼吸機能の説明と、実際に器械で調べたときの呼吸機能の間に矛盾があることを思い出して欲しい。また、経験上、日常的に話す人は、音声を発するために呼吸器をどのように使っているかという理解が不足していることもわかっている。これは、日常的に話をしている人が高度な呼吸生理学者であっても同じことである。

しようと思っていることと実際にすることの間の不一致は、呼吸行動だけとは限らない。そのような矛盾は、多種多様な運動パフォーマンス活動にもあてはまると思われる。テニス・プレーからの例は、この主張を証明するのに役立つ。プロプレーヤーのコーチでもあるヴィック・ネイデン氏は、グラッドウェル(2005)の言葉を引用して、「トッププレーヤーに対して行ったすべての研究の中で、何をしているかを正確に知っていることと、説明することに一貫性があるプレーヤーを一人も見出すことはなかった..」と述べている。(p. 67)テニス界の名選手アンドレ・アガシのフォアハンドストロークの分析から、バーデンは、ほとんどのテニスプレーヤーがボールとのインパクトの時点で重要な動きだと考えている、ラケットの上のリストロールについて論じている。ところが、バーデンの分析によると、アガシが手首をラケットの上に回転させるのは、ボールを打ってからかなり時間が経過してからなのだ。バーデンは、「どうしてこれほど多くの人が騙されるのでしょうか。人々はコーチのところに行き、何百ドルも払ってボールの上で手首を回す方法を教えてもらっているのに、起きているのは腕の怪我の数が爆発的に増えていることだけなんです」(p. 68)。

このように、歌でもテニスでも、熟練した運動パフォーマンスでも、パフォーマンスに関する正確な情報は、人が思う以上に不確かなものなのかもしれない。歌い手にとって、言われたこと、やっているつもりになっていること、実際にそうしていることは、まったく違うことかもしれない。

p.74

 

歌手は、歌唱時の呼吸機能について正確な知識がなくても、成功したキャリアを築くことができるのだ。では、同じような成功を目指す他の歌手は、なぜ本書で語られている原則に関心を持たなければならないのだろうか?その答えは、正確な知識があれば、歌唱における最適な呼吸機能の獲得が促進される可能性があるからだ。そのような知識がなくてもうまく歌える歌手は多いが、歌唱における呼吸機能について正確な知識を持ち、その知識の枠内でトレーニングを行えば、さらに良い歌唱ができる可能性があるのである。この章の前の節に記載された利点の2,3のものでさえすべての歌手にいかに歓迎されるかを考えてみなさい。歌で生計を立てている人の中で、演奏寿命が延び、怪我や病気による演奏寿命の中断が少なくなり、できるだけ少ない労力で、できるだけ疲れないように、力強く、多様な演奏ができることを望まない人がいるだろうか?

REVIEW
復習

歌唱とは、声の生成装置によって音楽的発声を生み出すプロセスである。

歌唱における呼吸機能の役割は、音を生み出すために必要な原動力を提供すること、生命を維持するために酸素と二酸化炭素の十分な交換を可能にすることである。

歌唱における最適な呼吸機能は、演奏スキルの開発を加速し、強化し、演奏における労力や 疲労を最小限に抑え、声のダイナミックレンジを広げ、演奏の経済性を最大化することができる。

歌唱における最適呼吸機能は、歌唱装置の誤用と濫用の防止と特定の損傷と、演奏寿命を中断したり継続をおびやかすかもしれない病気の予防することによって演奏寿命を延ばす可能性を秘めている。

歌い手が思っている歌唱時の呼吸器の使い方と、実際の歌唱時の呼吸器の使い方は、大きく異なることが多々ある。

高度な訓練を受けた歌手であっても、歌唱パフォーマンスに関連する呼吸機能について正確な知識を持っていないことが多い。

多くの歌い手は、呼吸機能の正確な知識がなくてもうまく歌えるが、そのような知識があれば、さらによい歌い手になれたかもしれない。

2022/08/19 訳:山本隆則