56982テトラツィーニのThe Art of Singing (カルーソーとの共著)に於ける記述の中から選ばれた文章に、山本のコメントや他の著者の記述などを加えて読み解いていく試みです。(基本的に、「カル―ゾとテトラツィーニの歌唱法」川口豊訳、シンフォニア出版によりますが、部分的に翻訳を変えている部分は明記します。)
テトラツィーニ(1871-1940)は、数多くのレコード録音を残していますが、歌唱中の映像は、引退後の61才の時に撮られた Luisa Tetrazzini Sings Again With Caruso (1932 Movietone Newsreel Footage : You-Tube)しか存在しません。しかし、ブレスを取るときの胸の動き、歌い終わってからの話し声や笑い声は大変興味深いものです。

ブレス・コントロール ― 声楽の基礎 p.41

正しく歌うためにはたった1つの方法しかない。それは、自然に、楽に、そして気持ちよく歌うことである。
(コメント:この文章は次のように言い換えられなければなりません。自然に,楽に,そして気持ちよく歌うことが出来たとき、その歌は正しく歌えています。我々が学ばなければならないことは、そのように歌うためには何をしなければならないかです。)

…声楽家は男性も女性も解剖学的構造、特に共鳴腔を含む喉、口、顔の構造についてもある程度の知識を持たなければならない。これは正しく声を出すために是非とも必要である。
(コメント:19世紀中期にガルシアの喉頭鏡の発明以来、声楽界に科学的な考え方が加わり始め、発声に関しても歌手や教師だけではなく、医者が発声を語るようになりました。この本は、1909年テトラツィーニ38才のときに出版されたもので、当時の歌手達がどの程度科学的な知識を参考にしていたのかということも見えてきます。この時代は、我々の予想を遙かに超えるほど多くの歌唱のための書物が出版されていました。しかし、歴史に残る偉大な歌手が残した書物は少なく、リリー・レーマンとテトラツィーニは今でもいろんな著者達に引用され、再版を重ねています(kindle の海外版では無料でダウン・ロードも可能。)テトラツィーニはこの本の他に、1923年にHow to Sing という本も出版しています。)

…声楽家は窮屈なコルセットを着けてはならないし、一番下の肋骨より上にくるような種類のコルセットは着けてはならない。別の言い方をすると、コルセットはベルトでなければならないが、コルセットを付けている人が便利で必要だと思うくらいに腰回りの長さに合っていなければならない。
(コメント:現代からはちょっと考えられないことですが、我々は、当時の女性歌手達はほぼ全員コルセットを着けていたという事実を忘れがちです。フランスの著名な医師であるMandlは、その女性のコルセットに反対して腹式呼吸を提唱しました,この時代の歌手達は男性も女性もベルトをむしろ声を出すための有力な助けとして用いていたことが分かります。テトラツィーニはコルセットについて、同書の後の方でもう一度次のようにコメントしています。「コルセットについてひと言触れる。声楽家がコルセットを着けてはならない理由はどこにもない。もし声楽家にとって健康に良いというなら、普通コルセットは必要である。」(川口訳では、「健康に良い」と訳しておられますが、原文では、… if singers have a tendency to grow stout a corset is usually a necessity.となっています。tendency to grow stoutは、力強くなろうとするなら、と解釈すべきで、ここでの訳は、「歌手達が力強くなろうとするならば、コルセットはいつでも必要である。」となりますつまり、当時の歌手達はコルセットやベルトをアポジャーレ(後述)を補助するものとして用いていたことが分かります。

正しくブレスする力を確実につけるためには、衣装は胸回りと背中の下の方が充分ゆったりしていなければならない。と言うのは、肺の前の部分だけではなく、後ろの部分を使ってブレスをしなければならないからである。
(コメント:ガルシアをはじめ多くの教師や歌手達が、吸気時に胸郭の背部の下側(Coffinは、浮遊肋骨を開くと言っている)に入れることを推奨している。)

