INTERPRETATION IN SONG

PART III

WORD-ILLUSTRATION
語の描写(言葉による情景描写)

(注記――本節はメイン・ルールⅢと併せて読まれたい。)


【訳注:語の描写(Word-Illustration) 原語 word-illustration は、テキストの内容や情景を音楽的・声楽的手段によって描き出す技法を指す。グリーンはこれをメイン・ルールⅢ(声の色彩・音色の変化)の延長として論じており、単なる詩の朗読を超えた、声による絵画的表現の問題として扱っている。


πολυφλοίσβοιο θαλάσσης ホメロス『イリアス』冒頭近くに繰り返し現れる定型句(第1巻34行ほか)。πολύφλοισβος は「大きな響きをたてる・轟く」を意味する形容詞で、θαλάσσης は「海の」(属格)。全体として「轟き渡る海の」の意。この語は、重なり合う子音(φλ-, -σβ-, -σσ)と長短の音節の交錯によって、波の砕ける音そのものを模倣した擬声的効果をもつとして、古典修辞学の典型例として引かれてきた。19世紀末から20世紀初頭のイギリスの教養人にとっては、パブリック・スクールのギリシャ語教育を通じて馴染み深い一節であった。


 

学生時代に、あの名高い擬声語的表現、πολυφλοίσβοιο θαλάσσης(「轟き渡る海の」)を記憶している読者は多いだろう。この言葉のもつダイナミクスの潜在力は、実際の楽譜記号を用いて次のように表すことができる。

 


【訳注:πολυφλοίσβοιο θαλάσσης ホメロス『イリアス』冒頭近くに繰り返し現れる定型句(第1巻34行ほか)。πολύφλοισβος は「大きな響きをたてる・轟く」を意味する形容詞で、θαλάσσης は「海の」(属格)。全体として「轟き渡る海の」の意。この語は、重なり合う子音(φλ-, -σβ-, -σσ)と長短の音節の交錯によって、波の砕ける音そのものを模倣した擬声的効果をもつとして、古典修辞学の典型例として引かれてきた。19世紀末から20世紀初頭のイギリスの教養人にとっては、パブリック・スクールのギリシャ語教育を通じて馴染み深い一節。】


その波の高まりと沈みは、目にさえ見て取れる。しかしこの語にはさらに多くのものが秘められている。幾重にも重なる多音節の語たちが互いに折り重なりながら、壮大なうねりを築き上げていく。β の音において波は轟音とともに砕け散り、次の οιにおいて砂浜の高みまで押し寄せながら鳴り渡る。そして θαλάσσης の歯擦音に満ちた砂利の上を、ざわざわと音を立てながら引き戻していく。

わずか数語でこれほどのことを鮮やかに伝えられるとすれば、詩と音楽が一体となれば、その身代は十分に果たせるはずである。

ルールⅢは「歌における言葉」を扱い、主として母音に関わるものであった。語の描写(Word-illustration)は「言葉における歌」を扱い、主として子音に関わるものである。前者は受動的であり、後者は能動的である。一方は、”love” の純粋な母音がそのままそっとしておかれること、ただそれだけを求めるものであった。他方は、劇的描写の目的のために、”hate” の気息音が強調されることを求める。

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母音によって歌い手は大きな構造を築き、子音によってその輪郭を整え、装飾を添える。したがって、子音による描写は必然的に、より短い音価に限られることになる。両者はともに「声と詩」という双子の姉妹に属し、調和しながら共に働く。そして芸術のこの領域においては、母音は喜んで子音の主導権を認め、音色と圧力値によってそれを支える。この協調を活かすことによって、一見ありふれた言葉が――さもなければその効果をもっぱら音楽的な設定やダイナミクスの音響に頼るだけであったような言葉が――それ自体の能動的な生命を獲得する。

以下に挙げる語の語頭子音(一つまたは複数)ないし気息音を強調し、続く母音への「押し(push)」によってそれを補強することで、これらの語を単なる音の乗り物から、協調的な描写の担い手へと昇格させることができる:

