この用語は、Franklin Kelseyの”The Foundations of Singing“のVI章The Work of the Vibratorの中で論じられています。これは、WitherspoonSuspension of the Breathに一致する見解でもあります。また、ガルシアの”coup de glotte”にたいする非常に興味深い見解でもあります。

ブレス・ストッピング・メカニズムには、2つの種類があります。
1)息の停止(a stoppage of the breath)、これはガルシアの”coup de glotte“にあたります。
2)息の休止(a pause of the breath)、昔の教師が「vibrazione」または喉頭の振動と呼んだものです。

これらのアタックの形は両方とも正しい、しかし、第1のは、第2のものよりわずかに効率的である、何故ならば、それが、音により鮮明なスタートを与え、歌手にコントロールのわずかにより効率的なポイントを与え、そして、歌手が維持することができる、より完璧な接近のために、より豊かでより深い音を生み出す。接近に於けるこの改善の原因となるものは、きわめて興味深くて、声のトレーナーの側にも十分に理解する価値がある。

音が、息の休止から開始されるとき、声門唇のメカニカル状態は、圧力不均衡なものとなる、なぜならば、声門唇より上は「ゼロ-圧力」の状態になり、そして、それら下の「プラスの圧力」が素早く増強され;そして、披裂軟骨が声門唇の縁をピッタリ接近させるのは、この圧力の増強中のことである。披裂筋筋肉はその時、急速に増大する圧力量に対して、互いに唇の縁を引く仕事に直面する。しかし、一方では、音が息の停止から開始されるとき、接近中のメカニカル状態は圧力平衡となる。
ブレス-ストッピング・メカニズムは、同等の圧力量が声門の上下にあるように、声門唇より上の小さな間隔に位置する仮声帯から成る。今、等しくされた空気-圧力のメカニカル状態は、全く圧力のない状態と同じである。1平方インチにつき14.7ポンド空気の圧力があなたの窓ガラスの両側にあるので、薄いガラスでも壊れない。部屋の中の空気を消耗するならば、圧力がただ外側だけにかかり、窓は中へ押されて、ガラスは粉々にされるだろう。同様に、息が止められるとき、声門唇の両側面へ圧力が均一に掛かるため、披裂筋は互いにそれらの縁を合わせることを成し遂げるための圧力量を持っていない。接近はその時、まさに音の深さと豊かさにそんなに大きな違いを作る、少しの付け加えられた効率によって成し遂げられる。
今や、声門の打撃の練習が、学生歌手の喉頭に多くの害を与えたことを否定することはできない。障害の原因は、単にある大歌手達によって使われたときそれが優れた結果を与えると思われたからと言って、彼らが理解してもいない何かを教えようとした教師のまずさのせいに違いないということは、実に嘆かわしいことだ。そういう教師によって犯される基本的な間違いは、声門の打撃を、重い圧力からの爆発的な解放のようにみなすことであった、ところが、現実に、それは基本的に軽い圧力への穏やかで熟練した行為である。

声門打撃を教えるとき、留意しなければならない2つの圧力の要素がある。最初の要素は、もちろん、仮声帯の閉鎖によってもたらされる空気-圧から成る、そして、これは可能なかぎり軽く保たれなければならない。第2の非常に重要な要素は、胸の圧迫の行為によって生れる肉体的な圧力の感覚から成る、そして、仮声帯が開いたあとまでこの感覚は続く。仮声帯によって息を止める目的のすべては、披裂軟骨の前突起がより強い堅固さで互いに押しつけるのを可能にすることだ。したがって、声門の打撃を用いる歌手は、常に楽器に対して、それの下にある軽い圧力からより堅い圧力へ移らなければならず、決して重い圧力から圧力の消失へではない。息が重い圧力によって止められ、次にアタックの瞬間に急激に押し出されるならば、喉頭は、筋肉のすべてを破壊的な衝突に陥れる厳しい爆発に従わせられる、そして、多くのダメージがそれの上に加えられる。このようなやり方で音を開始するとき、弟子は初めのうちは維持することが非常に難しい心理的状態を取ることを学ばなければならない。彼は、音を純粋に物理的な行為(すなわち、胸の圧搾)の生産物と考えなければならず、想像的な意志の行使によってもたらされる何かではない。ちょうどピアニストが彼の指でキーを押し下げることによって、またはバイオリン奏者が弦を横切って弓を押すことによって音を生み出すように、 ―各々のケースの音は、歌手の想像的な意志とは関係がない ― そのように、歌唱生徒も、閉ざされた気管による「ボーイング」によって彼の音を生み出さなければならない。

この2つのアタックに対立するものとして、”in-out”アタックをあげ、次のように警告しています。

「この呼吸が、途切れることのない「イン-アウト(出し入れ)」行為の一部としてなされるならば、それは常に間違っている。瞬間的な息の休止または停止は、音が始まる前に常になければならない、そして、弟子はこの休止がなされていることを確実にするために、注意深く監視されなければならない。音の連続的な「イン-アウト」アタックは、バイオリン奏者が不注意に弓で弦をたたくことによって音を始めるときと同じ性質である。喉頭は常にアタックの準備ができていなければならない、たとえ高くても低くても、音がどの位置にあろうとも。

この「イン-アウト」と言う用語は、日本語の「呼吸」という用語と共通する動きを表しています。私は常々発声時に「呼吸」という言葉を使うことにある警戒心を持っていました。「呼吸」とは、日常でのそれのように、文字通り、息を呼(息をはく)吸(息を吸う)することです。しかし、発声中に歌い手が感じる身体感覚は、息を出し入れする感覚ではなく、息を止めている感覚に近いと考えています。呼吸や呼吸法は、発声技術にとって非常に大事な要素であることには違いはありませんが、「呼吸」という言葉が一人歩きし、信仰の対象にまで祭り上げられることには注意しなければなりません。