ブレスを学ぶときには、肺を空気がまるで何か重い物のようにその中に落ちていく空の袋と考えるとよい。そうすれば、肺の底の部分に、次に中央の部分に空気がたまり、更にもうこれ以上は無理というところまで空気が入る。
(コメント:呼吸には,フル・ブレス(Respiro)とハーフ・ブレス(Mezzo Respiro)があり、ここでのブレスはフル・ブレスについて述べられています。「空気がまるで何か重いものようにその中に落ちてゆく」と言う感覚は一体どうすれば感じられるのでしょうか? 普通の健康状態での呼吸で、人は、息が入ってくるから胸が開くのか、胸を開くから息が入ってくるのか、どちらか分からないほど自然に呼吸しています。息の通り道が充分に開いていれば、空気を重く感じることはなく、反対に、息の通り道のどこか(教師によって異なる)を狭くしたときに重い空気の感覚が得られます。つまり負荷を掛けながら息を吸うことによって「空の袋」を満たしてゆく重たい空気の感じを得ることが出来ます。
また、順序として、肺の底から上に向かっていることに注意しましょう。つまり、まず肺の底である横隔膜が動き始め(腹式呼吸で始める)、その動きは腹壁の中に入る動きによって止められ(腹式の途中で止める)、その結果、胸郭が上に向かって広がっていく(胸式呼吸の始まり)。このダブルアクションは、ガルシアやウイザースプーンの呼吸法と一致する。)

… まず肺の底から息を出し始める。
(コメント:息を出すときに、横隔膜は下に向かって緊張させてはならず、絶えず上昇する自由を持たねばなりません。吸気筋である横隔膜は緊張すると下に動き、縦に長くなって肺を大きくしますが、下に動く能力しかありません。それゆえ、呼気時には緊張を解く事による反動または腹筋の助けをかりることによって上に動いて元の位置に戻ります。それ故、横隔膜は発声時に緊張させてはいけないと言う結論が導き出されます。同様のことをリリー・レーマンは次のように云っています;「私は横隔膜と腹部をほんの少し引きます、横隔膜をただリラックスさせるためだけに。」)

ゆっくり息を出し、胸の方に空気を押し上げるように感ずる。この感覚をつかむと、後になって歌うときにブレスをコントロールし、声帯を通って息をたくさん送りすぎないようにするのに非常に役立つ
(コメント:「ゆっくり息を出し、胸の方に空気を押し上げるように感ずる。」とは、「ゆっくり息を出す」ことと「胸の方に息を押し上げるように感ずる。」というそれぞれ単純な2つの行為について述べていますが、 この2つの行為を同時に実行することは容易ではありません。まず、普通は息を出すと胸はしぼみますが、それに逆らって胸に空気を押し上げる感覚をもつことはなかなか出来ません。次に、ゆっくり出すと、胸の方に押し上げる空気は同じ物なのか別の物なのか? 第1、「ゆっくり息を出す」だけでは声にならないので、「ゆっくり息を出すことによって声を出し」のことではないのか?等々…  発声行為を文章にすることの難しさを感じますが、少なくともその動作が、息の出し過ぎを防ぐ助けになるという目的を忘れてはなりません。歌のための呼吸法は、出来るだけ少ない息で、最大の効果を出す声の出し方という考え方の基盤の上に、あらゆるテクニックが考え出されたと云ってもいいでしょう。リリー・レーマンは「私の場合、声を出し始めようとするとき…. 息を胸郭の方へ押し出す、それによって胸筋が働き始める。」)

息はぶれないで安定した流れとなって送り出されなくてはならない。
(コメント:テトラツィーニは、このページで、息の流れflow of air と言う表現を何度も使っていますが、厳密に言うと、声門を通過した瞬間に、息は音(喉頭音源)に変換されるので、ここでは、息の流れではなく、音の流れまたは声の流れであると理解しておかねばなりません。なぜなら、ここでのテーマは無駄な息をいかに少なくするかですが、声門を通過した後の息の流れは無駄な息以外の何物でも無いからです。この些細な用語の用い方は誤解を招く恐れが多く、例えば、日本の発声教育の一部に於いて、必要以上の息を使う傾向を強くしてしまいました。)