また別の語群は、強調された子音に続く母音において、明確なクレッシェンドとデクレッシェンドを施すことで、描写的な効果を高める。


broad(広い)、creed(信条)、proud(誇り高い)、tall(高い)、shine(輝く)、hate(感情が持続的・深いとき)、freeze(凍る)、queen(女王)、deep(深い)、cool(涼しい)、calm(穏やかな)、moan(うめく)、mourn(悼む)、scythe(その一刈りの広がりを伝えるため)、gaze(じっと見つめる)、swoon(意識が徐々に遠のく様子を表すため)、waft(漂わせる)、closed(閉じた)、など。

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これらの語の多くは、語末子音(一つまたは複数)を明確に発音することで、さらに高められた効果を得ることができる。

hate(憎む)、stunned(茫然とした)、shame(恥)、shine(輝く)、round(丸い)、swoon(気を失う)、gaze(じっと見つめる)、
dream(夢)、peace(平和)、flame(炎)、blush(赤面する)、fresh(新鮮な)、freeze(凍る)、sing(歌う)、
drone(唸る)。”Still his hurdy-gurdy drones and drones away.”「なおも彼のハーディガーディはブーンブーンと唸り続ける。」

ここで唸るように鳴らされる n は、母音を引き延ばすいかなる方法よりも、はるかに表情豊かである。

一音節語の中には、感嘆符(!)が後ろに続くかのように歌われるべきものがある。

struck!(打つ) pluck!(引きむしる) fife!(横笛) wept!(泣いた) haste!(急ぐ) dip!(浸す)
drip!(滴る) shock!(衝撃) shook!(揺れた) dance!(踊る) swift!(速い) quick!(素早い)
snap!(パチンと折る) kissed!(口づけした) touch!(触れる) gnash!(歯ぎしりする)、など。

ここでも同様に、語頭子音の強調が適用される。ただし語末子音は、明確な「パチン」という切れとともに短く断ち切られる。
二音節語は、子音の活用と、語内の長格と短格の対比という、二重の利点を備えている。長格に対する強い「押し」あるいは柔らかな「一撃」(場合に応じて)を、子音の強調を伴いながら施し、続いて短格を明確に短く処理することで、以下のようなトロキー(強弱格)に絵画的価値が生まれる。

slender(細い)、stately(まるでカーテシーを鷹揚に受けるかのように)(堂々とした)、curtsey(お辞儀)、
dreadful(恐ろしい)、ghostly(幽霊のような)、worship(崇拝)、purple(紫)、frozen(凍った)、など。

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これらはすべて 押し(push) の語群であり、最後の語(frozen)の z を除けば、後続の子音は明確に発音されるとはいえ、二次的な重要性しか持たない。

これらは一撃(blows)の語群であり、語頭子音と後続子音は、押し(pushes)の語群よりも大きな強調を要する。トロキー型二音節語の多くもまた、感嘆符を伴うかのように歌われる。

vivid!(鮮烈な) chatter!(ぺちゃくちゃしゃべる) scatter!(散らす) hurry!(急ぐ) rattle!(ガラガラ鳴る)
riddled!(穴だらけの) sudden!(突然の) happy!(幸せな) terror!(恐怖) little!(小さな)
bloody!(血まみれの) sunny!(陽気な)、など。

これらはおおむね、感嘆符が実際にそこにあるかのように歌われるべきである。
トロキー型の語の中には、声楽における長年の慣用から、あるいは描写的効果への自然な傾向から、アクセントの付け方においてほぼスポンデー(強強格)に近くなったものがある。

lilies (ユリ)、rosebud (バラのつぼみ)、hollow (空洞)、silent(静寂)、singing (歌声)、satin (サテン)、vision (幻視)、など

もちろん強勢が第一音節にあることは疑いようがないが、第二音節は通常のトロキーの第二格を超えた、いわば付加的な重みを帯びるようになっている。vivid という語は、両音節に完全に等しい価値を与えると、はるかに鮮烈に響く。トロキーとしての扱いは、むしろこの語の描写力を損なうことになるのである。shudder もまた同様である。Sudden は特異な語である。形容詞として用いる場合、両音節に等しい価値を与えるとはるかに効果的である。その音はコン・コン!という二度のノックの響きを帯びる。しかし副詞 suddenly においては、全重量がダクテュル(強弱弱格)の第一格に投じられ、後続の二つの短格はほとんど無きも同然に軽く弾き飛ばされる。同じことが、程度の差はあれ、passionpassionate にも当てはまる。

