BEL CANTO
by James Stark

2. Chiaroscuro: The Tractable Tract
明暗声:扱いやすい声道

Chiaroscuro as on Ideal Voice Quality p. 33

18世紀と19世紀の期間、訓練されたクラッシック歌手にとっての理想的な声質は,ときにchiaroscuro 或いはbright-dark:明暗声と言われた。歌われる音符の全ては、複雑な音声共鳴 の質感(texture) を持っている。この用語は、1774年に初めてGiambattista Mancini のPensieri e riflessioni partich sopra il canto figurato, で使われた。これはいくつもの版を重ねた教本で、全文または一部分が仏、独、英語に翻訳された。(1)
(1)Edward Foreman の翻訳。Practical Reflections on Figured Singing (Mancini 1967) *日本語版 《装飾の施された歌唱に関する実践的省察》「ベル・カントの継承」渡部東吾:翻訳・注解 、アルカディア書店、1990年1995年改訂版。

その中で、マンチーニは、ゆっくりした音階を練習する方法を教授し、そして次のように言いました。「このエクササイズは歌唱のためのどのようなスタイルにも必要なキアロスクーロによって色づけされたカンティレーナ(叙情的旋律)を形づくる真の表現法で、いかなるパッセージも自由に色づけすることを[生徒に]マスターさせるだろう。」(Mancini 1967, 42)

Chiaroscuro は、19世紀後半の最も有名な声楽教師の1人であるGiovanni Battista Lamperti にとっても依然として音色の理想であった。「たとえ君が広い声域を獲得できたとしても、声の共鳴が丸く豊かに,キアロスクーロになるまで、君は声を調整(modulate)することはできない。’dark-light’トーンは絶えず存在しなければならない。」(W. E. Brown 1957, 38-9)キアロスクーロに対する,現代の記述は、発声教師 Richard Miller によってなされています。彼は、それを高度に訓練されたプロフェッショナルな歌声の「修練された(cultivated)」技巧的なサウンドの必然的な形であると考え、次のように言っています;

いくつかの[一国を象徴する]楽派の中で見出される声質の相違の記述のために、いくつかの言語で、広範囲にわたる用語法が存在する。そういう用語の1つがキアロスクーロである。それは文字通り明るい/暗い音を意味し、それは、喉頭音源と共鳴システムが、要求されるバランスのよい声の音質-歌手が『共鳴である』と呼ぶ音質-として、耳のこえたリスナーによって知覚される、倍音スペクトラムを示すようなやり方で相互作用すると思われる歌声の基本的な音質である。(Transcripts 1983, 2:135)

キアロスクーロは非常に特徴的な音質なので、あまり熱心でないリスナーでも、それをオペラの歌い方であると直ちに判断することが出来きます;それを,その土地固有の歌唱スタイル、或いは,合唱の声と混同することはほとんど無いでしょう。我々が第1章で見たように、「明るい」要素は、しっかりとした声門閉鎖と関連づけられ、高周波成分の豊かな音を作る―リチャード・ミラーによって上記された「喉頭音源」。しかし、この明るい鋭さは、キアロスクーロの片方でしかありません。同時に、声はそれに暗い音質を与える丸みと深さを持たなければなりません。この暗い音質は、声道の共鳴器官、つまり空気のスペース、または声門と口、鼻の開口部の間の「共鳴チューブ:resonance tube」によって与えられる。キアロスクーロは、複雑で、際だったデュナーミクをそれ自体の内に持つ声の音質である。それは「炎と氷」のバラの花びらの銀白色と深紅の、或いは、なにか甘いものとスッパイものとの味の鮮明なコントラストと比べられるかもしれません。訓練された歌手達のあいだには多くの個人的な違いがあるにもかかわらず、多くの歌手達が共通して持っている一つの音質は、キアロスクーロの明るい-暗い音なのです。

The Early Treatises  初期の論文 p. 34

キアロスクーロの理想は、何か特別な発声理論家の頭から突然生まれたアイデアではありません。むしろそれは、発声理論家達が徐々に彼らの音に対する好みを教育的概念に変えていったように、長い期間の行程によって達成されました。このような試みは漠然として、主観的なものであることがわかります。16世紀後半にソロシンガーの名手の登場から、19世紀中期に書かれたガルシアのTraité 〈論文〉まで、声の論文と記録は、声の音色についてほとんど語っていません。これらの著書は、しばしば歌手達に、正確な音程で、よい発音で、趣味のよい柔軟な装飾音符で、正確なリズムで、そして、安定した、滑らかな、しっかりした、澄み切った、甘い、愛らしい,または響き渡る(sonorous)音で歌うように忠告しました。しかしこれらの用語のいずれも、音の質を明確な方法で伝えていません。[Sanford79, 1-22, for a review of the early treatises]

何人かの著者はより明確な記述を残しています。例えば、 1592年に声質の異なるタイプについて、非常に細かい報告を示し、彼の好みをはっきりと述べています。Lodvico Zacconi (1515-1627) は、歌手で、ヴェニスの合唱隊の指揮者、それと同時に作曲家、著作者、司祭、そして発明家という真のルネッサンス人でした。彼の著作 Prattica di musica 〈音楽の練習〉は、発行部数は限られていたものの、音質に関する所見は、スペインの理論家 Domenico Pietro Cerone (1556-1626) により借用(盗用と言えるかもしれない)されました。彼はザッコーニの歌唱に関するコメントを奪取し、ほとんど一言一句そのままスペイン語に翻訳しました。Cerone はZacconi の所見をどうやらそれが最初に書かれた20年後まで権威あるものとして見なしていたようです。

Zacconi は音楽史に於いて、ソロの歌が当世風の音楽(the art a la modo)として、多声声楽曲(poliphonic song)に取って代わり、ソロ・シンガーの名手が合唱団や無伴奏合唱曲(part-song)の歌手の階級から出現し始めた時代に生きていました。「よき音楽を作るために選ばれるべき声のタイプについて」というタイトルを持つ章で、「dull: 鈍い」(obtus:〈音が〉かすかな、鈍い、mute: 閉鎖音)音と「biting: かむ、鋭い」或いは「stinging: 刺すような」(mordente: かむ)の音とを区別した。彼はこれらの声質を声区に関連づけた-全ての声にある一般的な高い声区と低い声区。当時は、低い声区は通常、胸声(voce di petto)として、一方高い声区は、頭声(voce di testa)或いはファルセットと呼ばれていた。彼は、明るく、鳴り響く胸声が望ましいと述べ、同時に、鈍い声と鋭い声の両方を正しくないとした。「人は絶えず、全ての声の中で選ばなければならない… 胸声と特に魅力的な少し貫き通すが決して不快感を与えない、上述したかむ:biting 声質を;そして、片方に鈍い声と、ただの頭声を残しておかねばならない、というのは鈍い声は他の声の中では聞えない、そして、頭声は高圧的になるからだ。」(Zaccono 1592, fol. 77)

Zacconi の見解は有名な歌手、発声教師、そして作曲家である、Giulio Caccini などによって強化されました。彼のLe nuove musiche (1602) は、拡張された序文が付いており、その中で、新しい独唱曲に使われるために多くの詳細な歌唱技術を取り上げています。(Caccini 1602, 1970)カッチーニは、「豊かで自然な声 (voce piena 〈豊富な〉e naturale) で歌うべきであり、ファルセット(le voci finta, 偽りの声)をさけなさい…彼自身を他の人に合わせることなく。」(Caccini 1970, 56)「豊かで自然な」声、いずれにせよ男性歌手に於いて、ここでは「chest voice: 胸声」を指す、男声の話し声の自然な声区である;”voce finta”(偽りの声) 或いは “feigned” (偽りの) 声は、男声の上の声区で、今日では一般的にファルセットとして知られています。カッチーニの歌手は「彼自身を他の人に無理に合わせることなく」という注意は独唱に対する指示であり、歌手はポリフォニックの歌を思い合唱に溶け込むことを考えてはならないと言うことです。それは、ザッコーニが言う、かむクオリティーのフル・ヴォイスのように思えます。