(あなたが、)歌い始める時に自分自身を非常に注意深く観察すると気づくことは, 第一にあまりにもたくさんの息を吸おうとしていること、第二に息の混ざった声にして一気に空気を強く吐き出そうとしていること
(コメント:ブレス・コントロールに於ける3つのやってはいけないことについて述べています。上の2点は、息を吸うときにも吐くときにも大量の息を使ってはいけないと言うことです。リリー・レーマンは、自身の著書「私の歌唱法」で、「確かに私はあまりにもたくさん息を吸いすぎていた。あちこちを堅くし、そのために呼吸器官や筋肉が滑らかに働かなくなっていた。」と告白しています。逆の言い方をすると、必要最低限のエコな息の使い方が出来るのなら、そんなに頑張ってたくさんの息を吸い込まなくても良いだろうと言うことになります。歌うために肺活量の多さは重要な要素ではありません。)

(さもなければ) 空気の流れを横隔膜でコントロールしようとして息を前に送り出すのを瞬間的にストップし、喉に力を入れて響きを作ろうとすることである。
(コメント:この箇所は、上の二点とむしろ逆の方向性の問題点に言及しています。ブレスをコントロールすることは奨励していますが、横隔膜でのコントロールのしすぎには反対しています。横隔膜のコントロールとは、呼気時に下に向かう力によって息の流れにブレーキをかけて息の出過ぎを抑制してくれます。しかし、抑制のしすぎは、声帯振動のためのエネルギィー源である息の圧力まで止めてしまうので、声帯振動に必要な動力源が不足することによって、その補償作用として喉に力が入ってしまいます。)

喉には決して力を入れてはならない。空気を絶え間なく流し続けることによって響きを出さなければならない。
(コメント:「喉に決して力を入れてはならない。」と言う表現は、非常にやっかいな問題を含んでいます。この問題については私のコラムにも書きました。ここでの喉の力とは、空気の流れ(息の圧力)を横隔膜でストップすることによって喉に入る力(補償作用による緊張)のことを言っているのであり、胸から上がってくる息の圧力に抵抗するための喉の力と混同してはなりません。喉頭にその抵抗力が無ければ、動力源である胸からの息の圧力に翻弄され,喉は開くことが不可能となりつまる結果になります。)

空気の流れをコントロールするこういう方法を習得しなければならない。
(コメント:ルフジンガーとアーノルドによると、空気の流れのコントロールとは、空気圧と声帯緊張の結果であり、その関係によっていろんな現象が起きるという興味深い研究結果があります。)

そうすると、喉の筋肉の動きが息の流れを妨げることがなくなる。
(コメント:これは正しく喉が開いていない状態のことです。正常な声帯の振動は、喉の筋肉によってではなく、息の圧力によって生み出されなければなりません。)