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トロキー型の語の中には、作曲家あるいは歌手(場合に応じて)によって、表記上逆転した音価を与えられるものがある。たとえば echo は、トロキーとして自然に表記するならばと書かれるところを、実際には――たとえ楽譜にそう書かれていなくとも――として歌われており、またそのように歌われるべきである。

同じことが、

horror(恐怖)、pity(哀れみ)、lily(百合)、petal(花びら)、chatter(さえずり)、meadow(牧草地)、
yellow(黄色)、withered(枯れた)、dewy(露に濡れた)、honour(名誉)、battle(戦い)、
precious(大切な)、any(どんな)、bitter(苦い)、nothing(何もない)など

そして感嘆符的トロキーの多くにも当てはまる。このような音価の再調整は、語の第一強勢をさらに際立たせるという自然な効果をもたらす。never ever に対するその効果は格別である。

アイアンブ(弱強格)も、必要な変更を加えれば、同じ原則に従って機能する。ここでは語末子音が強勢を強め、また強勢によって強められる。

resound(鳴り響く)、remorse(悔恨)、begin(始まる)、consent(同意する)、possess(所有する)、devour(むさぼり食う)、
blaspheme(冒涜する)、など。

歌い手は、先に述べた擬似イタリア主義に対して常に警戒を怠ってはならない。resound-a、begin-na のような付加音、あるいは語が母音で終わる場合の obey-ur、renew-ur などを避けなければならない。

アイアンブ(弱強格)も、必要な変更を加えれば、同じ原則に従って機能する。ここでは語末子音が強勢を強め、また強勢によって強められる。resound(鳴り響く)、remorse(悔恨)、begin(始まる)、consent(同意する)、possess(所有する)、devour(むさぼり食う)、blaspheme(冒涜する)、など。

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多音節語は自ずから歌う。音の美しさへの感受性をもつ歌い手であれば、

exquisite(精妙な)、beautiful(美しい)、wilderness(荒野)、wonderful(素晴らしい)

などのようなダクテュルの誘いに、あるいは

delightful(喜ばしい)、surpassing(卓越した)、tremendous(壮大な)、colossal(巨大な)、beloved(愛しい)、contented(満ち足りた)、honeysuckle(忍冬)、inscrutable(不可解な)

などの語の誘いに、抗うことはできないだろう。

ダクテュル(強弱弱)型の花の名前の多くは、選択的な、ほぼ等音節的な価値をもつ:

dáffódíl(水仙)、jéssámíne(ジャスミン)、víólét(菫)、cólumbíne(オダマキ)、hýácínth(風信子)

がそれであり、ここでは

sycamore(プラタナス)、sinister(不吉な)、cavernous(洞窟のような)、shivering(震える)

といった語に似た扱いをとる。

beautiful という語は純粋なダクテュルであり、三つの均等な音符に書かれることが多いとはいえ、ダクテュルとして以外には決して歌われるべきではない。歌い手は、楽譜に何が書かれていようとも、語を本来の価値へと回復させるようにそれを扱うべきである。このような「選択的な」韻律の変形は、概して音楽的記譜への譲歩であり、古典的な教育を受けた作曲家によってはごくわずかにしか用いられない。その描写的効果は小さい。

語の中には、子音の引き延ばしあるいは操作によって、感情や行為のtime-duration時間的持続感を実際に伝えることのできるものがある。

「watched」(見張った)。ch の音を保持することで、歌い手は長時間の注視や見張りを劇的に暗示することができる。ただしこのような引き延ばしは watchman(夜警)という語においては場違いとなる――彼がたまたま泥棒に目を光らせていたのでなければ、の話だが。