ドイツでイタリア流の歌唱を定着させることに努めた多くのドイツの著者達によって、カッチーニの声質と声区に関する所見は、数年の後に繰り返されました。音楽理論家であり作曲家の Micael Praetorius は1619年の彼の包括的な Syntaguma musicum 〈音楽の体系的的集成〉でカッチーニの序文の大部分を引き継ぎ、それらをドイツ語に翻訳しました。(Praetorius 1619, 2:23i)  同様に、1642年に Johannes Andreas Herbst は、彼がカッチーニとプレトリウスの著作の中にある大部分をもとにしてイタリアの歌唱法の解説書を書きました。ハーブストは、歌手に「ファルセットを使うことなく,大きく明るい音」の使用を求めています。19世紀の初めの四半世紀になってやっと、Garaudé の Méthode complete de chant: 全ての歌い方のメトードが、「丸く(round)そして鳴り響く(sonorous)」声質を伴った胸声が望ましいと述べています。(Garaudé 1930, 20)

我々がこれらほんの少しの所見から、控えめに見ても、理想の声は明瞭で豊かでなければならない。そして、胸声は、特にその明るさ又はかむ音によってファルセットより好ましく、そしてまた、音はまろやかで、鳴り響かなければならなりません。後で議論される他の多くのテクニックの寄せ集めであるこれらの音質は、16世紀後期から17世紀前期にかけてのソロ歌唱の名手の出現を準備しました。重要なことは、新しいソロヴォーカル・スタイルの出発点から、ファルセット歌唱に紙面を割いた教育的文献は存在せず、むしろ、ファルセットは思いとどめられ、おとしめられたといえるでしょう。教会の合唱音楽の高いパートを歌ったり、16世紀のイタリアのマドリガーレを歌う男のファルセット歌手達はどうやら新しいソロ歌唱の表情豊かなスタイルには不適格だと思われたようです。

Garcia’ Theory of Voice Source versus Vocal Tract ガルシアの声の音源vs.声道の理論 p. 36

声門セッティングの効果と、歌唱中の共鳴管の効果をはっきり区別することによって、組織的な方法で音質を説明しようと最初に試みたのは、Manuel Garucia です。我々が見てきたように、彼のしっかりした声門閉鎖を達成するという重要さを伴った coup de la glotte (声門破裂)の理論は、声の鳴り響く声質(voix éclatanté: 鳴り響く声)を確実にするために意図されていました。声門閉鎖が緩んでいるならば、音は、”veiled: 不鮮明” (voix sourde: こもった)になるでしょう。ガルシアは、これらの用語をカストラート歌手で教師のCrescentini (1762-1846) からしゃくようしたようです。クレッシェンティーニは、彼のRaccolta di escercisi per il canto: 歌の練習曲集(1810)のフランス版でvoix éclante (鳴り響く声)と voix sourde (こもった声)に言及しました。しかしこれは関係する問題の半分でしかなかったのです。最初の音の原音が作られるやいなや、その音は「音が通り抜ける管の中での変化」によって変えられます。音は声道の形によって’clear: 明瞭(clair)にも’dark: 暗く’ (sombre)にもなることができます。(Garcia 1894, 11; 1847, 15)

声質に対するガルシアの枝分かれしたアプローチは、教育の論文に於ける先行するあらゆる考察から重要な変化を引き起こしました。彼は、この理論を最初に彼のMémoir: 記録(1840)で打ち立て、次のように言いました:振動の仕方によってもたらされる各々の変更は、異なる音質を生み出す、そして、伝達管が受けた各々の変更は元の音質を変更する。』(Garcia 1847, 1:16; 1984, 29; イタリック体はGarciaによる)彼は、Traité (論文)の第2部で繰り返しました、『音質は、管がよく響く波に与える変更によって決まるだけではなく、これらの振動が生まれる場所によっても決まる;つまり、声は、声門でその第1の性質を受け入れ、それから咽頭と口腔の数多くの変更を受け入れる。』(Garcia 1847, 2:54; 1975, 153)彼のより完全な説明は,おそらく、Hints on Singing: 歌唱のヒントに見いだされます。

生徒が完全に理解しなければならないことは、サウンドの鳴り又は鈍さは、開いた声の質(timbre)と閉じた声の質とは、効果とメカニズムに於いて、全く別のものであることである。声の開いた、又は、閉じた音質は、喉頭と、軟口蓋の拮抗筋の身体上の動きを必要とするのに対して、鳴り(ringing)と鈍さ(dulness)は、この器官の高いか低いかの位置に関係なく、喉頭の内側で生み出される。それゆえに、あらゆる音の質(timbre)は鮮明(bright)であるか、鈍い(dull)かでありうる。この所見は、声の表現力豊かな質(qualities)にとって、最も重要である。(Gecia 1894, 12)

同じ著作の序文で、彼は喉頭鏡を使ってどのようにしてこれら上記の説明を確認したかを述べています。『[喉頭鏡]は、鳴る音質と不明瞭な音質が、声に伝わる様子を示します。これらの音質 ― 声門によって生まれる ― は、timbre(音色)と呼ばれる声の性質とは別のものであり、全く別のメカニズムによって咽頭の中に源を持つ。』(iii) 次の会話のくだりで、彼は鳴る音質と曇った音質を、声門閉鎖と空気流の割合に関連づけています。

問、あなたはどのようにして,これらの輝く(bright)音と不鮮明(veiled)な音を見いだしたのですか?
答、全ての破裂の後で、声門が完全に閉鎖すれば、鼓膜をはっきりと打ち、それによって聞える音は輝く、或いは,鳴っている。しかし正門が不完全に閉じていて、そのためにかすかな空気のもれが破裂に結びつけば、その時、鼓膜の感触は鈍く音はこもる。息の無駄は、口の前に置かれた火の付いたマッチで確かめられる。より輝いた音は炎を揺らさない、不鮮明な音は揺らすだろう。
問、この観察は何か重要性があるのか?
答、timbre:音色の理論と呼吸に関連する。それは歌手に、声の全ての『色合い:tints 』を所有させ、実際、全ての発声の奥義を彼に与える。(7)

ガルシアの発声メトードの要点は、声の『色合い』をつくり出すさいに、喉頭音源声道との相互に作用する多くの方法に見いだされます。彼のTraité の中で「声の鈍さは、声門を強く挟んで締め付ける(pinching)ことで修正される。母音[i]はこの器官の動きを助ける。」(Garcia 1984, 39)彼は1894年に繰り返して書いています、「イタリア語の[i] はもっともなる母音であり、輝かしさを与える同様の声門の締め付け(pinching)は、他の母音に輝きを与えるために用いられるだろう。同じ音で、鳴りのいい母音から,鈍い母音への移行は,後者を向上させるために推奨される。」(Garcia 1894, 15)いったん喉頭音源によって作られたら、その後は、声道に従います。声道はいろんな形で変えることができます。喉頭を下げ、軟口蓋を上げることで、咽頭項を拡張し、そして、口峡の柱を引き離す(これは、咽頭の両側を横に広げること)など。その上、歌手は、舌、唇、あご、の位置を変えることができ、それが、母音の形態を決めることになります。

ガルシアは,未訓練の声では、喉頭は音程の上昇に従って上昇する。(Garcia 1847, 1:9)高い喉頭は声道を短くすることで、timbre clair (明るい音色)として知られる音色にする、と同時に、低くした喉頭はより長い共鳴チューブを作り timbre sombre (暗い音色)になる。(Garcia 1984, 30-2)彼は又明るい音色:clear timbreを、aperto (開いた音)と言い、暗い音色:timbre sombre を metallo oscuro (暗い金属音)或いは、coperto :かぶった(dark or covered timble)と言いました。(Garcia 1975, 152)
Traité の1872年版で、彼は「全ての音色の中で最も耐えがたいものは、輝きを奪われた明るい音色である。」と言っています。(Garca 1984, 37) 彼が、voix blanche [白い声]といった音質は高い喉頭の位置と弱い声門閉鎖によってつくられます。一方で彼は、「美しさの助けとなるために求めるべき音は、まろやかでよく響き、柔らかな音;それは教師と生徒が互いに探し求めなければならない重要な目標である」と言いました。まろやかさと柔らかさは、低い喉頭と拡張された咽頭項によって作られ、それと同時に、「よく響く」声質は、またもや強い声門閉鎖によって生まれます。