喉を広く開け、息の圧力によって音を出し始める。
(コメント:喉を開くことと息の圧力は矛盾しています。息の圧力を生み出すためには声門を閉じなければなりません。イギリスのコヴェントガーデンの主演バス歌手であり優れた教師でもあった、Franklyn Kelseyは、20世紀の中期に歌手達の発声に好ましからぬ変化が起ったとし、鋭い分析と批判を展開しました。「今日のすべての歌唱スクールでの最も広範囲にわたる間違いは、声門唇が自然な状態、すなわち圧縮されていない(uncompressed)状態の空気によってエネルギーを与えられることができると思い込んでいることである。」[ The Foundations of Singing  p.60]
喉を開けることは昔から非常に重要な発声技術(gola aperta)の1つとして言われてきたことですが、多くの教師が、「喉を開ける」という言葉の中にある落とし穴に気をつけるように注意を与えています。というのは、この喉という言葉は、広い範囲を示す言葉で、一般的には喉頭も咽頭も口の奥(口峡)も喉と呼ばれ、「喉を開ける」ときの喉とはどこを指すのか?どのようにして開けるのか?また、何のために開けるのか?等々教師によって統一した見解がないのです。
少なくともここでの喉は、声門のことではありません。だいいち声門を開いていたら息だけが漏れて声は出ません。ちなみに、ウイスパー(ささやき声)は声門の前3分の1が閉じており、後ろの3分の1の開いた隙間から漏れる息の摩擦音で、これも音声とは言えずむしろ雑音に分類されます。これは当たり前のことなのですが、日本の発声教育を受けた生徒達の中には、声を出すときに声門は開いていると信じている人がいかに多いかと言うことには驚かされます。2ページ後では、次のように書かれています。「それから喉を閉じ(shut off)、響きを出すことが出来る程度にわずかな息を漏らすだけである。」この文章での喉は、声門と考えて差し支えないでしょう。)

まず横隔膜の一部が空気を胸郭に向けて押し上げ、次に喉を完全に明け、最後に空気が自由に頭腔へと通り抜けていくのを身体で感じとらなければならない。
(コメント:ここでテトラツィーニは、厳密に順番を付けています。身体的感覚は、最初に、チェストボックスに対して空気を押し上げるための横隔膜の一部分(the part of diaphragm)の努力、次に完全に開かれた喉の感覚、最後に、空気が頭腔へ自由に通り抜ける感覚でなければならない。横隔膜ではなく、横隔膜の一部分という、微妙な差に注意すべきですね。横隔膜には上に移動する能力は無いので腹部の助けが必要ですが、重要なことは、横隔膜が下ではなく上に向かっていると云うことです。)

響き(音声)の量は息(呼吸)によってコントロールされる。
コメント:この原文は、The quantity of sound is controlled by the breath.となっています。故に、「息によってコントロールされる」よりも、「呼吸(作用)によってコントロールされる」のほうが誤解を招かなくて良いように思われます。また、川口訳では、soundをすべて「響き」と訳されていますが、声の大きさ、声量でいいと思います。響きという日本語は、発声に於ける共鳴と振動の相乗作用という別の重要な要素を含意するからです。)

音を小さくするときには、喉の開け方は同じである。前へ送り出す息の量が少なくなるだけである。これは横隔膜を使って行われる。
(コメント:吸気筋である横隔膜は息のブレーキの働きをするので、息を吸うとき、そして、吐く息を抑制するときに重要な働きをします。ここでの「前へ送り出す息の量(the quantity of the breath)」という表現は正確に訳されているのですが、もし、反対にクレッシェンドするときには息の量を増さなければならないとの誤解に導く危険があるので、息の量ではなく、息の勢いまたは息の圧力と理解した方が良いでしょう。)

「フィラーレ・ラ・ヴォーチェ Filare la voce 」(声をつむぐ)は歌の技法の中で最も美しい効果の1つである。極細の糸から声を紡ぎ出すように幅広い響きを作り、それからデクレッシェンドして再び小さな声にすることである。
(コメント:メッサ・ディ・ヴォーチェMessa di voce は、昔から非常に重要なテクニックとして伝えられてきました。それは、声を作る際に最も重要な「息の圧力」をコントロールすることを意味します。)

これはブレスのコントロールによって達成される。そして、これを完全にマスターすれば、歌を学ぶときに最も難しいことを習得したことになる。
まず、ブレスのコントロールを身につけて声をコントロールすることを学ぶための最も良い練習方法の1つは… 何か臭いをかぐようにゆっくりと少しずつ鼻腔から息を吸い込むことである。
(コメント:前にも言ったフル・ブレスに於いて、大量の空気を一時に吸込むことはありません。昔から議論されてきた、ブレスは鼻から吸うべきか口から吸うべきか,或は両方で吸うべきかという問題は、その呼吸が、フルブレスか、ハーフブレスかによって変わってきます。歌の最中に短い時間に成される息継ぎがハーフブレスですが、その時の呼吸は、のんびり鼻から吸ってられません。)

