今の日本の歌唱教育の現場で、腹式呼吸の欠陥を指摘し、胸式呼吸を擁護することは少なからず労力のいることです。なぜならば日本人は一般の人に至るまで、胸式呼吸は悪い呼吸の代名詞のような扱いを受けているからです。
「ハラから声を出す」、「彼の声には肚がある」、「丹田に力を入れて」等々、日本人は、「腹」が好きです。これらは、邦楽の発声にはふさわしいかもしれませんが、西洋発声においては大いに問題があります。これらの発想は、深さ信仰であり、多分に感情的で、科学的根拠に欠けています。

呼吸法とは息を出し入れする方法であるとするならば、声を出すための呼吸法は存在しません。声を出している瞬間は息を止めているのですからです。 例えば、ヨガのための呼吸法、美容や健康に良い呼吸法、いろいろな呼吸法が世の中に蔓延していますが、それらの呼吸法を実践するときに、声を出しながらやることはありません。 歌唱中に、ある声を延ばしているとき、歌手の身体的感覚は、息を流すよりは、息を止める感覚のほうを強く感じています。もちろん、本当に息を止めてしまったら声は出ません。

呼吸法の話をするときに最初に確認しなければならないことは、声を作るために呼吸はどんな役割を演じるのか?
スンドベリは、発声器官を、呼吸器官、声帯、声道の3つの異なるシステムとし、それらを工学的な表現で圧縮機(compressor)、発振器/音源(oscillator)、共鳴器/フィルタ(resonator)と呼びました。
つまり、呼吸器官とは圧縮機の役目を果たします。このスンドベリの著書から37年前に英国のF.Keleseyは、彼の”The Foundation of Singing”の呼吸法の章である第5章をTHE WORK OF THE AIR-COMPRESSORとしています。
発声器官(発声楽器)を動かすための動力源、エネルギーが呼吸の役割なのです。

声のエネルギー源は息であるとはよく言われることですが、息の量ではなく、息の圧力なのです。我々の周りにある息つまり空気は目には見えませんが一定の間隔を持った分子の集合として存在します。しかし、空気自体には力はなく気圧の変化により高いところから低い所へ流される受け身的な存在です。その空気がしっかりと閉ざされた声帯という発振器を作動させるに足る力を発揮するためには、圧縮しなければなりません。つまり歌唱に於ける呼吸法とは息の圧縮法であるわけです。それゆえ、オールド・イタリアン・スクールにシンパシーを感じている著者は、その著書の呼吸の章を、呼吸ではなくアポッジオとする場合がよくあります。

歌の呼吸法は、息の圧縮法であるという概念に基づけば、腹部を使って息を圧縮するか、それとも胸部を使って息を圧縮するかの問題になります。
現在、世界の発声教育界では、呼吸法は、腹式か胸式かという選択ではなく、ベリー・イン(胸式呼吸)かベリー・アウト(腹式呼吸)かに収斂しているようです。つまり、胸で加圧するか腹で加圧するかの問題です。

このベリー・アウトと呼ばれる腹式呼吸は、吸気時に横隔膜が下がり、腹部が前方下側に押し出され、肺の容積を上下方向に広げて取り入れる息を多くし、さらに、呼気時にも横隔膜を緊張(吸気力)させ続け、その上昇を遅らせることによって息の消費を少なくしようとするテクニックです。
このテクニックは、Lutte vocale と呼ばれ、1855年にMandl という当時権威のあるフランスの医師によって医学雑誌に発表されました。さらに当時最も権威ある教師 Lamperti を味方につけ、科学万能の時代の風潮に乗って世界中に広がり、腹式呼吸礼賛が始まったのです。

一方のベリー・インは、胸に息を吸うときに腹部を中に引き入れます。吸気時には横隔膜は下がろうとしますがそれを腹部を引くことによって妨げます。その結果胸郭は上昇し加圧された風船状態になり、腹部はそれを支える柔軟な太い柱になります。もし腹部が弛緩して前や下に突き出るようであれば、胸で作られた息の圧力は下の方向に逃げてしまいます。 ベリー・アウトの腹部で作られる圧力と、ベリー・インの胸部で作られる圧力を比べれば、明らかに胸の圧力のほうが有利です。 まず、胸郭という骨で囲まれた部分のほうが少ない労力で大きな力を発揮でき、また、圧力を供給すべき声帯の位置が腹部よりも胸部のほうが近いので、その分少ない圧力でも声帯を振動させるのに十分な力となります。
現実的には、20世紀初頭までのオペラ歌手は女性はほとんどがコルセットを、男性も特注のベルトを着けて舞台に立っていましたから、当時の名歌手たちはほとんどがベリー・インで息を取っていました。また、パリのコンセルバトワールの発声の教科書やオールド・イタリアンの教師たちも、息をとるときには腹部を引くように書かれていました。

このベリー・イン、ベリー・アウトが発声にとってどちらが望ましい呼吸法であるか?という質問に対する答えは、いまだに出ていません。ひょっとするとその質問自体が意味のないものであるかもしれません。