声道の調整の全ての可能性の中で最も重要なものは、音色に著しい影響を及ぼす、喉頭の縦の位置関係です。1840年の科学アカデミーへの報告では、ガルシアの生徒のデモンストレーションを聞いた後で音色の違いを確認し、喉頭の位置の変化は、簡単に目で追うことができることを指摘しました。(Garcia 1847 1:4; 1984, xxxi) ガルシアは、喉頭が静止位置から下がるにつれて、全ての咽頭は、その形態を変える;軟口蓋は上がり、舌は平らになり、中心線に沿って後ろに向かって溝を作り、口峡柱はその底で両側に離れ、そして咽頭の柔らかい組織は、より大きな張力(tonus)を獲得することに注目しました。(Garcia 1847, 1:14-15, 25; 1984, lvi, lx,; 1894 11)

我々が,より詳細に3章で検討するように,彼は低い声区を胸声区(voix de poitrne, 胸の声)と呼び、上の声区を2つに分けて:ファルセット(reigstre de fausset)と頭声区 (reigstre de  tête) と言いました。2つの主要な声区のどちらでも垂直の喉頭の位置によって変えられることができるが、その違いはファルセットでより胸声でより大きく、D4より上でより差異を示すようになるとガルシアは主張しました。(Garcia 1847, 1: 10, 1984, lv, lix)とりわけガルシアは、胸声区に置いて明るい音色で音程を上げていくとき、喉頭は「平静時よりも少し低い位置」で始めるように主張しています。明るい音色で声が胸声区の高い限界まで達すると、喉頭はあごに近づいて上昇し,音は「細くなり、締め付けられる」。同じような現象が、明るい音色で、ファルセットと頭声区を通じて起こる。しかしながら、暗い音色による歌唱では、「喉頭は平静時の位置より少し低く固定されたままである。低くすること(lowering) は、個々人が、最後の踏ん張りで、音色を誇張したり、声を可能な限り大きくしようとするときに顕著になる。この最後の仮説に於いて、喉頭は、全ての範囲で最も低い位置にしっかりと固定されたままである。」暗いファルセット声区では、喉頭は平静時の位置の舌に固定されたままです、しかし、頭声を作るために喉頭はほとんどすぐに上がってしまいます。(Garcia 1847, 1:10, 1984, liv-lv)

ガルシアは、明るい音色と暗い音色は互いに取り入れることができ、その結果、無限の音色の変化が可能となると何度も繰返して言いました。(Garcia 1847, 1:24-5; 1984, 32, 36-8; 1894, 12)彼はTraité の第2部の多くを、音楽で示される色々な感情を表現するためにこれらの声の色の使用の論考にあてました、そして彼は長い教示と、具体的に音楽のどの部分にそれに相応しい声の色を用いればいいかの説明のために多くの例を提供しました。その結果、ヴォーカルテクニックを直接、音楽のスタイルに結びつけました。(Garcia 1847, 2:49-105 ; 1975 138-244)我々はこのテーマにについて第6章で再考することになるでしょう。
ガルシアは、咽頭の表面は音を「反響」させ、「拡大」させるものと間違って信じていましたが、これは今や間違いであるとされています。(Garcia 1984, 37-8)何人かの後の著者達もこれらの表面を「共鳴板」と言っています。実際のところ、これらの柔らかい器官は音のスペクトラムの低い周波数を鈍らせ、濾過します。ガルシアは、低い喉頭がすべての母音に影響を及ぼしそれらをより暗くしますが、すべての母音が同じ割合で変更されるならば了解度は失われないことに、正しく注目しました。彼は、音色変化が「咽頭項の配列(disposition of the pharynx)」をもちいて、ファルセットと胸声の結合を助けると主張しました。(Garcia 1894, 26; 1984, 46)

ガルシアのメソードが、声の色のかなり自由な選択を認める一方で、彼は éclat (輝き)とroudeur (丸み) によって発せられる「最も純粋な音(purest tone)」を考えていました。この声質は、彼が強い声門閉鎖による輝きと低い喉頭と広げられた咽頭腔による暗さの合併されたものです。(Garcia 1847, 1:16; 1984, 37 ,46 )ガルシアは、この声質を表すためにキアロスクーロの語を使わなかった、にもかかわらず、彼の声の理想はマンチーニや、G.B.ランペルティによる方法、そして、オールド・イタリアン・スクールの他の擁護者達によって見いだされたキアロスクーロの定義と一致します。

声質に対する声道の影響,そして特に縦の喉頭位置の役割は、ガルシアやヘルムホルツ以前にさかのぼって、教授法の出版物の中で広く論議されてきました。L’art du chant (歌唱芸術) の1755年版に歌手であり著者の Jan-Baptiste Bérar は次のように書いています『声について考えられる歌唱技巧のすべては、喉頭の正しい上げ下げと、良き吸気と呼気作用から成る』(Bérard 1969, 76)彼のメソッド本の中で、垂直の喉頭の位置についての記述が多く、彼はピッチと母音に合わせて、絶えず変化すべきであると感じていました。ガルシアの後、他のフランスの著者、Stéphan de la Madeline (1852, 1864), Charles Battaille (1861), Jan-Baptiste Faure (1866)、そして Louis Mandl (1876) を含め、全てが低い喉頭の重要性に言及しています。マンデルは次々にFrancesco Lamperti (1881) によって長く引用されました。Emma Seiler 、彼女はヘルムホルツの秘蔵っ子であり、Friedrich Wiek (クララ・シューマンの父)のピアノの弟子でもありました、彼女は、歌唱の本を書きその中で低い喉頭を擁護しています。(1853年 Wieck はピアノと歌の短い教則本を出版しています。)John Curwen (1875) 、大きな影響力を持つ英国の著者であり、tonic sol-fa method の生みの親でもあります、彼は Seiler, Garcia, Johann Müller その他の低い喉頭の歌い方を擁護する人々を引用しています。Julius Stockhausen (1884) は、ガルシアの低い喉頭を支持してガルシアを補足して詳述しています。そしてもちろん、喉頭偏重主義の教師、例えば、Browne とBehnke (1883) そして Mackenzie (1890) は、同様に彼らのオールを水につけなければなりませんでした。結局、のど仏の高さは直接目に見える発声運動の1つに過ぎません、それ故、このように多くの著者達によって書かれたのでしょうか。

Voix sombrée ou couverte 暗くカヴァーされた声 p. 42

ガルシアが1840年11月6日に初めて彼の理論を科学アカデミーに提出したとき、音色と縦の喉頭位置との関係に関する問題は、少なからぬ興味の対象でした。ほんの数ヶ月早い1840年6月1日に2人のフランス人の生物学者、Diday とPétrequin もまたアカデミーに論文を提出しています。彼らの “Mémoire sur une nouvelle espéce de voix chantée” 「歌声の新しい形式の記録」(1840)のなかで Diday とPétrequin は、フランスのオペラのテノール Gilbert-Louis Duprez (1806-96) の完全なテクニックを報告しています。彼は、voix sombrée ou couverte (暗くカバーされた声)と言われる胸声で高いC5を歌うことで名声を得た最初のテノールだとされています。これは有名な ut de poitrine 或いは do di petto (high C in chest voice: 胸のハイC) といわれるもので、デュプレが1837年にロッシーニのウイリアム・テルのアルベルトを歌ったときにパリの聴衆の耳に披露されました。デュプレはベルリオーズのEvening in the Orchestra (1844) で話題になり、Henry F. Chorley の Music and Manners in France and Germany (1844) の音楽批評の中でも同じように嘲笑と称賛の両方を得ることで話題になりました[Pleasants 1995]。