1度にほんの少しの空気を吸い込み、まず肺の底の部分、さらに肺の後部に空気を一杯にするように感じなさい。
(コメント:少しずつ息を吸うと言うことは、瞬間的に大量の息を取るなと云うことです。泳ぎが苦手な人に限って大量の息を吸ってから泳ぎ始めるようなものですね。また、肺の底の部分とは、横隔膜のことですから、横隔膜の操作によって息を引き入れ始めることを意味します。肺の後部に息を入れると言う記述はこれで2回目です。)

首まで一杯になったと感じたら、ほんの2,3秒息を止め、それから再び非常にゆっくりとはっはっと小さく息を吐き出す。
(コメント:
 「ほんの2,3秒息を止め」と同様のことをテトラツィーニは本書のp. 54で、「息を吸うと同時に音をアタックしてはならない。それは性急すぎる。もちろん息は鼻から吸い、音をアタックする前にほんの一瞬息を止める。こうすると、息が声門に一気に当たらなくなる。」と書いています。これは、Witherspoon が言うSuspension of the Breathで、この2,3秒の間にこれからだそうとする声の音高,強さ音質等々のすべてを決定していなければならないと云われるほど重要な時間です。
ここでの「はっはっ」という訳語は、原文のpuffs に対するものですが、puff は本来、一吐き、例えば声帯の1振動で吐かれる息の意味なので,ここでは「小さく吐き出す」だけの方が正確です。「はっはっ」という息の吐き方には、身体の動きとh音が含まれるので、この状況での息の吐き方とは異なったものになってしまいます。些細な指摘のように思われますが、ここで扱われるテーマにとって、どのように息を吐くかは,非常にに大きな問題となります。)

(この練習は)横隔膜を広げる(拡張する)ことが練習の目標で無いことはもちろんである。
(強靱な横隔膜を押し当ててピアノを動かすことが出来るが、細い声しか出せない若い声楽家に対して、)彼女はブレスの力を強くはしたが、歌うときには息を押さえつけていたのである。非常に多くの人がこうしているのに気がついた。これは、声楽を始めたばかりの時に克服しなくてはならない点の1つである。
(コメント:グランド・ピアノを横隔膜の力で動かすという話は、いろいろな書物に出てきます。それを信じて実際に実行している一流のオペラ歌手もいるようです。(メトロポリタン歌劇場のバス歌手ジェローム・ハインズのインタビューを集めた面白い本 Great Singers on Great Singing 1982, p. 136  )テトラツィーニも、別の本の中に、カルーソーの呼吸法を称賛しながら,カルーソーも横隔膜でピアノを押したと言う逸話を書いていますが、本当であるにしろ嘘であるにしろ、という但し書きも添えています。しかしこの行為は、腹式呼吸 or ベリー・アウト or Mandl-Lamperti 派の考え方に沿ったものであり、テトラツィーニはこれまで述べてきたように、息を押さえつける結果になる横隔膜の過剰な引き下げには反対しています。しかしながら、発声中に横隔膜を緊張させる(横隔膜を下に押さえつける)かリラックスさせる(横隔膜を上に向かわせる)かという問題はいまだに解決されていません。1850年にMandl によって発表された腹式呼吸は、発声時に本来上昇すべき横隔膜を緊張させることによって、その上昇を遅らせて息の浪費を防ごうとします。外から見える身体的な動きは、息を吸ったときに腹壁を前に出す(ベリー・アウト)か、引く(ベリー・アウト)かにはっきり分かれます。テトラツィーニはじめこの時代の歌手達は、その問題に明快な回答とその理由を与えています。)