「closed」(閉じた)。母音と子音の双方に与える長さによって、扉をゆっくり閉めることも、素早く閉めることも、意のままにできる。

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「hush」(静かに)。sh の持続によって、静寂への命令を表すこともできれば、子守唄のあやし声(croon)を表すこともできる。

「vanish」(消える)。sh の操作によって、幽霊は稲妻のひらめきとともに瞬時に消え去る(vanished!)こともできれば、ゆっくりと視界から薄れていくこともできる。

「gone」(去った)もまた、母音と子音の双方によって、突然の消失あるいは徐々の消失を伝えることができる。

「touched」(触れた)。ch は感嘆符とともに文字通り「ぴたっと触れる」こともできれば、引き延ばすことで熱に浮かされた額をやさしく撫でることもできる。

最も能動的な描写力をもつ子音は n(drone)、m(hymn)、s(whisper)であり、最も強力な組み合わせは m または n に別の子音が続くもの――singing、clank、clanging、tinkle、trumpet、tremble、そして最も美しい語のひとつである remember――、また ch(watch)、shshudder!)、ss(restless!)である。

これらによって、語の実際の物理的な音響を、滑稽に聞こえることなく鮮やかに伝えることができる。

歌は、いかに劇的であろうとも、場面や感情を縮図として再現したものにすぎないことを、常に忘れてはならない。描写は縮尺に従って施されなければならないのである。また、上述のように子音が主導権を握るとき、その付加的な価値は母音を犠牲にして得られることも、忘れてはならない。

母音を補うために音符や小節を引き延ばしてはならない。母音はそれほど憐れむには値しない。概して母音は十分に恵まれているのであり、イギリス・バラッドの末尾の高音は、いつでも彼女に生き甲斐を与えてくれるだろう。

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そのような稲妻のようなマルテラートが「アーメン」の実際の響きに似るはずもないことは、大した問題ではない。母音はドラマへの譲歩を果たしたのであり、面目を立てて「Lascia ch’io pianga」へと戻ることができる。

巧みな語の描写の一例が、アーサー・サマーヴェルの「彼女は村の教会へやってきた」(「モード」連作歌曲集、第3曲)の以下の一節に見られる。

And once, but once, she lifted here eyes,  And suddenly, sweetly,
strangely blushed to find they were met by my own.
「そしてただ一度、ただ一度だけ、彼女は目を上げた。するとたちまち、甘やかに、
不思議なほど赤らんだ――それが私の眼差しと出会ったことを知って。」


【訳注:】 Arthur Somervell, 1863–1937 詩と音楽の緊密な融合を特徴とする歌曲の書き手として知られ、テニスンの「モード」(1898年)、ハウスマンの「シュロップシャーの若者」(1904年)などの連作歌曲集で高い評価を受けた。


「once」。歯擦音を鳴らすことが、何とも説明しがたい形で、彼女が目を上げるという動作の素朴さを強調する。それまでの礼拝の間中、彼女の目は祈祷書に注がれていたのだから。

「suddenly(SUD-den-ly)」。これは純粋なダクテュルでなければならない。二つの短音節がかろうじて聞こえる程度にしか発音されないだけでなく、母音 u をきわめて長く引き延ばし(きわめて白い「驚きの」色彩を帯びて pp で歌い)、「突然」には聞こえないほどにすべきである。頬の赤みは彼女の顔に飛んできたのではなく、そっとそこに忍び込んだのだから。

「sweetly(< >ly)」。歯擦音と、ee(きわめて純粋な ee)上のクレッシェンドとデクレッシェンドが、この語の表情を生み出す。

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strangely (STRANGE-ly)」。純粋なトロキーであり、短音節はほとんど聞こえない程度にしか発音されない。「驚き」を伝えるために、歯擦音と母音は「suddenly」における価値と色彩と同じでなければならない。

「blushed」(赤らんだ)。赤みはゆっくりと彼女の顔に忍び込んだ。sh を引き延ばすことがそれを伝えることができる。

「met」の後の「芸術的休止(Kunst-pause)」は、問いを示唆する。

「By what?(何と出会ったのか?)」――答えは「By my own(私の眼差しと)」。

「By my own」は極度の素朴さをもって歌われなければならない。これは反クライマックスによるクライマックスであり、苦心して演出された勝利の様子などよりもはるかに力強い。