Chorley はデュプレ以前のテノールは「単に高いだけでなく,極限のファルセットとして先を細く尖らせ軽快にパッセージをを通過する。このような歌手の1人が Domenico Donzelli (1790-1873) で、うわさではF5(ハイCの上のF)まで歌ったとされるロッシーニ・テノールです(Pleasants 1966, 166)。
Adolphe Nourrit (1802-39)、 彼はガルシア父の生徒で、大いに称賛され、ロッシーニに愛されたテノールでしたが、デュプレの引き上げられた胸声で高音を出す方法によって大いに影響を受けたようです。彼はイタリアへテクニックを学びに行ってどうやらその芸を扱うことができるようになりましたが、彼は、力よりもニュアンスや抑揚に価値を見いだす古い歌唱スタイルの歌手に属していました(Pleasants 1995,73)。Chorleyは Nourrit はたぶん「彼の鼻声や頭声の輝くファルセットの代わりに胸声を、それと同時に彼の国の人々が欠くことのできない宝物として賞賛する甘く,そして長く引き伸ばされたカンタービレの両方を望んだのであろうと言っています(Chorley 1844 1:74)。 Chorleyは Nourritの晩年(彼は1839年にバルコニーから飛び降り自殺を遂げた)を『舞台の記録からの強制的な引退の悲しい物語の1つ』と言いました。(Chorley 1862, 317)  デュプレ自身はヌリッツの歌唱を、明るい声や時々出す粗野な声にもかかわらず称賛して、ヌリッツの衰退の原因を探ろうとしました(Duprez 1880, 133-9)。デュプレの後、ut de poitrine は、ロマンティック・テノールに求められるようになりました。昔も今もテノールの成功や失敗にとって、ハイCの重要性は過大評価されているように思えます。

ガルシアは、DidayとPetréquin が voix sombée を記述して大いなる評価を受けたことに実に辛辣だったようです(Mackinlay 1908, 131)ガルシアは、彼らがアカデミーへの論文提出以前にこのテクニックを使っていたと主張しました。ガルシアの不満に対して、科学アカデミー のレポートの著者達は、ガルシアのMémoireに次のような脚註を付け加えました:『1841年4月19日に科学アカデミーに示された手紙に於いて、ガルシア氏は、降ろされて固定された喉頭の位置が1832年から彼に知られていたこと、そして、その時以来、彼がすべての生徒にそれを教えることによってその事実を伝播することをやめなかったことを確認した』(Garcia 1847, 1:4; 1984, xxxii)。ガルシアのvoix sombrée に対する独占権の主張はおそらく過剰反応でしょう。DidayとPetréquin はデュプレの高音でのカバーされた声の議論に集中し、胸声がその普段の限界を超えて上へ拡張するための喉頭の意図的な引き下げに特別な注意を与えました。一方、ガルシアは、声の暗い音色を得る手段として、ゆるんだ声門としっかりした声門のセッティングを使い、全声域と声区に於いての下げられた喉頭の効果を述べました。彼の、voix sombée の扱いは、DidayとPetréquin のものよりより広い視野を持ち、彼の発声理論の他の多くの側面にとって不可欠なものです。

Voce aperta and Voce chiusa  開いた声と閉じた声 p. 42

ガルシアの発声教育へのアプローチはその時代の展望より勝っていたわけではない。もっと遙かに有力なものは、発声教授の「伝統的」楽派で、主に口伝や、おそらくランペルティ親子の書いたものに最も代表されるものに基づいています。Francesco Lamperti (1811 or 13-1892)、有名なイタリアのプリマドンナの息子、彼は主にミラノのコンセルバトワールで教師としての長いキャリアを持っていました。彼は、いくつかの発声マニュアルを書きました、その中には、Guida teorica-pratica-elementare per lo studio del cant (1864):歌唱研究のための基礎的、理論的実践案内、それはいくつかの版をへて1871年イギリスで、A treatise on the Art of Singing: 歌唱芸術に於ける論文、として出版されました(F. Lamperti, 1916)、そして、L’arte del canto (1883)これは、The Art of Singing According to Ancient Tradition and Personal Experience: 昔の伝統と個人的体験による歌唱芸術、として1884年にいくつかの版を経て翻訳されました(F. Lamperti 1884)。フランチェスコ・ランペルティは全世界から生徒を引きつけ、非常に多くの第1級の歌手達を生み出しました(Stone 1980)。フランチェスコの息子Giovanni Battista Lamperti (1830-1910) も同じように高名な教師でした。彼はミラノで父について学び、フランチェスコの弟子のピアノ伴奏者を務めました。彼は、ミラノ、パリ、ドレスデンそしてベルリンで教え、父のように大勢の傑出した弟子を生み出しました。彼は、The Technics of Bel Canto: ベルカントのテクニック(Lamperti 1910)を含む何冊かの本を書きましたが、彼の教えは今日では、Vocal Wisdom: Maxims of Giovanni Battista Lamperti によってよく知られています。この本は彼の弟子で助手であった William Earl Brown によって準備され、初版は1931年に出版されました (W.E. Brown 1957)。これらの「金言集」は、間接的とは言え我々にランペルティの視点を示していないと信じる理由はありません。ランペルティの教育的アプローチは、主に、音色、共鳴感覚、そしてブレスコントロールが基礎になりますが、それらはそれぞれの器官の間で、しばしば明確な区別が成されていません。

ガルシア派とランペルティ派の間の教育的アプローチの違いは、ヨーロッパに於いて激しい議論が交わされました。例えば、民謡の収集家であり編曲者で有名な、芸術歌曲の伴奏者であり歌手であるスコットランドのMarjory Kennedy-Fraser (1857-1930)の自叙伝の中に、我々はこの事態を垣間見ることができます。(彼女のヘブリディーズ諸島の歌曲集は1909年に出版され、今なお長期にわたりリサイタル歌手のお気に入りのレパートリ-です)彼女の父David Kennedy は、有名なスコットランドの歌手で、彼の子供達の全てが良いヴォイストレーニングを受けるように取りはからいました。マージョリーは父が「ランペルティ派」であると判断し、そして、彼女の2人の兄弟は両方ともミラノでランペルティについて学びました。彼女の自叙伝でKennedy-Fraser は、ガルシアとマルケージの coup de glotte (声門打撃)、F.ランペルティのopen tone 、そして声のプレイスメントなどを含む多くの詳細な発声訓練について述べています。彼女の好みはランペルティ派の伝統的なイタリアのメソードであり、マルケージは人格的にも教師としても全く好きになれなかったようです(Kennedy-Fraser 1929, 53-4, 64-7)。それは、19世紀後半に於ける、フレイザーのような発声教育の議論好きの経験から得られる珍しい情報となっています。

ランペルティ派は、ガルシア派と違って、誰か他の人に歌唱の生理学的側面を完全に任せてしまって満足しています。実際、フランチェスコのThe Art of Singing (1884) に於ける声の解剖学と生理学の序章は、Louis Mandleの Hygiéne de la voix からの引用です。

G.V. ランペルティもまた、彼の本 The Technics of Bel Canto にマンデルを引用しました。ランペルティ派は、ガルシアと彼の楽派の特別な生理学的、音響学的言及ポイントを欠いた、伝統的な声の解剖学を用いています。彼らの発声教育上の解説は漠然としていて解釈するのが困難です。

ポイントの1つのケースは、彼らが使う用語 voce aperta (開いた声)とvoce chiusa (閉じた声)です。F. ランペルティは、この見解をマンデルのtimbre から引用しました。『音質の違いは完全に、小さな補助的な音、そして、共鳴ボックスの形と性質によって生まれる倍音の数と強度に帰する。そして、発声器官の共鳴ボックスは、咽頭とその近隣の腔を意味する…それは母音を決定する咽頭に与えられた形である…ア母音は開いた音質の性格を持つが、閉じた音質ではオ母音が優位になる』(F. Lamperti 1884, 9)。フランチェスコ自身は timbro aperto を次のように述べている:

勉強の目的のために、生徒は「timbro aperto: 開いた音色」のみを使わなければならない;私はここで、彼が呼吸のルールに対する不注意のせいで、これを bianco[白い声]や sguaiato[耳障りな音]で歌うことと混同しないように注意するよう警告する。開いた音質は、デュプレが気づいたように、anima のA母音によって作られるのが望ましい。それは喉の底で作られるのが望ましい。それは、喉の底で作られなければならないが、Oに変わらないように注意すること:一旦このような変化を起こすと、部屋の中では声により多くの豊かさとまろやかな音質を与えるたとしても、劇場の中では、声が小さく、輝きのないものになってしまうだろう。(F. Lamperti, 1916)