確かに若い声楽家はいっぱいに息を吸い込み、その空気を保とうとしてあらゆる筋肉を堅くし、筋肉から柔軟性を奪ってしまう。
(コメント:いきをいっぱい吸いすぎることに関しては、1920年に出版された,テトラツィーニのHow to singの中で、リリーレーマンのHow to Sing を引用しています。「たしかに、私は、あまり多くの空気を吸いすぎました。そして種々の筋肉を破壊しました。その為に私の私の呼吸器の弾力と、呼吸器に付属する筋肉の弾力とを失ってしまったのであります。私は、息を吸込むことに対しては、出来るだけの注意を拂ひ、準備をしてあまり息をしないことにしたのであります。そして時々、それについて特別に考えない時には、必要以上の息をしたのであります。』多くの人々は、出来るだけの空気を其の肺の中に詰め込まねばならぬと云う間違った考えの下に、此のおなじあやまりを犯していることはかなり多いのであります。」(Lilli Lehmann, How to Sing, 日本語版、「声楽三十講」小松平五郎 訳 アルス 大正15年にすでに翻訳出版されていた。)この間違いは、発声の動力源を、息の排出量と息の圧力を混同することによって起こります。)

それから喉を閉じ、響き(声)を出すことが出来る程度にわずかな息を漏らすだけである。またあまりに激しく吸い込んでも、声楽家には何の役にも立たない。
(コメント:ここでは喉は、前にも言ったとおり声門です。)

私は息を吸うときには横隔膜をほとんど引っ張らないが、空気が肺にいっぱい入るのを感ずるし、上部肋骨が広がるのが分かる。
(コメント:すぐ前の2つの文章とこの文章は矛盾しています。喉を閉じてわずかな息を漏らすのに、何故、上部肋骨が広がるぐらい肺に空気を満たさなければならないのでしょうか? 先ほどは、息の吸い込みすぎに注意を与えたすぐ後で「空気が肺にいっぱい入るのを感ずる」と書いてます。このことはあまり気づかれていませんが、風船は空気がたくさん入るほど、ゴムの弾力によって空気を追い出そうとする圧力は強くなります。大きく膨らんだ風船の口から、つまんでいる手を離すと、最初は乱高下を繰り返し、中の空気がなくなるにつれて、直進して飛んでいきます。風船の中の空気は、圧力が強よければ強いだけその出口に殺到し、出口をふさぎ振動させ、その結果空気は出にくくなるのです。それが乱高下する原因になります。やがて空気が少なくなると圧力が弱くなるので、風船の口はもとの筒の形に戻り風船はまっすぐに飛びます。これが理解できると、出来るだけ少ない息で歌いなさいと云っているオペラ歌手達が何故あんなに胸を大きく開いて歌うのかという理由が分かります。つまり、肺は空気で満たした方が息が出にくくなるし、風船の口ですら振動するのですから、声帯はより振動しやすくなります。しかし、肺を満たして呼気圧を充分に生み出す以上に多くの息を入れてしまうと、風船が割れてしまうように,胸も苦しくなってしまいます。良く発声教師や、歌手達が「充分に息を吸いなさい、しかし吸いすぎに注意しなさい。」というのはこういう理由があるからです。)

歌うときには、胸に向けて息をぐっと押し当てるようにいつも感ずる。
(コメント:「胸の方に空気を押し上げる」、「横隔膜の一部分が空気を胸郭に押し上げ…」、『胸に向けて息をぐっと押し当てる…」、「胸が真っ先に動く」、「胸がリードしているように…」、「空気が直接胸を押し広げる…」、最後に、「胸の方へ押し上げるながら、空気の動きによって胸の方へ歌う感覚」は、「ブレスサポート」として知られている。この短い頁の中で胸へのプレッシャーに関する記述が7回も繰り返されています。テトラツィーニが歌っている最中に何に一番注意を払っていたかが分かります。)