「eyes」から「and suddenly」へcarry-over(繋ぎ)は、彼の眼差しの集中を示す。それはほとんど身振りを示唆する――まるで彼女が目を上げたとき、彼が無意識のうちに膝から半ば立ち上がったかのように。奇妙なことに、「suddenly」は(適切な音色で歌われるとき)切り離されるよりも繋げて歌われたほうが、より予期せぬものに聞こえる。

ここに、わずか6小節の音楽の中に、語の描写(word-illustration)の巧みな例が5つあるだけでなく、芸術的休止(Kunst-pause)、繋ぎ(carry-over)、そして反クライマックス(anti-climax)までもが、おまけとして含まれているのだ!


【訳注:5語は以下の通り。①once――語末歯擦音(-s)が動作の素朴さを強調。②suddenly――純粋なダクテュル、母音 u の引き延ばしと白い驚きの色彩。③sweetly――語頭歯擦音(sw-)と ee 上のクレッシェンド・デクレッシェンド。④strangely――純粋なトロキー、suddenly と同じ価値と色彩。⑤blushed――sh の引き延ばしによる赤みの緩やかな描写。】


言葉に描写的価値を認めない人々もいる。そのような人々にとって言葉はありふれた目的のための必要な手段にすぎない。しかし、ずぼら者にも弁護人はいるものだ。今日どのコンサート会場でも、美しい音楽が演奏の拙さによってみすぼらしくされているところでは、英語は歌うには貧しい言語だという卑下の言葉を耳にすることができる――エリザベス朝の歌曲を、「神に祝された一対のセイレーン」を、「響き渡るsoUNding bRAss(金管)と澄み渡るtinkling cýmbál(シンバル)」を、詩篇第104篇とヨブ記を受け継いでいる者たちから!


【訳注:エリザベス朝の歌曲 16世紀末から17世紀初頭にかけて栄えたイギリスの歌曲の黄金時代。ジョン・ダウランド、トマス・モーリー、トマス・キャンピオンらのリュート歌曲・マドリガルは、英語の音韻的豊かさと詩的感受性の頂点として後世に受け継がれた。
「神に祝された一対のセイレーン」(Blest Pair of Sirens) ジョン・ミルトンの詩「荘厳な音楽について(At a Solemn Music)」(1645年頃)の冒頭句に基づく、ハバート・パリーの合唱作品(1887年)。「声と詩」という二つの芸術を「神に祝された一対のセイレーン」と呼んだミルトンの詩句は、グリーンが本章の冒頭で提示した「声と詩という双子の姉妹」の概念と直接的に響き合う。soUNding bRAss / tinkling cýmbál コリント人への第一の手紙第13章1節の欽定訳聖書(KJV)の一節「たとい私が人の言葉や御使いの言葉を話しても、愛がないなら、響き渡る金管(sounding brass)や鳴り響くシンバル(tinkling cymbal)にすぎない」による。グリーンは大文字(UN, RA)と鋭アクセント(cýmbál)を用いて、これらの語における語の描写の具体的な音響的強調点を示している。sounding の -ound-(n+d の組み合わせ)、brass の br-(子音連結)、tinkling の -nk-(n+k)、cymbal のアクセント配置は、いずれも本章で論じた原則の実例として機能する。
詩篇第104篇とヨブ記 詩篇第104篇は天地創造の壮大な自然詩として知られ、「主よ、あなたのみわざはいかに多いことか」という讃嘆に満ちている。ヨブ記はヘブライ文学の最高峰のひとつとされ、その詩的・音響的豊かさにおいて英語の欽定訳聖書のなかでも際立った地位を占める。グリーンはこれらを英語という言語が本来もつ計り知れない詩的・描写的可能性の証拠として列挙し、「英語は歌うには貧しい言語だ」という言説の滑稽さを、感嘆符とともに一蹴している。】

2026/05/29 訳:山本隆則