この教えは、歌手が輝きを得るために音に明るい要素を確保するべきことを示す一方で、『喉の底』で音を作ることによって暗い要素を同様に確保します。そして、それは喉頭を降ろすことを意味するでしょう。この明るさと暗さの要素のバランスを取ることはキアロスクーロと一致します。bianco [白い声]は、『呼吸のルールに対する不注意である」と言うことで、ランペルティは、息の取り方を云々するよりは、息に対して少なすぎる声門抵抗に警告をしていたのかもしれません。この解釈は、[a] 母音に関するランペルティのもう1つの説明によって立証されます:「この母音は完全に息の上に見いださなければならない、そしてもし母音が音になって吐き出される前に息が先に逃げ出せば、その母音は開きすぎたもの、或いは、よく言われる白い声になるだろう。他の母音でも同じ事が言える(F. Lamperti 1884, 13)。」これはどうやら、息のオンセット(起声)に対する警告のようです。

Marjory Kennedy-Fraser は、回想の中で、イタリアでのフランチェスコと彼女の父とのレッスンでのランペルティの音色の概念について論評している。『彼の自身の「発声」はランぺルティを大いに喜ばせた ― 私は思い出す ― それは「白く」なることなく、よく「開いて」いて、このように、彼はそれ自体を、使いたいと思ったどんな「音色」にでも適応させた。』(Kennedy-Fraser 1929, 65)

Giovanni Battista Lamperti もまた、他よりも好ましい音質について述べています。フランチェスコのように、音は暗い音色で始めるべきで、歌手は開けすぎ、或いは、白い声の音質を避けるように注意しなければならないと指摘しました。「全ての音は『開けられるまで閉じられる』、音が開いているとき振動の「focus:焦点」は変化しない。音が『白』過ぎるとき『閉じた』音質に戻ることはできない。暗い共鳴をなくすことなく、言葉と音を唇にもたらすことは絶対に必要である」(W. E. Brown 1957, 53)また別のところで Giovanni は、「この弱くされた声の出だしは”dark-light tone”(明ー暗音)に発展する。そしてそれは人間の理想的な音質の声である。」(37)Giovanni は、’covered tone'(カヴァーされた音)より ‘closed tone’ (閉じられた音)と言う言い方を好み、カヴァーされた音と言う言い方は、誤解を招きやすいと信じていました。フランチェスコとジョバンニの両者とも、キアロスクーロを生み出すために、 十分な輝きを持った出発点と共に、拡張された咽頭に関連する暗い音を擁護しました。

更なる見解が Richard Miller によって、この用語法にもたらされました。彼は現代のイタリアの多くの発声教室を訪れています。彼は、『La voce chiusa 閉じた声は、イタリアではla voce aperta とは反対に望ましい状態である』と言っています(Ricard Miller 1977, 82)。ミラーは、G.B.ランペルティと同じくvoce chiusa を covered singing と関連づけました。『望ましい「閉じた声」では、「開いた声」とは反対に、音質は、音域に関係なく歌声を通して優先しなければならない、それは、固定された喉頭の位置ー比較的低いーそしてやや広がられた咽頭であることは疑う余地がない。これらの状態に加えて、正しい母音の修正(aggiustamento)が高い音域の”covered “カヴァーされた音を生み出す』(R. Miller 1986a or 1996, 151)。

Helmholtz’s Acoustical Theory ヘルムホルツの音響理論 p. 45

多くの側面に於いて、ガルシアの共鳴理論は,彼の教育的目的に対しては簡潔で正しく十分なものですが、現代の基準ではそれで十分とは言えません。発声共鳴の特殊性に関するより完全な説明は、現代の音響理論の発達を待たねばならなりませんでした。この理論の基礎はHerman Helmholtz の記念碑的書物、On the Sensations of Tone によって築かれましたこの本の初版は1862年のドイツで、1885年に Alexander J. Ellis によって英語に翻訳されました。(日本では、2014年に「音感覚論」として銀河書籍から辻伸浩のすぐれた翻訳で出版された:山本) 音響学は、Helmholtzの専門分野の1つにすぎませんが、しかし、それは彼がもっとも記憶される分野の1つです。

ヘルムホルツは、音は基音のピッチと基音周波数の倍数の周波数である上部の 部分音(partials)、または上音、倍音 (overtone) からなっていることを明白にしました。実験用の目的のために人間の死体から喉頭を解剖した生理学者 Johann Müller (J. Müller 1837) との研究から、ヘルムホルツは、声門は、息の流れを小さな空気の一息一息(puffs of air)に切り刻む声音の最初の源音となることを理解していました。彼は、強い声は声門の閉鎖に於いて「完全な堅固さ(perfect tightness)」が必要であることを確認しました。彼は18世紀初頭に音楽理論家の Jean Philiipe Rameau がすでに声の倍音を記述していることを記しています。ヘルムホルツが特に注目するのは、男声に於いて、ピアノの1オクターブ上に相当するエネルギー・ピークがあり、それは「小さなベルが鮮明にチリンチリンと鳴っている」ような音だと言い:「このようなチリンチリンと鳴る響きは、人間の声に特有のものである;同じ方法でオーケストラの楽器は、明瞭でも、強くもその響きを作ることはない。私は、他のいかなる楽器からも人間の声ほど明瞭にそれを聞いたことがない… 人間の耳をそのように鋭敏にした倍音がそのように豊かであるのがまさに人間の声であることは、確かに注目すべきことである(Helmholtz 1885, 116, 103)。」

ヘルムホルツはまた、後にフォルマント理論として知られるものの骨組みも作りました。音叉と共鳴体の使用により、声道の形(今日ではよく「調音;articulation」と呼ばれる)によって決まる共鳴が存在することに気づきました。これらのフォルマントと呼ばれる共鳴は、それらの周辺にある減少するあらゆる部分音を増幅します。ヘルムホルツは、母音は2つの低いフォルマントによって決定されることに気づきなした。また、フォルマントは男性、女性そして子供によってわずかに変化することも発見しました。彼は、女声の高音で母音の修正をしなければならないことを観察して;「歌唱状態…特に高い音程に於いは、母音の特徴付けにとって望ましいものではありません。誰でも知っていることだが、普通話しているときよりも歌っているときの方が言葉を聞き取るのは難しく、そして、その難しさは、同じように訓練された女性よりも男性の方が少ない。もしそうでなければ、オペラやコンサートの対訳本は不必要になってしまうでしょう。」(114)

Allexander J. Ellis (彼れはヘルムホルツの弟子であり翻訳者)は、影響力のある Pronunciation for Singers (1877) など、何冊かの重要な本を書きました。この著書で、彼はヘルムホルツの声の共鳴の記述を、発声音源と声道の相互作用によって起こる音響現象あることを確認しました:『すべての楽音と、すべての歌われた母音は、それらが歌われる音の部分音群の一つ一つの相対的な音量によって決定される音質を持つ。そして、この相対的な音量は、空気が直接、振動本体で刺激されることによって部分的に決定され、そして、振動本体によって刺激された空気の振動が、外気に達する前に伝えられる腔の空気の共鳴によって、部分的に決定される(Ellis 1877, 9)。』 Ellis によって音響音声学(acoustic phonetics)の研究は、話し声を作る際の「調音器官」(舌、アゴ、唇、軟口蓋)の操作に集中する調音音声学(articulatory phonetics)に取って代わられました。Ellis は、現代国際音声アルファベットに先立つ音声スペリングシステム、Glottic を考案しました。彼がこれを解決しているほぼ同時期に、A. Melville Bell (Alexander Graham Bell の父親) は、Visible Speech (見える話し声) 1867年を出版し、それには、話し声をフォーメーション中の調音器官の形が示されています。EllisとBell は、話し声の実際的な研究のための音響理論の重要度を変えました。

Modern Formant Theory  現代のフォルマント理論 p. 47

母音はフォルマントによってつくられるという論証によって音響音声学に戻ったのは現在のベル・テレフォン研究所でした。1952年、Peterson と Barney は重大な論文を出版し、その中で彼らは、成人男女と同じく子供に於けるこれらのフォルマント周波数を、一般的に最低音は最も低いフォルマントを持つものだと考えました。その後、1960年に、Gunnar Fant は、Acoustic Theory of Speech Production で、彼が提示した母音の「音源-フィルター」理論と言う主要な研究を具体化しました。この理論によると、音源-声門-は、一連の倍音(harmonic series)を作り、基本周波数(F0)と多くの部分音または倍音で構成されています。源音が声道の変更なしで測定されたならば、部分音の大きさが、周波数がオクターブ上がるごとに均等に約12デシベルの割合で減少します(Sundberg 1977a, 82)。フィルターとは、ある特定の周波数を増幅させ、その他の周波数を鈍らせ、または、減少させる声道のことです。 [Titze 1994, 136-68. この件に関して詳細な論議が成されている]  声道は,4つか5つの重要なフォルマントを持ち、周波数の上昇に従って、F1. F2… のように示されます。F1とF2が主に母音を決定しますが、それは音色を決める全てのフォルマントとの相対的な強さです。もちろんそれぞれの歌手の喉頭と声道の肉体的組み立てによる声によって、個々の違いは存在すします。この独特な声の「指紋」は、しばしば歌手が成功するための必須の要素となります。