…身体のあらゆる動きの中で胸が真っ先に動くのが分かる。そのため、歌うときには最も低い音の時だけではなく最も高い音の時にも胸のしっかりした支えを感じなければならない。
(コメント:ここでの注目点は、最高音に於いても胸の支えを感じていることでしょう。高い声を出すにはそれなりのエネルギーを必要としますが、そのエネルギーが正しく息の圧力によって供給されなければ、低い音域よりもより容易く悪い力が働くことになります。)

…胸がリードしているように感じなければならない。しかし、肋骨や肺のどの部分にも硬さや力みを感じてはならない。
(コメント:胸へのプレッシャーは「肋骨や肺のどの部分」の硬さや力みを取り除いてくれます。胸筋は、身体全体の中でも最も強い筋肉に属します。たかが声帯を振動させるだけのエネルギーですが、強い筋肉に力仕事を任せることによって、多の器官達はそれとは独立して自分の仕事は果たすことが出来ます。)

声楽家が音を出し始めた瞬間から、肺の中の空気を蓄える空間から息をしっかり送り出さなければならない。
(コメント:『肺の中の空気を蓄える空間から」の原文は、the supply of breath must be emitted steadily from the chamber of air in the lung. (息の供給は、肺の中にある空気の空洞から、しっかり送り出さなければならない。)リリー・レーマンは、the suply chamber for breath (息で満たされた空洞)と言う表現を繰り返し,彼女の発声フォームの重要な構成要素と考えていました。息で満たされた閉じられた空間を認識することが重要なことで、この閉じられた空間のことは、いろんな言い方で表現されてきました、アポッジオ、息の柱、singing on the breath (息の上で歌うこと)等々。残念な事に,日本人のほとんどの歌手にない技術と云わねばなりなせん。

息は決して止めてはならない。
(コメント:上記の3つの禁止事項の3番目に対する対応策。息を止めるなと言うのは、息の圧力は絶えず供給し続けなければならないことを意味しています。横隔膜から、上に上がる自由を奪ってはならない、つまり緊張させてはならない。)

空気が直接胸を押し(広げる)のを一層多く感じなければならない。
コメント:この原文は、The immediate pressure of the air should be felt more against the chest. (空気の直接的な圧力が胸により強く感じられなければならない。)圧力を強く感じることと「胸を押し広げる」ことは、厳密に言うと逆の機能があります。胸を開くことは圧力を制御する方向に働くので、ここでの翻訳は「広げる」を削除すること。)

難しいパッセージになると、胸に手を当て…この部分に気持ちを集中させようとしている声楽家がたくさんいるを知っている。…プリマドンナが胸に手を当てるのは、…テクニックやテクニックの基礎つまりブレスコントロールについて考えているときだ…
(コメント:テトラツィーニだけではなく、他の歌手達も同じように胸に頼っていたことが分かります。)

胸の方へ押し上げながら、空気の動きによって胸の方へ歌う感覚は「ブレス・サポート」として知られている。イタリア語にはもっとわかりやすい「アポッジオ」ということばがある。すなわち、息を支えることである。横隔膜のことを英語では肺のふいごと言うが、「アポッジオ」は横隔膜によって調節された深いブレスを意味する。
(コメント:「ブレス・サポート」とは「アポッジオ」のことである。では、アポッジオって何?ということになりますが、日本語に訳すと「息を支えること」と訳されてしまいます。しかし「支える」と言う言葉は、「アポッジオ」以上によく分からない表現です。原文では、breath prop (息の柱)となっており、マレクは、彼の著書に、テトラツィーニは、appoggioに対して”breath prop” 息の柱という語を使った。[Marek, Singing  67]とわざわざ書いているほどです。イタリア語の appoggiare と言う動詞は、英語で  lean on, 「もたれる、たよる、圧力をかける、」等の意味があり、先ほどからの「閉ざされた空間」にもたれる感覚がアッポジオです。

響き(sound,音声)のアタックは,「アポッジオ」つまり「息の支え(breath prop,息の柱)」が出発点でなければならない。これは、非常に高い音でアタックするときに特に重要であり、こういう呼吸の中枢(this seat of respiration, 呼吸の座)からアタックしないと、どんな声楽家でも決して高い音を本当に正しく歌うことはできない。
(コメント:アポッジオされた声は、身体の急激な動きなしの静止状態から声を出すことが出来ます。なぜなら、起声のためのエネルギィーは、アッポッジオによって準備されているからです。)

トリルやスタッカートを練習するときには、響きが(sound) が聞こえる前でも息の圧力を感じなければならない。
(コメント:この文章は、特に日本のほとんどの声楽家に理解されていません。息の圧力とスタッカートは全く一致しないように思われますが、いわゆる西洋発声の根幹に関わる問題なのです。小学校の音楽の時間に習う、トリル、スタッカート、テヌート、ポルタメント、マルカートなどの音楽用語は、単に音の表情を示したものだけではなく、歌唱術のことでもあるのです。例えばテヌートとは、音程や、母音の変化にもかかわらず一定の圧力で歌い続けることであり、ポルタメントは隣の音に途中経過の音も同じ圧力のままジョイントすることなのです。トリルやスタッカートを出す前にすでに息の圧力を感じていなければならないと云うことは、声門を閉じていなければなりません。日本人のスタッカートは、ほとんどの歌手が、h 音が入りますが、それは声帯の解放筋を主体に使っていることですが、西洋発声に於けるスタッカートは閉じた声帯から始まるのでh音がほとんどはいりません。よく歌唱法とは呼吸法である、と言われますが、歌唱法とは圧縮法であると考える著者達が増えています。先ほどの、Kelsey の本の第5章は、The Work of the Air-Compressor 空気圧縮機の仕事となっています。

消えてしまいそうに柔らかいピアノになる美しい澄んだ鐘のような響きは「息の支え(apoggio)」の上に作られ、完全に開いた喉を通って低くなっている舌の上に送り出されるぶれのない柔らかい圧力(pressure of the breath, 息の圧力)によってコントロールされた響きであり、口腔や頭腔で共鳴している響きである。
(コメント:息の圧力とは何も強い声だけのためではなく、ピアノの声にも当然必要ですが、柔らかい息のプレッシャーという言い方が示すとおり、圧力を抑制する分だけ,初心者にとってはより難しい技術と言えるでしょう。)

一瞬たりとも「アポッジオ」すなわち息の支え(breath prop, 息の柱)なしで歌ってはならない。
(コメント:アポッジオに必要な仕事は、肺の中に空気で満たされた空洞を準備し、それによって息の圧力というエネルギーを生み出し、その上にあるせいぜい1,2cm(男女による差) の襞を振動させるだけです。この単純な過程の中に、力仕事と言えるようなものは在りません。しかし、そのエネルギーなしで歌うことは、1,2cmの襞の周囲に大変な労苦と危険を生み出すことになります。)

こういう歌い方を発展させ、絶えず使うと、調子の悪い声や疲れた声を回復させ、語弊があるが老年になるまで声のパワーを維持させることが出来る。
(コメント:たかだか6頁の短い論考の中に、いかに多くの貴重な教えが含まれているかが良くわかりましたが、ここでの私のコメントも、今現在の取りあえずのものででしかなく、書き足りなかったことや、自分の誤りや変更したいことがたくさん出てくるでしょう。何かを発見したとき、やっと目的地に着いたと思いがちですが、その発見がさらに遠くへと導いてくれます。
テトラツィーニは,このブレスコントロールの章の前に次のように書いています。

「ブレスをするときに気がついたことがあります。声楽以外のことでも同様ですが、どんなに長く歌定テも。続けて練習していると、新たな驚きが常に待ち受けています。皆さんは長年の間ある決まった方法で注意することになれてしまったのでしょう。それがとても良い方法であっても、ずっと後にさらによい方法があることを発見します。」