フォルマントが声道の共鳴であるならば、声道の形を変えることによってこれらのフォルマントは変更可能と言えます。このことは、いかに歌手達が異なる声質をつくり出すかを説明するうえで、発声教育上重要なことです。フォルマントを倍音(harmonics)に合わせるために声道を調整し、それによって声帯スペクトラムのある部分を増幅することは、フォルマント・チューニングとして知られています。歌手はこれを、声を色づけること(colouring)、母音の修正(modifying)、共鳴を見つけること(finding)、声を置くこと(placing)、或いは、さらに声を大きくはっきり出すことと理解しているかもしれません。[Miller Schutte 1990, 231; Sundberg 1977a も見よ]

フォルマント・チューニングの理解は、歌手達の中で少しずつしか進んでいません。Wilmer T. Bertholomew, Fritz Winkle, William Vennard のすべては、理想的な声質は低いフォルマントと高いフォルマントの両方を持つと主張しました。[Bertholomew, 1934, 1945; Winkel 1953; Vennard 1967 119-20] 低いフォルマントと高いフォルマントの考えは、不完全ながらも、高いフォルマントの輝く要素と低いフォルマントの暗い要素を構成することで、キアロスクーロの歴史的な概念と一致します。Johan Sundberg は後にこれらの観察を磨き上げ(Sundberg 1977a’The Acoustics of the Singing Voice’)1897年に次のように書きました、「人間の声の長時間平均スペクトルには、通常少なくとも1つの大なり小なりのはっきりしたピークが見られる。[第1のものは]500Hz付近に現れ、第1フォルマントに関係する。このピークの正確な周波数の位置は 各被験者の声に於ける第1フォルマントの平均値によると考えられる。また2つ目のピークが、男女いずれの歌手の場合でも2~3kHz のあたりに現れる;これは歌手のフォルマントに関係するものである。」(Sundberg 1987, The Science of the Sining Voice,  130)

フォルマント・チューニングは喉頭の縦の位置に大いに左右されます。縦の喉頭の位置は、発声科学の論文に於いて広く議論されてきました。喉頭は引き上げ筋の緊張によって引き上げられ、引き下げ筋、特に,胸骨甲状筋によって下げられる。喉頭は嚥下するときに上がり、アクビの開始時に下がる。「その理由は、たぶん、吸気時に横隔膜が下げられ、拡張された器官が喉頭を引き込むのであろう。」(Sundberg, Leaderson, and Euler 1989, 225)訓練された歌手達は発声時に喉頭を定位置に保つことによって、この低位の利点を上手く得ているのでしょう。訓練されていない歌手達は訓練された歌手達よりも、より高い喉頭で歌うことはよく知られています。[Zemlin 1968, 133-5; Sundberg 1974; Lichsinger and Arnold 1965, 78; Vennard 1967, 108; Shipp. 1977]

Tomas Shipp は言った、『我々の研究の全てにわたって最も一貫した発見は、伝統的な西洋のオペラ様式で訓練された歌手達は、主として発声周波数及び発声強度に関係なく安静時レベルかそれより低い喉頭位置で歌っていると言うことだ。歌手でない人(訓練されていない人)は周波数の増加によって、喉頭が上昇する強い傾向を示す。さらに、歌手ではない人はまた、絶えず安静時レベルより高い、特に彼らの声域の高い周波数では、喉頭の位置が高い』(Shipp 1987, 218)。通常、低い喉頭は全てのフォルマント周波数、特にF1を下げることによって音質が暗くなることが分かります。F1(第1フォルマント)のH1(第1倍音)へのチューニングは,自然な喉頭位置ではF1の下にある周波数に向かって、喉頭を下げることだけが必要とされます。唇を丸めることもまたチューブを長くするために利用され、フォルマントを下げるが、それはF2 にもっと直接的に作用します。

低くされたフォルマントは確かに訓練された声の重要な特質を示しますが、それらは時として歌われる母音の明瞭度に悪影響を及ぼします。母音フォルマントが通常の話し声の位置よりかなり下に下げられた場合、母音の識別は不明瞭になります。これは前に見たようにヘルムホルツによってすでに確認されていることですが、いまだにクラッシックの訓練を受けた歌手達にしばしば向けらおんきょうがくしゃでちょしゃれる不満の種でもあります。ガルシアが歌手達に、母音を均一にして、それらの明瞭度を失わない程度まで暗くするように忠告したとき、多くのオペラ歌手やコンサート歌手達は全く理解できませんでした。音響学者で著者の Benade は書いています、『多くの歌手達は全音域を通じてたえず(たいていは無意識に)音楽的に効果的な場所に彼らの周波数を置くために声道フォルマントを操作する。フォルマント周波数に於けるこれらの変更が、歌の言葉の分かりにくさに置いて我々がしばしばいだく難しさの原因となる』(Benade 1976, 386)。

いわゆるsinger’s formant (英国ではsinging formant と呼ばれる)[訳注:日本では歌手のフォルマント、歌唱フォルマント]は、およそ2,500 から3,500Hz で起こる高い周波数帯の共鳴です。それは、歌手の声域内の多くの音で起こりうるとは言え、通常女声よりは男声でよりはっきりと、また、弱い声よりは強い声でより強く現れます。それはほとんど、歌われる母音には関係しません。これはヘルムホルツが、1862年に’clear tinkling of little bell’s'(「小さな鐘のすんだチリンチリンと鳴る音」) と言ったものです。バーソロミューは、それを声の「ring; 鳴り、響き」と言い、それは喉のチューブ*を長くすることによる喉頭の降下によると示唆しました(Bartholomew 1985, 145-6:また1934も見よ)。[*訳注:ここでは、larynx tube となっていますが、larynx tube は喉頭管と訳され、声帯から喉頭蓋の先端までを指します。喉頭の降下によって喉頭管が長くなるとは考えられないので、喉の管或いは咽頭のチューブのことを言っているのでしょう]  それは、F3とF4またはF4とF5(または場合によってはF3、F4とF5)の集合として音響的に説明することができます。そこでは、これらのフォルマントを分離している間隔は狭くされます。

シンガーズ・フォルマントの強さは、それぞれの声門サイクルに於いて、急な、そして、完全な声門閉鎖によって生み出される高エネルギーの部分音の音源スペクトラムの存在に依存します(Sundberg 1987, 119; Miller and Schutte 1990, 231-2)。ズンドベリは、オーケストラの最大エネルギーが450Hz程度であり、シンガーズ・フォルマントの臨界の音域でのオーケストラからの競争がほとんど無いので、シンガーズ・フォルマントは歌手に、オーケストラを越えて声が聞こえるのを可能にすると指摘します(Sundberg 1997a, 89)。これはまた、ヘルムホルツの1862年の所見の繰り返になります。同じようにヘルムホルツを思い起こさせるのは Fritz Winkel の「耳は2,000と3,000 cps の間で特に高い感受性を持つ」という観察です(Winckel 1967, 98-9)。シンガーズ・フォルマントは、高度な発声努力を必要としない音響的現象です。スンドベリによると、『シンガーズ・フォルマントは、歌手の寿命をより長くするための手段として奉仕する。換言すると、声の節約は、男性の歌唱でのこの音響特性の裏にある主要な原理のように思える』(Sundberg 1985b, 208)。しかしながら、この音色の美学的要求もまた同じように重要な原則であると言うことができます。

テノールの声において、発声科学論文ではほとんど注目されていませんが、シンガーズ・フォルマントと同じくらい重要かもしれない別の共鳴戦略があります。これは、F2がH3またはH4に同調されたフォルマント・チューニングの形です。Groningen Voice Research Lab に於いて、著名なテノール達による演奏記録のスペクトル分析によると、何人かのテノールは、高音のカヴァーされた声でシンガーズ・フォルマントの代わりにチューニングされたF2を使ったことを示しました(Shutte and Miller 1996)。つよいF2からくる輝きは、シンガーズ・フォルマントとは異なる特徴を持ちますが、この筆者には、より「粗野」で、「危険」なものであると感じられました。

フォルマント・チューニングは、ソプラノの高音にとっても同様に重要なものです(Sundberg, 1977a,b)。このために、歌手は第1フォルマントを第1倍音のレベル(F1 to H1)に同調させます。これは音程F5以上の音の開母音(高いF1を伴う母音)上で起きますが、そこでは、通常F1はH1よりも低くなります。声道の変化-例えばアゴを開くことによって声道を短くする、唇の両端を引く、喉頭を少し引き上げる-歌手はH1の近くにF1を上げ、それによって互いを強化し合います。これは歌手のその部分での、ほんの少しの余分の努力で音を強くします。ソプラノはしばしばこの効果を手探りによって、模倣によって、教師の鋭い耳の助けを借りて見つけます(Sundberg 1987, 132)。そして発声教師はよくそれを声の「bloom(曇る)」と言います。ソプラノの声に於ける2つ目のフォルマント・チューニングは、F1とF2が互いに接近して、それらがH1と並んだときに起こります。このフォルマントの集合は開母音のための単独の共鳴を与えます。D. G. Millerは、これは、[a]母音を[o]母音の方向に変化させることであり、これを「back-vowel strategy: 後舌母音戦略」と呼びました。それは全ての声に、いくぶんノド声の声質を与え、女声の中音域、同じく高音域に使われます。

Resonance Imagery 共鳴イメージ p.51

ガルシアとその信奉者に対抗する伝統的な発声教育は、主によい音質を完成するための間接的なメトードを基本としてきました、そしてこの実践は正に今日まで続いています。これらのメトードの中の主なものは、「共鳴イメージ」の使用です。そこでは、特定の場所に集中する振動感覚は、良好な発声機能の尺度として利用されます。共鳴イメージに属する入念な命名法があり、それらは、声を「置く(placing)」、声を「集中する(focusing)」、或いは、dans le masque (in the mask )顔面に当てる、と言うような表現をします。これらの全ての用語は、鼻柱,鼻咽頭,鼻腔または頬骨、歯の裏側、口蓋などに、声を向けるという概念を示しています。これらのケースでは、息は、順応性のある柱、または、狙いを定めることができる流れ、むしろノズルのある庭のホースとしてイメージされます。別の例では、流れは身体の外のどこかに向けられるというイメージです。主に共鳴イメージを基本にする教育的メトードは、ガルシアと彼の後継者達の理論と全く対立します。1894年のMusical Heraldでのインタビューでガルシアは共鳴イメージについてシカゴの発声教師Frederic W. Root と話し合いました。

[ガルシアの]多くの経験と科学的な気質は、彼の発言のどのようなことにも独特の重みを与える。彼は、これらすべての現代的な理論を避けて、明確に自然を支持するために、彼の提言を非常にはっきりさせました。また彼は、音の感覚によって教えることを信じません。音を作るときに実際に行うことは、息をすること、声帯を使うこと、口の中でその音を形づくることです。歌手はその他にやるべき事などなにもありません。ガルシアは言いました、彼は別のことから始めめました;しょっちゅう音を頭に向けていたし、呼吸のために特別なことをしていました、などなど;しかし、これらのことが無駄であると放棄して何年かたち、今や単なる見かけではなく、実際のことのみを話すようになった。彼は、昨今、声の方向を前にまたは後ろに或いは上にと言い過ぎると非難した。振動は空気のパフ(小さなつぶつぶ)になる。息の全てのコントロールは、それが振動に変化した瞬間に消えてしまうので、その考え方はばかげている。空気の流れは、ある種の音として硬口蓋に、別の音として軟口蓋に投じられ、それからあちこちに反響する。(Root 1894, 229)

ガルシアの異議にもかかわらず、共鳴イメージは少なくとも16世紀以来の発声教育に於いて重要な役割を演じてきました。声の科学者と同様に歌手によってもしばしば採用されてきた歌唱の基本的な用語のいくつかは共鳴イメージに基づいたものです。例えば、[胸声」、[頭声]の用語法は音が感じられる場所であって形づくられる場所ではありません。Girolamo Maffei は共鳴イメージを使った最初の著者の1人でした。Signor Conte d’Alta Villa に宛てた手紙の1つで、名歌手のイメージの世界に於ける発声スタイルの多くの側面について論じ、声の共鳴について次のように述べています:「このように口蓋上の声の共鳴は;胸から喉頭への圧縮された空気を用いて、そこで振動し、声門と神経と充血した筋肉によってピントを合わせられ、そして発せられる声を強化することができる(Maffei 1562, 16-17)。」

初期の教育的出版物の中には、声を置くこと(voice placing)についての散漫な論及しか存在しませんが、19世紀後期から20世紀前期までには,ガルシアの理論とは反対に、共鳴イメージに基づいた教師たちの楽派しか存在しなくなりました。この楽派の出現に対し、ガルシアの信者であるBlanche Marchesi [訳注:Mathilde Marchesi の娘]は、皮肉を込めて、「新しい宗教の創設」と評しました。さらに彼女が「鼻の歌唱法:nasal method of singing」と呼ぶこのアプローチに対して、彼女はHenry Holbrock Curtis を厳しく非難しました。『この20年の間に、鼻の歌唱法と呼ばれる類いの傾向を認めない人がいるでしょうか?… これはシステムに対する熱狂です-伝えられ、教えられた新しいシステムの。鼻の発声は、それが思われてるほど笑い話では済まされません;世界中に広まってしまい、毎日のようにその衰弱させられた犠牲者の1人にされています』(B. Marchesi 1932, 91, 95)

Curtis, coup de la glotte の敵にして,「リラックスされた喉」のチャンピオン、は新しいメトードのための第1のスポークスマンとなりました。Jean de Reszke に献呈された彼の本は、正しいメトードによって顔面の共鳴体に置かれた音の上音は、声帯の新たな振動形態を引き起こす、と言う理論に基づいています。(Curtis, 1909, vi)彼は言いました、「マスクで歌うこと… 口蓋と口蓋垂は下がっていること」(154)。これはもちろん鼻の音質になり、ガルシアの高い口蓋と咽頭の拡張とに反します。クルティスは、鼻腔は声の共鳴でやることがたくさんあると主張しました(73)彼は、誇りを持ってジャン・ドゥ・レシュケが彼に言ったコメントを引用しました;『歌唱の偉大な問いは、鼻の問いになる、と私が偽りなく言うことができるまで、私は、歌手の技巧の偉大な問いが常により狭く狭くなるのがわかった。-la grande question du chant devient une question du nez』(159-60)。

ブランケ・マルケージはクルティスの鼻の共鳴に対する執着を嘲笑する一方で、彼女自身も、母音の発声を「共鳴板」と関連づけることによって、半月共鳴板のイメージを彼女自身のブランドにしました。(B. Marchesi 1932, 10, 11, 111-13)マッケンジーもまた、「音の柱」を硬口蓋に向け「底から外に向けて鋭く滑らかに反響させる」と言っています(Mackenzie 1890, 112)。しかしながら、彼は、「感覚はいつも当てにならない発声機能の解説者である」と警告を付け加えています。「しかしながら、感覚は別の道に入ってしまわないかを確かめるのに便利な立会人であり、それはある動きが緊張の原因になるかどうかを教えてくれるのでいつも頼りになる」(63-4)。

ランペルティ派も同じような警告を与えました。彼らはよく共鳴イメージを使いましたが、それらのイメージが人に誤解を与えることも十分に理解していました。フランチェスコは言いました、「厳密に言うと、鼻声、頭声、胸声などというようなものはありえない;そして我々はごく普通にこれらについて話したとしても、それらの用語法は正しくない:全ての声は喉の中で生み出される、しかし、息がいろんな通り道にぶつかる結果様々な感覚を生み出す」(F. Lamperti 1884, 17)。 ジョバンニは言った「喉の上で『起こる』事は、幻想(illusion)である、たとえそれがいかに本当のように感じ、或いは,発せられようとも。それと同時に、喉が正常且つ効果的に機能しているかどうかは、この感触と、聞えてくるものの感覚の幻想が唯一の証明になることに気づきなさい」(W. E. Broun 1957, 39)。 彼はこのような共鳴イメージは「喉の最初の音によって決まるのであって、声を『置く』努力」によるものではないと記しました(72-3)。それにも関わらず、ジョバンニはしばしばイメージに頼っています。例えば、「中声区の音の当て所は、硬口蓋の前である」(G. B. Lamperti 1905, 10) 。そして、歌手は音を、頭に、頭蓋骨の中央に、或いは、他の共鳴体に感じるべきであると言っています。

共鳴イメージは、Lilli Lehmann による方向に推進されました。彼女の有名な本 Meine Gesangskunst (私の歌唱法)は、初版が1902年で、How to Sing として英語に翻訳されました(Lehmann 1916)。歌手としてレーマンは、モーツアルトからワーグナーまで何の苦も無く歌い分けることができました。彼女は本で、人を当惑させるずらりと並んだ図と,特定の共鳴体に音をいかに導くかという記述を提供しました。彼女は共鳴を、腔とそれを取り巻く「弾力性のある型(elastic form)」を満たす,息の『回転する流れ(whirling currents)』として取り扱いました。彼女は「それらの感覚が正しいと考えられるならば、ここでは記述されるように、私の感覚と一致するに違いありません;、なぜならば、私の感覚は論理的に生理学的な原因に基づいており、これらの原因の働きとまさに一致するからです(35)」と主張する。あるうわさでは、レーマンはこの発言を後悔し,出版後間もなく実際に本の全てを買い戻そうとしたが果たせなかったそうです。それどころかこの本は7版を重ねました。ジョージ・バーナードショウが言うように、声の本は安全な投資です。
他の多くの著者達も同様に声のメトードの一部分としてイメージに頼りました。Emma Seiler、彼女はヘルムホルツの弟子としてよく知られています、は「声は声を前歯のすぐ上から跳ね返る」空気の柱の振動であると言いました(Seiler 1881, 117-18)。John Curwenもまた、息の柱は当てる(the breath colum could be aimed)ことができ「そして空気の流れは、頭や、それ自体を上げ下げすることで違った部分を捕らえることができるだろう」と主張しました。彼は、テノールは頭を後ろに倒す(throwing)ことによって「音を前に投げる」べきであると示唆しました(Curwen 1875, 183-4)。英国の発声教師 William Shakespeare は、声を額や鼻に向けることを拒絶しましたが、その代わりに、特定の歯に起こる精緻な振動感覚を述べています(Shakespeare 1910, 31, 35-6)。さらに、中間派に近い、Herbert-Caesareは、声は「focus ball (焦点ボール)」と言い;「我々は、高音でフォーカス或いはフォーカス・ボールの基を、喉頭メカニズムを反映するイメージとして、或いは、換言すると、ある音の発声のための、特別の声帯調整を反映するイメージと考える(Herbert-Caesari 1936,33-4 ff)。」 Earnest G. White は、sinus tone production 《空洞音発声》と彼が呼ぶものを説明するために、数冊の本を書き、その中で、空気の柱を当てると言うアイデアを一歩前に進めています。彼は、それを声門ではなく、空洞等(sinus cavities)の中の空気の小さな渦巻きであり、それが実際に音源(voice source)を構成する(White 1938)。Lunnのように、彼は人間の喉頭と鳥の鳴管を比較した。ホワイトは都会的で機知に富み、そして、完全に間違っていました。

これらの引用は、共鳴イメージを歌唱教授の重要なメトードとして擁護する多くの著作からのほんの少しの例に過ぎません。それらについての解説者達は、おそらく科学的な指向性を持った発声教師達の数を遙かに上回るでしょう。その上,多くのプロ歌手達は、この方法によって歌を習ってきたのです。[Hines 1994年の何人かの歌手とのインタビューを参照] いくつかの共鳴イメージ理論はありそうもないものですが、それにもかかわらず、この方法の否定しがたい側面もあります。何人かの著者達は、局所の感覚は重要なフィードバック機能になり得ることを認めています。ヴェナードは書いています、「我々が喉頭の上にある腔の形について学んでいるとき,同時に無意識のうちに声帯を訓練していることになると言うのはは良い徴候である(Vennard 1967, 80)。」Ingo Titze はつい最近、共鳴イメージのいくつかの側面を擁護して、次のようにいいました:

母音が位置づけされた(集められた)場所での歌手の感覚は、ことによると声道で起こる波動の最も強い圧力が集中する場所とかなり関係している…  それは、歌手達がそれらの母音を、要求するものに変えるために、これらの圧力に頼ると考えられる。その他の感覚、例えば、「マスクで歌う」、「頬骨に響かせる」或いは「音を上の門歯のすぐ裏の硬口蓋に当てる」等々も同様に、声道の中の特定の場所に音響的な最大の圧力をかけることと関係するのかもしれない。(Titze 1994, 167)

ヴェナードは、「鼻」の共鳴について、鼻腔は歌唱に於いて重要ではないことを証明する実験を行いました(Vennard 1964)。 一方さらに最近ズンドベリは、プロのオペラ歌唱に於いて、鼻腔と頭、胸の共鳴は、発せられる母音の主な音響的特性と関係がないものとしてその重要性を割り引いて考えています(Sundberg 1977a,91) 。それにもかかわらず、実際問題として、生徒に「君の声の中にもっと第2フォルマントの共鳴を付けるようにしなさい」と言うより「声を前に」と言ったほうがより効果的です。
教育的な本に於ける共鳴イメージの、変化に富んだ高度な想像的な記述に関する多くの例の中で、特にここで繰返すべきのもがあります。それは、ビアンカ・マルケージの最も愉快なもので、作曲家のチャールス・グノーについての話です。彼はどうやら発声教育がしたかったらしいのですが、「彼は決して歌を教えなかったが、しばしばそれを試してみようとしました。彼の一人娘が、若い女友達にレッスンしてくれるように頼のみました… グノーはその娘を彼の前に立たせ、彼女の目をまっすぐにみつめ、そして言いました:『お辞儀をして、あなたの声の壺からその中身を注ぎ出しなさい、そして藤色の響きを私に下さい。それで私の手を洗えるように。』マルケージはこれに対して「詩的です、しかし生徒が音を作るための求めに対しては、全く現実離れしている」と叫びました。(B. Marchesi 1923, 287)

Conclusions  結び

声道は確かに扱いやすい。喉頭の垂直位置、咽頭、舌、アゴ、そして両唇の調整は、ガルシアが言う「声の全ての色合い」をつくるための声門閉鎖の度合いを調整することができます。教育的書物の中でガルシアは音源と、その音を声道によって変化させることを最初に区別しました。ガルシアの同時代人、ヘルマン・ヘルムホルツは、音声生成の音源フィルター理論(the source-filter theory)として知られる音響的理論の原理を出版しました。安定した声門閉鎖は、高い周波数の構成要素に於いて豊かな音源をつくり出します。声道はつよいF2(訳注:F5の間違いか?)或いは「シンガーズ・フォルマント」をつくるために調整することができ、それによって音の輝きが保証されます。声道は同時に、音の暗さ、或いは、大きさを確実にするために、F1 を高めたりF1をH1に同調させるように調整することができます。そしてさらに、輝きと暗さを同時に一つの複合音の中につくることもできるのです。
オペラやコンサートの歌唱のためにキアロスクーロは、明るいものと暗いものの構成要素の結合による理想的な声質であると長年考えられてきました。歌手達はこの音色を獲得するため、長い年月を経て伝えられたメトードの実演と模倣、説明的な形容詞の暗示的な使用、共鳴イメージ、そして最後に、フォルマント・チューニングなどによる様々な方法で学んできました。さらに、男性歌手、特にテノールは、胸声区をその限界を超えて上に拡張するために、声を「カヴァーする」ことを学んできました。これもまた声道の調節、特に喉頭の下降の調節によるものです。キアロスクーロ、そして、フォルマント・チューニングやカヴァリングの微妙さは、主にクラッシックの歌唱スタイルを連想させます。それらはオールド・イタリアン・スクールの歌唱のトレードマークであり、前世紀と同様、今日のオペラ歌手にとっても重要なものなのです。

[山本隆則:訳 2009年2月]